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四章
147 関係性
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やがて全てを腐らせていく
ひと盛りの籠の中の
腐った林檎
それが、僕
あれから毎日のように、ハロッズは生徒会執務室に顔を見せた。
僕は彼に微笑みかけ、けれど決して銀狐の傍を離れなかった。ハロッズは執務室内をうろうろして、仲の良い役員の誰かれと喋り、時間を潰しながら、しきりに僕に秋波を送ってくる。でもその度に、銀狐が何か新しい用事を僕に頼み、僕は素知らぬふりをして頼まれごとに勤しんだ。
僕と直接話せないので、ハロッズはしかたなくボート部の二人組と話をつけて、約束通りジョイントをたくさん買ってくれた。
品物はその二人が狼から受け取り、小分けにしてまずはハロッズに。残りは彼の後継の次期キャプテンに渡すことになった。
卒業セレモニーが近いせいもあり、結局ハロッズと直接話したのはその受け渡しの時、一度きりになった。もちろん、もう前のようにいきなり泣きだすような馬鹿なまねはしなかった。
資料室で以前と同じようにジョイントを渡した。「あなたのおかげで助かりました」と僕は潤んだ瞳でこいつを見あげ、両手でこのごつい大きな手を包みこみ思い切りわざとらしく感謝を捧げる。
こいつが誇らしげに笑い、僕を抱きしめようとしたところで、打ち合わせ通りのノックの音。ボート部の子が僕を呼ぶ。銀狐が急ぎの用だと。ポケットにジョイントが入っているその時に聞く「警察官」の名前は効果絶大だ。
ハロッズは「また今度、ゆっくりとね」と言いながら、あたふたと部屋を出ていった。
ほっ、と安堵のため息をついていた。
背後の棚にもたれかかり、目を瞑って、子爵さまと銀狐に感謝した。
べつに、銀狐に知られたからってすぐに警察沙汰になるなんて、誰も思ってはいない。「警察官」の名に縮みあがるのは、ほとんど条件反射のようなものなのかもしれない。
むしろ銀狐の存在自体が、そのあだ名以上にラグビー部の連中にとって重要なのだ。それは子爵さまが生徒会を辞める前に、生徒会内、ラグビー部内に蔓延していたジョイントを一掃しようとしていたという事実のせいだ。
エリオット校での上下関係、特にラグビー部やボート部みたいな花形部での先輩、後輩の仲は一生続く。子爵さまの意志に反する自分の行為がその親友に知られると、将来の輝かしいエリートコースに影を差す一因になりかねないからだ。
解っているのに、皆、ジョイントが止められない。いや、だからこそ止められないのだろうか――。
皆が皆、子爵さまのような強い意志を持てる訳じゃない。ほとんどが、常に皆の望む理想的なリーダーでいること、期待に応え続けることに必死な、そんな自分に疲れている。ジョイントで日々の鬱憤を晴らしながら、一方で自分は決してこうはなれない銀狐の月光の瞳に照らされ晒されることを恐れて、必死でとり繕っている。
「モーガン先輩」
「ん。今行くよ」
呼ばれて僕は背筋を伸ばした。
この調子で後数人、ボート部の子たちが受け渡ししていた連中や、ハロッズが紹介してくれた連中に挨拶回りしなきゃいけない。
僕のバックには銀狐がいる。そんなふうに思われているのだそうだ。
だからこそ僕は恐れられ、かつそんな連中を安心させている。馬鹿な彼らは、もしジョイントの使用が学校にバレるようなことになっても、僕が次期生徒総監の銀狐に頼んで表沙汰にしたりしない、揉み消してくれる。そんなふうに考えている。――なんて、僕はボート部の子たちに聞くまで思ってもみなかった。
銀狐はそんな愚か者でも、変な融通の利く奴でもない。
僕は笑いだしてしまいそうだったけれど、口の端で微笑するだけに留めておいた。
傍から見ると、それほど不可解なのだ。僕と銀狐の関係は。
あのお堅い銀狐が僕に入れあげている――。と、口さがない連中はかげで噂しているのだそうだ。鳥の巣頭と銀狐、僕を挟んだ三角関係だと、面白可笑しく脚色して、鳥の巣頭が僕を友人に寝取られたと、勝手な憶測で嗤っているそうだ。
僕はそんな噂話に唖然としてしまったけれど、黙って聞き流した。怒るとか、腹が立つとか、そんな思いは湧かなかった。だって、鳥の巣頭の僕への想いが、こんな奴らに理解できる訳がないと分かっていたから。銀狐の高潔さを、こんな奴らは想像すらできないと知っていたから。
僕の大切な二人が、こんなふうに貶められるのは確かに不快だったけれど。それは、僕が関わっているからだと解っているから、僕はこの噂を真摯に受けとめざるを得なかった。
僕という存在のもたらす意味。
腐った僕から漏れでる腐臭。
分かっている。
それでも……。
それでも、僕は、僕に差し伸べられたこの手を放すことができないのだ。
これほどの屈辱を彼らに与えてしまっているというのに!
