微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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四章

138 真相

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 天使のはしごを昇ろうよ
 急いで
 消えてしまわない内に



 鳥の巣頭とすごす最後のハーフタームは、銀狐も一緒だ。車での長距離移動は彼には負担なので、何度も休憩を挟みながらの行程となった。
 僕も昨日のラグビー大会の疲れが、というよりも、あの紳士面した狼との会合での精神疲労が残っていたからその方が助かった。

 銀狐がいてくれて本当に良かった。
 彼がいると鳥の巣頭とのぎくしゃくした空気もずっとマシになるし、何よりも目に見えてあいつが楽そうになる。何を思い悩んでいるのか知らないけれど、ずっと重苦しい空気を醸しているあいつと狭い車内にいるのは、僕だって疲れるんだ。


 長い道のりも半ばをすぎた頃、鳥の巣頭と銀狐が、僕には判らない次年度の生徒会規約の改訂について話したそうにしているのに気づき、僕は眠たいから、と会話から外れた。そして、寝たふりをしながら昨日の狼との会話を振り返っていた。


 マクドウェルのあの灰色の瞳は冷酷で容赦がない、映画で見るようなマフィアそのものだ。それなのに彼の所作も、言うことも、いかにも気遣いに慣れたエリオット出身のエリートのようで、僕はかなり混乱していた。

 要は僕が考えていたのと同じ、今まで通りでいいんだ。各運動部のキャプテンにジョイントを渡す。それだけだ。僕がすることは、今年度中に各キャプテンに後継者を紹介してもらい、顔を繋いでおくこと。そして、ボート部の二人に上手く引継ぎすること。
 狼には、時々僕が見廻って、注文する量が減ったりしないように声をかけてくれればいい、と言われたけれど。
 それってやはり、特別なサービスをして顧客が逃げないように繋ぎ留めておけって意味なのだろうか……。

 言葉通りに受け取っていいものかどうかが判らない。

 ここまで考えると気分が悪くなってしまい、僕は目を開け、車窓から流れるのどかな風景に視線を漂わせた。


 なだらかに広がる丘陵地を、車は走りぬけている。
 どんよりと空を覆っている灰色の雲が切れ、間から漏れる幾筋もの光が、眩しいまでの緑を浮かび上がらせる。

「天使のはしごだ」

 僕が目を開けていることに気づいた鳥の巣頭は、銀狐との会話を途切らせ、嬉しそうに歓声をあげるとそっと僕の手を握った。

「綺麗だね」

 僕は応えて目を細め、空に続く光の階段に感嘆の吐息を漏らす。けれど、ふと鳥の巣頭の隣にいる銀狐に目を遣ると、彼は景色などどうでもいいとばかりに、厳しい、考えこんでいるような顔をしていた。

「何か生徒会の引継ぎで問題でもあるの?」

 僕はいつもなら判らない話には首を突っ込まないようにしているのだけれど、彼があまりにも深刻な顔をしていたので思わず訊ねてしまった。聴いたところで役には立てないのに……。

「え?」

 僕の問いかけすら耳に入っていないようなので、鳥の巣頭が彼を肘で突いたらしい。銀狐は、やっと僕たちに顔を向けてちょっと首を傾げた。

「次の村で休憩しようか?」
「脚が痛むの?」
 鳥の巣頭は眉を寄せて身を屈め、銀狐の脚をトラウザーズの上から確かめるように掴んでいる。
「車を停めて一回外に出るかい?」
「ああ、まだ大丈夫だよ」

 遠慮しているわけでもなさそうなので、僕たちはこのまま牧草地をつき進み、じきに見えてきた小さな村のパブで休憩を取ることにした。


 車から降りると銀狐は両手を頭上で組んで、大きく伸びをした。そして、にっと僕に笑いかけた。

 鳥の巣頭が店内に注文をしに行き、パブの前庭に並べられたテーブル席に着くと、銀狐は内緒話をするように僕に顔をよせる。

「きみ、あの話聴いた? 銀ボタンくんの……」
「あ、うん。次年度も彼に決まったって、」

 僕もそのことを銀狐に訊ねようと思っていたのだ。

「彼の功績からすれば当然だよ。それより、証券詐欺の話」

 やっぱりあの話、何かあるんだ。

 僕は生唾を呑みこみ、軽く頷いて続きを待った。


 と、「お待たせ」とばかりに、鳥の巣頭が大きなグラスに入ったピムスを、ベンチテーブルにドンッと音を立てて置いた。
 グラスいっぱいにつめ込まれた輪切りのオレンジに苺、それに薄切りの胡瓜とミントが炭酸レモネードで割られた薄紅色のピムスリキュールの海でひしめき合っている。

「もうじきに着くし、少しくらいアルコールが入っても大丈夫だよね?」と、鳥の巣頭が僕を見るので、「もちろん」と僕は微笑ってストローを咥えた。

 何より喉が渇いていたしね。銀狐との会話が途切れてしまったのは残念だったけれど――。


 ところが一息つくと、銀狐は鳥の巣頭の前だというのに、さっきの話の続きを始めた。僕はびっくりしてしまって、その動揺を悟られないように、グラスの縁に飾りつけられていた苺を慌てて口に放りこんだ。

「それでね、校長先生が詐欺にあった被害者に頼みこんで、被害届を取り下げてもらったっていうんだよ」

 鳥の巣頭もその話は先に聴いていたのか、渋い顔をして頷いている。

「被害届を取り下げるって、そんなことできるの?」
「校長先生のポケットマネーでいくらか損失を補填してお願いしたって、もっぱらの噂」
「だって、被害額は何十万ポンドにもなるんだろ?」

 僕はとても信じられず、唖然として銀狐を見つめていた。

「もちろん、被害額に比べればわずかな金額に違いないよ。でも、犯人が捕まったところで、失ったお金が戻ってくる保障はないからね」

 ため息をつく銀狐に同意するように、鳥の巣頭も言葉を継いだ。

「犯人うんぬんより、学内の内部情報が漏れて悪用されたことの方が学校にとっては問題なんだよ。だからもう何人も被害が出ているのに、保護者にも、OBにも、弁明も、注意勧告も何も出していないだろ」


 鳥の巣頭は皮肉げに唇の端を歪めたまま椅子を引き、「そろそろ行こうか」と話しを切り上げた。銀狐が僕の肩を叩いて、「心配ないよ。本当に銀ボタンくんは関係ないからね」と耳許で囁いてくれた。


 いったい、どうなっているのだろう?

 鳥の巣頭の家に着くまで、今度は頭の中をこのことで占領されてしまっていた。
 被害届が下げられたってことは、もし仮に梟がこの事件にかかわっていたとしても捕まることはないって、そういうことだろうか?

 きゅっと唇をひき結び、小さく頭を振る。

 梟がこんな事件にかかわってなどいるものか。問題は大鴉だ。
 大鴉の名前を騙って学校の関係者ばかりが狙いうちされた事実を、学校のスキャンダルだからって、揉み消したことだ……。

「汚い――」

 車窓から景色を見ているふりをしたまま、小さく声に出して呟いていた。

 そんなの、学校側の都合じゃないか!
 地に堕とされた大鴉の名誉はどうなるんだ!



 厚い雲に覆われた灰色の空の下、精彩を欠いた牧草地の流れるガラス窓に、消化できない鬱憤に歪む僕の顔と、不安気に僕の背を見つめる鳥の巣頭が隣りあって映っていた。




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