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四章
122 植物園2
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僕の世界と
きみの世界が
すれ違う
瞬間
銀狐は僕をベンチに横たわらせ膝を貸してくれた。
僕は断った。けれど、右脚なら平気だからと、かまわず僕の頭を持ちあげて膝に載せてくれた。
すぐ具合が悪くなるくせに――。
でも、鳥の巣頭がいるから。マッサージしてもらえるなら大丈夫かな、と僕はされるがままに従った。それにちょっとだけ、彼に甘えたかったんだ。
銀狐の冷たい指先が、乱れた髪を整えてくれる。強張っている腕や、背中をほぐすように摩ってくれる。
僕は少しづつ緊張を解いて、ゆっくりと呼吸できるようになっていた。
「どうしてきみは、セディを名前で呼ばなかったの」
僕が落ち着いたのを見計らって、銀狐は子爵さまの話をまた持ちだした。でも、僕を責めているわけではないのは口調で解った。純粋に不思議だから知りたい、そんな静かな声音だったもの。
「親しい仲じゃなかったから。僕はあの人が買った、ただのラブドールにすぎないもの」
「そんな下卑た言い方はやめてくれよ。少なくとも、セディはきみのことを真面目に想っていたのに。彼に失礼だよ」
「そんなはずないよ。僕は単なるソールスベリー先輩の身代わりだったんだよ?」
先輩の名前に、銀狐は一瞬息を呑んだような気がした。
僕は横たわったまま、川向こうに茂る緑の葉を揺する風のさやさやとした戯れを眺めていた。
こんなふうに子爵さまのことを話していることが自分でも不思議なくらい、凪いだ気分だった。
「だって、彼、初めてのとき、僕を先輩の名前で呼んだんだ。そんな人を、恋人みたいに名前で呼ぶことなんてできないよ。そんなの辛いじゃないか」
「初めてのときって?」
訝しそうに眉根を寄せた銀狐は本当に意味が解らないみたいで、僕はくすくす笑いだしてしまった。銀狐はぷんと唇を尖らせる。
「初めて僕を抱いてイったとき」
みるみる赤くなっていく彼を見て、僕は笑いすぎて咳きこんでしまったよ。可笑しくて涙が滲んでくる。
銀狐はそんな僕を見て、恥ずかしそうにぷいっと顔を逸らした。
「――きっかけは、先輩だったのかもしれないけど。セディはきみのことが、本当に好きだったんだよ」
そっぽを向いたまま、銀狐は呟いた。
「でもきみは、きっちりと線を引いてしまって心を開いてくれなかったって。きみの心には、別の誰かがいるのだろうって嘆いていた」
笑いはもう収まっていたから、僕はまた、川向こうの木立に視線を戻した。さっきまで陰っていた空から陽が射して、木漏れ日がきらきらと踊っている。
「快楽に溺れていただけだよ」
僕の返答に、銀狐は深くため息を吐いた。
「きみは子爵さまとはどういう関係なの? 同じプレップ出身なのは聴いたけど。それだけ? ずいぶん仲がいいんだね、学年も違うのに」
「僕とセディとベンは、家ぐるみのつきあいでね。幼馴染だよ。あ、ベンっていうのは、ベンジャミン・ハロルド、今季の監督生代表兼カレッジ寮長だよ」
「子爵さまと一緒に生徒会を辞任した人だね」
大鴉のお目付役だった人だ。大鴉とあの赤毛の子を争っていた――。今もしょっちゅう大鴉と一緒にいるところを見かける。投資サークルにも参加している人だ。
「カレッジ寮が懐かしい?」
「そうだね。でも、いいんだ。グリフレット寮に移ったのは僕の希望だからね」
寝返りを打って、まじまじと銀狐を見あげた。
「自分で奨学生を降りたってこと?」
「留年は決まっていたけれど、それで寮を追いだされたわけではないよ」
エリオットでの最高の権威である黒のローブを自ら脱ぐなんて!
