胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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一章

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 ソメイヨシノによく似た一重の白い花が、久しぶりの青空にほころんでいる。五分咲きほどか。
 ヘンリーのアパートメントのすぐ近くにあるハイド・パークで、飛鳥は大きく深呼吸する。
「やはり、まだ早かったね。イースターに来るといい。その頃なら辺り一面満開だよ」
「充分だよ。やっと囚われの身から解放されたしね」
 二人並んでベンチに腰掛けた。

「じっとしていると寒い。鬼ごっこしよう!」
 デヴィッドが、手を振って呼んでいる。

 飛鳥がヘンリーを見ると、
「僕はいいよ」
 と、彼は煙草を取り出して火を付けた。
 飛鳥は、みんなの方へ駆け出して行く。




「随分、ごゆっくりじゃないか」
 程なくして隣に腰かけたロレンツォに、ヘンリーは開口一番嫌味をぶつける。
「掃除に忙しくてね」
 ロレンツォはしれっと答えた。だが広々とした芝生の上をエドワードやデヴィッドと元気に走り回る飛鳥に気づくと、心配そうに眉をひそめた。

「あいつ、あんなに走りまわって大丈夫なのか?」
「問題ないだろ。先生の話じゃ、脳震盪を起こしたのは一瞬で、そのまま過労と寝不足で爆睡していただけらしいからね」
 紫煙を燻らせる口の端で笑い、ヘンリーもぼんやりと飛鳥の楽し気なさまを目で追っている。


「掃除の報酬を払おう。グラスフィールド社とマーレイ銀行に、空売りを仕掛けるといい」
「おいおい、たかだか中小企業に提訴されたくらいで株価は下がらないぞ。裁判の結果がでるのなんて、早くても半年は先だろ」
 ロレンツォは呆れたように、感情の読めないヘンリーの横顔を眺める。

「当然だ。僕の祖父が、あの会社の持ち株を吐くんだよ。スキャンダルが出てくるのはそれからだ」
「スキャンダル?」
「知りたきゃ自分で調べろ」
「マーレイ銀行もか?」
「これからの銀行は全部売りだ。この一年で資金を作る」
「アスカの問題は、もう済んだんだろ?」
「馬鹿言っちゃいけない。ゲームはこれからだ」

 ヘンリーは煙草を揉み消しロレンツォを一瞥すると、「もう少し機敏に動かないと、件のアデル・マーレイも僕のフットマンが片付けてしまうよ」と、酷薄に笑った。

「デイヴ、オニを替わるよ!」
 と、負けてオニばかりしているデヴィッドに呼び掛け、ヘンリーはあっという間に駆け出した。

 歓声があがり、散らばっていた仲間が集まってくる。



 ロレンツォは、ひとり両腕を広げてベンチの背もたれに身を預け、未だ寒々としている澄みきった青空を見上げた。






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