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三章
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「あの子って、表面だけ彼に似せて作った、下手くそなイミテーションみたいだよね」
チャールズはつまらなそうに言うと、同意を求めるように首を捻って吉野に顔を向けた。
自分の理想と違うからってあんまりな言い草だろ――。あいつ、なまじ造りが似ているから必要以上に比べられるんだ、可哀想に――。
返事は唇の先で苦笑を示すに留め、吉野はヘンリーの弟へ思考を巡らせた。
アレン・フェイラーは、実際のところ、目の前にいると可哀想という気持ちが吹き飛んでしまうほど、高慢ちきで冷淡な、実に嫌な奴だった。目の覚めるような美貌も興覚めするほどの、自分の属する上流階級以外は人間じゃない、そんな侮蔑的な目つきで、それ以外を見下している。彼のそんな一面が顕著になるにつれて、初めはヘンリーの弟ということで彼をちやほやしていたカレッジ寮生も、波が引くように遠ざかっていった。
そうなったのにも、明確な理由があった。
エリオット校で、その中でも特にカレッジ寮内でヘンリー・ソールスベリーが神聖視されているのには訳があるんだ、とチャールズは入学したての吉野に、まるで自分のことの様に自慢気に彼の功績を語ってくれたことがある。
――彼は、カレッジ寮に革命を起こしたんだ!
ソールスベリー先輩が入学した当時の副寮長が、今問題になっているマーレイ銀行の嫡子のアデル・マーレイだ。彼が上級生になってからは、それまで以上に下級生に対するいじめが日常茶飯事と化していた。それに成績優秀者の集まるキングススカラーは、庶民の出身が他寮に比べて多いのだ。マーレイとその取り巻きの上流階級が、中流階級を、自分たちの下僕ででもあるかのように扱っていた。
彼はそんな状況に、堂々と異議申し立てをしたのだ。理不尽な命令には絶対に従わない。暴力にもいじめにも決して屈しなかった。それはマーレイが最高学年で寮長になってからも変わらなかった。
「フェイラーは、ソールスベリー先輩とは中身が違い過ぎる。どちらかというと、マーレイに似ているよ。あの頃は僕もきみと同じ一学年で、マーレイのいじめから先輩によく庇って貰っていたんだよ。先輩は階級も国籍も関係なく、誰にでも分け隔てなく公平で公正だった」
チャールズは柔らかくウェーブの掛かった黒髪を掻き上げて、懐かしそうに小さくため息を吐いている。
「そういえば、話、最後まで聞いていませんでした。ヘンリーはどうやって革命を成し遂げたんです?」
吉野は向いのソファーに腰を下ろし、興味深そうに両膝に肘をついて身を乗り出すようにして質問した。
「みんな固唾を飲んで見守っていたのさ。そして考えた。どちらが貴族として正しいか? エリオット校生として相応しい行いをしているか? まず上級生が理不尽な行いを慎むようになった。それから下級生も、ノーが言えるようになっていった。だんだんとソールスベリー先輩の取り巻きが増えていってね、彼が二学年になると上級生に上がったアーネスト・ラザフォード先輩が副寮長になって、マーレイの派閥を内側から解体したんだよ。ラザフォード先輩は生徒会入りがほぼ確定していたのに、そっちを蹴って副寮長を引き受けたんだ。彼のために。そのうちマーレイが大怪我をしてね、入院している間にラザフォード先輩が寮長に代わったんだ」
チャールズは吉野の携帯を握りしめたまま、大きく伸びをした。
「彼のおかげで、ここ数年間のエリオット校は過去最高に平和だよ。一人も麻薬所持や過度の飲酒での退学者を出していない。本当に久しぶりさ、きみみたいに規律違反しまくる子はね」
そして、もう一度携帯の画面に視線を落とす。
「なぁ、この写真……」
「駄目です。どうしてもっておっしゃるなら、来週、彼に会うかも知れないのでその時に訊いておきますよ」
「いいよそんなこと! 恥ずかしいだろ!」
