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四章
155 要求
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愚かさの罪は
いったい
何によって贖われるのか?
休暇で実家に戻っている間、食事は一人で取っていた。
朝食は食べない。昼食は、ボランティアやご婦人方の何かの集まりでいないことの多い母が、出かける前に作り置きしてくれているサンドイッチとスープを適当につまむ。
夕食は食欲がないと言って、僕だけ遅い時間に自分の部屋で取る。
長い一日を自分の部屋だけで過ごしていた。ぼんやりと、息を殺して時間が無為に流れていく様を眺めながら。
休暇のほとんどは、オックスフォードのスクール・カレッジか鳥の巣頭の家ですごしてきたから、こんな、日常に空いた穴みたいな無意味な日々を送らなければならないのは、年に幾日もなかったけれど。
そんなロンドンの自宅での休暇も、鳥の巣頭がいると一変する。あいつは父母ともに信頼が厚い。特に母のお気に入りだ。あいつがいる時は、母はボランティアに出かけたりしない。食事も手のこんだものを作ったりする。
そして、かつてのように、家族揃ってテーブルに着くのだ。鳥の巣頭を中心に据えて。
夏季休暇の初日、鳥の巣頭は僕と銀狐を寮までハイヤーで迎えにきてくれた。
先に銀狐を送り、僕たちは僕の自宅に降りたった。赤茶けた煉瓦造りに白い出窓。窓にかかる白いレース。どこもかしこも同じ形状の連なる平凡なフラット。区画され、はめ込まれた、何の変哲もない――。
玄関が開き、母が満面の笑みで出迎えてくれる。お気に入りの鳥の巣頭を。僕の浮かない顔を横目に、「さあ、マシュー」と空いている方の手で僕の荷物も軽々と持ちあげて母に続くあいつの後を、僕は黙ったままついてあがる。
部屋に鞄を置き、ほっと息を漏らした僕を包むように、背中から鳥の巣頭の腕が緩やかに回される。
「どうしたの? 寮や生徒会でトラブルでもあったの?」
「何も。ただちょっと、くたびれただけ」
「何かあったら一番に僕に言って。きみは一人で思い悩んでしまう性質だからね」
「じゃあ、しばらく横になって休んでもいいかな?」
胸元で交差されるその手を、きゅっと握り返して鳥の巣頭に向けて首を捻る。
そう、ちょっと疲れているだけだから――。
鳥の巣頭は「もちろん、ゆっくり休んで」と僕を気遣って、すぐに一人にしてくれた。自分は母とお茶を頂いているから、と。車での移動の後ではいつものことで、特に変にも思わなかったようだ。
ほっと安堵の吐息が漏れた。僕も後でお茶に来るように、なんて言われなくて本当に良かった。
僕は脱力し、ベッドに躰を投げだして突っ伏した。
迎えにきてくれたあいつの嬉しそうな顔を見た時も、ここまでの車の中でも、狼の突きつけてきた要求がずっと脳裏にこびりついて離れなかったのだ。
内側から沸々と湧きあがる恐怖が、冷や汗と混じりあい毛穴から滲みでて、悪臭を放ちながら僕にまといつき、僕を苛んでいる。狭い車内で、僕のこの嫌らしい臭いに鳥の巣頭や銀狐が気づくのではないかと、気が気でなかった。
鳥の巣頭には言えない。絶対に!
それなのに、車を降り、我が家を見あげた時に一番に思い浮かんだのが、鳥の巣頭のあの豪奢なカントリーハウスで――。アヌビスや、鳥の巣頭のお父さんに頼めば、これくらいの金額なんとかしてもらえるのではないかという、腐りきった考えだったなんて!
自分のあまりの醜悪さに、吐き気を覚えていた。
この夏季休暇に入るまで、駆けずり廻ってジョイントの注文を取っていたというのに。持ちうる限りのコネを動員して頼んだというのに。
まだまだ、全然足りない!
僕が、梟のように仕切れるはずがないじゃないか!
