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最終章
161 九月 最後の年
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繰り返される
歴史の輪
軋み続ける
運命の音
新学期が始まる。僕のエリオット校最終学年の始まりだ。
入寮日、鳥の巣頭は新車のミニクーパーで僕を寮まで送ってくれた。寮監にご挨拶したい、とこいつは言ったけれど、「卒業したばかりなのに、もう戻ってきたのか、と笑われるよ」と僕は頭をふって反対し、早々にこいつを追い返した。だって、別れが長引けば長引くほど、辛くなるじゃないか。
寮長になった僕は、入寮したばかりの新入生を学校案内に連れてでた。先頭は寮監が。緊張でぎくしゃくとしながら、好奇心いっぱいの瞳であたりを見廻している新入生のしんがりを僕が見守る。
扉に刻まれた落書き、壁に埋めこまれた慰霊碑。偉業をなした卒業生の肖像画。よく通る寮監の声がこの学校の歴史を語る。いつもは目をくれる事もなく通りすぎるだけの場所が、一つ、一つ感慨深く、去りし日々を思いおこさせる。
あの日、僕はどんな思いでここに立ち、皆と一緒にこの通路を歩いていたのか――。今はもう、思いだすことすらできないけれど。
学舎の中庭を巡る回廊で、銀狐とすれ違った。
躰に合わない長すぎる黒いローブをまとった新入生たちを、彼もまた世話していた。
すれ違いざま、彼はにっと笑ってローブを跳ねあげ腕を伸ばして、僕に掌を向けた。その掌にハイタッチする。
ちらちらと僕たちを盗み見ていた新入生たちから、どよめきが上がる。僕は訳が解らず、一瞬足を止めた。銀狐は僕の肩に手を置いて、「後でね」と囁いた。
「後で」と言われたけれど、銀狐とゆっくり話ができたのは、生徒会が始まってしばらくしてからのことだった。
「きみ、銀ボタンくんにもう会った?」
他の役員もいるっていうのに、銀狐は、僕が執務室に入るなりいきなりそんな言葉を投げかけてきた。窓枠に腰かけている彼の周囲からどっと笑い声が上がる。
僕は怪訝な顔で小首を傾げた。
大鴉は話のネタに事かかない。今度は何をしでかしたんだろう?
「来てごらんよ」
手招きする彼の背後から、窓の外を覗きこむ。他の役員までが鈴なりになって、身を乗りだして口々に大鴉の名を呼んでいる。
「久しぶり! ずいぶん男前になったじゃないか!」
「おーい、銀ボタン! 今年度もよろしく! お手柔らかにな!」
「あまり面倒事を起こさないでくれよ!」
「ちぇっ! 人を問題児みたいに言うなよ!」
僕たちを見あげている大鴉は、唖然とするほど見事に、褐色に、日焼けしていた。
「彼、だよね?」
そのあまりの変貌ぶりに僕は驚きすぎて、信じきれずにまじまじと地上の彼を眺めまわした。大鴉はひとしきり悪態をついてから、黒のローブをひるがえしてこの場を後にした。
「砂漠帰りなんだそうだよ」
「灼熱の砂漠で駱駝を乗り回していたってさ」
「中東のオイルマネーで新事業だ」
「生物部から申請書がもうでているぞ!」
周囲で飛び交う大鴉の噂話についていけていないのは、どうやら僕だけのようだ。銀狐が、かいつまんで彼のあの変貌ぶりと、現状とを教えてくれた。
大鴉はこの夏季休暇を、彼の友人の中東の皇太子殿下に招待され、砂漠の国ですごしたのだそうだ。見事に日焼けしているのはそのせいだ。それもただ遊びに行ったのではなく、砂漠に太陽光発電を利用した温室を作るため、という壮大な目的があった。
彼が前年度学校に作った温室は、そのための試作品ということで。
今年度は、その彼の温室を生物部が引き継ぎ、市民サークルと協力して生産を拡大していきたい旨の申請書が提出されているらしい。
相変わらず、飛躍し続ける大鴉――。
フェローズの森で見た、あの大鴉は幻だったのかもしれない。そんな風に思えるほど精悍な今の彼の姿に、僕は心底安堵していた。
「――そういう事だから、きみも寮への行き帰りは気をつけて」
「そういう事って?」
ぼんやりと考えこんでしまい、聞き逃してしまったその一言を、僕は慌てて訊き返した。
「あの子のペット。殿下に贈られたハヤブサをフェローズの森で飼っているってもっぱらの噂だから」
ため息交じりに銀狐は苦笑している。僕はまた、呆気に取られて二の句が継げない。
「鷹狩でもするの?」
「向こうではしていたらしいよ」
「お手柔らかにお願いしたいな……」
ハヤブサと戯れる彼を想像し、僕はくすくす笑いだしてしまった。まったく彼は、僕の想像を軽々と超えたところにいる。
やはり僕の憧れてやまない、自由奔放な大鴉だ――。
そんな風に、久しぶりに銀狐と和やかに雑談していた僕の肩が控えめに叩かれた。ふり返ると、ボート部の子たちが真面目な顔をして立っていた。一人が僕の耳許に口を寄せ囁いた。
銀狐をちらりと見て、「ちょっと、失礼するよ」と立ちあがった。
