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最終章
184 告白2
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雲に隠れて
朧な銀に
踊る影
「きみは馬鹿だよ」
僕の話をひと通り聞き終わると、銀狐は抑揚のない口調で呟いた。
「知ってる」
僕は衝立に背中をもたせて、天井のあの小さく滲んだシミを眺めていた。
「そっちに行ってもいい?」
「駄目」
「なぜ?」
「怖いんだ」
「なにが?」
「きみの瞳が僕を蔑むのを見るのが」
「そんなことはしない」
「それでも駄目だよ」
僕は、衝立のこちら側で震えていたのだ。
自分で予想していたよりも僕はずっと弱虫で、臆病だった。覚悟を決めて話したのに、怖くて彼の顔が見られない。この惨めな僕の姿を彼の目に晒したくない。罵られるのは覚悟のうえでも、憐れまれるのは嫌だった。
「きみを抱きしめてあげたいのに」
「駄目、あいつが焼きもちを焼く」
「ジョナスは怒らないよ。そういう約束だ。僕がきみを好きになっても、きみが彼以上に僕を好きになることになってもかまわないから、きみを守りぬいて欲しい、そう言われた」
鳥の巣頭……。
「でも、駄目だったな。僕は彼との約束を守れなかった。きみはどうしたって、守られることよりも、守ることを選ぶんだね」
「愛しているんだ」
「――もう、それ以外に僕のできることはないの?」
「あいつには言わないで」
「約束できない」
押し殺したような哀し気な声だった。背中越しの衝立が、わずかに震えている。まるで泣いているみたいに。銀狐の声は、決して泣いてなんかいないのに。
僕は彼を抱きしめて、慰めてあげたくなった。誇り高くて正義感の強い、優しくて繊細な彼を――。
「抱きしめてもいいよ」
僕が傷つけ裏切ってきたきみを、抱きしめて謝りたかった……。
それなのに、どうして僕はこんな言い方しかできないのだろう?
「交換条件? それなら、ジョナスの代わりに。きみが彼に話す気がないのなら」
「駄目。誰もあいつの代わりにはなれないもの」
「僕として? 僕は彼を裏切れないよ」
衝立の向こう側で、銀狐はくすくす笑っている。
「お互いに、秘密を共有しよう」
僕も、喉の奥で笑って言った。鳥の巣頭ではなく、きみを抱きしめたいんだ。そして、心からの謝罪を。
「OK、条件を呑もう。目を瞑って」
言われた通り目を瞑った。
「僕は今、きみの前にいる」
背中の衝立超しに聞こえる声に、僕は目を開けてしまった。もちろん、僕の前には誰もいない。
「目を瞑って」
慌てて目を瞑る。
「僕はきみの前に膝をついて、きみの肩を引き寄せたよ」
「うん」
「きみの背中に腕を廻した」
「うん」
「僕は今、きみを抱きしめているんだ、マシュー」
「僕も、きみを抱きしめているよ、ケネス」
涙が、堪えきれない――。
鳥の巣頭、この涙は、きみへの裏切りなのだろうか?
「キスしてもいい?」
銀狐の声も、掠れて聞こえた。
「友情のキス?」
「それ以上の」
顎を上げ、唇を突きだした。
「歯がぶつかった。きみ、もっと練習しないと」
僕は泣きながら笑って言った。
「僕のキスはそこまで酷くないよ。きみに教わった通りにしたのだから」
冷静な声音で抗議する彼に、僕は首を傾げて訊き返した。
「教えた? 僕が?」
「初めてのキスの相手は純朴な子じゃなくて、百戦錬磨のきみだったんだもの」
「きみは、口を開けてさえくれなかったじゃないか」
「あの時じゃない。オックスフォードだよ。きみ、本当に覚えていないんだ? 酔っ払って帰ってきたきみは、介抱していた僕に、いきなり腰が砕けそうな濃厚なキスをしたんだよ」
くすくすと、銀狐は笑っている。
本当にそんなことがあったなんて、欠片も覚えていない。僕の記憶はその翌朝からだ。
「その時に、気づいたの?」
「――きみは、今と同じ、甘い匂いがしていた」
やっぱり――。僕の話に驚かなかったはずだ――。
「ずっと、知らないフリをしていたんだね」
僕の心は今までになく静まり返っていた。彼に騙されていたとしても、不思議と腹は立たなかった。それ以上に、知っていてなお、僕と真摯に向き合ってくれていた彼に敬服する想いの方が、ずっと強く僕を支配していたのだ。
