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四章
144 約束のキス
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夜の囁きは戯れ言
嘘と本当が
交じり合う
その晩は、久しぶりに鳥の巣頭と夜を過ごした。
「無理しないで」
鳥の巣頭は心配そうに時々僕を見ていたけれど、僕はちっとも無理なんかしていない。
「僕がきみに触れるのは、嫌じゃない、マシュー?」
「どうしてそんなことを訊くの?」
意味が解らない。
こいつの巻き毛をかき上げて、不安げに揺らめく瞳を覗きこんだ。
「きみの大きな掌は、僕を安心させてくれる。温かくて、優しくて決して僕を凍えさせたりしないよ」
僕がそう告げると、こいつははにかんで「良かった」と微笑んだ。
「今はそれで充分だよ。ゆっくりでいいんだ、マシュー。僕は待つから」
そう言って僕を抱きしめるこいつは、やはりどこか淋しそうで。僕にはそれがなぜだか解らない。こいつの言うことの意味も、正直良く解らない。
「解らなくていい。僕の気持ちなんて、考えなくていい。だから、ね、マシュー。考えるのは止めて。少しでいいんだ。僕を感じて。きみを愛している僕を感じて、マシュー。お願い――」
僕に囁きかけるこいつの声は、切羽詰っているような、声になりきらない掠れた心そのままで、僕はなぜだか背中がぞくりと泡立っていた。
「きみが好きだよ、マシュー」
もうその言葉しか喋れなくなってしまったように、鳥の巣頭は何度も、何度も繰り返した。まるで呪文のように。僕を柔らかな羽で包んで何も見えず、何も聞こえなくなる魔法をかけるように。何も考えられなくなった僕の中で、この声だけが木霊するんだ「好きだよ」「好きだよ、マシュー」って――。
鳥の巣頭は以前とは変わった。
どこか淋しげで、虚ろで、はっきりしない。
僕がそう言うと、「きみと離れ離れになるのが辛いんだ」と、僕を抱きしめる腕に力をこめる。
でも、そんなんじゃない気がする。
僕のせいでこいつは酷く傷ついている。それだけは解る。それだけは確かだ。それでも、こいつは僕を好きだと言う。自分を傷つけるだけの存在でしかない僕を、好きだと言うんだ。
僕にはそんなこいつが解らない。巨大な虚空を抱きしめているみたいだ。以前は僕に向かってぶつけられていた感情の渦も、ぎざぎざした迷いも何もなくて、空っぽのこいつが、「愛している」と言って僕を呑みこもうとする。でも呑みこまれてしまっても、そこにはこいつはいないんだ。
そんなこいつを抱きしめていると、僕は不安でたまらなくなる。
「卒業しても、きみは僕の傍にいてくれる?」
「大学に通うようになってからも、僕に逢いにきてくれる?」
「きみがいないと、きっと僕は上手く息ができなくなってしまうよ」
僕がそんなことを言う度に、こいつは「もちろんだよ」とか、「約束する」とか、「きみがいないと駄目なのは僕の方だよ」と言った。僕はその度に、「証を立てて」とキスをせがんだ。
鳥の巣頭は僕の言うままにキスをくれた。優しいキスを。
いくつも、いくつも約束をさせて、その度にキスを貰った。赤い花弁は約束の印。きみと僕の誓いの証。そうやって、約束のキスで全身を染め、東の空が白む頃、僕たちはやっと眠りに落ちた。
お昼過ぎて顔をだした僕を見て、銀狐は意味深な瞳でくすりと笑ったけれど、特に何も言わなかった。
薄情な鳥の巣頭は、自分は普段通りにさっさと起きて、銀狐の横で澄ました顔でお茶を飲んでいた。でも不貞腐れている僕を見ると申し訳なさそうに照れ笑いして、「きみは疲れているみたいだったから……」なんて言っている。
