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一章
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「ハットトリック!」
フィールドに歓声が響き渡る。
野外テントの下、昼食を終えた後の白いクロスのかかったテーブルの上で大量の書類に目を通しながらサインをしていた飛鳥も、思わず顔を上げてフィールドを眺めた。ウイケット後方にいる投手のヘンリーが、片腕を上げて歓声に応えている。
「ヘンリーは絶好調ですね」
隣に座るスミス氏に声をかける。
「クリケットの試合で、こんなにもスピーディーな展開は初めてですよ」
スミス氏は熱心に試合を観戦しながら応えた。
「彼、早く終わらせたいみたいだから」
飛鳥は苦笑して、感心、というよりは呆れた気分で、投球姿勢に入ったヘンリーをぼんやりと眺めた。
四時から化学発明コンクールがあり、七時半にはヘンリーがソリストを務めるコンサートがある。
全く、なんてタフなんだろう。毎日、朝帰りなのに……。
試合は、もうあと一つアウトをとれば終了する。まだ二時間もたっていない。
言っている間に、ウィケットが倒れアウトが確定した。拍手と大歓声が上がり試合は終了。
大勢に囲まれながらも悠然としているヘンリーを眺めて、「彼はまさに群れを統率するリーダーだな」、と杜月氏が納得したように呟く。
「イナゴの群れを率いる天使アバドーンって呼ばれていましたけどね。去年までは敵だったので」
「ロレンツォ! ごめん。ボートの応援に間に合わなっかった!」
肩を抱いて頬にキスするいつもの挨拶を、飛鳥は父の前で気恥ずかしく感じて顔を赤らめる。つい、誤魔化すような言葉が口を突いて出ていた。
「構わない。それよりフェンシングの応援に来てくれ」
「え? もう始まっているんじゃないの?」
「俺はシード枠だ。これからさ」
ロレンツォは杜月氏に向き合うと、きちんと自己紹介と挨拶をし、「絶対に来いよ」、と飛鳥に念を押してから足早にスポーツホールへ向かった。
「僕も早く終わらせて、行かないと……」
飛鳥は父に笑顔を向けた。そしてすぐに、表情を引き締めて再び書類に視線を戻す。そんな息子を、杜月氏は目を細めて眺めている。
うゎ!決勝は、ロレンツォとウィリアムだ……。
やっと書類のサインを終えフェンシング会場に移った飛鳥は、熱気に包まれたホールで、困惑して対戦表を眺めていた。
「父さん、どうしよう? どっちも友達なんだ」
ウィリアムがこちらに気付き、会釈している。飛鳥も笑顔でひらひらと手を振り返す。
「ロレンツォ! エリオティアンなんかに負けるな!」
「ロレンツォ!」
周囲の声援は圧倒的にロレンツォコールだ。
彼は去年の優勝者で、地味で目立たない存在のウィリアムが、ここまで勝ち上がって来ていること自体が、すでに信じられない番狂わせらしい。
「アスカ」
肩を叩かれ振り向くと、エドワードがビストに入る二人の選手を目で追いながら立っていた。その厳しい視線に、飛鳥はぞくりと肌が泡立つ。
「エドも出場していたんだ?」
一呼吸おいて、ユニフォーム姿の彼を見上げた。掻き上げられた髪はしっとりと濡れ、汗にまみれて熱戦の模様が偲ばれた。
「ウィリアムに負けた」
エドワードは、じっと視線をビストに固定したまま答えた。
「Allez(始め)!」
試合開始だ。
「え? 速い! もう決まったの?」
歓声が上がる。もう試合は中断し、一分間の休憩が入っている。
「ウィリアムがリードだ」
速すぎてどちらが勝っているのかすら、飛鳥には判らなかった。
エドワードが横でルールや得点方式を解説してくれるのを聞きながら、固唾を飲んで試合を見守っていた。
いつ突いたのかすら判らないほど速いのに、舞うように優雅な二人の剣さばきは見ているだけで面白かった。
再会された試合で、ロレンツォの突きが入る。これで同点。なかなか勝負が付かない。
「ウィリアムの方が速い。決まった!」
エドワードは、皮肉な笑みを浮かべて、「フォームがご主人様そっくりだ。全く、どこまでも嫌味なやつだよ。あいつは」と、誰に言うでもなく呟いた。
「Rassemblez! Saluez!(気をつけ! 礼!)」
ビストではもう、二人は敬礼をし互いに握手を交わしている。
試合終了だ。拍手と歓声が会場一杯に響き渡っている。
飛鳥は歓声に沸くホールを出て、時間を気にしながら父を急かして歩いていた。
「僕の発表は四時からだけど、そろそろ行って準備しなきゃいけないんだ。父さんはどうする? ここで休憩してから来る? それとも会場で他の生徒の発表をみている?」
飛鳥は、テントの張られた休憩所に気付き、父を気遣って足を止める。
「そうだな。休んでから行くよ。お前の学校がこんなに広いとは思わなかった。街自体が学園都市なんだな」
少し疲れた顔で杜月氏は微笑んでいる。
「科学館は目の前のこの建物だから。慌ただしくてごめん、父さん」
飛鳥は英語の余り得意ではない父の為に、セルフサービスの紅茶を注文して持ってくると、「楽しみにしていて。期待以上のできだから」、と誇らしげに告げてから、その場を後にした。
