微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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四章

134 創立祭5

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 飛び交う数字・記号・符号
 僕には読めない
 きみの言語




 だが銀狐は溜息をひとつ吐くと、梟と大鴉から話題を逸らした。僕にも関係があるから? 僕が梟に大鴉の金融レポートを見せたことが何か問題だったのだろうか? どう切り出したものか、と迷っているような彼を直視することができず、ちらちらと伺いながら彼が話始めるのを待つしかない。

「きみ、知っているかな? 父の勤める重大不正捜査局SFOはね、主に経済犯罪を専門に取り扱う捜査機関なんだ」
 銀狐の静かな口調に、僕はおもむろに頷いた。

 普通の犯罪は地域ごと管轄の警察が取り締まるが、複雑な専門知識が必要な金融犯罪は、重大不正捜査局SFOか、ロンドン市警察内の英国詐欺情報局NFIBが担当する。
 以前、大鴉がロンドン市警に逮捕される噂が流れた時に、どうしてスコットランド・ヤードじゃなくて市警なんだろう、と気になって調べたんだ。

「ここ最近、といっても、銀ボタンくんの投資サークルが発足されてからなんだけれどね、エリオット校生の父兄やОBを狙った大規模な金融詐欺が横行しているんだ。被害総額は百万ポンドに満たないから、本来SFOの管轄ではないのだけど、そこはほら、僕がいるからね。在校生の父兄ということで校長先生直々の依頼なんだよ」

 やっぱり、金融詐欺――。大鴉が? そんなのって……。

 僕は泣きだしてしまいそうな自分の心を抑えるために、きゅっと唇を噛んだ。

「まったく、銀ボタンくんの秀逸なレポートを利用して、彼の名前を騙った証券詐欺だなんて。胸糞悪いよ!」

 いつもの銀狐にあるまじき汚い言葉使いに、僕は驚いてぽかんと彼を見つめた。銀狐はそんな僕をちらと見ると、ちょっと後悔したのか恥ずかしそうな素振りで視線を逸らす。

「名前を騙ったって?」
 これだけではどう判断していいのか判らず、鸚鵡返しに呟いた。

「ボイラールーム詐欺に似た手法でね、銀ボタンくんの投資サークルの会員ではないのに、友人や知り合いから彼の金融レポートを回してもらって読んでいたエリオット関係者に突然電話がかかってくるんだ。そこで倒産寸前の会社の株をね、レポートには載せていない銀ボタンくんの特別推奨銘柄だといって売りつけるんだよ」

 銀狐は本当に悔しそうに顔をしかめている。僕はそれを聞いてほっとしながらも、「本当に彼はその――、犯罪には関係ないの?」と念を押して訊ねた。
 あの薬物中毒のチューターの顔が浮かんだからだ。ああいう普通じゃない奴こそ、大鴉を利用するために、彼に近づいているのかもしれないのだ。

「あの子ね、英国株は一切扱わないんだ。投資レポートも、アメリカ株、日本株、それに商品先物についてだけなんだよ」

 僕は彼のサークルに登録して、レポートを携帯で受け取ってはいたけれど、中身はほとんど目を通していない。いくら大鴉の書いたものといっても、僕には難解すぎたもの。訳の解らない経済用語に涙がでそうだった。
 銀狐はそんな僕の思いを知ってか知らずか、表情を緩めてにっと微笑んだ。

「彼は無関係だよ。だからよけいに腹が立つんだ」

 それは僕も同じ。

 銀狐が彼の悪い噂をまったく信じていなくて、そして、彼のために憤慨していることが嬉しかった。鳥の巣頭ですら同情するほど、大鴉の現状は悲惨だったから。いくらカレッジ寮が彼を庇ったところで、周囲の冷たい視線はそれ以前と大差ない。
 天使くんが本国から戻って、この酷い噂も少しは収まるかと思いきや、天使くんは大鴉に騙された被害者扱いで、大鴉はますます悪者のようにいわれているのだ。

 銀狐の言葉に安堵しながらも、なぜ彼が梟の名をだしたのかが気になってたまらない。だから振り出しに戻り、僕の方から蒸し返した。

「それで彼のレポートと、マイルズ先輩はどう関係があるの?」
「きみ、先輩にレポートの件を話したの?」

 銀狐は、もう一度同じ質問を繰り返した。僕は正直に頷いた。大鴉が犯罪に無関係なのなら、べつに言ってもかまわないかなって思ったんだ。

「やっぱり、そっちのルートなのかな――。この証券詐欺の被害者ね、やたらボート部出身者に集中しているんだ。それも現役ではなくてОBばかり。そしてそのОB繋がりの現役生の父兄。マイルズ先輩が関わっているかどうかは判らないけれど、ボート部の名簿から狙われているんじゃないかと思ってね」

 まさか梟が――!

 大鴉がひき起こしたと言われるより、梟の方がよほど信憑性がある。今度こそ本当に音を立てて血の気が引いた。歯の根が合わずカタカタと音を立てる。慌てて動揺する自分を押さえつけようと、両手で頬を覆っていた。

 そんな僕を見て、銀狐は同情するように僕の腕にそっと手を添えた。

「マイルズ先輩が直接この詐欺事件に関わっている、って言っているんじゃないよ。銀ボタンくんの投資レポートは異常な速さで学校外にまで拡散されていたからね。悪用する奴が出てきても不思議じゃない。先輩のことを聞いたのは、ボート部からの類推に過ぎないよ」

 嘘だ!
 銀狐は梟を疑っているに決まっている。

 僕は唇をへの字に曲げて、彼を睨めつけた。

「それにマイルズ先輩は、きみの話じゃもう国内にはいないんだろ? きみが最後に彼に逢った時にはオックスフォード大学も中退してしまっていたしね。詐欺事件はその後も継続して報告されていたし、おそらく組織犯罪だ。いくら悪党でも、一介の学生にすぎない彼に起こせるような事件じゃないよ」

 銀狐は、梟を疑っていないと言っているのに、僕はなんだか梟のことを馬鹿にされたような気がして腹が立った。梟は賢いんだ。そんなすぐにバレるような詐欺になんて、手をだすはずがないじゃないか!

 梟を疑う気持ちと、そんな馬鹿な真似をするはずがない、という相反するごちゃごちゃの、ボコボコと沸騰する想いで煮えくり返っていた。そして、どちらにせよ、彼はもうここにはいないのだ――、という寂寞にまで襲われて――。あのチューターのことを銀狐に話すのも、マクドウェルのことも、僕が本当に考えなければいけないこと全て、忘れてしまっていたのだ――。


 

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