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四章
148 七月 卒業セレモニー1
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蒼穹の下
嵐が吹き荒れる
とりどりの花を
風が揺らす
卒業セレモニーの行われる当日は、つきぬけるような青空だった。
鳥の巣頭の部屋に寄って、花屋から届いたばかりのブートニアを彼の胸元に飾る。
ブートニアは、同じ寮の後輩から卒業生に贈られる。贈る側は、同じ学校で、同じ寮で過ごした思い出を偲びつつ、尽きぬ想いを込めて花を選び、感謝の言葉と共に特別な一人に捧げるのがこの学校の伝統だ。
「向日葵にしたんだ。きみの髪色にも似あうし、夏の太陽みたいに明るくて暖かなきみにぴったりだろ?」
「ありがとう、マシュー。嬉しいよ、本当に……」
鳥の巣頭は照れたような、はにかんだ笑みを見せて、僕の頬にキスをくれた。
「マシュー、向日葵の花言葉を知ってる?」
胸元のブートニアを潰さないように気をつけながら、鳥の巣頭は僕の首筋に腕を回し軽く抱きしめ、嬉しそうに囁く。
僕は小首を傾げてこいつを見あげた。
雰囲気だけで選んだのだ。そんなことまで考えたりはしなかった。
「これの花言葉はね、『きみだけを見つめる』だよ、マシュー。この花言葉の通りに、僕はきみだけを見ている。どこにいても、永遠にね」
こつん、と鳥の巣頭は自分の額を僕の額にくっつけた。
「心はいつもきみの傍に」
キスを返して軽く抱きしめる。
「じゃあ、もう行くよ。また後でね」
名残惜しそうに見送るこいつに、僕は笑って手を振った。
「きみの受け持ち、駐車場だったね!」
「会場に行く前に声をかけて」
僕ら生徒会役員は、夕刻からの卒業セレモニーの前に、レセプション会場となる駐車場からほど近いクリケット場に集合だ。
会場にはテントが張られ、卒業を祝うシャンパンとオードブルが卒業生とその保護者に、そしてお世話になった先生方に振舞われる。その準備のためだ。そこで簡単な進行予定と、各役割分担が銀狐から説明された。
僕の役割は、駐車場での卒業生保護者や来賓の自家用車の誘導だ。
銀狐は学校OBに絡まれやすい僕のことを心配して、会場での接待はしなくていいと言ってくれた。クリスマス・コンサートでの事があるからだ。
僕は、今回は卒業生の保護者だけだから大丈夫だよ、と笑って答えた。前年度のレセプションだってトラブルはなかったもの。
「心配なのはOBだけじゃないよ。卒業生も煩く絡んでくるんじゃないかって、危惧しているんだ」
銀狐は仏頂面をして僕を睨む。
「レセプション会場で何ができるっていうんだい?」
僕はくすくす笑ってしまった。
「連絡先を渡してしまったり――。きみ、自覚がないようだけど、あまりに無防備で八方美人なんだもの」
相変わらずの歯に衣着せぬ言いようだ。
僕は吐息を漏らし首をすくめた。
全然そんな気なんてないのに。むしろ、皆みたいに闊達なお喋りができないことを気に病んでいるのに。八方美人だなんて聞いて呆れるよ……。
「そんな暇なんかないって」
いちおう、文句は言っておいた。でも本当は、彼のこの気遣いは嬉しかった。僕はやっぱり、人の沢山集まる場所は苦手だったから。
ともあれ、そんなことで僕は駐車場に回されたって訳だ。
「あ、」
次々と訪れる保護者や来賓に挨拶し、その車を誘導する。そんな中で見かけたその人に、僕は思わず息を呑んでいた。
白い彼だ――。