俺に頼むのは恥ずかしくないのかよ……。
吉野は携帯を返してもらいながら苦笑する。
「ハーフタームは、また、彼のアパートメントに泊まるのかい?」
チャールズは羨ましそうに吉野を眺めている。
「いいえ、ケンブリッジの兄のフラットに」
「ああそうか、もうそんな時期だったね。お兄さんは寮には入らなかったんだね」
「俺の休暇の度に、身元引受人のラザフォード家にお世話になるんじゃ申し訳ないので」
「そう? 日本人は奥ゆかしいねぇ……。それはそうと、彼からアレンのことは何か聞いている?」
「いいえ」
吉野は怪訝そうに眉を寄せ、チャールズに視線を合わせた。
「そう……」
チャールズは難しそうな顔をして唇をつきだし、暫く思い悩んでいたが、思い切ったように吉野に視線を向けると、「アレン・フェイラーのこと、気を付けておいてくれないかな? そろそろヤバそうなんだ」と真面目な声で告げた。
「彼の弟だから今まで無事で過ごせていたんだけれどね。でもあの性格だろ? それに、うちの寮の上級生連中は、彼が米国の親族を嫌っていることはみんな知っているからね」
「ヤバイって? いじめのターゲットになるっていうことですか?」
「まぁ、それもあるけどね、あの性格じゃ……。判れよ、ここは男子校なんだから。彼や、ラザフォード兄弟以来なんだよ、あれほどの美人が入ってくるのは。……きみ、何て顔しているんだよ!」
思いきり顔を歪めて嫌悪感を示す吉野を見て、チャールズは噴き出し腹を抱えて笑い出した。
「きみもいい加減初心だねぇ。ソールスベリー先輩からなんだよ、下級生の部屋が一人部屋から二人部屋になったのは。それだけ彼に対する悪戯や嫌がらせが多かったんだ。まぁ、フェイラーじゃ、先輩みたいに構ってくる相手を叩きのめしたりは、出来そうにないしねぇ……」
吉野は、アレンのヘンリーによく似た、だがもっと繊細で頼りなさそうな顔つきと、華奢で如何にも軟弱そうな体つきを思い出し、ますます不機嫌そうに小さくため息をついた。アレン・フェイラーはヘンリーの弟だということを抜きにしても、吉野には好きになれるタイプではない。でも知ってしまった以上、それとこれとは別だ。自分には関係ない、と見過ごしには出来なかった。
「了解、寮長」
「寮内では僕も気をつけておくから、頼むよ、ヨシノ」
チャールズは立ち上がると、同じように腰を上げた吉野の肩をぽんと叩いた。
「ただのミーハーかと思ったら、ちゃんと寮長しているんですね」
「何言っているんだい? 僕がいかに彼を尊敬しているか、まだ解っていなかったのかい? 彼の作った規範を壊すような真似を、この僕が許す訳がないだろ?」
嫌味ともとれる呟きを笑って聞き流し、吉野の肩を軽く抱いてチャールズは戸口まで送って行った。
「解ったらきみも、これ以上のやっかい事を起こすのは止めてくれよ!」
チャールズはつまらなそうに言うと、同意を求めるように首を捻って吉野に顔を向けた。
自分の理想と違うからってあんまりな言い草だろ――。あいつ、なまじ造りが似ているから必要以上に比べられるんだ、可哀想に――。
返事は唇の先で苦笑を示すに留め、吉野はヘンリーの弟へ思考を巡らせた。
アレン・フェイラーは、実際のところ、目の前にいると可哀想という気持ちが吹き飛んでしまうほど、高慢ちきで冷淡な、実に嫌な奴だった。目の覚めるような美貌も興覚めするほどの、自分の属する上流階級以外は人間じゃない、そんな侮蔑的な目つきで、それ以外を見下している。彼のそんな一面が顕著になるにつれて、初めはヘンリーの弟ということで彼をちやほやしていたカレッジ寮生も、波が引くように遠ざかっていった。
そうなったのにも、明確な理由があった。
エリオット校で、その中でも特にカレッジ寮内でヘンリー・ソールスベリーが神聖視されているのには訳があるんだ、とチャールズは入学したての吉野に、まるで自分のことの様に自慢気に彼の功績を語ってくれたことがある。
――彼は、カレッジ寮に革命を起こしたんだ!
