微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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四章

133 創立祭4

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 花を撒こう
 美しい葬列に
 昨日の僕を
 埋葬しに




 手にしたオールをボートに垂直に立て、麦藁帽子ストローハットを色鮮やかな生花で飾った漕ぎ手たちが順番に立ちあがる。貴賓席に掲げられる国旗に敬礼し、帽子を脱いで飾りの花を川面に散らす。
 とりどりの花が、流れに揺れ、揺蕩いながら、ボートを守るように、讃えるように流れていく。

 僕らの寮のユニフォームは、紺のジャケットに赤のストライプのシャツ、赤のネクタイ。それに白のトラウザーズ。
 鳥の巣頭は帽子を取りながら、僕を見つけてにっこりと笑った。とても誇らしげに。嬉しそうに。

 毎年、一艘か二艘はバランスを崩してひっくり返るボートがあるという。今日は雨も降って川も増水し、流れもきつい。そんなよそ見なんかしていないで――。



 川縁の土手にシートを敷いて、僕たちは今日のメインイベントの、この美しいボートの儀式を見守っていた。僕は心配でどきどきしながら。そんな僕の横で銀狐はにこにこと。通りすぎていくあいつに手を振りながら。

「大丈夫だよ、そんなに心配しなくても。彼はボート部だよ。これくらい慣れたものさ」

 背後で演奏されている吹奏楽隊に負けないように、銀狐は声を高めて話している。

 頭では解っているのだけれど、実際に目の前を流れるテムズ川の灰色の濁流を目にすると、僕までもが押し流されてしまいそうに目眩がするのだ。あの川面に散る花弁のように、翻弄され、巻き込まれ、呑み下されていく気さえする。
 鳥の巣頭のボートが流れに沿って進み、別の寮の儀礼が眼前を通過して行く段になっても、ゆらゆらとした不安定さは収まらない。でも、そんなことを銀狐に言うと笑われてしまいそうだから、つい曖昧な笑みを浮かべていた。


「そう言えば、きみのご両親は? きみを探しておられるんじゃないの?」
 昼食時、銀狐の家族もきているようなことを言っていたのを思いだした。鳥の巣頭のボートはかなり下ってしまい、ここからではもう見えない。他寮のボートには特に興味もなかったので、僕はもう川面から目を逸らしていた。

「いいんだよ、放っておいて。忙しくされているしね。今頃先生方と話しこんでいらっしゃるんじゃないかな」
「きみのお父さまも、ここの出身なの?」

 先生方、と聴いて真っ先に思い浮かんだのは、子息である銀狐の話題ではなく、僕の父のように旧友や顔見知りがいらっしゃるのか、という推察だ。
「違うよ。父はウイスタン出身だ。今日、父が引っ張りだこな理由はね、」

 銀狐は言葉を切って、意味深な素振りで僕を見た。低く落とした声を吹奏楽にかき消されないよう、僕の耳許に口を寄せる。

「銀ボタンくんのせい。父は、重大不正捜査局SFOに勤務しているからね」
「それって――」

 やはり大鴉の金融レポートは犯罪に抵触するのか、と僕は血の気が引く思いで呟いた。

「来て。気になるだろ。教えてあげるよ」

 銀狐が立ちあがったので、僕は急いで敷いていたシートを畳み、彼の後に続いた。



 銀狐は儀式を観覧する人々でいっぱいの土手から離れ、クリケット場へ向かった。ボートの儀式が終わると、今度はクリケットのOB対抗戦が始まる。

「午前中の雨が嘘のように晴れたね」

  あんなふうに僕の気を引く言い方をしておいて、銀狐はもう素知らぬ顔をしている。僕は唇を尖らせて軽く彼を睨んでやった。

「それで、どういうことだって?」
「ああ、あれね。別に彼のせいって訳でもないのだけどね」

 銀狐は顔をしかめて軽く頭を振ると、溜息を漏らした。いつもなら、彼はこんなふうに前言を翻したり、曖昧な言い方をしたりしない。僕は彼の不可解な口調が気になって仕方がない。黙ったまま、銀狐の次の言葉を待ってじっとその口許を見つめていると、彼は困ったように首を傾けた。

「きみにそんなふうに見つめられると、なんだか照れ臭いよ」

 僕は唇を尖らせて、ぷいと顔を背けた。なんだか揶揄われているような気がした。僕は大鴉のことが心配なだけなのに。
 それに、あのチューターのことも気にかかる。銀狐に安易なことは言えないけれど、あいつは絶対に普通じゃない。それに、マクドウェルが大鴉を気にかけていたんだ。なぜだかは判らないけれど――。
 カレッジ寮に友人の多い銀狐に、大鴉の身辺をもっと気をつけてあげて、って頼もうと思っていたのに。なんだか言いだしにくくなってしまった。


 銀狐は、まだ誰もいない生徒会用テントのベンチに腰を下ろすと、「きみ、マイルズ先輩に銀ボタンくんの投資レポートの話をした?」と、今度こそ率直にいつもの彼らしく尋ねた。

 彼の質問の意図が見えなくて、僕は俯き加減だった面から、そっと訝しむ瞳で彼を見あげていた。




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