銀狐は素知らぬ振りで、難しそうな本を読んでいる。
僕は一人だけ遅れて昼食を取った。あまり食欲がなかったので、軽めのサンドイッチにしてもらった。
僕たちはなんとなく、その日は一日涼しい風の通りぬける、日当たりの良いテラスでのんびりと過ごした。気が向いた時だけお喋りして。でも、その緩やかに流れる時間のほとんどを、銀狐は持参したノートパソコンに向かい、鳥の巣頭は試験の結果発表を待たずして、入学前準備の課題図書を読みふけっていた。
僕はそんな二人を邪魔するのも申し訳なくて、ぼんやりと庭を眺めたり、スマートフォンをいじったりしていた。
空は晴れわたっていたし、テラスから見渡せる幾何学模様に刈りこまれた庭木の緑は生き生きと輝いていたし、鳥の巣頭はなんだかすっきりとした顔をしていて、時々、僕を見つめてにっこりしてくれていたので、僕はいろんなことを、今、考えるのが嫌だったのだ。
できることなら先延ばしにしたい。考えたくない。忘れてしまえるなら――。
こんな時、僕の色は、ふっ、と消える。
そうなのかな、って気がする。鳥の巣頭はそんな僕のわずかな変化を見逃さない。
鳥の巣頭が僕を見ている。不安そうに瞳を揺らして。
僕は立ちあがって声をかけた。
「庭を散歩してくるよ。向こうのノットガーデンの方へは行ったことがないんだ」
「案内するよ」
「僕は遠慮しておく。いってらっしゃい」
鳥の巣頭は本を閉じて立ちあがり、銀狐は微笑して小さく手を振った。
僕はもう、鳥の巣頭に心配をかけてはいけない。こいつはもうすぐ僕の傍からいなくなる。自分で決めた自分の道を歩くために――。もう僕のことなんかで、こいつを煩わせてはいけないんだ。
テラス階段から庭におり、綺麗に刈りこまれた生垣の間の細い砂利道を歩きながら、鳥の巣頭はそっと僕の手を取った。僕が指を絡ませてこいつの手を握り返すと、こいつはちょっとはにかんで、嬉しそうににっこりした。
嘘と本当が
交じり合う
その晩は、久しぶりに鳥の巣頭と夜を過ごした。
「無理しないで」
鳥の巣頭は心配そうに時々僕を見ていたけれど、僕はちっとも無理なんかしていない。
「僕がきみに触れるのは、嫌じゃない、マシュー?」
「どうしてそんなことを訊くの?」
意味が解らない。
こいつの巻き毛をかき上げて、不安げに揺らめく瞳を覗きこんだ。
「きみの大きな掌は、僕を安心させてくれる。温かくて、優しくて決して僕を凍えさせたりしないよ」
僕がそう告げると、こいつははにかんで「良かった」と微笑んだ。
「今はそれで充分だよ。ゆっくりでいいんだ、マシュー。僕は待つから」
そう言って僕を抱きしめるこいつは、やはりどこか淋しそうで。僕にはそれがなぜだか解らない。こいつの言うことの意味も、正直良く解らない。
「解らなくていい。僕の気持ちなんて、考えなくていい。だから、ね、マシュー。考えるのは止めて。少しでいいんだ。僕を感じて。きみを愛している僕を感じて、マシュー。お願い――」
僕に囁きかけるこいつの声は、切羽詰っているような、声になりきらない掠れた心そのままで、僕はなぜだか背中がぞくりと泡立っていた。
「きみが好きだよ、マシュー」
もうその言葉しか喋れなくなってしまったように、鳥の巣頭は何度も、何度も繰り返した。まるで呪文のように。僕を柔らかな羽で包んで何も見えず、何も聞こえなくなる魔法をかけるように。何も考えられなくなった僕の中で、この声だけが木霊するんだ「好きだよ」「好きだよ、マシュー」って――。
鳥の巣頭は以前とは変わった。
どこか淋しげで、虚ろで、はっきりしない。
僕がそう言うと、「きみと離れ離れになるのが辛いんだ」と、僕を抱きしめる腕に力をこめる。