事前に来賓名簿を見て知っていたとはいえ、僕の胸は緊張でドクンと高鳴っていた。そんな僕がぼんやりしている間に、同じ持ち場の役員たちは車を誘導し、顔を紅潮させて彼の元へ駆け寄っている。
車から降り、彼らと言葉を交わす白い彼の一挙手一投足は、とても上品で惚れ惚れするほど美しい。
記憶の中の白い彼は、いつも別の人を見るような、様々な、忘れられない強烈な印象を僕に刻みつけている。
湧きあがる不思議な動揺に翻弄されながら、初めて彼を見知った時と同じ蒼穹の下、太陽の化身のように佇む彼に只々圧倒され見惚れていた。
白い彼は、彼らと、そして少し離れた場所にぼうっと突っ立っていた僕にも、「暑い中ご苦労様」と労いの言葉をかけてくれた。
彼がレセプション会場へ向かってからも、興奮した僕たちの間で、彼の噂話が尽きることはなかった。
ほどなくして、鳥の巣頭がやってきた。
「ソールスベリー先輩が来賓としていらしているよ」
この報告に、こいつは目を丸め嬉しそうに微笑んだ。鳥の巣頭だって御多分に漏れず、彼のファンなのだ。だから僕は、こいつを驚かせようと思って今まで内緒にしていたんだ。
僕はふふっと笑っていた。だが次の瞬間、駐車場に入ってきた黒塗りのジャガーに目を向けたとたん、全身の血が凍りついていた。
車のウインドウを下げ、狼が運転席から顔を覗かせる。
「そこの巻き毛のきみ! ここの駐車場はもう一杯かい?」
わざわざ鳥の巣頭を指名している。
鳥の巣頭はぐるりと駐車場内を見廻して、空いている場所を指差して見せた。
「あの辺りはまだ空きがありますよ!」
何も知らない鳥の巣頭は呑気な顔で答えている。狼は車を停めると悠然として僕たちに歩み寄る。
「おや、ブートニアをつけているじゃないか。きみは卒業生かい? 卒業おめでとう」
黒いサングラスの下の薄い唇が、笑みを形作る。
「ありがとうございます」
鳥の巣頭は屈託なく微笑んでいる。
狼は親しげに鳥の巣頭の肩を叩き、僕の肩にもぽんと手を置いて「ご苦労様」と唇の片端を持ちあげて告げた。そして酷薄な笑みに「でも、まだまだこれからだね」と言葉を継いで――。
その一瞬に、心臓を掴まれ捩じりあげられた。鼓動が、息苦しいほどバクバクと、脈打っている。小刻みに、膝が震えている。
会場に向かうその背中から目が離せなかった。
「マシュー、」
鳥の巣頭の声に、肩がびくりと跳ねあがる。
「今の人、かっこいい人だね。ドキドキするような迫力があって。――マシュー、どうしたの?」
僕の顔を覗きこんだ瞳が驚いて見開かれ、心配そうに、陰る。
「暑くて……。ずっと、立ちっぱなしだったから」
冷や汗が、流れ落ちる。唇が、震えている。僕を支えようと肩に回された鳥の巣頭の腕が、熱い。
「休んでいるといいよ、マシュー」
すぐさま鳥の巣頭が他の役員に声をかけ、彼らも駆け寄ってきて心配そうに眉を寄せ、口々に木陰に入って休憩を取るようにと言ってくれた。
彼らにお礼を言い、涼しいフェローズの森で少し休ませてもらうことにした。
道路に出て、ついて来ようとする鳥の巣頭に、無理に微笑んで首を振る。
「もうレセプションが始まるよ。きみのご両親も、もうとっくに、会場できみを待たれているよ」
「でも、」
「木陰で少し休めば良くなるから、ね」
そんな泣きそうな顔で僕を見ないで。僕は大丈夫だから。
こいつの腕に添えた僕の掌を握りしめ、鳥の巣頭はそっと唇を押し当てた。
「回復したら会場に来て。駐車場は別の奴を手配してもらうから」
首を横に振ろうと思ったけれど、あまりにも不安を湛えたこいつの瞳に気圧されて、頷いた。
「分かった。少し涼んで、すぐに行くよ」
僕はにっこりと微笑んだけれど、上手く笑えていただろうか?