けれど、もし、きみたちが僕という人間を知ってしまったら――。
僕はいつも、ここで考えることを止めてしまう。怖くて。怖くて、足がすくんでしまうから。
今まで静かに息をひそめてこの身を浸していた深淵が、今は足下に在る。僕はきらきら光る細い細い糸の上。足の下に広がる奈落を見つめる。目を背けることさえできないまま。常闇を。いつの間にか安寧の場所ではなくなっていた、白い煙の造りだす闇。
僕はもう、そこへ戻ることはできない。
「マシュー、ご苦労さま。きみ、急かして申し訳ないけどね、これを頼まれてくれる? 卒業セレモニーの来賓席カードなんだ」
執務室に戻った僕に向けられる銀狐の明るい瞳。僕のことをこれっぽちも疑っていない温かい瞳に、僕は精一杯の笑みで応えた。
「もちろん、お安い御用だよ」と――。
ひと盛りの籠の中の
腐った林檎
それが、僕
あれから毎日のように、ハロッズは生徒会執務室に顔を見せた。
僕は彼に微笑みかけ、けれど決して銀狐の傍を離れなかった。ハロッズは執務室内をうろうろして、仲の良い役員の誰かれと喋り、時間を潰しながら、しきりに僕に秋波を送ってくる。でもその度に、銀狐が何か新しい用事を僕に頼み、僕は素知らぬふりをして頼まれごとに勤しんだ。
僕と直接話せないので、ハロッズはしかたなくボート部の二人組と話をつけて、約束通りジョイントをたくさん買ってくれた。
品物はその二人が狼から受け取り、小分けにしてまずはハロッズに。残りは彼の後継の次期キャプテンに渡すことになった。
卒業セレモニーが近いせいもあり、結局ハロッズと直接話したのはその受け渡しの時、一度きりになった。もちろん、もう前のようにいきなり泣きだすような馬鹿なまねはしなかった。
資料室で以前と同じようにジョイントを渡した。「あなたのおかげで助かりました」と僕は潤んだ瞳でこいつを見あげ、両手でこのごつい大きな手を包みこみ思い切りわざとらしく感謝を捧げる。
こいつが誇らしげに笑い、僕を抱きしめようとしたところで、打ち合わせ通りのノックの音。ボート部の子が僕を呼ぶ。銀狐が急ぎの用だと。ポケットにジョイントが入っているその時に聞く「警察官」の名前は効果絶大だ。
ハロッズは「また今度、ゆっくりとね」と言いながら、あたふたと部屋を出ていった。
ほっ、と安堵のため息をついていた。
背後の棚にもたれかかり、目を瞑って、子爵さまと銀狐に感謝した。
べつに、銀狐に知られたからってすぐに警察沙汰になるなんて、誰も思ってはいない。「警察官」の名に縮みあがるのは、ほとんど条件反射のようなものなのかもしれない。
むしろ銀狐の存在自体が、そのあだ名以上にラグビー部の連中にとって重要なのだ。それは子爵さまが生徒会を辞める前に、生徒会内、ラグビー部内に蔓延していたジョイントを一掃しようとしていたという事実のせいだ。
エリオット校での上下関係、特にラグビー部やボート部みたいな花形部での先輩、後輩の仲は一生続く。子爵さまの意志に反する自分の行為がその親友に知られると、将来の輝かしいエリートコースに影を差す一因になりかねないからだ。
解っているのに、皆、ジョイントが止められない。いや、だからこそ止められないのだろうか――。
