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四章
129 戻ってきた天使
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光に跳ねるきみには
影がないと
僕は勝手に信じていた
天使くんが帰ってきた。
最後に彼を見たのは携帯の画面の中、大鴉と笑いあっていたクリスマスの画像だ。あれからもう半年になる。
戻ってから、天使くんが一人でいるところを見たことがない。常に友人と一緒だ。だけど、その輪の中に大鴉はいない。全体朝礼で天使くんを見かけた時なんて、彼の視線はずっと誰かを探して彷徨っている。そしてその瞳は、大鴉の背中を見つけると確かにほっとして緩むのに、決して声をかけることも、以前のように傍に寄ることもない。
切なげに大鴉を目で追うだけの彼を見ていると、僕まで胸が苦しくなる。以前はあんなに彼が大鴉に接近するのが、嫌で嫌で仕方がなかったのに。
僕にはやはり天使くんは特別な存在で、分身のような親近感があるのかも知れない。同じ、白い彼の影だから――。僕と同じく、大鴉に囚われているから――。
けれど僕にはない綺麗な翼が、天使くんの背にはある。
腐った僕が絶対に傍に寄ることができない大鴉の横に、僕の代わりにいてほしい――、そんな歪んだ願いを僕は持っている。兄である白い彼に似た天使くんの面差しに、僕の面差しを重ねている。その面を、大鴉に見つめてほしい――、と。
大鴉のあの噂が立つまではいつも一緒にいた連中は、掌を返したようにいなくなった。
でもその中で、ずっと以前から彼と親しかった連中だけは、彼とすれ違う時、悔しそうに唇を噛んで顔を伏せる。
大鴉に裏切られたと思っているのだろうか?
大鴉の方は、かつての友人たちに一瞥もくれない。真っ直ぐ前に進むだけだ。とはいえ、大鴉はカレッジ寮の上級生に守られて、以前のように通りすがりに嫌味を言われたりすることはぐっと減った。僕はかなり安堵している。
今季のカレッジ寮の寮長は鳥の巣頭の友人で、子爵さまや銀狐の親友でもある。白い彼と同じプレップ出身で白い彼を尊敬しているし、白い彼は大鴉の後見人でもあるから、特別、大鴉には目をかけている、と鳥の巣頭が言っていた。「何といっても、去年のことがあるからね」とため息混じりで。
前年度のエリオット校サイバー攻撃事件は、この学校の五百年に渡る歴史に刻まれる大事件だもの。
結局あの事件は、ウイルスの感染源が本当に大鴉の携帯だったかどうかも特定されないまま、うやむやの内に終わった。その携帯を直接触っていた子爵さまや鳥の巣頭たちにしてみれば、間違いないのだそうだが。
鳥の巣頭にしてみれば、大鴉は顔も見たくない疫病神、というところか。
カレッジ寮の対応で落ち着いてきたとは言え、噂がすっかり収まった訳ではない。あんな噂なんて僕は信じていなかったけれど、下手したら放校、という鳥の巣頭の言葉が耳について離れなかった。
僕は、生徒会執務室に篭るよりも、カフェテリアで休憩することが多くなった。だって執務室では、示し合わせてでもいるように、大鴉に関する話題を口にしないのだ。噂話を聞くにはカフェテリアが一番だ。
壁と一枚張りの窓ガラスの角になるテーブル席を選んで座った。テーブル一つ飛ばした場所に、天使くんとその友人がいたのだ。大鴉の話題が聴けるかも知れない。
鳥の巣頭が、紅茶とサンドイッチをトレイに載せて運んできてくれた。夕方の自習時間を潰して創立祭の打ち合わせがあるため、僕たちは、先に軽い夕食も取っておくことにしたのだ。