嵐が吹き荒れる
とりどりの花を
風が揺らす
卒業セレモニーの行われる当日は、つきぬけるような青空だった。
鳥の巣頭の部屋に寄って、花屋から届いたばかりのブートニアを彼の胸元に飾る。
ブートニアは、同じ寮の後輩から卒業生に贈られる。贈る側は、同じ学校で、同じ寮で過ごした思い出を偲びつつ、尽きぬ想いを込めて花を選び、感謝の言葉と共に特別な一人に捧げるのがこの学校の伝統だ。
「向日葵にしたんだ。きみの髪色にも似あうし、夏の太陽みたいに明るくて暖かなきみにぴったりだろ?」
「ありがとう、マシュー。嬉しいよ、本当に……」
鳥の巣頭は照れたような、はにかんだ笑みを見せて、僕の頬にキスをくれた。
「マシュー、向日葵の花言葉を知ってる?」
胸元のブートニアを潰さないように気をつけながら、鳥の巣頭は僕の首筋に腕を回し軽く抱きしめ、嬉しそうに囁く。
僕は小首を傾げてこいつを見あげた。
雰囲気だけで選んだのだ。そんなことまで考えたりはしなかった。
「これの花言葉はね、『きみだけを見つめる』だよ、マシュー。この花言葉の通りに、僕はきみだけを見ている。どこにいても、永遠にね」
こつん、と鳥の巣頭は自分の額を僕の額にくっつけた。
「心はいつもきみの傍に」
キスを返して軽く抱きしめる。
「じゃあ、もう行くよ。また後でね」
名残惜しそうに見送るこいつに、僕は笑って手を振った。
「きみの受け持ち、駐車場だったね!」
「会場に行く前に声をかけて」
僕ら生徒会役員は、夕刻からの卒業セレモニーの前に、レセプション会場となる駐車場からほど近いクリケット場に集合だ。
会場にはテントが張られ、卒業を祝うシャンパンとオードブルが卒業生とその保護者に、そしてお世話になった先生方に振舞われる。その準備のためだ。そこで簡単な進行予定と、各役割分担が銀狐から説明された。
僕の役割は、駐車場での卒業生保護者や来賓の自家用車の誘導だ。
銀狐は学校OBに絡まれやすい僕のことを心配して、会場での接待はしなくていいと言ってくれた。クリスマス・コンサートでの事があるからだ。
僕は、今回は卒業生の保護者だけだから大丈夫だよ、と笑って答えた。前年度のレセプションだってトラブルはなかったもの。
「心配なのはOBだけじゃないよ。卒業生も煩く絡んでくるんじゃないかって、危惧しているんだ」
銀狐は仏頂面をして僕を睨む。
「レセプション会場で何ができるっていうんだい?」
僕はくすくす笑ってしまった。
「連絡先を渡してしまったり――。きみ、自覚がないようだけど、あまりに無防備で八方美人なんだもの」
相変わらずの歯に衣着せぬ言いようだ。
僕は吐息を漏らし首をすくめた。
全然そんな気なんてないのに。むしろ、皆みたいに闊達なお喋りができないことを気に病んでいるのに。八方美人だなんて聞いて呆れるよ……。
「そんな暇なんかないって」
いちおう、文句は言っておいた。でも本当は、彼のこの気遣いは嬉しかった。僕はやっぱり、人の沢山集まる場所は苦手だったから。
ともあれ、そんなことで僕は駐車場に回されたって訳だ。
「あ、」
次々と訪れる保護者や来賓に挨拶し、その車を誘導する。そんな中で見かけたその人に、僕は思わず息を呑んでいた。
白い彼だ――。
事前に来賓名簿を見て知っていたとはいえ、僕の胸は緊張でドクンと高鳴っていた。そんな僕がぼんやりしている間に、同じ持ち場の役員たちは車を誘導し、顔を紅潮させて彼の元へ駆け寄っている。
