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四章
141 梟の手帳2
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ほどける意図が
つなぐ糸は
だまし絵の文色
銀狐はその日の内に梟の手帳をエクセルにデータ入力し終えて、印刷してくれた。持つべきものは優秀な友人だ。
もっとも、彼が丁寧に教えてくれた帳簿の読み方が解ったことで、ますます落ちこんでしまったけれど。
見やすく整理された売上データを月別に目を通し終えると、自室のベッドに腰かけたまま、やり切れない思いでぼんやりと視線を宙に彷徨わせていた。
このジョイントの販売記録は、僕が退院し、学校に戻った辺りから始まっていた。
初めの頃のジョイントの仕入れ本数は、極端に多いとはいえない。販売価格も一定。だけど、子爵さまは梟に大金を支払っていた。数字が合わない。梟は僕に、子爵さまへの請求は、彼と僕の吸ったジョイントの代金だと言ったのに。
それから、僕がジョイントの受け渡しをするようになってからの仕入れ量の多さ――。
運動部の連中に渡していた数、あの部屋に来ていたOBの連中へ渡していた数を思い起こしても、多過ぎる。多分、販売価格も、ここに記されているものの二、三倍は高く売っていたはずだ。僕という付加価値がついていたのだから……。
梟は、この帳簿にある値段と実際に受け取ったお金の差額分で、さらにジョイントを買っていたんだ。多分、そのジョイントを持って行方をくらましたんだ。密輸するため? それとも、狼に知られては困る大口顧客がいたのだろうか……。
梟にものの見事に騙されていたという現実は、今さらだ。驚くことでもない。それよりも彼のこの手法の尻拭いが、がっつりと僕の両肩に伸しかかっていることの方が問題だ。
今まで漠然と考えていたようなやり方では、狼を満足させるだけの売上なんて期待できない事がよく解った。数をさばくか、値段を思い切り高くして売るか――。
梟ならともかく、僕にそんな事ができるのだろうか?
暗澹たる気分で考えこんでいると、鳥の巣頭が僕の面を覗きこんできた。僕はノックの音にすら、気がつかなかったらしい。上目遣いで見あげてちょっと小首を傾げると、こいつは嬉しそうににっこりと笑った。
「何?」
何かいい事でもあったのかな、と訊ねると、「良かったね」とこいつは上機嫌で僕の横に腰をおろした。
「何が?」
僕は真顔で問い返した。だって最悪な気分の僕に、良い事なんて何も思いつかなかったから。
「その帳簿だよ。お父さまに頼まれたって言っていただろ? 知らなかったよ。そんなふうに頼ってもらえるほど、ご両親との関係は改善していたんだね」
――僕は、上手く微笑めているだろうか?
「あ、うん、以前からたまに頼まれたりしていたんだ。ほら、僕の特技なんてこんな事くらいで――」
嘘じゃないよ。あの白い箱に入れられるまではね。
「本当に良かったよ、ご両親とも、きみの事をずっと心配しておられたんだから。きみがオックスフォードのスクールに参加していた時だって、何度もきみの様子をこっそり見にきておられたんだよ」
鳥の巣頭は、両手でぎゅっと僕の手を握りしめた。
「内緒にしておいてくれ、っておっしゃっられていたんだけどね。きみとの関係がそこまで修復されているのなら、もう隠さなくてもいいよね」
そう言って僕の掌を持ちあげ、キスをくれた。でも、視線をあげて僕の面を見るなり、とたんに表情を曇らせる。
「怒っているの?」
「いつから?」
僕は答えずに顔を逸らし、逆に尋ね返した。
「きみが退院して、イースター休暇の時からずっとだよ」
「何度も? オックスフォードに行くたびに?」
「ケネスもきみのご両親にお会いしているんだよ。きみが懸命に頑張っていることもお話して――。ご両親とも、とても喜んでおられた」
俯いたまま奥歯を噛みしめていた僕の手を、鳥の巣頭はさらに強く、痛いほど握りしめた。
「マシュー、」
信じられなかった。
あの両親が――。
僕が帰宅することすら嫌がるあの二人が――。
そんなもの、鳥の巣頭の家に僕のことを丸投げにしているあいつらが、体良く体裁を整えるために決まっている。
僕の顔をまともに見られない母に、声すらかけようとしない父が、陰から僕を見ていたなんて、そんなことがあるはずがない。
「マシュー、今度の夏期休暇は、オックスフォードのスクールが始まるまで、きみの家ですごそう」
応えない僕を抱きしめ、鳥の巣頭は僕の髪に口づけた。こいつの母親がしたみたいに――。
「マシュー、これをきみに読んで欲しくて。口ではどうしても上手く伝えられないから手紙を書いたんだ」
鳥の巣頭は床に跪いて、俯いた僕の顔を覗きあげるように見あげると、ジャケットのポケットから取りだした白い封書を僕の蒼白い手に握らせた。
それにぼんやりと目を落とし、わざわざ手紙なんて、と不可解な思いでこいつに視線を戻した。ぼやけた僕の視界の中で、現実感のない鳥の巣頭が朧に微笑んでいる。
「僕は部屋に戻っている。それ、長いからさ。ごめんよ、上手く伝わらないかもしれないけれど」
はにかんだような、でもどこか引きつった不自然な笑みを浮かべ、鳥の巣頭はもう一度僕を軽く抱きしめてから、この部屋を後にした。
パタン、とドアの閉まる音が響く。
