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四章
158 八月 ラベンダー色の部屋
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影を作らぬ閃光に
目をすがめ
掻き消される
オックスフォードで鳥の巣頭の借りたスタジオフラットは、僕たちの宿舎からはかなり離れた郊外の住宅地にあった。
平日は、カレッジ・スクールが終わった後図書館で待ち合わせて一緒に勉強し、カレッジの学食で一緒に夕食を食べてから、僕たちは宿舎へ、鳥の巣頭はバスでフラットへ帰る。鳥の巣頭はスクールの受講生ではないけれど、食事はチケット制なので、学生寮に泊まっている旅行者なんかも利用していて問題ない。
そんな遠くにフラットを借りるよりも、もっと近くの学生寮に長期宿泊すれば良かったのに、と言うと、鳥の巣頭は「きみの近くにいすぎると勉強が手につかなくなるから」と困ったような笑みを浮かべた。
大学が始まるまでに読んでおかなければいけない本が山のようにあるのだそうだ。それに僕たちが講義を受けている間に、ドライビングスクールにも通うらしい。「夏季休暇が終わるまでに免許を取るよ。楽しみにしていて。どこか、遠出しようね」なんて、こいつがあまりに嬉しそうに言うものだから、僕も笑って「うん、楽しみだ」と答えた。ほんとは車なんか好きじゃないけれど。
週末は鳥の巣頭のフラットに泊まりにいった。銀狐は平日は一緒に行動するのが大半だったけれど、休日は別だ。「あてられるのは嫌だしね」とニヤッと笑って、僕を送りだしてくれる。
初めてフラットを訪ねた日は、鳥の巣頭が最寄りのバス停まで迎えにきてくれた。閑静な住宅地は人通りもまばらだ。近くに気楽に入れるカフェもない。
蜂蜜色の外壁に白い窓枠、白いドアがいくつも連なる中の一つを、鳥の巣頭は指差した。
二階にある室内はわりに広くて、フローリングにベッド、折り畳み式の小さなテーブルと椅子が一脚。スツールが一脚。「まるでガーデンテーブルだね」と笑うと、鳥の巣頭は「それじゃあ、庭を眺めながらランチにしようか」とテーブルを窓辺に運び、白いロールスクリーンを巻き上げてラベンダー色の窓枠を開けた。
街路樹の梢が広がり、緑が香る。爽やかな風が吹きこんでくる。二階の部屋からの景色は、きらきらした緑に透ける陽の光。道路を挟んだ向こう側は公園で、緑の奥にさらに緑が重なっている。
僕たちはピクニックに来ているような気分で、バスに乗る前に買っておいたテイクアウトのサンドイッチと紅茶でお昼を済ませた。
「いい場所だね。それになんだか落ちつくよ。窓いっぱいの緑を眺めて、ラベンダーのシーツで眠るのもいいよね」
アイボリーの壁に造りつけの収納扉の木枠もラベンダーだ。それに黄色のペンダントライト。僕の家や鳥の巣頭の家のように時代がかっていなくて、寮の部屋のように味気なく殺風景でもないこの部屋は、僕にはとても好ましく思えた。
ベッドに寝転がって笑いかけると、鳥の巣頭は目を細めてにっこりしながら僕を眺める。だけど、すぐにしかめっ面をして怒ったように言った。
「ここに決めたのはね、この窓からの景色が気にいったからなんだ。それなのに、僕はちっとも落ちつかないよ。だって、きみが新しい僕の部屋の、僕のベッドにいるんだよ」
「それならきみの気持ちが落ちつくまで、ずっと手を握っていてあげるよ」
僕はくすくす笑って肘を立てて横向きになり、反対の腕を伸ばして掌を向けた。鳥の巣頭は、ベッドに腰かけ僕の手を取ったけれど、ますます恨みがましく僕を睨んで首を振る。
「そんなんじゃ、全然無理」
「じゃあ、ずっと抱きしめていてあげる」
仰向けになって両腕を伸ばす。その腕に躰を預け、横たわって僕を抱きしめながら、こいつは耳許で囁いた。
「まだたりない」
「じゃあ、たくさんキスをあげるよ」
「僕の気持ちが落ちつくまで?」
「きみの気持ちが落ちつくまで」
「きっと僕はもっと落ちつかなくなってしまうよ」
「いいじゃないか、試してみれば」
唇を重ね、躰を重ねて、たくさんのキスをあげた。その倍以上のキスをこいつは返してくれた。
開け放した窓からさやさやと梢が揺れ、葉が煌めく。陽に透けるライムグリーンが目に眩しい。時折葉擦れの音が聞こえるだけの昼下がりの乾いた空気に、互いの息遣いだけが荒く響いていた。僕はぼんやりとその柔らかな光を浴びながら、不安定に揺れる景色を眺めていた。こいつの気持ちが落ちつくまで。満足して安心するまで。僕の吐息が、ライムグリーンに染まるほどに。
「マシュー、マシュー」
僕を呼ぶ声が僕の躰を通りすぎる。
木漏れ日が舞う。
「マシュー」
優しく、甘やかな声が僕を呼ぶ。
それなのに、さんざめく光が眩しすぎて、僕は何も見いだすことができなかった。