皆が皆、子爵さまのような強い意志を持てる訳じゃない。ほとんどが、常に皆の望む理想的なリーダーでいること、期待に応え続けることに必死な、そんな自分に疲れている。ジョイントで日々の鬱憤を晴らしながら、一方で自分は決してこうはなれない銀狐の月光の瞳に照らされ晒されることを恐れて、必死でとり繕っている。
「モーガン先輩」
「ん。今行くよ」
呼ばれて僕は背筋を伸ばした。
この調子で後数人、ボート部の子たちが受け渡ししていた連中や、ハロッズが紹介してくれた連中に挨拶回りしなきゃいけない。
僕のバックには銀狐がいる。そんなふうに思われているのだそうだ。
だからこそ僕は恐れられ、かつそんな連中を安心させている。馬鹿な彼らは、もしジョイントの使用が学校にバレるようなことになっても、僕が次期生徒総監の銀狐に頼んで表沙汰にしたりしない、揉み消してくれる。そんなふうに考えている。――なんて、僕はボート部の子たちに聞くまで思ってもみなかった。
銀狐はそんな愚か者でも、変な融通の利く奴でもない。
僕は笑いだしてしまいそうだったけれど、口の端で微笑するだけに留めておいた。
傍から見ると、それほど不可解なのだ。僕と銀狐の関係は。
あのお堅い銀狐が僕に入れあげている――。と、口さがない連中はかげで噂しているのだそうだ。鳥の巣頭と銀狐、僕を挟んだ三角関係だと、面白可笑しく脚色して、鳥の巣頭が僕を友人に寝取られたと、勝手な憶測で嗤っているそうだ。
僕はそんな噂話に唖然としてしまったけれど、黙って聞き流した。怒るとか、腹が立つとか、そんな思いは湧かなかった。だって、鳥の巣頭の僕への想いが、こんな奴らに理解できる訳がないと分かっていたから。銀狐の高潔さを、こんな奴らは想像すらできないと知っていたから。
僕の大切な二人が、こんなふうに貶められるのは確かに不快だったけれど。それは、僕が関わっているからだと解っているから、僕はこの噂を真摯に受けとめざるを得なかった。
僕という存在のもたらす意味。
腐った僕から漏れでる腐臭。
分かっている。
それでも……。
それでも、僕は、僕に差し伸べられたこの手を放すことができないのだ。
これほどの屈辱を彼らに与えてしまっているというのに!
けれど、もし、きみたちが僕という人間を知ってしまったら――。
僕はいつも、ここで考えることを止めてしまう。怖くて。怖くて、足がすくんでしまうから。
今まで静かに息をひそめてこの身を浸していた深淵が、今は足下に在る。僕はきらきら光る細い細い糸の上。足の下に広がる奈落を見つめる。目を背けることさえできないまま。常闇を。いつの間にか安寧の場所ではなくなっていた、白い煙の造りだす闇。
僕はもう、そこへ戻ることはできない。
「マシュー、ご苦労さま。きみ、急かして申し訳ないけどね、これを頼まれてくれる? 卒業セレモニーの来賓席カードなんだ」
執務室に戻った僕に向けられる銀狐の明るい瞳。僕のことをこれっぽちも疑っていない温かい瞳に、僕は精一杯の笑みで応えた。
「もちろん、お安い御用だよ」と――。
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