僕は頭の整理ができないまま、その分厚い手紙の封を切った。
つなぐ糸は
だまし絵の文色
銀狐はその日の内に梟の手帳をエクセルにデータ入力し終えて、印刷してくれた。持つべきものは優秀な友人だ。
もっとも、彼が丁寧に教えてくれた帳簿の読み方が解ったことで、ますます落ちこんでしまったけれど。
見やすく整理された売上データを月別に目を通し終えると、自室のベッドに腰かけたまま、やり切れない思いでぼんやりと視線を宙に彷徨わせていた。
このジョイントの販売記録は、僕が退院し、学校に戻った辺りから始まっていた。
初めの頃のジョイントの仕入れ本数は、極端に多いとはいえない。販売価格も一定。だけど、子爵さまは梟に大金を支払っていた。数字が合わない。梟は僕に、子爵さまへの請求は、彼と僕の吸ったジョイントの代金だと言ったのに。
それから、僕がジョイントの受け渡しをするようになってからの仕入れ量の多さ――。
運動部の連中に渡していた数、あの部屋に来ていたOBの連中へ渡していた数を思い起こしても、多過ぎる。多分、販売価格も、ここに記されているものの二、三倍は高く売っていたはずだ。僕という付加価値がついていたのだから……。
梟は、この帳簿にある値段と実際に受け取ったお金の差額分で、さらにジョイントを買っていたんだ。多分、そのジョイントを持って行方をくらましたんだ。密輸するため? それとも、狼に知られては困る大口顧客がいたのだろうか……。
梟にものの見事に騙されていたという現実は、今さらだ。驚くことでもない。それよりも彼のこの手法の尻拭いが、がっつりと僕の両肩に伸しかかっていることの方が問題だ。
今まで漠然と考えていたようなやり方では、狼を満足させるだけの売上なんて期待できない事がよく解った。数をさばくか、値段を思い切り高くして売るか――。
梟ならともかく、僕にそんな事ができるのだろうか?
暗澹たる気分で考えこんでいると、鳥の巣頭が僕の面を覗きこんできた。僕はノックの音にすら、気がつかなかったらしい。上目遣いで見あげてちょっと小首を傾げると、こいつは嬉しそうににっこりと笑った。
「何?」
何かいい事でもあったのかな、と訊ねると、「良かったね」とこいつは上機嫌で僕の横に腰をおろした。
「何が?」
僕は真顔で問い返した。だって最悪な気分の僕に、良い事なんて何も思いつかなかったから。
「その帳簿だよ。お父さまに頼まれたって言っていただろ? 知らなかったよ。そんなふうに頼ってもらえるほど、ご両親との関係は改善していたんだね」
――僕は、上手く微笑めているだろうか?
「あ、うん、以前からたまに頼まれたりしていたんだ。ほら、僕の特技なんてこんな事くらいで――」
嘘じゃないよ。あの白い箱に入れられるまではね。
「本当に良かったよ、ご両親とも、きみの事をずっと心配しておられたんだから。きみがオックスフォードのスクールに参加していた時だって、何度もきみの様子をこっそり見にきておられたんだよ」
鳥の巣頭は、両手でぎゅっと僕の手を握りしめた。
「内緒にしておいてくれ、っておっしゃっられていたんだけどね。きみとの関係がそこまで修復されているのなら、もう隠さなくてもいいよね」
そう言って僕の掌を持ちあげ、キスをくれた。でも、視線をあげて僕の面を見るなり、とたんに表情を曇らせる。
「怒っているの?」
「いつから?」
僕は答えずに顔を逸らし、逆に尋ね返した。
「きみが退院して、イースター休暇の時からずっとだよ」
「何度も? オックスフォードに行くたびに?」
「ケネスもきみのご両親にお会いしているんだよ。きみが懸命に頑張っていることもお話して――。ご両親とも、とても喜んでおられた」
俯いたまま奥歯を噛みしめていた僕の手を、鳥の巣頭はさらに強く、痛いほど握りしめた。
「マシュー、」
信じられなかった。
あの両親が――。
僕が帰宅することすら嫌がるあの二人が――。
そんなもの、鳥の巣頭の家に僕のことを丸投げにしているあいつらが、体良く体裁を整えるために決まっている。
僕の顔をまともに見られない母に、声すらかけようとしない父が、陰から僕を見ていたなんて、そんなことがあるはずがない。
「マシュー、今度の夏期休暇は、オックスフォードのスクールが始まるまで、きみの家ですごそう」
応えない僕を抱きしめ、鳥の巣頭は僕の髪に口づけた。こいつの母親がしたみたいに――。
「マシュー、これをきみに読んで欲しくて。口ではどうしても上手く伝えられないから手紙を書いたんだ」
鳥の巣頭は床に跪いて、俯いた僕の顔を覗きあげるように見あげると、ジャケットのポケットから取りだした白い封書を僕の蒼白い手に握らせた。
それにぼんやりと目を落とし、わざわざ手紙なんて、と不可解な思いでこいつに視線を戻した。ぼやけた僕の視界の中で、現実感のない鳥の巣頭が朧に微笑んでいる。
「僕は部屋に戻っている。それ、長いからさ。ごめんよ、上手く伝わらないかもしれないけれど」
はにかんだような、でもどこか引きつった不自然な笑みを浮かべ、鳥の巣頭はもう一度僕を軽く抱きしめてから、この部屋を後にした。
パタン、とドアの閉まる音が響く。
僕は頭の整理ができないまま、その分厚い手紙の封を切った。
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