「ごめんね、ケネス。あと少しだよ。もうすぐきみの願いは天に届く。見届けて」
頬を伝う涙を拭い、僕は心から微笑んで言った。
「もし、きみの一番大切な人があの亡くなった奨学生じゃなかったら、僕はきみに恋していたかもしれないね」
鳥の巣頭への想いとは違うけれど、僕は確かに、きみが好きだよ。
「それは困るな、どうせジョナスには勝てない」
笑いながら彼は答えた。
「きみが彼の遺志を貫き通したように、僕も、僕を一番好きだと言ってくれるあいつを守るよ。だから、」
とん、と衝立を拳が叩く。
「僕は揺るがないよ。僕の正義を貫徹する。きみは、僕が裏切ったと思っているのかもしれない。僕を憎んでいるのかも知れない。それでもこの選択は、僕の、きみへの愛だと、そう信じている」
僕の言葉を遮って、銀狐は辛そうに喉の奥から言葉を絞りだした。
「それでこそ、僕の信じるケネス・アボットだ。きみは僕を裏切ったりはしていない。最後まで僕はきみを信じるよ、ケネス」
そう言葉にして伝えることで、胸のつかえが取れる気分だった。
僕がジョイントの常習者だということも、そのジョイントを売る仲介をしているということも、すべて知っていた銀狐。
死んだ奨学生の遺志を継いで、きみは僕を追っていた。友人の仮面をつけて。彼のために。彼の無念を晴らすために。一年間を棒に振り、留年してまでこの学校に残った。怪我のせいなんかじゃない。きみほど優秀なら、ASレベル試験は必要ない。ケンブリッジ大学の無条件合格の通知だって、もう貰っているのだもの。
「マシュー……」
「あいつのこと、頼んだよ。お願いだ、あいつが馬鹿な真似をしないように止めてくれ」
「約束する」
「ありがとう、ケネス」
衝立の向こう側から、彼の苦し気な息遣いが聞こえる。
僕は、僕の告白がこんなにも彼を苦しめるとは思いもしなかった。だって、彼は知っていたのだから。彼は彼の務めを果たすだけでいい、そう考えていた。こんなにも、彼は僕の友人で、真実の友人で、僕のためにその心を痛めてくれていたなんて、僕は思ってもみなかったのだ。愚かな僕は、そんなことすら、分からなかったのだ。
「さぁ、もう行って。忙しいきみをこれ以上拘束しているのは気が引けるよ」
僕は涙声で、衝立の向こうに声をかけた。
「明日からは、」
「もとの僕たちだよ、お別れの日が来るまで」
「また、明日、マシュー」
「ありがとう、ケネス」
ガタリと衝立が揺れた。ドアが開く。そして閉める前にもう一度、「じゃあ、また」と銀狐は呟いた。
僕はとうとう衝立のこちら側から、彼に姿を見せることも、彼の姿を見ることも、できなかった。
朧な銀に
踊る影
「きみは馬鹿だよ」
僕の話をひと通り聞き終わると、銀狐は抑揚のない口調で呟いた。
「知ってる」
僕は衝立に背中をもたせて、天井のあの小さく滲んだシミを眺めていた。
「そっちに行ってもいい?」
「駄目」
「なぜ?」
「怖いんだ」
「なにが?」
「きみの瞳が僕を蔑むのを見るのが」
「そんなことはしない」
「それでも駄目だよ」
僕は、衝立のこちら側で震えていたのだ。
自分で予想していたよりも僕はずっと弱虫で、臆病だった。覚悟を決めて話したのに、怖くて彼の顔が見られない。この惨めな僕の姿を彼の目に晒したくない。罵られるのは覚悟のうえでも、憐れまれるのは嫌だった。
「きみを抱きしめてあげたいのに」
「駄目、あいつが焼きもちを焼く」
「ジョナスは怒らないよ。そういう約束だ。僕がきみを好きになっても、きみが彼以上に僕を好きになることになってもかまわないから、きみを守りぬいて欲しい、そう言われた」
鳥の巣頭……。
「でも、駄目だったな。僕は彼との約束を守れなかった。きみはどうしたって、守られることよりも、守ることを選ぶんだね」
「愛しているんだ」
「――もう、それ以外に僕のできることはないの?」
「あいつには言わないで」
「約束できない」
押し殺したような哀し気な声だった。背中越しの衝立が、わずかに震えている。まるで泣いているみたいに。銀狐の声は、決して泣いてなんかいないのに。
僕は彼を抱きしめて、慰めてあげたくなった。誇り高くて正義感の強い、優しくて繊細な彼を――。
「抱きしめてもいいよ」
僕が傷つけ裏切ってきたきみを、抱きしめて謝りたかった……。
それなのに、どうして僕はこんな言い方しかできないのだろう?