でも、そんなんじゃない気がする。
僕のせいでこいつは酷く傷ついている。それだけは解る。それだけは確かだ。それでも、こいつは僕を好きだと言う。自分を傷つけるだけの存在でしかない僕を、好きだと言うんだ。
僕にはそんなこいつが解らない。巨大な虚空を抱きしめているみたいだ。以前は僕に向かってぶつけられていた感情の渦も、ぎざぎざした迷いも何もなくて、空っぽのこいつが、「愛している」と言って僕を呑みこもうとする。でも呑みこまれてしまっても、そこにはこいつはいないんだ。
そんなこいつを抱きしめていると、僕は不安でたまらなくなる。
「卒業しても、きみは僕の傍にいてくれる?」
「大学に通うようになってからも、僕に逢いにきてくれる?」
「きみがいないと、きっと僕は上手く息ができなくなってしまうよ」
僕がそんなことを言う度に、こいつは「もちろんだよ」とか、「約束する」とか、「きみがいないと駄目なのは僕の方だよ」と言った。僕はその度に、「証を立てて」とキスをせがんだ。
鳥の巣頭は僕の言うままにキスをくれた。優しいキスを。
いくつも、いくつも約束をさせて、その度にキスを貰った。赤い花弁は約束の印。きみと僕の誓いの証。そうやって、約束のキスで全身を染め、東の空が白む頃、僕たちはやっと眠りに落ちた。
お昼過ぎて顔をだした僕を見て、銀狐は意味深な瞳でくすりと笑ったけれど、特に何も言わなかった。
薄情な鳥の巣頭は、自分は普段通りにさっさと起きて、銀狐の横で澄ました顔でお茶を飲んでいた。でも不貞腐れている僕を見ると申し訳なさそうに照れ笑いして、「きみは疲れているみたいだったから……」なんて言っている。
銀狐は素知らぬ振りで、難しそうな本を読んでいる。
僕は一人だけ遅れて昼食を取った。あまり食欲がなかったので、軽めのサンドイッチにしてもらった。
僕たちはなんとなく、その日は一日涼しい風の通りぬける、日当たりの良いテラスでのんびりと過ごした。気が向いた時だけお喋りして。でも、その緩やかに流れる時間のほとんどを、銀狐は持参したノートパソコンに向かい、鳥の巣頭は試験の結果発表を待たずして、入学前準備の課題図書を読みふけっていた。
僕はそんな二人を邪魔するのも申し訳なくて、ぼんやりと庭を眺めたり、スマートフォンをいじったりしていた。
空は晴れわたっていたし、テラスから見渡せる幾何学模様に刈りこまれた庭木の緑は生き生きと輝いていたし、鳥の巣頭はなんだかすっきりとした顔をしていて、時々、僕を見つめてにっこりしてくれていたので、僕はいろんなことを、今、考えるのが嫌だったのだ。
できることなら先延ばしにしたい。考えたくない。忘れてしまえるなら――。
こんな時、僕の色は、ふっ、と消える。
そうなのかな、って気がする。鳥の巣頭はそんな僕のわずかな変化を見逃さない。
鳥の巣頭が僕を見ている。不安そうに瞳を揺らして。
僕は立ちあがって声をかけた。
「庭を散歩してくるよ。向こうのノットガーデンの方へは行ったことがないんだ」
「案内するよ」
「僕は遠慮しておく。いってらっしゃい」
鳥の巣頭は本を閉じて立ちあがり、銀狐は微笑して小さく手を振った。
僕はもう、鳥の巣頭に心配をかけてはいけない。こいつはもうすぐ僕の傍からいなくなる。自分で決めた自分の道を歩くために――。もう僕のことなんかで、こいつを煩わせてはいけないんだ。
テラス階段から庭におり、綺麗に刈りこまれた生垣の間の細い砂利道を歩きながら、鳥の巣頭はそっと僕の手を取った。僕が指を絡ませてこいつの手を握り返すと、こいつはちょっとはにかんで、嬉しそうににっこりした。
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