握り締めた僕の拳が震えていたことに、彼は気づいただろうか……。執務室を後にしながら、そんなつまらない事ばかりが、気にかかっていた。
歴史の輪
軋み続ける
運命の音
新学期が始まる。僕のエリオット校最終学年の始まりだ。
入寮日、鳥の巣頭は新車のミニクーパーで僕を寮まで送ってくれた。寮監にご挨拶したい、とこいつは言ったけれど、「卒業したばかりなのに、もう戻ってきたのか、と笑われるよ」と僕は頭をふって反対し、早々にこいつを追い返した。だって、別れが長引けば長引くほど、辛くなるじゃないか。
寮長になった僕は、入寮したばかりの新入生を学校案内に連れてでた。先頭は寮監が。緊張でぎくしゃくとしながら、好奇心いっぱいの瞳であたりを見廻している新入生のしんがりを僕が見守る。
扉に刻まれた落書き、壁に埋めこまれた慰霊碑。偉業をなした卒業生の肖像画。よく通る寮監の声がこの学校の歴史を語る。いつもは目をくれる事もなく通りすぎるだけの場所が、一つ、一つ感慨深く、去りし日々を思いおこさせる。
あの日、僕はどんな思いでここに立ち、皆と一緒にこの通路を歩いていたのか――。今はもう、思いだすことすらできないけれど。
学舎の中庭を巡る回廊で、銀狐とすれ違った。
躰に合わない長すぎる黒いローブをまとった新入生たちを、彼もまた世話していた。
すれ違いざま、彼はにっと笑ってローブを跳ねあげ腕を伸ばして、僕に掌を向けた。その掌にハイタッチする。
ちらちらと僕たちを盗み見ていた新入生たちから、どよめきが上がる。僕は訳が解らず、一瞬足を止めた。銀狐は僕の肩に手を置いて、「後でね」と囁いた。
「後で」と言われたけれど、銀狐とゆっくり話ができたのは、生徒会が始まってしばらくしてからのことだった。
「きみ、銀ボタンくんにもう会った?」
他の役員もいるっていうのに、銀狐は、僕が執務室に入るなりいきなりそんな言葉を投げかけてきた。窓枠に腰かけている彼の周囲からどっと笑い声が上がる。
僕は怪訝な顔で小首を傾げた。
大鴉は話のネタに事かかない。今度は何をしでかしたんだろう?
「来てごらんよ」
手招きする彼の背後から、窓の外を覗きこむ。他の役員までが鈴なりになって、身を乗りだして口々に大鴉の名を呼んでいる。
「久しぶり! ずいぶん男前になったじゃないか!」
「おーい、銀ボタン! 今年度もよろしく! お手柔らかにな!」
「あまり面倒事を起こさないでくれよ!」
「ちぇっ! 人を問題児みたいに言うなよ!」
僕たちを見あげている大鴉は、唖然とするほど見事に、褐色に、日焼けしていた。
「彼、だよね?」
そのあまりの変貌ぶりに僕は驚きすぎて、信じきれずにまじまじと地上の彼を眺めまわした。大鴉はひとしきり悪態をついてから、黒のローブをひるがえしてこの場を後にした。
「砂漠帰りなんだそうだよ」
「灼熱の砂漠で駱駝を乗り回していたってさ」
「中東のオイルマネーで新事業だ」
「生物部から申請書がもうでているぞ!」
周囲で飛び交う大鴉の噂話についていけていないのは、どうやら僕だけのようだ。銀狐が、かいつまんで彼のあの変貌ぶりと、現状とを教えてくれた。
大鴉はこの夏季休暇を、彼の友人の中東の皇太子殿下に招待され、砂漠の国ですごしたのだそうだ。見事に日焼けしているのはそのせいだ。それもただ遊びに行ったのではなく、砂漠に太陽光発電を利用した温室を作るため、という壮大な目的があった。
彼が前年度学校に作った温室は、そのための試作品ということで。
今年度は、その彼の温室を生物部が引き継ぎ、市民サークルと協力して生産を拡大していきたい旨の申請書が提出されているらしい。
相変わらず、飛躍し続ける大鴉――。
フェローズの森で見た、あの大鴉は幻だったのかもしれない。そんな風に思えるほど精悍な今の彼の姿に、僕は心底安堵していた。
「――そういう事だから、きみも寮への行き帰りは気をつけて」
「そういう事って?」
ぼんやりと考えこんでしまい、聞き逃してしまったその一言を、僕は慌てて訊き返した。
「あの子のペット。殿下に贈られたハヤブサをフェローズの森で飼っているってもっぱらの噂だから」
ため息交じりに銀狐は苦笑している。僕はまた、呆気に取られて二の句が継げない。
「鷹狩でもするの?」
「向こうではしていたらしいよ」
「お手柔らかにお願いしたいな……」
ハヤブサと戯れる彼を想像し、僕はくすくす笑いだしてしまった。まったく彼は、僕の想像を軽々と超えたところにいる。
やはり僕の憧れてやまない、自由奔放な大鴉だ――。
そんな風に、久しぶりに銀狐と和やかに雑談していた僕の肩が控えめに叩かれた。ふり返ると、ボート部の子たちが真面目な顔をして立っていた。一人が僕の耳許に口を寄せ囁いた。
銀狐をちらりと見て、「ちょっと、失礼するよ」と立ちあがった。
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