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一章
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あれ? 今の人……。
次の授業へと急いでいた杜月飛鳥は、すれ違った生徒を振り返って目で追い、「きみ、上級数学で一緒だよね? 次の授業、教室変更になっているよ」と急ぎ足で階段を下りている生徒を呼び止めた。
ダークアッシュの髪が揺れ、ライムグリーンの瞳が飛鳥を見上げる。
「ありがとうございます。売店に寄らなければいけないので僕は少し遅れます」
「それはごめん、呼び止めてしまって」
飛鳥は慌てて謝った。その彼は愛想良く微笑んで軽く会釈し、足早に立ち去っていった。
ヘンリーに似ている……。エリオットのアクセントだ。でも、ヘンリーに紹介された友達の中に、彼はいなかった。共通点は細身で長身な事くらいで容姿はまるで違うのに、雰囲気が彼に似ている。エリオットの出身だからかな?
ぼんやりと階段に立ち止まったままだった飛鳥は、はっ、と腕時計に視線を落とす。
僕の方が遅刻しそうだ!
飛鳥は慌てて駆け出した。
「スゥイフト、アボット、オークランドの三人は、飲酒、喫煙、麻薬所持で、いつでも退学にできますが、どういたしましょう?」
川沿いの遊歩道を肩を並べて歩くヘンリーとエドワードから一歩遅れて、ウイリアム・マーカスはお伺いを立てている。
「そうだね。どうするかな。スゥイフトは、放り出してあげていいよ。三学年でこいつの家柄なら、ザ・ナインのどこかにまた潜り込むだろ」
ザ・ナインとは、九つの代表的英国パブリックスクール名門校の総称である。
「いや、それより、もう少し飼っておこうか? お前に任せる」
ヘンリーはイライラとつまらなそうに、早口で続ける。
「使い走りの奴らはいいから、アデル・マーレイをオックスフォードから追い落としてくれ」
「承知いたしました」
すっと踵を返そうとしたウィリアムを、ヘンリーは足を止めて振り返り、打って変わってすまなさそうに呼び止めた。
「危険な真似はしないでくれ。駄目でも構わない。ルベリーニに借りを作りたくないだけだから。ただの僕の我儘なんだ」
ウィリアムはライムグリーンの目を細め、柔らかく微笑んで頷き、ダークアッシュの髪をさらりと揺らして一礼した。
「久しぶりだな、お前の優秀なファグに会うのは。スパイまがいのことまでさせているのか? うちに欲しいくらいだな」
「ファグじゃないよ。フットマンだ。僕の行く道の雑草を払うのが彼の仕事だよ、おかしくはないだろ?」
「あいつの入学が一年遅れたせいで、エリオットではあんな目にあったってことか?」
エドワードは笑いを噛み殺す。
ヘンリーはそれには答えず、「もうじき新しい事業を起こすんだ。今はルベリーニに借りを作りたくないんだ。状況が変わったんだよ」と、苦々しそうにもう一度繰り返した。
「借りも何も、アスカのことはロレンツォも気にいっているんだろう? 放っておいても問題ないんじゃないのか?」
だからだ! ロレンツォが飛鳥の背景に気がついて融資を申し込んだら、計画は丸つぶれだ! あるいはアデル・マーレイから守ってやると、飛鳥を囲い込みでもしたら、これも計画の邪魔になる。校内でロレンツォを飛鳥に付けておくのはいい。だが事業となると、ルベリーニは敵以上にやっかいな味方に成り代わる。
相手はエドワードとは言っても、こと自分だけの問題ではないのだ。苛立たしさで沸き立っている胸の内を明かす訳にもいかず、ヘンリーは、皮肉に嗤って軽くため息をついた。
「あーあ……。アスカに関しては一歩も二歩も出遅れているよ。やること成すこと裏目に出るし。今まで僕に無関心だったフェイラーまでしゃしゃり出てきて、本当、面倒くさい」
「アスカは関係ないだろうが。お前が動くから周りも動くんだ。それが嫌ならじっとしていろ」
エドワードは珍しく真面目な顔をして、呆れたように釘を刺す。
ふと、ヘンリーは、川に沿った土手のそこかしこに顔を覗かせ始めているスノードロップに目を留め、立ち止まった。所々に残る雪を押し退けるように凍った土からその背を伸ばし、俯いたまま真っ白な花を咲かせるその姿に、ただひとり毅然と耐え、決して何も言わない飛鳥を重ねて、彼はその口許に淋し気な笑みを浮かべた。
「僕は本当にアスカの内面が判らないんだ。まだシルヴァンの気持の方が汲み取れていたと思うね」
エリオットで一番扱い辛かった馬の名前を引き合いにだされ、エドワードは思わず吹き出した。ヘンリーは拗ねたように眉根を寄せる。
「なんだ、日英文化摩擦か? 話せよ、聞いてやる」
エドワードは内心笑い転げながら、ヘンリーの肩を組んだ。
ざまあみろ! 少しは俺たちの気持ちが解ったか!
こっちだって、お前の考えなんて解ったためしがないんだ。
いつでも好き勝手しやがって!
