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三章
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「ヨシノ、何を作っているの?」
ガラス戸を開け、早朝の雲の谷間から柔らかい日差しが僅かに零れる戸外へと一歩出たアーネストは、ティーセットを載せたトレーを手にしたまま立ち止まっていた。
どんよりと薄暗く、肌寒いベランダのガーデンテーブルの上で、パイプソーで器用に塩ビパイプを切っている吉野を面白そうに見つめる。部屋にいないと思ったら、こんなところで何をしているのか、と問い質したい好奇心はあくまで抑え、おっとりと訊ねていた。
「武器」
手を止めることもなく吉野はぶっきらぼうに答え、パイプの先をライターで炙り、「あちぃ……」と眉をしかめながら、未だ熱を持つ先端を指で均して平らにして錐でネジ穴を開けている。
「お茶を飲まない?」
邪魔にならないように椅子の上にトレーを置くと、アーネストは自分もその横に腰かけ吉野の手元をじっと見守る。
「ありがとう」
そっけなくお礼だけは言い、吉野は黙々と作業を続ける。ゴム手袋の指の部分をジャキジャキと切り落とすと塩ビパイプに通し、リングで固定させ、別のパイプとネジで連結させる。何度かゴムの部分をぐいっと引っ張っては、ビッと放し確認した後、「お茶、いただきます」と吉野はやっと顔を上げ、アーネストに向かってにっと笑った。
カップに紅茶を注ぎ入れながら、「それ、どうやって使うの?」とアーネストは興味津々に、出来上がったばかりの親指の長さ程の品にちらりと眼をやる。ジロジロと眺めまわさないところが、いかにもこいつらしい、と吉野はそんな彼を黙って見つめている。だがそれも束の間で、ほっと一息つくと緊張を解き、ティーカップを口に運んだ。
「コーヒーより紅茶を淹れる方が断然上手ですね」
満足そうに飲み干すと、吉野はベランダをぐるっと見廻して、「試してみてもいいですか?」と小首を傾げた。
アーネストが頷くと、「危ないので中にいて下さい」と吉野はティーカップをトレーに戻し、室内のサイドテーブルに置いた。アーネストも自分のティーカップを片手に彼の後に続いた。
再びベランダに出た吉野は、工具類をまとめて入れてある紙袋から二種類の空き缶を取り出すと、川沿いに面した手すり壁の手前に椅子を引っ張っていきその上に並べた。そして、テーブル横の観葉植物の鉢から小石を摘みあげると、自分の作品のゴム部分にセットする。
目で距離を測りながら移動してバルコニーの端までくると、弓を引く時と同じように姿勢を正し、前方に突きだした左手で握っているパイプのゴム部分を右手でぐいっと引っ張って溜めを作り、――バシッと弾いた。
パンッ!
弾ける音と共に空き缶が倒れる。もう一度小石を入れ、同じ動作を繰り返す。
カン!
今度は、空き缶は甲高い音を立てて跳ね飛んだ。
吉野は空き缶を拾いに行く。アーネストはそっとガラス戸を開け、その背中に声を掛けた。
「もうそっちに行ってもいいかい?」
吉野は眉を寄せ、口をへの字に曲げて頷くと、缶を見比べながらため息を漏らした。アーネストも興味深そうに、彼の手許をのぞき込む。
「それはスリングショットだね。市販品とはかなり違う形状だから判らなかったよ。それにしても凄い威力だね」
アルミ缶は完全に貫通している。スチール缶ですら傷がつき、穴が開いている。
「失敗だよ……。これじゃ強すぎる。もっと子どものおもちゃみたいなのがいいんだ。でも、あんまり弱いゴムじゃ飛距離が出ないだろ……」
口を尖らせてため息交じりに呟く吉野は、見かけよりもずっと子どもっぽい。アーネストはそんな彼に目を細め、クスクスと上品な笑い声を立てた。
「飛ばす中身を変えればいいんじゃないかな? もっと軽くて柔らかいものにね。ペイントボールって知っている? これくらいの玉なんだけどね、的に当たったら弾けて絵具が飛び散るよ」
吉野の瞳が悪戯ぽく輝いたのを見て、「後で買ってきてあげるよ」とアーネストも、共犯者めいた気分でニコッと笑った。
「あ、俺、今日はロンドンに行くので、どこに置いてあるか教えて貰えたら自分で買いに行きます」
吉野は、それでもう問題解決したかのように明るい声で応えている。
「ロンドン? またなんで?」
「日曜日は、ロンドンの弓道場に通っているんです」
「ああ、弓道を続けているんだっけ」
アーネストは納得したように頷いた。
「弓道……、あいつ、デヴィッドも、日本で真面目に頑張ってやっていましたよ。やりたい、って言われたときには冗談かと思ったけれど」
吉野が嬉しそうに微笑んで言うと、「あの子は気に入ったことには一途だからねぇ」アーネストもふわっと柔らかい表情を見せ、異国にいる弟に懐かしそうに思いを馳せた。
「ヨシノ、お茶のおかわりは?」
「いえ、もう、」
「淹れて来るよ。ついでに朝食にするかい?」
アーネストは吉野の前に立ち、薄っすらと笑みを浮かべている。
「そういえば、まだきみが武器を必要としている理由を訊いていなかったなぁ、て。アスカが起きて来る前に、話してくれた方がいいんじゃないかなぁ」
そして、表情を強張らせ立ち竦む吉野の肩を抱き、工具の入った紙袋を手に持つと室内へ入るように促して、「きみ、僕がきみの身元引受人だってこと、忘れてるんじゃないの?」と、笑いを含んだ優しい声で囁いた。
