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三章
用意周到1
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赤煉瓦の長々と続く校舎裏の塀と、校外とを分ける板塀で仕切られた細い裏道を、アレンはクリスと肩を並べて歩いていた。だが、向かいから来る吉野とサウードが視界に入ったとたん、うつむきかげんに顔を逸らした。
すれ違いざま、クリスと吉野は笑いあって、パシッと互いの掌を打ち合わせてローファイブする。
行き過ぎてしばらくしてから、サウードはちらりと後ろを振り返ると憤慨したように言った。
「クリスはいったいどうしたんだよ? あんな奴と仲良くしているなんて!」
「サウード、お前がフェイラーの態度に怒るのは当然だよ。だけど、クリスが、俺やお前に、あいつと同じような態度を取ったか?」
吉野は真っすぐに正面を見据えたまま歩いている。小柄なサウードは絶句して、この数カ月の間にさらに背の伸びた吉野を見上げた。
「違うだろ? クリスが誰を友達に選ぼうが、それはクリスの自由だ。それに文句をつけるのは逆差別だ」
憮然として黙りこむサウードに、「なんて、納得できるわけがないよな」と、吉野は優し気に目を細めて足を止め、サウードに顔を向ける。
「クリスは、俺たちのためにフェイラーといるんだよ」
サウードの肩を抱いて少し背を丸め、顔を近づけると再び歩き出す。
「ここの連中、間違った行為を見たって、それは間違っている、なんて親切に教えてくれやしないだろ? ただ眉をひそめて顔を背けるだけだ。それじゃ、フェイラーみたいな奴にはわからないんだ」
黒曜石のような瞳で、じっと黙ったまま自分を見つめるサウードに、「あいつはレイシストだから、って無視したり、嫌がらせしたり、突き飛ばしたって、あいつにはなぜ自分がそんな目にあっているのか理解できないんだよ。それを今、クリスが一つ一つ教えているんだ」
「それで生まれた時からしみついている偏見が消えると思っているの? 無理だよ、絶対に」
納得できない、とサウードは頬を膨らませて反論する。
「生まれた時からじゃない。誰かが教えたんだよ。身近にいる誰かから学んだんだ。せっかく、自分が生まれたのとは別の国にいるんだ。あいつもここで、別の考え方を学べばいいんだよ。お前みたいに」
悪戯っぽく笑う吉野に、サウードは怪訝そうに眉を寄せる。
「俺、これでも結構、戦々恐々としているんだ。いつ不敬罪でいきなり殺されるんじゃないか、って気が気じゃない」
サウードは首を捻って、肩越しに振り返る。
吉野の背中に、殺意のこもった、といってよいほどのきつい視線を向けるイスハ―クを不快感も露わに睨めつけて、「僕の友人をそんな目でみるな!」とサウードは威厳をもって怒鳴りつけた。
「俺の国じゃ、そんなふうに従業員を怒鳴りつけるのは、パワー・ハラスメントだ」
すかさず、だが淡々と吉野は告げた。サウードは驚いて目を見開いている。
「自分の常識が他人の非常識だなんて、言われてみないと判らないだろ?」と、吉野はにっと笑みを浮かべる。サウードの肩から手を離すと背筋を伸ばし、ここではない、ずっと遠くを見つめているような曖昧な表情で、誰に言うでもなく続けて言った。
「何が正しいかなんて、すごく相対的な問題なんだ。それなのに、西洋人は自分たちだけが正しいって顔をして、どこに行っても傍若無人に振る舞う――。俺、そんなあいつらが嫌いだった。だけどこの学校に来て、考えが変わった。本当に怖いのは、相手を理解して、なおかつ優位に立とうとするやつらなんだ」
吉野は、目を伏せて自嘲的に笑っている。そして、ふと目についた、延々と続く板塀に這う常緑の冬蔦の葉を一枚摘み取り、指先で弄ぶ。
「サウード、お前は生まれながらの支配階級だろ? プリンスの称号がなくても、人を支配できると思う?」
「プリンスであることと、僕自身は切り離せないよ」
サウードは、訳が判らないといったふうに、訝し気に首を傾げた。
「あいつは、貴族の称号がなくたって、その存在が目減りしたりしない」
「誰のことを言っているの?」
「ヘンリー・ソールスベリー」
「伝説の人だね?」
「アレン・フェイラーの兄貴だよ」
「え? だって苗字が違う……」
「アレンは、フェイラー財閥の跡取りだからだよ。ヘンリーのフルネームは、ヘンリー・ベンジャミン・フェイラー=ソールスベリー。ヘンリーは、英国で父親の後を継いで、アレンは米国の祖父の後を継ぐからだって」
「それなら、あいつは何で英国に来たんだろうね? そのまま米国で教育を受ければいいのに」
「そうだな――」
吉野はちらりと腕時計を見ると、しまった、と顔色を変えて声を荒げる。
