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最終章
181 書庫
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降りそそぐ月光は
今宵も僕を
青く染める
試験勉強の合間をぬって生徒会執務室に通っていたのは、銀狐とお茶を飲むため。だけどもう一つ理由があった。
かなりの確率で、大鴉に遇えたからだ。
彼は新学期に入ってから、以前にも増して監督生執務室にいることが多くなった。開け放されている監督生室の出入り口から中を覗くと、灰緑のソファーに横たわり、肘掛けにすらりとした脚を放りだして気持ちよさそうに昼寝をしている彼を垣間見ることができた。
たまに、目が覚めたばかりの伸びをしている彼や、監督生たちと話している彼、廊下まで漂う香り高いコーヒーを淹れている彼を見ることもできた。けれど大方は、彼は子どものように無邪気な微睡みの中にいた。
彼のせいかどうかは判らないが、銀狐も監督生室にいることが増えていた。銀狐にしても、監督生代表にしても、試験期間中にもかかわらずこんなにも役務に精をだして、いったいいつ試験勉強をしているのだろう?
銀狐が監督生室にいるときは、僕は開け放たれたドアから正面の執務机に着くプラチナブロンドの監督生代表に軽く会釈する。彼の向かいに座り、話していた銀狐は、すぐに話を切りあげて生徒会執務室に戻ってくれる。たまに彼らが本当に重要な話をしている場合は、監督生室のドアは閉まっている。そのときは生徒会室に誰もいないことを確認して、僕は踵を返すのだった。
一月も終わりに近づいたある日のこと。
冬季試験を終え、久しぶりに僕は執務室でのんびりしていた。僕と同じように試験を終えた役員が時々顔を覗かせ、入れ替わり立ち替わり雑談していた。正式の活動再開は二月からなので、お疲れさま報告のようなものだ。
僕は彼らのためにお茶を淹れ、試験の愚痴を言いあい、労いあった。僕にしては、よく喋った方だと思う。
もうじき彼らともお別れだと思うと感慨深くて、本当に心からの感謝を伝えたかったのだ。
そんな僕とは裏腹に、銀狐は執務室に入ってきたときから機嫌が悪かった。もちろん彼は、そんな自分の感情を露わにする人ではない。本当にわずかな彼の心の色合いの違いを感じ取れるようになった自分が、不思議なくらいだ。
銀狐はしばらく執務机に積まれていた書類に目を通していたけれど、バサリと机に戻して僕を呼んだ。
「マシュー、資料探しを手伝ってくれる?」
執務室から続き部屋の書庫に僕を誘いドアを閉めると、銀狐は大きくため息を吐いてどさりと傍らの肘掛け椅子に腰をおろした。
「脚が痛むの?」
日焼けを防ぐための厚いカーテンの引かれた書庫の薄暗い室内で、銀狐の顔色はかなり蒼褪めて見える。
「ああ、そうじゃない。大丈夫だよ、マシュー」
彼は視線を僕に向け、口角をあげる。
「座っていて。何を探せばいいの?」
銀狐は、数年前の年次報告書と名簿、同じ年度の各部活の名簿を言い、天井まである書棚の一角を指差した。
僕は指示されたファイルを取り、彼に手渡した。
彼は僕の顔をじっと見ている。僕は訳が解らず小首を傾げた。
「他には?」
銀狐は苦笑を浮かべて首を横に振る。
「きみも座って」
続き部屋とはいえ、暖房の入っていない書庫はしんとした冷気で満ちている。ファイルを開くでもなく、銀狐は肘掛けに頬杖をつき眉根を寄せて暗い面持ちで考えこんでしまっている。
何か厄介な問題でも起きたのだろうか?
