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三章
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ビ、ビー。
やっと、玄関のブザーが鳴った。待ちくたびれていた吉野がドアを開けると、ウィリアムが、ぐったりとした飛鳥を肩に担いで立っていた。
吉野は、顔をしかめてため息を吐く。
「酔っぱらっているの?」
「ただいま~、よしの」
飛鳥はろれつの回らない様子で眠たげな目をこじ開け、伏せていた顔を上げる。
「何やっているんだよ、飛鳥……」
「申し訳ない」
ウィリアムは、自分が付いていながら、と後悔を滲ませた真摯な声音で謝っている。
「あんたが謝ることじゃないよ。送ってくれてありがとうございました。飛鳥、飛鳥!」
眠りかけている飛鳥の頬を、吉野は、ぺシペシと軽く叩いて呼び掛けた。
「運ぶよ」
ウィリアムは勝手知ったる様子で飛鳥をリビングに運び、ソファーに下ろし座らせた。
「飛鳥、吐いたの?」
饐えた匂いに鼻を歪めた吉野の問い掛けに、飛鳥の替わりにウィリアムが頷くと、「横にならないように見ていてくれる?」と吉野は落ち着いた声音で告げて、キッチンに消えた。
しばらくしてグレープフルーツジュースの入った瓶とミネラルウォーター、グラスを二つ持って戻って来ると、ローテーブルに置き、ジュースをなみなみと注いだ。
「飛鳥、ほら、これ飲んで」
片手でグラスを支え持ち、反対の腕で飛鳥自身をながらゆっくりと少しづつ飲ませ、グラスが空になると、「もう、寝ていいよ」と、そっと飛鳥を横向きに寝かせて、頭を後ろに反らせて気道を広げる。
そこまで終えてから、「あんたも飲む?」と、じっと彼のすることを見守っていたウィリアムに、吉野はグレープフルーツジュースを注いだもう一方のグラスを差し出した。
ウィリアムはグラスを受け取りソファーの端に腰を下ろすと、一口飲み、「随分と手慣れているね」と、訝し気に吉野を見つめた。日本で共に暮らしていた時、杜月家では酒類を飲むことはなかったので、彼が酒に酔っている相手の対応を当然のようにしていることが意外だったのだ。
「父さんも、祖父ちゃんも、酒には弱かった。きっと遺伝だな。飲めないのに付き合いで飲んできては、しょっちゅう潰れていたから」
吉野はもどかしげに飛鳥を見つめて、ぽつりと呟いた。
「こういう生活には、向いていないんだよな」
だがすぐに顔を上げて表情の無い目線をウィリアムに向けると、「もういいよ、帰って」と、吉野は、用は済んだとばかりに冷たく言い放った。
夜も更けてきたと言うのに表通りはまだまだ騒がしく、笑い声や歌声までもが、時折通り過ぎて行く。吉野は、カーテンの下りた窓へ目を向ける。
どこも、かわんねえな……。
「これから一週間は、こんな調子なんだろ? 俺がいる間はいいから、その後は飛鳥のこと頼むよ。酒だけ気をつけてくれればいいから。日本じゃ毎年のように、大学入学や進学のシーズンになると急性アルコール中毒で病院に運ばれるやつがいるんだ。まさか、フォーマルディナーでへべれけになって帰ってくるとは思わなかったけどさ……」
「よしのぉ、のどかわいた」
飛鳥が目を開けて眉をしかめ、どんよりとした視線を彷徨わせている。
「ほら」
身体を起こすのを手伝い、ミネラルウォーターのボトルキャップを開けて渡してやる。
「気分悪い……」
飛鳥はしかめっ面のまま、一気にごくごくと飲み、吉野の肩に頭を傾げてもたれ掛かった。
「これに懲りて、あんまり酒飲むなよ」
「ワインを、何杯か、飲んだだけ、だよ……」
「ほら、しっかりしろよ。折角、ヘンリーが帰って来たのに、二日酔いじゃみっともないだろ?」
「ヘンリー?」
「メール、見ていないの?」
飛鳥は、慌ててポケットをあちこち探しまわし、やっと自分の携帯を見つけて開いた。
「ああ、やっと会えるんだ……」
唇の端を上げて小さく嗤い、飛鳥は深くため息を吐いた。
「でも、僕の方こそ逃げ出したい気分だよ……。ねぇ、ウィル、ヘンリーは、怒るかな? あれから、まだ全然進展していないんだよ」
飛鳥は一気に酔いが醒めたように姿勢を正して、吉野の向こう側に座り、黙ったまま自分を凝視しているウィリアムを、青ざめた顔で見つめ返した。ウィリアムはふわりと固い表情を崩し、首を横に振る。
「怒るなんて……。そんな方じゃありませんよ」
そんな方だろ……。
吉野は、昼間のヘンリーとロレンツォの会話を思い出し、キッと口を結ぶ。
想像していたよりもずっと怖いよ、あいつは――。
「飛鳥、吐き気が収まっているならもう寝ろよ。明日は朝から授業だろ?」