もちろんエドワードにしろ、そんな思いを抱えているなど、まして本人に告げることなど、天地がひっくり返ったってあり得ない。この食えない親友を翻弄している不思議な東洋人を思い浮かべ、エドワードは、どこか胸のすく小気味良さを覚えていた。
次の授業へと急いでいた杜月飛鳥は、すれ違った生徒を振り返って目で追い、「きみ、上級数学で一緒だよね? 次の授業、教室変更になっているよ」と急ぎ足で階段を下りている生徒を呼び止めた。
ダークアッシュの髪が揺れ、ライムグリーンの瞳が飛鳥を見上げる。
「ありがとうございます。売店に寄らなければいけないので僕は少し遅れます」
「それはごめん、呼び止めてしまって」
飛鳥は慌てて謝った。その彼は愛想良く微笑んで軽く会釈し、足早に立ち去っていった。
ヘンリーに似ている……。エリオットのアクセントだ。でも、ヘンリーに紹介された友達の中に、彼はいなかった。共通点は細身で長身な事くらいで容姿はまるで違うのに、雰囲気が彼に似ている。エリオットの出身だからかな?
ぼんやりと階段に立ち止まったままだった飛鳥は、はっ、と腕時計に視線を落とす。
僕の方が遅刻しそうだ!
飛鳥は慌てて駆け出した。
「スゥイフト、アボット、オークランドの三人は、飲酒、喫煙、麻薬所持で、いつでも退学にできますが、どういたしましょう?」
川沿いの遊歩道を肩を並べて歩くヘンリーとエドワードから一歩遅れて、ウイリアム・マーカスはお伺いを立てている。
「そうだね。どうするかな。スゥイフトは、放り出してあげていいよ。三学年でこいつの家柄なら、ザ・ナインのどこかにまた潜り込むだろ」
ザ・ナインとは、九つの代表的英国パブリックスクール名門校の総称である。
「いや、それより、もう少し飼っておこうか? お前に任せる」
ヘンリーはイライラとつまらなそうに、早口で続ける。
「使い走りの奴らはいいから、アデル・マーレイをオックスフォードから追い落としてくれ」
「承知いたしました」
すっと踵を返そうとしたウィリアムを、ヘンリーは足を止めて振り返り、打って変わってすまなさそうに呼び止めた。
「危険な真似はしないでくれ。駄目でも構わない。ルベリーニに借りを作りたくないだけだから。ただの僕の我儘なんだ」
ウィリアムはライムグリーンの目を細め、柔らかく微笑んで頷き、ダークアッシュの髪をさらりと揺らして一礼した。
「久しぶりだな、お前の優秀なファグに会うのは。スパイまがいのことまでさせているのか? うちに欲しいくらいだな」
「ファグじゃないよ。フットマンだ。僕の行く道の雑草を払うのが彼の仕事だよ、おかしくはないだろ?」
「あいつの入学が一年遅れたせいで、エリオットではあんな目にあったってことか?」
エドワードは笑いを噛み殺す。
ヘンリーはそれには答えず、「もうじき新しい事業を起こすんだ。今はルベリーニに借りを作りたくないんだ。状況が変わったんだよ」と、苦々しそうにもう一度繰り返した。
「借りも何も、アスカのことはロレンツォも気にいっているんだろう? 放っておいても問題ないんじゃないのか?」
だからだ! ロレンツォが飛鳥の背景に気がついて融資を申し込んだら、計画は丸つぶれだ! あるいはアデル・マーレイから守ってやると、飛鳥を囲い込みでもしたら、これも計画の邪魔になる。校内でロレンツォを飛鳥に付けておくのはいい。だが事業となると、ルベリーニは敵以上にやっかいな味方に成り代わる。
相手はエドワードとは言っても、こと自分だけの問題ではないのだ。苛立たしさで沸き立っている胸の内を明かす訳にもいかず、ヘンリーは、皮肉に嗤って軽くため息をついた。
「あーあ……。アスカに関しては一歩も二歩も出遅れているよ。やること成すこと裏目に出るし。今まで僕に無関心だったフェイラーまでしゃしゃり出てきて、本当、面倒くさい」
「アスカは関係ないだろうが。お前が動くから周りも動くんだ。それが嫌ならじっとしていろ」
エドワードは珍しく真面目な顔をして、呆れたように釘を刺す。
ふと、ヘンリーは、川に沿った土手のそこかしこに顔を覗かせ始めているスノードロップに目を留め、立ち止まった。所々に残る雪を押し退けるように凍った土からその背を伸ばし、俯いたまま真っ白な花を咲かせるその姿に、ただひとり毅然と耐え、決して何も言わない飛鳥を重ねて、彼はその口許に淋し気な笑みを浮かべた。
「僕は本当にアスカの内面が判らないんだ。まだシルヴァンの気持の方が汲み取れていたと思うね」
エリオットで一番扱い辛かった馬の名前を引き合いにだされ、エドワードは思わず吹き出した。ヘンリーは拗ねたように眉根を寄せる。
「なんだ、日英文化摩擦か? 話せよ、聞いてやる」
エドワードは内心笑い転げながら、ヘンリーの肩を組んだ。
ざまあみろ! 少しは俺たちの気持ちが解ったか!
こっちだって、お前の考えなんて解ったためしがないんだ。
いつでも好き勝手しやがって!
もちろんエドワードにしろ、そんな思いを抱えているなど、まして本人に告げることなど、天地がひっくり返ったってあり得ない。この食えない親友を翻弄している不思議な東洋人を思い浮かべ、エドワードは、どこか胸のすく小気味良さを覚えていた。
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