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最終章
165 十月 紙人形
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まるで目隠しをして歩いているよう
静寂に肌を刺す冷気
それがすべて
彼の前にいる時の僕は、ぺらぺらの紙細工のようだ。薄っぺらで、ふっと息をかけられれば吹き飛んでしまう。そんな紙人形。
白い部屋で、恐怖で真っ白になっている僕。そして狼。恒例の報告会に、彼の部屋のいつものソファーに震えながら座っている。今日はボート部の子たちも部屋の隅に佇んでいる。細かな数字に関しては、彼らの方が僕よりも詳しいから。
狼はもちろん、夏期休暇前と何ら変わりのないジョイントの売上に満足する訳がない。けれど怒鳴る訳でもなく、脅しつける訳でもなく、ただねちねちと学校の様子を尋ねてくる。背中に冷や汗をびっしょりとかきながら、僕はその質問に一つ一つ答えている。
前回この部屋にきた時よりも、ずいぶんと日が傾くのが早くなった。白壁は夕焼けの赤を映し、室内は急速に陰りを増している。
もう寮に戻らなければ――。
そんな焦りもあって、僕はラグビー部の男の事件とその慰謝料の話をした。狼に、売上が伸びない分は僕の慰謝料で補うから、それでいいかと訊ねてみた。
彼は、ゆっくりと頭を振った。
「そんな惨い目に遭ったのかい? 可哀想に――。もっと早く私に言えば良かったのに。いや、今からでも遅くないよ。落とし前をつけてあげよう」
ぎょっとして、小刻みに何度も頭を振った。もう警察に持ち込んでいるから、あなたに迷惑がかかるといけないから、と必死の形相で嘘をついて誤魔化した。
狼はそんな僕を見て、くっくっと楽しそうに笑っている。
「もう示談は成立しているんだろう? それとは別に、きみが望むなら秘密裏に、って話だ。きみだって、このまま舐められたままじゃまずいだろう?」
僕の髪を、煙草を挟んだ指先で撫でながら、狼は言葉を継いだ。張りついた優しげな笑みが、本当に怖い。狼はいつもとても紳士的に、丁寧に僕を扱ってくれる。躰を要求されたことも一度もない。だけどそれは、彼が紳士だからでも、優しいからでもない。
金、金だ。それしかない。彼を満足させるのは。
ずっとそう思っていたのに、それだけでは済まされない何かが、まだあるらしい。
面子を潰された……。そういう事なのだろうか?
僕は安易にこの事を喋った自分のあまりの軽率さに、臍を噛む思いで首を振る。
「それには及びません。彼はもう放校処分を受けましたし――」
狼は煙草を持つ手を口許に寄せ、深く呑み込むと、すーと細く煙を吐きだした。それは、すぐに拡散され霧散する。僕の軽々しい言葉のように。
「まぁ、考えておくさ」
目眩を起こしそうだ――。
もっとも、続く狼の言葉に、僕は冷水をかけられたように覚醒せざるをえなかったけれど。
「あの銀ボタンの子、もう投資レポートは書いていないのかい?」
このまま気を失ってしまえればどんなにいいか!
言葉少なに「いいえ」と答えた。投資サークルはもう解散してしまったし、もうそんな類のことを耳にする事はなくなったと。
それなのに、狼はしつこく大鴉のことを尋ねた。彼の交友関係、家族関係。活動範囲。僕は面識がないから知らない、と答えた。狼は、またふぅっと煙を吐きだした。不満そうに。まるで毒を含んだ白い息だ。僕の気道を塞ぎ、真綿となって喉元をきゅうきゅうと締めつける。
なんだって狼は大鴉のことを知りたがるんだ?
僕は以前大鴉のレポートの事を狼に喋ってしまったけれど、それは梟はジョイントでお金を稼いだのではなくて、あのレポートのおかげだったのだ、と言いたかっただけで、狼に株式投資を勧めた訳じゃない。それに、銀狐は、証券詐欺の事件は、もうカタがついたと言っていたのに。やはり狼や梟は、あの事件に関係があったのだろうか?