吉野は心配そうな声を飛鳥に掛け、次いで、ウィリアムを振り返ると、さっさと帰れ、と言わんばかりの視線を投げた。
やっと、玄関のブザーが鳴った。待ちくたびれていた吉野がドアを開けると、ウィリアムが、ぐったりとした飛鳥を肩に担いで立っていた。
吉野は、顔をしかめてため息を吐く。
「酔っぱらっているの?」
「ただいま~、よしの」
飛鳥はろれつの回らない様子で眠たげな目をこじ開け、伏せていた顔を上げる。
「何やっているんだよ、飛鳥……」
「申し訳ない」
ウィリアムは、自分が付いていながら、と後悔を滲ませた真摯な声音で謝っている。
「あんたが謝ることじゃないよ。送ってくれてありがとうございました。飛鳥、飛鳥!」
眠りかけている飛鳥の頬を、吉野は、ぺシペシと軽く叩いて呼び掛けた。
「運ぶよ」
ウィリアムは勝手知ったる様子で飛鳥をリビングに運び、ソファーに下ろし座らせた。
「飛鳥、吐いたの?」
饐えた匂いに鼻を歪めた吉野の問い掛けに、飛鳥の替わりにウィリアムが頷くと、「横にならないように見ていてくれる?」と吉野は落ち着いた声音で告げて、キッチンに消えた。
しばらくしてグレープフルーツジュースの入った瓶とミネラルウォーター、グラスを二つ持って戻って来ると、ローテーブルに置き、ジュースをなみなみと注いだ。
「飛鳥、ほら、これ飲んで」
片手でグラスを支え持ち、反対の腕で飛鳥自身をながらゆっくりと少しづつ飲ませ、グラスが空になると、「もう、寝ていいよ」と、そっと飛鳥を横向きに寝かせて、頭を後ろに反らせて気道を広げる。
そこまで終えてから、「あんたも飲む?」と、じっと彼のすることを見守っていたウィリアムに、吉野はグレープフルーツジュースを注いだもう一方のグラスを差し出した。
ウィリアムはグラスを受け取りソファーの端に腰を下ろすと、一口飲み、「随分と手慣れているね」と、訝し気に吉野を見つめた。日本で共に暮らしていた時、杜月家では酒類を飲むことはなかったので、彼が酒に酔っている相手の対応を当然のようにしていることが意外だったのだ。
「父さんも、祖父ちゃんも、酒には弱かった。きっと遺伝だな。飲めないのに付き合いで飲んできては、しょっちゅう潰れていたから」
吉野はもどかしげに飛鳥を見つめて、ぽつりと呟いた。
「こういう生活には、向いていないんだよな」
だがすぐに顔を上げて表情の無い目線をウィリアムに向けると、「もういいよ、帰って」と、吉野は、用は済んだとばかりに冷たく言い放った。
夜も更けてきたと言うのに表通りはまだまだ騒がしく、笑い声や歌声までもが、時折通り過ぎて行く。吉野は、カーテンの下りた窓へ目を向ける。
どこも、かわんねえな……。
「これから一週間は、こんな調子なんだろ? 俺がいる間はいいから、その後は飛鳥のこと頼むよ。酒だけ気をつけてくれればいいから。日本じゃ毎年のように、大学入学や進学のシーズンになると急性アルコール中毒で病院に運ばれるやつがいるんだ。まさか、フォーマルディナーでへべれけになって帰ってくるとは思わなかったけどさ……」
「よしのぉ、のどかわいた」
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「ほら」
身体を起こすのを手伝い、ミネラルウォーターのボトルキャップを開けて渡してやる。
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「これに懲りて、あんまり酒飲むなよ」
「ワインを、何杯か、飲んだだけ、だよ……」
「ほら、しっかりしろよ。折角、ヘンリーが帰って来たのに、二日酔いじゃみっともないだろ?」
「ヘンリー?」
「メール、見ていないの?」
飛鳥は、慌ててポケットをあちこち探しまわし、やっと自分の携帯を見つけて開いた。
「ああ、やっと会えるんだ……」
唇の端を上げて小さく嗤い、飛鳥は深くため息を吐いた。
「でも、僕の方こそ逃げ出したい気分だよ……。ねぇ、ウィル、ヘンリーは、怒るかな? あれから、まだ全然進展していないんだよ」
飛鳥は一気に酔いが醒めたように姿勢を正して、吉野の向こう側に座り、黙ったまま自分を凝視しているウィリアムを、青ざめた顔で見つめ返した。ウィリアムはふわりと固い表情を崩し、首を横に振る。
「怒るなんて……。そんな方じゃありませんよ」
そんな方だろ……。
吉野は、昼間のヘンリーとロレンツォの会話を思い出し、キッと口を結ぶ。
想像していたよりもずっと怖いよ、あいつは――。
「飛鳥、吐き気が収まっているならもう寝ろよ。明日は朝から授業だろ?」
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