いつになく沈んでいる彼のことが気になったけれど、同じくらいこの部屋の室温が彼の脚に負担なのではないかと、僕は気がかりで堪らなかった。
「なにか話があるの? 執務室で聞くよ。戻ろう、寒いんだ」
彼の前に手を差しだした。
プライドの高い銀狐は、「淑女じゃあるまいし」と言って笑い、差し伸べられた手を毎回無視する。
だから彼が僕の手を取った、というよりも握りしめた時には本当に驚いた。
銀狐はそのままその手に体重をかけて立ちあがった。そして、こつんと僕の肩に額を預けた。
「どうしたの? 気分でも悪いの?」
僕はそっと彼の背中に腕を廻した。まるで泣いているかのように銀狐はかすかに震えていた。彼は顔を起こし僕をぎゅっと抱きしめた。
「マシュー、もうじき、僕の願いが天に届くんだ」
彼はにっこりと笑いながら、だけど、とても哀し気な瞳でそう言った。
「願いが叶うなら、それは喜ばしいことだろ?」
僕が微笑んで答えると、彼は視線を伏せて苦笑した。
「さぁ、戻ろう。躰が冷え切ってしまった。お茶を淹れるよ」
僕は彼の座っていた横の棚に置かれたままのファイルを持ちあげ、ドアを開けた。彼の机にそれを置き、お茶を淹れる準備にかかる。僕たちが書庫に引っ込んだせいか、残っていた役員は帰ったらしい。執務室は空っぽだった。
銀狐は席には戻らずにその後ろの窓枠にもたれて、白く曇った窓ガラスを擦って外を眺めていた。
「ああ、銀ボタンくんだ。約束の時間に遅刻だな」
「え、約束があるの? じゃあ、お茶はいらない?」
ちょうど茶葉を入れようとしていた手を止め、彼の独り言に問いかけた。
「いただくよ。たまにはあの子を待たせたってかまわないさ」
振り返り、彼は笑いながらそう言った。いつものシニカルな笑顔だ。なぜだかほっとして、二人分のお茶を淹れた。
「昨年度の銀ボタンくんの名を騙った証券詐欺事件のこと、覚えてる?」
彼の前に置いた紅茶をぼんやりと眺めながら、銀狐はいきなりそんな話を切りだしてきた。僕は小さく頷いた。
「あの子、そういう世界のプロっていうのかな、普通じゃない連中に目をつけられて、今、脅迫されているんだよ。今日はその相談」
銀狐はくいっと姿勢を正し、真っ直ぐに僕を見た。
「――きみを脅かすつもりじゃなかったんだ。心配しないで」
彼の金の瞳に同情の色が浮かび、机の上に置かれていた、小刻みに震える僕の拳にそっと慰めの手が重なる。
「銀ボタンのあの子はね、本当にとんでもない子なんだよ。こんな脅迫なんかに屈することはないし、これ以上相手方が舐めた真似をするようなら容赦なく反撃する。そういう子なんだ」
僕は小さく頷いた。
子爵さまのときで、それは身に染みて知っている。でも、今回は相手が違うだろ? 狼は脅しのプロフェッショナルだ。いくら賢い大鴉でも逃れられるはずがない。
「マシュー、」
僕は堪らずに伏せていた面をあげた。
「脅迫はメールで、彼の携帯に直接送られてきたんだ。犯人は、おそらく彼が運営していた投資サークルの会員経由でアドレスを手に入れ、脅迫に使っているらしいんだよ」
僕のせいだ――。頷いて、唇を噛んだ。
「マシュー、」
僕の手を握る彼の掌に力が籠る。
「マイルズ先輩はどこにいるの?」
僕は頭を振った。何度も、何度も。涙がとめどなく溢れていた。
「知らない――。本当に知らないんだ」
ノックの音に、銀狐は立ちあがった。
「行かなきゃ。監督生室にいるから、帰る前に声をかけて」
僕の肩をぐっと慰めるように掴んで、彼はこの部屋を後にした。
僕は溢れでる涙を止めようと、必死で唇を引き結び、奥歯を噛みしめる。
執務机の上に置かれた、二冊の青いファイルをそっと掌で撫でた。梟が、生徒会に在籍していた年度のファイルを……。
銀狐は知っているんだ。
梟のしていたこと。そして、おそらく、僕のことも――。
今宵も僕を
青く染める
試験勉強の合間をぬって生徒会執務室に通っていたのは、銀狐とお茶を飲むため。だけどもう一つ理由があった。
かなりの確率で、大鴉に遇えたからだ。
彼は新学期に入ってから、以前にも増して監督生執務室にいることが多くなった。開け放されている監督生室の出入り口から中を覗くと、灰緑のソファーに横たわり、肘掛けにすらりとした脚を放りだして気持ちよさそうに昼寝をしている彼を垣間見ることができた。
たまに、目が覚めたばかりの伸びをしている彼や、監督生たちと話している彼、廊下まで漂う香り高いコーヒーを淹れている彼を見ることもできた。けれど大方は、彼は子どものように無邪気な微睡みの中にいた。
彼のせいかどうかは判らないが、銀狐も監督生室にいることが増えていた。銀狐にしても、監督生代表にしても、試験期間中にもかかわらずこんなにも役務に精をだして、いったいいつ試験勉強をしているのだろう?