「でも、どうしてですか? 彼はジョイントに手を出したりするタイプではないですよ。それとも、あの詐欺事件は、あなたのビジネスの一環なのですか?」
動揺のあまり、とんでもない質問を口にしてしまっていた。こんな馬鹿な事を訊くなんて、足許を掬われかねないのに――。
「私はなにもしていないよ。ただ知人がね、あの子にとても興味を持っているんだ」
狼はくすくすと笑った。僕は目線を伏せたまま。
ほら、愚かな僕は彼にきっかけを与えてしまったんだ。
狼がその輝く牙を剥きだしにして、笑っている。赤い舌をだらりと垂らして、狙った獲物を見つめている。
「きみ、知らないのなら、もっと良く知り得るように頑張ってきてもらえないかな? そのための赤のウエストコートだろう? きみの頑張り次第で、売上ノルマの件はもう少し検討して、上とかけあってあげてもいい」
悪魔の囁きに、ぞわりと鳥肌がたつ。
僕は目線を伏せたまま、「わかりました」と呟いた。
静寂に肌を刺す冷気
それがすべて
彼の前にいる時の僕は、ぺらぺらの紙細工のようだ。薄っぺらで、ふっと息をかけられれば吹き飛んでしまう。そんな紙人形。
白い部屋で、恐怖で真っ白になっている僕。そして狼。恒例の報告会に、彼の部屋のいつものソファーに震えながら座っている。今日はボート部の子たちも部屋の隅に佇んでいる。細かな数字に関しては、彼らの方が僕よりも詳しいから。
狼はもちろん、夏期休暇前と何ら変わりのないジョイントの売上に満足する訳がない。けれど怒鳴る訳でもなく、脅しつける訳でもなく、ただねちねちと学校の様子を尋ねてくる。背中に冷や汗をびっしょりとかきながら、僕はその質問に一つ一つ答えている。
前回この部屋にきた時よりも、ずいぶんと日が傾くのが早くなった。白壁は夕焼けの赤を映し、室内は急速に陰りを増している。
もう寮に戻らなければ――。
そんな焦りもあって、僕はラグビー部の男の事件とその慰謝料の話をした。狼に、売上が伸びない分は僕の慰謝料で補うから、それでいいかと訊ねてみた。
彼は、ゆっくりと頭を振った。
「そんな惨い目に遭ったのかい? 可哀想に――。もっと早く私に言えば良かったのに。いや、今からでも遅くないよ。落とし前をつけてあげよう」
ぎょっとして、小刻みに何度も頭を振った。もう警察に持ち込んでいるから、あなたに迷惑がかかるといけないから、と必死の形相で嘘をついて誤魔化した。
狼はそんな僕を見て、くっくっと楽しそうに笑っている。
「もう示談は成立しているんだろう? それとは別に、きみが望むなら秘密裏に、って話だ。きみだって、このまま舐められたままじゃまずいだろう?」
僕の髪を、煙草を挟んだ指先で撫でながら、狼は言葉を継いだ。張りついた優しげな笑みが、本当に怖い。狼はいつもとても紳士的に、丁寧に僕を扱ってくれる。躰を要求されたことも一度もない。だけどそれは、彼が紳士だからでも、優しいからでもない。
金、金だ。それしかない。彼を満足させるのは。
ずっとそう思っていたのに、それだけでは済まされない何かが、まだあるらしい。
面子を潰された……。そういう事なのだろうか?
僕は安易にこの事を喋った自分のあまりの軽率さに、臍を噛む思いで首を振る。
「それには及びません。彼はもう放校処分を受けましたし――」
狼は煙草を持つ手を口許に寄せ、深く呑み込むと、すーと細く煙を吐きだした。それは、すぐに拡散され霧散する。僕の軽々しい言葉のように。
「まぁ、考えておくさ」
目眩を起こしそうだ――。
もっとも、続く狼の言葉に、僕は冷水をかけられたように覚醒せざるをえなかったけれど。
「あの銀ボタンの子、もう投資レポートは書いていないのかい?」
このまま気を失ってしまえればどんなにいいか!
言葉少なに「いいえ」と答えた。投資サークルはもう解散してしまったし、もうそんな類のことを耳にする事はなくなったと。
それなのに、狼はしつこく大鴉のことを尋ねた。彼の交友関係、家族関係。活動範囲。僕は面識がないから知らない、と答えた。狼は、またふぅっと煙を吐きだした。不満そうに。まるで毒を含んだ白い息だ。僕の気道を塞ぎ、真綿となって喉元をきゅうきゅうと締めつける。
なんだって狼は大鴉のことを知りたがるんだ?
僕は以前大鴉のレポートの事を狼に喋ってしまったけれど、それは梟はジョイントでお金を稼いだのではなくて、あのレポートのおかげだったのだ、と言いたかっただけで、狼に株式投資を勧めた訳じゃない。それに、銀狐は、証券詐欺の事件は、もうカタがついたと言っていたのに。やはり狼や梟は、あの事件に関係があったのだろうか?
「でも、どうしてですか? 彼はジョイントに手を出したりするタイプではないですよ。それとも、あの詐欺事件は、あなたのビジネスの一環なのですか?」
動揺のあまり、とんでもない質問を口にしてしまっていた。こんな馬鹿な事を訊くなんて、足許を掬われかねないのに――。
「私はなにもしていないよ。ただ知人がね、あの子にとても興味を持っているんだ」
狼はくすくすと笑った。僕は目線を伏せたまま。
ほら、愚かな僕は彼にきっかけを与えてしまったんだ。
狼がその輝く牙を剥きだしにして、笑っている。赤い舌をだらりと垂らして、狙った獲物を見つめている。
「きみ、知らないのなら、もっと良く知り得るように頑張ってきてもらえないかな? そのための赤のウエストコートだろう? きみの頑張り次第で、売上ノルマの件はもう少し検討して、上とかけあってあげてもいい」
悪魔の囁きに、ぞわりと鳥肌がたつ。
僕は目線を伏せたまま、「わかりました」と呟いた。
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