車から降り、彼らと言葉を交わす白い彼の一挙手一投足は、とても上品で惚れ惚れするほど美しい。
記憶の中の白い彼は、いつも別の人を見るような、様々な、忘れられない強烈な印象を僕に刻みつけている。
湧きあがる不思議な動揺に翻弄されながら、初めて彼を見知った時と同じ蒼穹の下、太陽の化身のように佇む彼に只々圧倒され見惚れていた。
白い彼は、彼らと、そして少し離れた場所にぼうっと突っ立っていた僕にも、「暑い中ご苦労様」と労いの言葉をかけてくれた。
彼がレセプション会場へ向かってからも、興奮した僕たちの間で、彼の噂話が尽きることはなかった。
ほどなくして、鳥の巣頭がやってきた。
「ソールスベリー先輩が来賓としていらしているよ」
この報告に、こいつは目を丸め嬉しそうに微笑んだ。鳥の巣頭だって御多分に漏れず、彼のファンなのだ。だから僕は、こいつを驚かせようと思って今まで内緒にしていたんだ。
僕はふふっと笑っていた。だが次の瞬間、駐車場に入ってきた黒塗りのジャガーに目を向けたとたん、全身の血が凍りついていた。
車のウインドウを下げ、狼が運転席から顔を覗かせる。
「そこの巻き毛のきみ! ここの駐車場はもう一杯かい?」
わざわざ鳥の巣頭を指名している。
鳥の巣頭はぐるりと駐車場内を見廻して、空いている場所を指差して見せた。
「あの辺りはまだ空きがありますよ!」
何も知らない鳥の巣頭は呑気な顔で答えている。狼は車を停めると悠然として僕たちに歩み寄る。
「おや、ブートニアをつけているじゃないか。きみは卒業生かい? 卒業おめでとう」
黒いサングラスの下の薄い唇が、笑みを形作る。
「ありがとうございます」
鳥の巣頭は屈託なく微笑んでいる。
狼は親しげに鳥の巣頭の肩を叩き、僕の肩にもぽんと手を置いて「ご苦労様」と唇の片端を持ちあげて告げた。そして酷薄な笑みに「でも、まだまだこれからだね」と言葉を継いで――。
その一瞬に、心臓を掴まれ捩じりあげられた。鼓動が、息苦しいほどバクバクと、脈打っている。小刻みに、膝が震えている。
会場に向かうその背中から目が離せなかった。
「マシュー、」
鳥の巣頭の声に、肩がびくりと跳ねあがる。
「今の人、かっこいい人だね。ドキドキするような迫力があって。――マシュー、どうしたの?」
僕の顔を覗きこんだ瞳が驚いて見開かれ、心配そうに、陰る。
「暑くて……。ずっと、立ちっぱなしだったから」
冷や汗が、流れ落ちる。唇が、震えている。僕を支えようと肩に回された鳥の巣頭の腕が、熱い。
「休んでいるといいよ、マシュー」
すぐさま鳥の巣頭が他の役員に声をかけ、彼らも駆け寄ってきて心配そうに眉を寄せ、口々に木陰に入って休憩を取るようにと言ってくれた。
彼らにお礼を言い、涼しいフェローズの森で少し休ませてもらうことにした。
道路に出て、ついて来ようとする鳥の巣頭に、無理に微笑んで首を振る。
「もうレセプションが始まるよ。きみのご両親も、もうとっくに、会場できみを待たれているよ」
「でも、」
「木陰で少し休めば良くなるから、ね」
そんな泣きそうな顔で僕を見ないで。僕は大丈夫だから。
こいつの腕に添えた僕の掌を握りしめ、鳥の巣頭はそっと唇を押し当てた。
「回復したら会場に来て。駐車場は別の奴を手配してもらうから」
首を横に振ろうと思ったけれど、あまりにも不安を湛えたこいつの瞳に気圧されて、頷いた。
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