銀狐が監督生室にいるときは、僕は開け放たれたドアから正面の執務机に着くプラチナブロンドの監督生代表に軽く会釈する。彼の向かいに座り、話していた銀狐は、すぐに話を切りあげて生徒会執務室に戻ってくれる。たまに彼らが本当に重要な話をしている場合は、監督生室のドアは閉まっている。そのときは生徒会室に誰もいないことを確認して、僕は踵を返すのだった。
一月も終わりに近づいたある日のこと。
冬季試験を終え、久しぶりに僕は執務室でのんびりしていた。僕と同じように試験を終えた役員が時々顔を覗かせ、入れ替わり立ち替わり雑談していた。正式の活動再開は二月からなので、お疲れさま報告のようなものだ。
僕は彼らのためにお茶を淹れ、試験の愚痴を言いあい、労いあった。僕にしては、よく喋った方だと思う。
もうじき彼らともお別れだと思うと感慨深くて、本当に心からの感謝を伝えたかったのだ。
そんな僕とは裏腹に、銀狐は執務室に入ってきたときから機嫌が悪かった。もちろん彼は、そんな自分の感情を露わにする人ではない。本当にわずかな彼の心の色合いの違いを感じ取れるようになった自分が、不思議なくらいだ。
銀狐はしばらく執務机に積まれていた書類に目を通していたけれど、バサリと机に戻して僕を呼んだ。
「マシュー、資料探しを手伝ってくれる?」
執務室から続き部屋の書庫に僕を誘いドアを閉めると、銀狐は大きくため息を吐いてどさりと傍らの肘掛け椅子に腰をおろした。
「脚が痛むの?」
日焼けを防ぐための厚いカーテンの引かれた書庫の薄暗い室内で、銀狐の顔色はかなり蒼褪めて見える。
「ああ、そうじゃない。大丈夫だよ、マシュー」
彼は視線を僕に向け、口角をあげる。
「座っていて。何を探せばいいの?」
銀狐は、数年前の年次報告書と名簿、同じ年度の各部活の名簿を言い、天井まである書棚の一角を指差した。
僕は指示されたファイルを取り、彼に手渡した。
彼は僕の顔をじっと見ている。僕は訳が解らず小首を傾げた。
「他には?」
銀狐は苦笑を浮かべて首を横に振る。
「きみも座って」
続き部屋とはいえ、暖房の入っていない書庫はしんとした冷気で満ちている。ファイルを開くでもなく、銀狐は肘掛けに頬杖をつき眉根を寄せて暗い面持ちで考えこんでしまっている。
何か厄介な問題でも起きたのだろうか?