ちょうど食べ始めた頃、大鴉がカレッジ寮長ともう一人、スーツの上に黒のローブを羽織った男に連れられてやってきた。ローブを羽織っているのなら教員のはず。だが、新しい教員の話は聞いていない。
「あれ、誰?」
生徒会に連絡があるはずなのに――。
その男と、大鴉の親しげな様子に心がざわざわと波立ち始めている。
「ああ、あの人はね……、」
鳥の巣頭が不愉快そうに眉をひそめる。
「カレッジ寮の臨時雇いの学習補助教員なんだけどね、」
鳥の巣頭の小声で吐き捨てるような言い方が不可解だった。僕の耳許にぐいと顔を寄せ、続けて告げられた言葉に僕は呆気に取られ吹きだしてしまった。
「デキてるって? 冗談だろ?」
「どうだか」
だがその言葉の真意を確かめる間もなく、鳥の巣頭はカレッジ寮長と他の監督生に呼ばれ立ちあがって行ってしまった。
眼前に座っていたあいつの席がぽっかりと空き、僕に背を向けて座る大鴉とスーツの男、金髪でべっ甲縁の眼鏡をかけた若いチューターの姿がよく見えた。
額にかかる金髪を気障な仕草でかき上げる、いかにもエリート然とした男だ。
「何、あれ、ヨシノじゃないみたいだ」
ふっと、そんな言葉が耳を掠めた。僕は足を組み替えながら、そっと天使くんたちのテーブルを盗み見た。
「そうなんだよ。ヨシノ、ノース先生が来てから変なんだ」
天使くんの向かいに座る子が、ふくれっ面をして答えている。ちらちらと大鴉の方を見ながら、不満丸出しの顔をしている。
二人とも内緒話をするように声をひそめていたので、全部は聞き取れなかったけれど、あの新しいチューターが来てから、大鴉の様子がおかしいこと、彼らはあのチューターを嫌っていることくらいは解った。
僕の席からは、大鴉の顔は見えない。だが、初めは和やかな笑みを湛えていたあのチューターの表情は、段々と緊張にひき締まり、厳しさを増していた。
「ごめん、ごめん」
鳥の巣頭が戻って来て、代わりにその背後から大鴉が立ちあがった。カレッジ寮長はテーブルには着かずに大鴉を伴ってカフェテリアを後にした。鳥の巣頭が邪魔で、あのチューターの顔が見えない。
僕の不機嫌な視線に鳥の巣頭は直ぐに気づいて、後ろを振り返った。身体を捻ったこいつ越しのあの男は、不満そうに、眉間に皺を寄せていた。
影がないと
僕は勝手に信じていた
天使くんが帰ってきた。
最後に彼を見たのは携帯の画面の中、大鴉と笑いあっていたクリスマスの画像だ。あれからもう半年になる。
戻ってから、天使くんが一人でいるところを見たことがない。常に友人と一緒だ。だけど、その輪の中に大鴉はいない。全体朝礼で天使くんを見かけた時なんて、彼の視線はずっと誰かを探して彷徨っている。そしてその瞳は、大鴉の背中を見つけると確かにほっとして緩むのに、決して声をかけることも、以前のように傍に寄ることもない。
切なげに大鴉を目で追うだけの彼を見ていると、僕まで胸が苦しくなる。以前はあんなに彼が大鴉に接近するのが、嫌で嫌で仕方がなかったのに。
僕にはやはり天使くんは特別な存在で、分身のような親近感があるのかも知れない。同じ、白い彼の影だから――。僕と同じく、大鴉に囚われているから――。
けれど僕にはない綺麗な翼が、天使くんの背にはある。
腐った僕が絶対に傍に寄ることができない大鴉の横に、僕の代わりにいてほしい――、そんな歪んだ願いを僕は持っている。兄である白い彼に似た天使くんの面差しに、僕の面差しを重ねている。その面を、大鴉に見つめてほしい――、と。
大鴉のあの噂が立つまではいつも一緒にいた連中は、掌を返したようにいなくなった。
でもその中で、ずっと以前から彼と親しかった連中だけは、彼とすれ違う時、悔しそうに唇を噛んで顔を伏せる。
大鴉に裏切られたと思っているのだろうか?