ソールスベリー先輩が入学した当時の副寮長が、今問題になっているマーレイ銀行の嫡子のアデル・マーレイだ。彼が上級生になってからは、それまで以上に下級生に対するいじめが日常茶飯事と化していた。それに成績優秀者の集まるキングススカラーは、庶民の出身が他寮に比べて多いのだ。マーレイとその取り巻きの上流階級が、中流階級を、自分たちの下僕ででもあるかのように扱っていた。
彼はそんな状況に、堂々と異議申し立てをしたのだ。理不尽な命令には絶対に従わない。暴力にもいじめにも決して屈しなかった。それはマーレイが最高学年で寮長になってからも変わらなかった。
「フェイラーは、ソールスベリー先輩とは中身が違い過ぎる。どちらかというと、マーレイに似ているよ。あの頃は僕もきみと同じ一学年で、マーレイのいじめから先輩によく庇って貰っていたんだよ。先輩は階級も国籍も関係なく、誰にでも分け隔てなく公平で公正だった」
チャールズは柔らかくウェーブの掛かった黒髪を掻き上げて、懐かしそうに小さくため息を吐いている。
「そういえば、話、最後まで聞いていませんでした。ヘンリーはどうやって革命を成し遂げたんです?」
吉野は向いのソファーに腰を下ろし、興味深そうに両膝に肘をついて身を乗り出すようにして質問した。
「みんな固唾を飲んで見守っていたのさ。そして考えた。どちらが貴族として正しいか? エリオット校生として相応しい行いをしているか? まず上級生が理不尽な行いを慎むようになった。それから下級生も、ノーが言えるようになっていった。だんだんとソールスベリー先輩の取り巻きが増えていってね、彼が二学年になると上級生に上がったアーネスト・ラザフォード先輩が副寮長になって、マーレイの派閥を内側から解体したんだよ。ラザフォード先輩は生徒会入りがほぼ確定していたのに、そっちを蹴って副寮長を引き受けたんだ。彼のために。そのうちマーレイが大怪我をしてね、入院している間にラザフォード先輩が寮長に代わったんだ」
チャールズは吉野の携帯を握りしめたまま、大きく伸びをした。
「彼のおかげで、ここ数年間のエリオット校は過去最高に平和だよ。一人も麻薬所持や過度の飲酒での退学者を出していない。本当に久しぶりさ、きみみたいに規律違反しまくる子はね」
そして、もう一度携帯の画面に視線を落とす。
「なぁ、この写真……」
「駄目です。どうしてもっておっしゃるなら、来週、彼に会うかも知れないのでその時に訊いておきますよ」
「いいよそんなこと! 恥ずかしいだろ!」
俺に頼むのは恥ずかしくないのかよ……。
吉野は携帯を返してもらいながら苦笑する。
「ハーフタームは、また、彼のアパートメントに泊まるのかい?」
チャールズは羨ましそうに吉野を眺めている。
「いいえ、ケンブリッジの兄のフラットに」
「ああそうか、もうそんな時期だったね。お兄さんは寮には入らなかったんだね」
「俺の休暇の度に、身元引受人のラザフォード家にお世話になるんじゃ申し訳ないので」
「そう? 日本人は奥ゆかしいねぇ……。それはそうと、彼からアレンのことは何か聞いている?」
「いいえ」
吉野は怪訝そうに眉を寄せ、チャールズに視線を合わせた。
「そう……」
チャールズは難しそうな顔をして唇をつきだし、暫く思い悩んでいたが、思い切ったように吉野に視線を向けると、「アレン・フェイラーのこと、気を付けておいてくれないかな? そろそろヤバそうなんだ」と真面目な声で告げた。
「彼の弟だから今まで無事で過ごせていたんだけれどね。でもあの性格だろ? それに、うちの寮の上級生連中は、彼が米国の親族を嫌っていることはみんな知っているからね」
「ヤバイって? いじめのターゲットになるっていうことですか?」
「まぁ、それもあるけどね、あの性格じゃ……。判れよ、ここは男子校なんだから。彼や、ラザフォード兄弟以来なんだよ、あれほどの美人が入ってくるのは。……きみ、何て顔しているんだよ!」
思いきり顔を歪めて嫌悪感を示す吉野を見て、チャールズは噴き出し腹を抱えて笑い出した。
「きみもいい加減初心だねぇ。ソールスベリー先輩からなんだよ、下級生の部屋が一人部屋から二人部屋になったのは。それだけ彼に対する悪戯や嫌がらせが多かったんだ。まぁ、フェイラーじゃ、先輩みたいに構ってくる相手を叩きのめしたりは、出来そうにないしねぇ……」
吉野は、アレンのヘンリーによく似た、だがもっと繊細で頼りなさそうな顔つきと、華奢で如何にも軟弱そうな体つきを思い出し、ますます不機嫌そうに小さくため息をついた。アレン・フェイラーはヘンリーの弟だということを抜きにしても、吉野には好きになれるタイプではない。でも知ってしまった以上、それとこれとは別だ。自分には関係ない、と見過ごしには出来なかった。
「了解、寮長」
「寮内では僕も気をつけておくから、頼むよ、ヨシノ」
チャールズは立ち上がると、同じように腰を上げた吉野の肩をぽんと叩いた。
「ただのミーハーかと思ったら、ちゃんと寮長しているんですね」
「何言っているんだい? 僕がいかに彼を尊敬しているか、まだ解っていなかったのかい? 彼の作った規範を壊すような真似を、この僕が許す訳がないだろ?」
嫌味ともとれる呟きを笑って聞き流し、吉野の肩を軽く抱いてチャールズは戸口まで送って行った。
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