「サウード、走ろう! 間に合わないぞ!」
「え?」
サウードも、慌てて自分の時計に目をやり、吉野に続いて走り出した。
「技術室、遠すぎるよ!」
すれ違いざま、クリスと吉野は笑いあって、パシッと互いの掌を打ち合わせてローファイブする。
行き過ぎてしばらくしてから、サウードはちらりと後ろを振り返ると憤慨したように言った。
「クリスはいったいどうしたんだよ? あんな奴と仲良くしているなんて!」
「サウード、お前がフェイラーの態度に怒るのは当然だよ。だけど、クリスが、俺やお前に、あいつと同じような態度を取ったか?」
吉野は真っすぐに正面を見据えたまま歩いている。小柄なサウードは絶句して、この数カ月の間にさらに背の伸びた吉野を見上げた。
「違うだろ? クリスが誰を友達に選ぼうが、それはクリスの自由だ。それに文句をつけるのは逆差別だ」
憮然として黙りこむサウードに、「なんて、納得できるわけがないよな」と、吉野は優し気に目を細めて足を止め、サウードに顔を向ける。
「クリスは、俺たちのためにフェイラーといるんだよ」
サウードの肩を抱いて少し背を丸め、顔を近づけると再び歩き出す。
「ここの連中、間違った行為を見たって、それは間違っている、なんて親切に教えてくれやしないだろ? ただ眉をひそめて顔を背けるだけだ。それじゃ、フェイラーみたいな奴にはわからないんだ」
黒曜石のような瞳で、じっと黙ったまま自分を見つめるサウードに、「あいつはレイシストだから、って無視したり、嫌がらせしたり、突き飛ばしたって、あいつにはなぜ自分がそんな目にあっているのか理解できないんだよ。それを今、クリスが一つ一つ教えているんだ」
「それで生まれた時からしみついている偏見が消えると思っているの? 無理だよ、絶対に」
納得できない、とサウードは頬を膨らませて反論する。
「生まれた時からじゃない。誰かが教えたんだよ。身近にいる誰かから学んだんだ。せっかく、自分が生まれたのとは別の国にいるんだ。あいつもここで、別の考え方を学べばいいんだよ。お前みたいに」
悪戯っぽく笑う吉野に、サウードは怪訝そうに眉を寄せる。
「俺、これでも結構、戦々恐々としているんだ。いつ不敬罪でいきなり殺されるんじゃないか、って気が気じゃない」
サウードは首を捻って、肩越しに振り返る。
吉野の背中に、殺意のこもった、といってよいほどのきつい視線を向けるイスハ―クを不快感も露わに睨めつけて、「僕の友人をそんな目でみるな!」とサウードは威厳をもって怒鳴りつけた。
「俺の国じゃ、そんなふうに従業員を怒鳴りつけるのは、パワー・ハラスメントだ」
すかさず、だが淡々と吉野は告げた。サウードは驚いて目を見開いている。
「自分の常識が他人の非常識だなんて、言われてみないと判らないだろ?」と、吉野はにっと笑みを浮かべる。サウードの肩から手を離すと背筋を伸ばし、ここではない、ずっと遠くを見つめているような曖昧な表情で、誰に言うでもなく続けて言った。
「何が正しいかなんて、すごく相対的な問題なんだ。それなのに、西洋人は自分たちだけが正しいって顔をして、どこに行っても傍若無人に振る舞う――。俺、そんなあいつらが嫌いだった。だけどこの学校に来て、考えが変わった。本当に怖いのは、相手を理解して、なおかつ優位に立とうとするやつらなんだ」
吉野は、目を伏せて自嘲的に笑っている。そして、ふと目についた、延々と続く板塀に這う常緑の冬蔦の葉を一枚摘み取り、指先で弄ぶ。
「サウード、お前は生まれながらの支配階級だろ? プリンスの称号がなくても、人を支配できると思う?」
「プリンスであることと、僕自身は切り離せないよ」
サウードは、訳が判らないといったふうに、訝し気に首を傾げた。
「あいつは、貴族の称号がなくたって、その存在が目減りしたりしない」
「誰のことを言っているの?」
「ヘンリー・ソールスベリー」
「伝説の人だね?」
「アレン・フェイラーの兄貴だよ」
「え? だって苗字が違う……」
「アレンは、フェイラー財閥の跡取りだからだよ。ヘンリーのフルネームは、ヘンリー・ベンジャミン・フェイラー=ソールスベリー。ヘンリーは、英国で父親の後を継いで、アレンは米国の祖父の後を継ぐからだって」
「それなら、あいつは何で英国に来たんだろうね? そのまま米国で教育を受ければいいのに」
「そうだな――」
吉野はちらりと腕時計を見ると、しまった、と顔色を変えて声を荒げる。
「サウード、走ろう! 間に合わないぞ!」
「え?」
サウードも、慌てて自分の時計に目をやり、吉野に続いて走り出した。
「技術室、遠すぎるよ!」
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