大鴉の方は、かつての友人たちに一瞥もくれない。真っ直ぐ前に進むだけだ。とはいえ、大鴉はカレッジ寮の上級生に守られて、以前のように通りすがりに嫌味を言われたりすることはぐっと減った。僕はかなり安堵している。
今季のカレッジ寮の寮長は鳥の巣頭の友人で、子爵さまや銀狐の親友でもある。白い彼と同じプレップ出身で白い彼を尊敬しているし、白い彼は大鴉の後見人でもあるから、特別、大鴉には目をかけている、と鳥の巣頭が言っていた。「何といっても、去年のことがあるからね」とため息混じりで。
前年度のエリオット校サイバー攻撃事件は、この学校の五百年に渡る歴史に刻まれる大事件だもの。
結局あの事件は、ウイルスの感染源が本当に大鴉の携帯だったかどうかも特定されないまま、うやむやの内に終わった。その携帯を直接触っていた子爵さまや鳥の巣頭たちにしてみれば、間違いないのだそうだが。
鳥の巣頭にしてみれば、大鴉は顔も見たくない疫病神、というところか。
カレッジ寮の対応で落ち着いてきたとは言え、噂がすっかり収まった訳ではない。あんな噂なんて僕は信じていなかったけれど、下手したら放校、という鳥の巣頭の言葉が耳について離れなかった。
僕は、生徒会執務室に篭るよりも、カフェテリアで休憩することが多くなった。だって執務室では、示し合わせてでもいるように、大鴉に関する話題を口にしないのだ。噂話を聞くにはカフェテリアが一番だ。
壁と一枚張りの窓ガラスの角になるテーブル席を選んで座った。テーブル一つ飛ばした場所に、天使くんとその友人がいたのだ。大鴉の話題が聴けるかも知れない。
鳥の巣頭が、紅茶とサンドイッチをトレイに載せて運んできてくれた。夕方の自習時間を潰して創立祭の打ち合わせがあるため、僕たちは、先に軽い夕食も取っておくことにしたのだ。
ちょうど食べ始めた頃、大鴉がカレッジ寮長ともう一人、スーツの上に黒のローブを羽織った男に連れられてやってきた。ローブを羽織っているのなら教員のはず。だが、新しい教員の話は聞いていない。
「あれ、誰?」
生徒会に連絡があるはずなのに――。
その男と、大鴉の親しげな様子に心がざわざわと波立ち始めている。
「ああ、あの人はね……、」
鳥の巣頭が不愉快そうに眉をひそめる。
「カレッジ寮の臨時雇いの学習補助教員なんだけどね、」
鳥の巣頭の小声で吐き捨てるような言い方が不可解だった。僕の耳許にぐいと顔を寄せ、続けて告げられた言葉に僕は呆気に取られ吹きだしてしまった。
「デキてるって? 冗談だろ?」
「どうだか」
だがその言葉の真意を確かめる間もなく、鳥の巣頭はカレッジ寮長と他の監督生に呼ばれ立ちあがって行ってしまった。
眼前に座っていたあいつの席がぽっかりと空き、僕に背を向けて座る大鴉とスーツの男、金髪でべっ甲縁の眼鏡をかけた若いチューターの姿がよく見えた。
額にかかる金髪を気障な仕草でかき上げる、いかにもエリート然とした男だ。
「何、あれ、ヨシノじゃないみたいだ」
ふっと、そんな言葉が耳を掠めた。僕は足を組み替えながら、そっと天使くんたちのテーブルを盗み見た。
「そうなんだよ。ヨシノ、ノース先生が来てから変なんだ」
天使くんの向かいに座る子が、ふくれっ面をして答えている。ちらちらと大鴉の方を見ながら、不満丸出しの顔をしている。
二人とも内緒話をするように声をひそめていたので、全部は聞き取れなかったけれど、あの新しいチューターが来てから、大鴉の様子がおかしいこと、彼らはあのチューターを嫌っていることくらいは解った。
僕の席からは、大鴉の顔は見えない。だが、初めは和やかな笑みを湛えていたあのチューターの表情は、段々と緊張にひき締まり、厳しさを増していた。
「ごめん、ごめん」
鳥の巣頭が戻って来て、代わりにその背後から大鴉が立ちあがった。カレッジ寮長はテーブルには着かずに大鴉を伴ってカフェテリアを後にした。鳥の巣頭が邪魔で、あのチューターの顔が見えない。
僕の不機嫌な視線に鳥の巣頭は直ぐに気づいて、後ろを振り返った。身体を捻ったこいつ越しのあの男は、不満そうに、眉間に皺を寄せていた。
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