僕を呼ぶきみの姿さえ、白い輝きに掻き消されて――。
僕は、また、この世界に、一人。
目をすがめ
掻き消される
オックスフォードで鳥の巣頭の借りたスタジオフラットは、僕たちの宿舎からはかなり離れた郊外の住宅地にあった。
平日は、カレッジ・スクールが終わった後図書館で待ち合わせて一緒に勉強し、カレッジの学食で一緒に夕食を食べてから、僕たちは宿舎へ、鳥の巣頭はバスでフラットへ帰る。鳥の巣頭はスクールの受講生ではないけれど、食事はチケット制なので、学生寮に泊まっている旅行者なんかも利用していて問題ない。
そんな遠くにフラットを借りるよりも、もっと近くの学生寮に長期宿泊すれば良かったのに、と言うと、鳥の巣頭は「きみの近くにいすぎると勉強が手につかなくなるから」と困ったような笑みを浮かべた。
大学が始まるまでに読んでおかなければいけない本が山のようにあるのだそうだ。それに僕たちが講義を受けている間に、ドライビングスクールにも通うらしい。「夏季休暇が終わるまでに免許を取るよ。楽しみにしていて。どこか、遠出しようね」なんて、こいつがあまりに嬉しそうに言うものだから、僕も笑って「うん、楽しみだ」と答えた。ほんとは車なんか好きじゃないけれど。
週末は鳥の巣頭のフラットに泊まりにいった。銀狐は平日は一緒に行動するのが大半だったけれど、休日は別だ。「あてられるのは嫌だしね」とニヤッと笑って、僕を送りだしてくれる。
初めてフラットを訪ねた日は、鳥の巣頭が最寄りのバス停まで迎えにきてくれた。閑静な住宅地は人通りもまばらだ。近くに気楽に入れるカフェもない。
蜂蜜色の外壁に白い窓枠、白いドアがいくつも連なる中の一つを、鳥の巣頭は指差した。
二階にある室内はわりに広くて、フローリングにベッド、折り畳み式の小さなテーブルと椅子が一脚。スツールが一脚。「まるでガーデンテーブルだね」と笑うと、鳥の巣頭は「それじゃあ、庭を眺めながらランチにしようか」とテーブルを窓辺に運び、白いロールスクリーンを巻き上げてラベンダー色の窓枠を開けた。
街路樹の梢が広がり、緑が香る。爽やかな風が吹きこんでくる。二階の部屋からの景色は、きらきらした緑に透ける陽の光。道路を挟んだ向こう側は公園で、緑の奥にさらに緑が重なっている。
僕たちはピクニックに来ているような気分で、バスに乗る前に買っておいたテイクアウトのサンドイッチと紅茶でお昼を済ませた。
「いい場所だね。それになんだか落ちつくよ。窓いっぱいの緑を眺めて、ラベンダーのシーツで眠るのもいいよね」
アイボリーの壁に造りつけの収納扉の木枠もラベンダーだ。それに黄色のペンダントライト。僕の家や鳥の巣頭の家のように時代がかっていなくて、寮の部屋のように味気なく殺風景でもないこの部屋は、僕にはとても好ましく思えた。
ベッドに寝転がって笑いかけると、鳥の巣頭は目を細めてにっこりしながら僕を眺める。だけど、すぐにしかめっ面をして怒ったように言った。
「ここに決めたのはね、この窓からの景色が気にいったからなんだ。それなのに、僕はちっとも落ちつかないよ。だって、きみが新しい僕の部屋の、僕のベッドにいるんだよ」
「それならきみの気持ちが落ちつくまで、ずっと手を握っていてあげるよ」
僕はくすくす笑って肘を立てて横向きになり、反対の腕を伸ばして掌を向けた。鳥の巣頭は、ベッドに腰かけ僕の手を取ったけれど、ますます恨みがましく僕を睨んで首を振る。
「そんなんじゃ、全然無理」
「じゃあ、ずっと抱きしめていてあげる」
仰向けになって両腕を伸ばす。その腕に躰を預け、横たわって僕を抱きしめながら、こいつは耳許で囁いた。
「まだたりない」
「じゃあ、たくさんキスをあげるよ」
「僕の気持ちが落ちつくまで?」
「きみの気持ちが落ちつくまで」
「きっと僕はもっと落ちつかなくなってしまうよ」
「いいじゃないか、試してみれば」
唇を重ね、躰を重ねて、たくさんのキスをあげた。その倍以上のキスをこいつは返してくれた。
開け放した窓からさやさやと梢が揺れ、葉が煌めく。陽に透けるライムグリーンが目に眩しい。時折葉擦れの音が聞こえるだけの昼下がりの乾いた空気に、互いの息遣いだけが荒く響いていた。僕はぼんやりとその柔らかな光を浴びながら、不安定に揺れる景色を眺めていた。こいつの気持ちが落ちつくまで。満足して安心するまで。僕の吐息が、ライムグリーンに染まるほどに。
「マシュー、マシュー」
僕を呼ぶ声が僕の躰を通りすぎる。
木漏れ日が舞う。
「マシュー」
優しく、甘やかな声が僕を呼ぶ。
それなのに、さんざめく光が眩しすぎて、僕は何も見いだすことができなかった。
僕を呼ぶきみの姿さえ、白い輝きに掻き消されて――。
僕は、また、この世界に、一人。
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