杜月氏はほっと小さく息を吐く。息子の背中を頼もし気に見送り、やがて、ゆっくりと湯気の立つ紅茶をカップに注ぎ入れた。
フィールドに歓声が響き渡る。
野外テントの下、昼食を終えた後の白いクロスのかかったテーブルの上で大量の書類に目を通しながらサインをしていた飛鳥も、思わず顔を上げてフィールドを眺めた。ウイケット後方にいる投手のヘンリーが、片腕を上げて歓声に応えている。
「ヘンリーは絶好調ですね」
隣に座るスミス氏に声をかける。
「クリケットの試合で、こんなにもスピーディーな展開は初めてですよ」
スミス氏は熱心に試合を観戦しながら応えた。
「彼、早く終わらせたいみたいだから」
飛鳥は苦笑して、感心、というよりは呆れた気分で、投球姿勢に入ったヘンリーをぼんやりと眺めた。
四時から化学発明コンクールがあり、七時半にはヘンリーがソリストを務めるコンサートがある。
全く、なんてタフなんだろう。毎日、朝帰りなのに……。
試合は、もうあと一つアウトをとれば終了する。まだ二時間もたっていない。
言っている間に、ウィケットが倒れアウトが確定した。拍手と大歓声が上がり試合は終了。
大勢に囲まれながらも悠然としているヘンリーを眺めて、「彼はまさに群れを統率するリーダーだな」、と杜月氏が納得したように呟く。
「イナゴの群れを率いる天使アバドーンって呼ばれていましたけどね。去年までは敵だったので」
「ロレンツォ! ごめん。ボートの応援に間に合わなっかった!」
肩を抱いて頬にキスするいつもの挨拶を、飛鳥は父の前で気恥ずかしく感じて顔を赤らめる。つい、誤魔化すような言葉が口を突いて出ていた。
「構わない。それよりフェンシングの応援に来てくれ」
「え? もう始まっているんじゃないの?」
「俺はシード枠だ。これからさ」
ロレンツォは杜月氏に向き合うと、きちんと自己紹介と挨拶をし、「絶対に来いよ」、と飛鳥に念を押してから足早にスポーツホールへ向かった。
「僕も早く終わらせて、行かないと……」
飛鳥は父に笑顔を向けた。そしてすぐに、表情を引き締めて再び書類に視線を戻す。そんな息子を、杜月氏は目を細めて眺めている。
うゎ!決勝は、ロレンツォとウィリアムだ……。
やっと書類のサインを終えフェンシング会場に移った飛鳥は、熱気に包まれたホールで、困惑して対戦表を眺めていた。
「父さん、どうしよう? どっちも友達なんだ」
ウィリアムがこちらに気付き、会釈している。飛鳥も笑顔でひらひらと手を振り返す。
「ロレンツォ! エリオティアンなんかに負けるな!」
「ロレンツォ!」
周囲の声援は圧倒的にロレンツォコールだ。
彼は去年の優勝者で、地味で目立たない存在のウィリアムが、ここまで勝ち上がって来ていること自体が、すでに信じられない番狂わせらしい。
「アスカ」
肩を叩かれ振り向くと、エドワードがビストに入る二人の選手を目で追いながら立っていた。その厳しい視線に、飛鳥はぞくりと肌が泡立つ。
「エドも出場していたんだ?」
一呼吸おいて、ユニフォーム姿の彼を見上げた。掻き上げられた髪はしっとりと濡れ、汗にまみれて熱戦の模様が偲ばれた。
「ウィリアムに負けた」
エドワードは、じっと視線をビストに固定したまま答えた。
「Allez(始め)!」
試合開始だ。
「え? 速い! もう決まったの?」
歓声が上がる。もう試合は中断し、一分間の休憩が入っている。
「ウィリアムがリードだ」
速すぎてどちらが勝っているのかすら、飛鳥には判らなかった。
エドワードが横でルールや得点方式を解説してくれるのを聞きながら、固唾を飲んで試合を見守っていた。
いつ突いたのかすら判らないほど速いのに、舞うように優雅な二人の剣さばきは見ているだけで面白かった。
再会された試合で、ロレンツォの突きが入る。これで同点。なかなか勝負が付かない。
「ウィリアムの方が速い。決まった!」
エドワードは、皮肉な笑みを浮かべて、「フォームがご主人様そっくりだ。全く、どこまでも嫌味なやつだよ。あいつは」と、誰に言うでもなく呟いた。
「Rassemblez! Saluez!(気をつけ! 礼!)」
ビストではもう、二人は敬礼をし互いに握手を交わしている。
試合終了だ。拍手と歓声が会場一杯に響き渡っている。
飛鳥は歓声に沸くホールを出て、時間を気にしながら父を急かして歩いていた。
「僕の発表は四時からだけど、そろそろ行って準備しなきゃいけないんだ。父さんはどうする? ここで休憩してから来る? それとも会場で他の生徒の発表をみている?」
飛鳥は、テントの張られた休憩所に気付き、父を気遣って足を止める。
「そうだな。休んでから行くよ。お前の学校がこんなに広いとは思わなかった。街自体が学園都市なんだな」
少し疲れた顔で杜月氏は微笑んでいる。
「科学館は目の前のこの建物だから。慌ただしくてごめん、父さん」
飛鳥は英語の余り得意ではない父の為に、セルフサービスの紅茶を注文して持ってくると、「楽しみにしていて。期待以上のできだから」、と誇らしげに告げてから、その場を後にした。
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