たとえ特別なサービスをつけたところで、それは無理ってものなのだ。
狼は誤解している。
彼は、梟が急に金回りが良くなって借金を返し姿を消した理由を、ジョイントを僕という付加価値をつけて高額で取引したからだと思っている。
僕ならもっと売上げられるはずだろう、と。
だから――。僕は思いあまって、狼に言ってはならないことを言ってしまったんだ。――大鴉の投資サークルのこと。梟は株の投資で大金を稼いだこと。それに、証券詐欺のことも。
梟がジョイントを売っていたのは、その投資を一緒やっていたOBの連中にだ。僕の見せた大鴉のレポートを、梟がさらに分析して現実の投資に振り替えていたんだ。だからOBの先輩方は梟に高額の手数料を払っていた。
本当に何の考えもなくぺらぺらと喋ってしまっていた。もちろん、その中に僕自身の代金も含まれていたこととか、おそらく梟は、大量に注文したジョイントを狼の知っている顧客には渡さず、転売していただろうということは言わなかったけれど。
「だから僕には、というよりも、エリオット校内ではこれ以上は無理なんです」と僕は狼に懇願した。どうか、解ってくださいと言って。
狼は唇に酷薄な笑みを浮かべて、実に興味深そうに時々頷きながら僕の話を聞いていた。
「それで、その投資レポートというのは?」
精一杯申し訳なさそうな顔をして首を振った。けれど言われるままに、大鴉のレポートを転送していたOBの連絡先を教えてしまった。
もう僕なんかを通さないで、狼が直接彼らにジョイントを売ればいいんだ、とそう思ったからだ。
狼は、まるで紳士のように上品で慈悲深い様子で話を聞いてはくれたけれど、それで売り上げノルマが減ることはなかった。
ただ「夏季休暇を楽しんでおいで」と、見通しをつけるのを、次年度が始まるまで伸ばしてくれただけだった。
それだけでも、僕は胸を撫でおろしていたのだけれど――。
後で冷静になってから気がついたんだ。
狼は、大鴉のレポートのことなんてとっくに知っていたはずだってこと。僕は僕に課せられたノルマから逃げたいばかりに、その記憶をすっかり忘れてしまっていたのだ。
創立祭の日、狼は確かに大鴉を知っていて、彼を興味津々に眺めていたってことを。
だけど、僕はこの時首を捻るだけで、深く考える事をしなかった。
狼が黙って僕の言い訳を聞いていた理由は、狼が本当に欲しかったのは、このエリオットOBの個人情報だったからだ、という事実や、ジョイントを売るよりも、もっとお金になるいいネタを提供してしまっていたことに、僕はその時点では欠片も気づくことはなかった。
そしてもう一つ。僕が狼に渡してしまったのは、OBの個人情報だけではなかったのだ……。
そのことに気がついたのは、もっともっと後になってからだった。
いったい
何によって贖われるのか?
休暇で実家に戻っている間、食事は一人で取っていた。
朝食は食べない。昼食は、ボランティアやご婦人方の何かの集まりでいないことの多い母が、出かける前に作り置きしてくれているサンドイッチとスープを適当につまむ。
夕食は食欲がないと言って、僕だけ遅い時間に自分の部屋で取る。
長い一日を自分の部屋だけで過ごしていた。ぼんやりと、息を殺して時間が無為に流れていく様を眺めながら。
休暇のほとんどは、オックスフォードのスクール・カレッジか鳥の巣頭の家ですごしてきたから、こんな、日常に空いた穴みたいな無意味な日々を送らなければならないのは、年に幾日もなかったけれど。
そんなロンドンの自宅での休暇も、鳥の巣頭がいると一変する。あいつは父母ともに信頼が厚い。特に母のお気に入りだ。あいつがいる時は、母はボランティアに出かけたりしない。食事も手のこんだものを作ったりする。
そして、かつてのように、家族揃ってテーブルに着くのだ。鳥の巣頭を中心に据えて。
夏季休暇の初日、鳥の巣頭は僕と銀狐を寮までハイヤーで迎えにきてくれた。
先に銀狐を送り、僕たちは僕の自宅に降りたった。赤茶けた煉瓦造りに白い出窓。窓にかかる白いレース。どこもかしこも同じ形状の連なる平凡なフラット。区画され、はめ込まれた、何の変哲もない――。
玄関が開き、母が満面の笑みで出迎えてくれる。お気に入りの鳥の巣頭を。僕の浮かない顔を横目に、「さあ、マシュー」と空いている方の手で僕の荷物も軽々と持ちあげて母に続くあいつの後を、僕は黙ったままついてあがる。
部屋に鞄を置き、ほっと息を漏らした僕を包むように、背中から鳥の巣頭の腕が緩やかに回される。
「どうしたの? 寮や生徒会でトラブルでもあったの?」
「何も。ただちょっと、くたびれただけ」
「何かあったら一番に僕に言って。きみは一人で思い悩んでしまう性質だからね」
「じゃあ、しばらく横になって休んでもいいかな?」
胸元で交差されるその手を、きゅっと握り返して鳥の巣頭に向けて首を捻る。
そう、ちょっと疲れているだけだから――。
鳥の巣頭は「もちろん、ゆっくり休んで」と僕を気遣って、すぐに一人にしてくれた。自分は母とお茶を頂いているから、と。車での移動の後ではいつものことで、特に変にも思わなかったようだ。
ほっと安堵の吐息が漏れた。僕も後でお茶に来るように、なんて言われなくて本当に良かった。
僕は脱力し、ベッドに躰を投げだして突っ伏した。
迎えにきてくれたあいつの嬉しそうな顔を見た時も、ここまでの車の中でも、狼の突きつけてきた要求がずっと脳裏にこびりついて離れなかったのだ。
内側から沸々と湧きあがる恐怖が、冷や汗と混じりあい毛穴から滲みでて、悪臭を放ちながら僕にまといつき、僕を苛んでいる。狭い車内で、僕のこの嫌らしい臭いに鳥の巣頭や銀狐が気づくのではないかと、気が気でなかった。
鳥の巣頭には言えない。絶対に!