ガラス戸を開け、早朝の雲の谷間から柔らかい日差しが僅かに零れる戸外へと一歩出たアーネストは、ティーセットを載せたトレーを手にしたまま立ち止まっていた。
どんよりと薄暗く、肌寒いベランダのガーデンテーブルの上で、パイプソーで器用に塩ビパイプを切っている吉野を面白そうに見つめる。部屋にいないと思ったら、こんなところで何をしているのか、と問い質したい好奇心はあくまで抑え、おっとりと訊ねていた。
「武器」
手を止めることもなく吉野はぶっきらぼうに答え、パイプの先をライターで炙り、「あちぃ……」と眉をしかめながら、未だ熱を持つ先端を指で均して平らにして錐でネジ穴を開けている。
「お茶を飲まない?」
邪魔にならないように椅子の上にトレーを置くと、アーネストは自分もその横に腰かけ吉野の手元をじっと見守る。
「ありがとう」
そっけなくお礼だけは言い、吉野は黙々と作業を続ける。ゴム手袋の指の部分をジャキジャキと切り落とすと塩ビパイプに通し、リングで固定させ、別のパイプとネジで連結させる。何度かゴムの部分をぐいっと引っ張っては、ビッと放し確認した後、「お茶、いただきます」と吉野はやっと顔を上げ、アーネストに向かってにっと笑った。
カップに紅茶を注ぎ入れながら、「それ、どうやって使うの?」とアーネストは興味津々に、出来上がったばかりの親指の長さ程の品にちらりと眼をやる。ジロジロと眺めまわさないところが、いかにもこいつらしい、と吉野はそんな彼を黙って見つめている。だがそれも束の間で、ほっと一息つくと緊張を解き、ティーカップを口に運んだ。
「コーヒーより紅茶を淹れる方が断然上手ですね」
満足そうに飲み干すと、吉野はベランダをぐるっと見廻して、「試してみてもいいですか?」と小首を傾げた。
アーネストが頷くと、「危ないので中にいて下さい」と吉野はティーカップをトレーに戻し、室内のサイドテーブルに置いた。アーネストも自分のティーカップを片手に彼の後に続いた。
再びベランダに出た吉野は、工具類をまとめて入れてある紙袋から二種類の空き缶を取り出すと、川沿いに面した手すり壁の手前に椅子を引っ張っていきその上に並べた。そして、テーブル横の観葉植物の鉢から小石を摘みあげると、自分の作品のゴム部分にセットする。
目で距離を測りながら移動してバルコニーの端までくると、弓を引く時と同じように姿勢を正し、前方に突きだした左手で握っているパイプのゴム部分を右手でぐいっと引っ張って溜めを作り、――バシッと弾いた。
パンッ!
弾ける音と共に空き缶が倒れる。もう一度小石を入れ、同じ動作を繰り返す。
カン!
今度は、空き缶は甲高い音を立てて跳ね飛んだ。
吉野は空き缶を拾いに行く。アーネストはそっとガラス戸を開け、その背中に声を掛けた。
「もうそっちに行ってもいいかい?」
吉野は眉を寄せ、口をへの字に曲げて頷くと、缶を見比べながらため息を漏らした。アーネストも興味深そうに、彼の手許をのぞき込む。
「それはスリングショットだね。市販品とはかなり違う形状だから判らなかったよ。それにしても凄い威力だね」
アルミ缶は完全に貫通している。スチール缶ですら傷がつき、穴が開いている。
「失敗だよ……。これじゃ強すぎる。もっと子どものおもちゃみたいなのがいいんだ。でも、あんまり弱いゴムじゃ飛距離が出ないだろ……」
口を尖らせてため息交じりに呟く吉野は、見かけよりもずっと子どもっぽい。アーネストはそんな彼に目を細め、クスクスと上品な笑い声を立てた。
「飛ばす中身を変えればいいんじゃないかな? もっと軽くて柔らかいものにね。ペイントボールって知っている? これくらいの玉なんだけどね、的に当たったら弾けて絵具が飛び散るよ」
吉野の瞳が悪戯ぽく輝いたのを見て、「後で買ってきてあげるよ」とアーネストも、共犯者めいた気分でニコッと笑った。
「あ、俺、今日はロンドンに行くので、どこに置いてあるか教えて貰えたら自分で買いに行きます」
吉野は、それでもう問題解決したかのように明るい声で応えている。
「ロンドン? またなんで?」
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「ああ、弓道を続けているんだっけ」
アーネストは納得したように頷いた。
「弓道……、あいつ、デヴィッドも、日本で真面目に頑張ってやっていましたよ。やりたい、って言われたときには冗談かと思ったけれど」
吉野が嬉しそうに微笑んで言うと、「あの子は気に入ったことには一途だからねぇ」アーネストもふわっと柔らかい表情を見せ、異国にいる弟に懐かしそうに思いを馳せた。
「ヨシノ、お茶のおかわりは?」
「いえ、もう、」
「淹れて来るよ。ついでに朝食にするかい?」
アーネストは吉野の前に立ち、薄っすらと笑みを浮かべている。
「そういえば、まだきみが武器を必要としている理由を訊いていなかったなぁ、て。アスカが起きて来る前に、話してくれた方がいいんじゃないかなぁ」
そして、表情を強張らせ立ち竦む吉野の肩を抱き、工具の入った紙袋を手に持つと室内へ入るように促して、「きみ、僕がきみの身元引受人だってこと、忘れてるんじゃないの?」と、笑いを含んだ優しい声で囁いた。
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