いつになく沈んでいる彼のことが気になったけれど、同じくらいこの部屋の室温が彼の脚に負担なのではないかと、僕は気がかりで堪らなかった。
「なにか話があるの? 執務室で聞くよ。戻ろう、寒いんだ」
彼の前に手を差しだした。
プライドの高い銀狐は、「淑女じゃあるまいし」と言って笑い、差し伸べられた手を毎回無視する。
だから彼が僕の手を取った、というよりも握りしめた時には本当に驚いた。
銀狐はそのままその手に体重をかけて立ちあがった。そして、こつんと僕の肩に額を預けた。
「どうしたの? 気分でも悪いの?」
僕はそっと彼の背中に腕を廻した。まるで泣いているかのように銀狐はかすかに震えていた。彼は顔を起こし僕をぎゅっと抱きしめた。
「マシュー、もうじき、僕の願いが天に届くんだ」
彼はにっこりと笑いながら、だけど、とても哀し気な瞳でそう言った。
「願いが叶うなら、それは喜ばしいことだろ?」
僕が微笑んで答えると、彼は視線を伏せて苦笑した。
「さぁ、戻ろう。躰が冷え切ってしまった。お茶を淹れるよ」
僕は彼の座っていた横の棚に置かれたままのファイルを持ちあげ、ドアを開けた。彼の机にそれを置き、お茶を淹れる準備にかかる。僕たちが書庫に引っ込んだせいか、残っていた役員は帰ったらしい。執務室は空っぽだった。
銀狐は席には戻らずにその後ろの窓枠にもたれて、白く曇った窓ガラスを擦って外を眺めていた。
「ああ、銀ボタンくんだ。約束の時間に遅刻だな」
「え、約束があるの? じゃあ、お茶はいらない?」
ちょうど茶葉を入れようとしていた手を止め、彼の独り言に問いかけた。
「いただくよ。たまにはあの子を待たせたってかまわないさ」
振り返り、彼は笑いながらそう言った。いつものシニカルな笑顔だ。なぜだかほっとして、二人分のお茶を淹れた。
「昨年度の銀ボタンくんの名を騙った証券詐欺事件のこと、覚えてる?」
彼の前に置いた紅茶をぼんやりと眺めながら、銀狐はいきなりそんな話を切りだしてきた。僕は小さく頷いた。
「あの子、そういう世界のプロっていうのかな、普通じゃない連中に目をつけられて、今、脅迫されているんだよ。今日はその相談」
銀狐はくいっと姿勢を正し、真っ直ぐに僕を見た。
「――きみを脅かすつもりじゃなかったんだ。心配しないで」
彼の金の瞳に同情の色が浮かび、机の上に置かれていた、小刻みに震える僕の拳にそっと慰めの手が重なる。
「銀ボタンのあの子はね、本当にとんでもない子なんだよ。こんな脅迫なんかに屈することはないし、これ以上相手方が舐めた真似をするようなら容赦なく反撃する。そういう子なんだ」
僕は小さく頷いた。
子爵さまのときで、それは身に染みて知っている。でも、今回は相手が違うだろ? 狼は脅しのプロフェッショナルだ。いくら賢い大鴉でも逃れられるはずがない。
「マシュー、」
僕は堪らずに伏せていた面をあげた。
「脅迫はメールで、彼の携帯に直接送られてきたんだ。犯人は、おそらく彼が運営していた投資サークルの会員経由でアドレスを手に入れ、脅迫に使っているらしいんだよ」
僕のせいだ――。頷いて、唇を噛んだ。
「マシュー、」
僕の手を握る彼の掌に力が籠る。
「マイルズ先輩はどこにいるの?」
僕は頭を振った。何度も、何度も。涙がとめどなく溢れていた。
「知らない――。本当に知らないんだ」
ノックの音に、銀狐は立ちあがった。
「行かなきゃ。監督生室にいるから、帰る前に声をかけて」
僕の肩をぐっと慰めるように掴んで、彼はこの部屋を後にした。
僕は溢れでる涙を止めようと、必死で唇を引き結び、奥歯を噛みしめる。
執務机の上に置かれた、二冊の青いファイルをそっと掌で撫でた。梟が、生徒会に在籍していた年度のファイルを……。
銀狐は知っているんだ。
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