それなのに、車を降り、我が家を見あげた時に一番に思い浮かんだのが、鳥の巣頭のあの豪奢なカントリーハウスで――。アヌビスや、鳥の巣頭のお父さんに頼めば、これくらいの金額なんとかしてもらえるのではないかという、腐りきった考えだったなんて!
自分のあまりの醜悪さに、吐き気を覚えていた。
この夏季休暇に入るまで、駆けずり廻ってジョイントの注文を取っていたというのに。持ちうる限りのコネを動員して頼んだというのに。
まだまだ、全然足りない!
僕が、梟のように仕切れるはずがないじゃないか!
たとえ特別なサービスをつけたところで、それは無理ってものなのだ。
狼は誤解している。
彼は、梟が急に金回りが良くなって借金を返し姿を消した理由を、ジョイントを僕という付加価値をつけて高額で取引したからだと思っている。
僕ならもっと売上げられるはずだろう、と。
だから――。僕は思いあまって、狼に言ってはならないことを言ってしまったんだ。――大鴉の投資サークルのこと。梟は株の投資で大金を稼いだこと。それに、証券詐欺のことも。
梟がジョイントを売っていたのは、その投資を一緒やっていたOBの連中にだ。僕の見せた大鴉のレポートを、梟がさらに分析して現実の投資に振り替えていたんだ。だからOBの先輩方は梟に高額の手数料を払っていた。
本当に何の考えもなくぺらぺらと喋ってしまっていた。もちろん、その中に僕自身の代金も含まれていたこととか、おそらく梟は、大量に注文したジョイントを狼の知っている顧客には渡さず、転売していただろうということは言わなかったけれど。
「だから僕には、というよりも、エリオット校内ではこれ以上は無理なんです」と僕は狼に懇願した。どうか、解ってくださいと言って。
狼は唇に酷薄な笑みを浮かべて、実に興味深そうに時々頷きながら僕の話を聞いていた。
「それで、その投資レポートというのは?」
精一杯申し訳なさそうな顔をして首を振った。けれど言われるままに、大鴉のレポートを転送していたOBの連絡先を教えてしまった。
もう僕なんかを通さないで、狼が直接彼らにジョイントを売ればいいんだ、とそう思ったからだ。
狼は、まるで紳士のように上品で慈悲深い様子で話を聞いてはくれたけれど、それで売り上げノルマが減ることはなかった。
ただ「夏季休暇を楽しんでおいで」と、見通しをつけるのを、次年度が始まるまで伸ばしてくれただけだった。
それだけでも、僕は胸を撫でおろしていたのだけれど――。
後で冷静になってから気がついたんだ。
狼は、大鴉のレポートのことなんてとっくに知っていたはずだってこと。僕は僕に課せられたノルマから逃げたいばかりに、その記憶をすっかり忘れてしまっていたのだ。
創立祭の日、狼は確かに大鴉を知っていて、彼を興味津々に眺めていたってことを。
だけど、僕はこの時首を捻るだけで、深く考える事をしなかった。
狼が黙って僕の言い訳を聞いていた理由は、狼が本当に欲しかったのは、このエリオットOBの個人情報だったからだ、という事実や、ジョイントを売るよりも、もっとお金になるいいネタを提供してしまっていたことに、僕はその時点では欠片も気づくことはなかった。
そしてもう一つ。僕が狼に渡してしまったのは、OBの個人情報だけではなかったのだ……。
そのことに気がついたのは、もっともっと後になってからだった。
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