「交換条件? それなら、ジョナスの代わりに。きみが彼に話す気がないのなら」
「駄目。誰もあいつの代わりにはなれないもの」
「僕として? 僕は彼を裏切れないよ」
衝立の向こう側で、銀狐はくすくす笑っている。
「お互いに、秘密を共有しよう」
僕も、喉の奥で笑って言った。鳥の巣頭ではなく、きみを抱きしめたいんだ。そして、心からの謝罪を。
「OK、条件を呑もう。目を瞑って」
言われた通り目を瞑った。
「僕は今、きみの前にいる」
背中の衝立超しに聞こえる声に、僕は目を開けてしまった。もちろん、僕の前には誰もいない。
「目を瞑って」
慌てて目を瞑る。
「僕はきみの前に膝をついて、きみの肩を引き寄せたよ」
「うん」
「きみの背中に腕を廻した」
「うん」
「僕は今、きみを抱きしめているんだ、マシュー」
「僕も、きみを抱きしめているよ、ケネス」
涙が、堪えきれない――。
鳥の巣頭、この涙は、きみへの裏切りなのだろうか?
「キスしてもいい?」
銀狐の声も、掠れて聞こえた。
「友情のキス?」
「それ以上の」
顎を上げ、唇を突きだした。
「歯がぶつかった。きみ、もっと練習しないと」
僕は泣きながら笑って言った。
「僕のキスはそこまで酷くないよ。きみに教わった通りにしたのだから」
冷静な声音で抗議する彼に、僕は首を傾げて訊き返した。
「教えた? 僕が?」
「初めてのキスの相手は純朴な子じゃなくて、百戦錬磨のきみだったんだもの」
「きみは、口を開けてさえくれなかったじゃないか」
「あの時じゃない。オックスフォードだよ。きみ、本当に覚えていないんだ? 酔っ払って帰ってきたきみは、介抱していた僕に、いきなり腰が砕けそうな濃厚なキスをしたんだよ」
くすくすと、銀狐は笑っている。
本当にそんなことがあったなんて、欠片も覚えていない。僕の記憶はその翌朝からだ。
「その時に、気づいたの?」
「――きみは、今と同じ、甘い匂いがしていた」
やっぱり――。僕の話に驚かなかったはずだ――。
「ずっと、知らないフリをしていたんだね」
僕の心は今までになく静まり返っていた。彼に騙されていたとしても、不思議と腹は立たなかった。それ以上に、知っていてなお、僕と真摯に向き合ってくれていた彼に敬服する想いの方が、ずっと強く僕を支配していたのだ。
「ごめんね、ケネス。あと少しだよ。もうすぐきみの願いは天に届く。見届けて」
頬を伝う涙を拭い、僕は心から微笑んで言った。
「もし、きみの一番大切な人があの亡くなった奨学生じゃなかったら、僕はきみに恋していたかもしれないね」
鳥の巣頭への想いとは違うけれど、僕は確かに、きみが好きだよ。
「それは困るな、どうせジョナスには勝てない」
笑いながら彼は答えた。
「きみが彼の遺志を貫き通したように、僕も、僕を一番好きだと言ってくれるあいつを守るよ。だから、」
とん、と衝立を拳が叩く。
「僕は揺るがないよ。僕の正義を貫徹する。きみは、僕が裏切ったと思っているのかもしれない。僕を憎んでいるのかも知れない。それでもこの選択は、僕の、きみへの愛だと、そう信じている」
僕の言葉を遮って、銀狐は辛そうに喉の奥から言葉を絞りだした。
「それでこそ、僕の信じるケネス・アボットだ。きみは僕を裏切ったりはしていない。最後まで僕はきみを信じるよ、ケネス」
そう言葉にして伝えることで、胸のつかえが取れる気分だった。
僕がジョイントの常習者だということも、そのジョイントを売る仲介をしているということも、すべて知っていた銀狐。
死んだ奨学生の遺志を継いで、きみは僕を追っていた。友人の仮面をつけて。彼のために。彼の無念を晴らすために。一年間を棒に振り、留年してまでこの学校に残った。怪我のせいなんかじゃない。きみほど優秀なら、ASレベル試験は必要ない。ケンブリッジ大学の無条件合格の通知だって、もう貰っているのだもの。
「マシュー……」
「あいつのこと、頼んだよ。お願いだ、あいつが馬鹿な真似をしないように止めてくれ」
「約束する」
「ありがとう、ケネス」
衝立の向こう側から、彼の苦し気な息遣いが聞こえる。
僕は、僕の告白がこんなにも彼を苦しめるとは思いもしなかった。だって、彼は知っていたのだから。彼は彼の務めを果たすだけでいい、そう考えていた。こんなにも、彼は僕の友人で、真実の友人で、僕のためにその心を痛めてくれていたなんて、僕は思ってもみなかったのだ。愚かな僕は、そんなことすら、分からなかったのだ。
「さぁ、もう行って。忙しいきみをこれ以上拘束しているのは気が引けるよ」
僕は涙声で、衝立の向こうに声をかけた。
「明日からは、」
「もとの僕たちだよ、お別れの日が来るまで」
「また、明日、マシュー」
「ありがとう、ケネス」
ガタリと衝立が揺れた。ドアが開く。そして閉める前にもう一度、「じゃあ、また」と銀狐は呟いた。
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