胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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二章

夏の瞬き1

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 数多くの旅行者やビジネスマンが大きなスーツケースを抱えて行き交う雑踏の中に弟の姿を見つけるなり、飛鳥は駆け出していた。
 ひとしきり家族水入らずの再会を邪魔しないように、と間を開けてウィリアムは佇み、飛鳥の弟を観察するように眺める。

 驚くほど似ていない兄弟だな……。

 と、想定外の印象に驚く自分がいる。さらりとした癖のない黒髪は兄と同じなのに、それ以外に共通項を見いだせない。
 身長は、飛鳥よりも彼の方が少し高いかもしれない。体形もしっかりとして見える。細身だが、飛鳥のように華奢ではない。その動作に、鍛えているのであろうしなやかさが見える。この二人が並んでいるところを見ていると、六つも年齢差があるとは思えないほど大人びて見える。

 そんな自分の視線を敏感に捉えた杜月吉野を、ウィリアムは穏やかな笑みを湛えて率直に見つめた。対する彼の方はというと、途端に切れ長の目を吊り上げ、あからさまに不躾に、睨みつけるような視線で応じている。

「吉野、目つき悪い。失礼だよ」
 平日の昼間に空港まで出迎えてくれた弟を、飛鳥は抑えきれない懐かしさで顔をほころばせながらも、少し眉をひそめて小声でたしなめている。

「彼はウィリアム・マーカス。父さんから聞いているだろ? 新学期が始まるまでうちにホームステイしてもらうんだ」

「初めまして、よろしく」
「初めまして」

 握手を求めるウィリアムの手を申し訳程度に握り、吉野は抑揚のない冷たい口調で挨拶を返した。

 歓迎されていないみたいだな……。

 握られた手から、ぴりぴりとした敵意のようなものが伝わって来る。ウィリアムは苦笑を浮かべ、目を細めた。
 これからエリオットに入学するなら、このくらい警戒心が強い方がいいかもしれない。想像を裏切られたにも関わらず、却ってその胸中では期待感が増している。ウィリアムは静かな自身に満ちた笑みを湛え、この生意気な少年から目を逸らそうとしなかった。


「吉野、彼はエリオットのキングス・スカラーだったんだ。色々教えて貰うといいよ」
「どうしてウイスタンに転校したの? 中途で学校を辞めたら、それまで受けていた奨学金は全額返済しなきゃいけないんだろ?」

 唐突すぎる不躾な問いに、飛鳥は顔をしかめて弟を睨んだ。

「吉野!」

 気にしないで、と視線で制して、「僕を含めて数名が、ヘンリー・ソールスベリーを追いかけて転校したのですよ。彼に心酔していたので」とウィリアムは微笑みを絶やすことなく応える。
「他人を追っかけて、自分の人生を変えたの? リスクを背負ってまで?」
 吉野の喧嘩腰のような言い方にも、「きみと同じです。きみもお兄さんを追いかけて留学を決めた、と伺っていますよ。彼はかけがえのない方なのです。僕たちにとってはね」あくまでウィリアムは冷静さを失わない。

 自分を引き合いに出された吉野は腹立たし気に、「そんな単純な理由じゃないし……」と、口ごもる。

「吉野もヘンリーに会えばわかるよ」
 飛鳥にたしなめられ、吉野は黙ったままぷいっと視線を逸らす。



 見た目は大人びていても、まだまだ子どもだな。

 ウィリアムは、こんな吉野によく似た自分の主人の幼い頃を思い出し、一瞬、懐かしそうに目を細めた。






 遅れて駐車場から来た飛鳥の父に続いて一歩空港から表に出ると、一瞬のうちに空気が変わる。もわっと沸き立つじっとりと重たい熱気に、ウィリアムは唖然として立ち止まった。この国は、空気の濃度さえもが違う。

「びっくりした? 暑いだろ?」
 そういう飛鳥も久しぶりの東京の熱気と、陽光の眩しさに目を眇めている。
「空気に重さを感じたことなどなかったので、驚きました」
「重い? ああ、湿気が多いからね。これからもっと暑くなるよ。夏服を買いに行かなきゃ。半袖なんて持ってないだろ?」

 半袖――。

 ウィリアムは明らかに困惑していた。

「いえ、平気です」
「その恰好で出歩いていたら、間違いなく熱中症になるよ」
 飛鳥は、きっちりとネクタイを締めたウィリアムのスーツ姿を心配そうに見つめた。息苦しいほどの熱気に、自分の方が倒れそうに感じていたのだ。

 表に出てきて数分で、じっとりと汗が滲んできている。

 服装を真剣に考えなくては……。

 ウィリアムの胸中で、空港で目にした多くの観光客の服装と、ヘンリーの軽蔑の眼差しが交差する。たかだか気温くらいのことで、だらしのない恰好をすることなど、あの方は許しはしないだろう。彼の頭にきりきりと軋むような痛みが走る。それは暑さのせいなのか、帰国後の小言を予想したせいなのか、彼自身、区別は出来なかった。


 



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