僕が信じられない思いで彼を凝視していたせいか、銀狐はちょっと恥ずかしそうにふふっと笑った。
「カレッジ寮にはね、何年か前にきみと同じような子がいたんだよ」
銀狐は僕から目を逸らして、独り言のように呟いた。
「上級生の先輩方にいいようにされて、酷い暴行を受けて病院に運びこまれてそのまま退学してしまった」
聴いたことがある……。
「マイルズ先輩と同じプレップの、田舎の寄宿学校出身の子だった。その子は、キングスリー先輩の大切な友人だったんだよ」
やっぱり、梟の言っていた子だ――。梟が好きだった子……。
「その事件の主犯はマーレイ。知っているだろ? ソールスベリー先輩に向かって発砲して捕まった彼だよ。記者会見中の、一部始終中継されていて大騒ぎになった例の事件の」
僕は黙って頷いた。テレビ画面の中ではなく、個人的に百足男のことは知っていたから。
「ビショップが、彼の派閥だった」
それも知っている。
銀狐は僕に話しているのか、自分自身に向かって話しているのかよく判らなかった。
「マイルズ先輩まであんな悪しき慣習を踏襲しているなんて、信じられなかった。惨いめにあって学校を辞めていった子は、マイルズ先輩を慕っていたんだ。寮は違っていたけれど、ちょうど今のきみとジョナスのような関係だったと思っていたから」
鳥の巣頭……?
あいつと梟との共通点なんて見いだせない。だいたい銀狐は、僕と鳥の巣頭をどんな関係だと思っているのだろう?
「きみは、キングスリー先輩があの日、まともに歩けないほどに殴られていて、あの場所で事故に遭ったんだってこと、知ってる?」
僕の身体が、びくりと強ばったことに、銀狐は気づいただろうか?
「僕は、先輩をそんな目にあわせた奴らを見つけだすために、カレッジ寮を出たんだよ。先輩はグリフレット寮を探っていたんだ。歴代のラグビー部のキャプテンを輩出してきたあの寮をね。あの寮が、エリオットに無法を蔓延らせた元凶なんだ」
きみの世界が
すれ違う
瞬間
銀狐は僕をベンチに横たわらせ膝を貸してくれた。
僕は断った。けれど、右脚なら平気だからと、かまわず僕の頭を持ちあげて膝に載せてくれた。
すぐ具合が悪くなるくせに――。
でも、鳥の巣頭がいるから。マッサージしてもらえるなら大丈夫かな、と僕はされるがままに従った。それにちょっとだけ、彼に甘えたかったんだ。
銀狐の冷たい指先が、乱れた髪を整えてくれる。強張っている腕や、背中をほぐすように摩ってくれる。
僕は少しづつ緊張を解いて、ゆっくりと呼吸できるようになっていた。
「どうしてきみは、セディを名前で呼ばなかったの」
僕が落ち着いたのを見計らって、銀狐は子爵さまの話をまた持ちだした。でも、僕を責めているわけではないのは口調で解った。純粋に不思議だから知りたい、そんな静かな声音だったもの。
「親しい仲じゃなかったから。僕はあの人が買った、ただのラブドールにすぎないもの」
「そんな下卑た言い方はやめてくれよ。少なくとも、セディはきみのことを真面目に想っていたのに。彼に失礼だよ」
「そんなはずないよ。僕は単なるソールスベリー先輩の身代わりだったんだよ?」
先輩の名前に、銀狐は一瞬息を呑んだような気がした。
僕は横たわったまま、川向こうに茂る緑の葉を揺する風のさやさやとした戯れを眺めていた。
こんなふうに子爵さまのことを話していることが自分でも不思議なくらい、凪いだ気分だった。
「だって、彼、初めてのとき、僕を先輩の名前で呼んだんだ。そんな人を、恋人みたいに名前で呼ぶことなんてできないよ。そんなの辛いじゃないか」
「初めてのときって?」
訝しそうに眉根を寄せた銀狐は本当に意味が解らないみたいで、僕はくすくす笑いだしてしまった。銀狐はぷんと唇を尖らせる。
「初めて僕を抱いてイったとき」
みるみる赤くなっていく彼を見て、僕は笑いすぎて咳きこんでしまったよ。可笑しくて涙が滲んでくる。
銀狐はそんな僕を見て、恥ずかしそうにぷいっと顔を逸らした。
「――きっかけは、先輩だったのかもしれないけど。セディはきみのことが、本当に好きだったんだよ」
そっぽを向いたまま、銀狐は呟いた。
「でもきみは、きっちりと線を引いてしまって心を開いてくれなかったって。きみの心には、別の誰かがいるのだろうって嘆いていた」
笑いはもう収まっていたから、僕はまた、川向こうの木立に視線を戻した。さっきまで陰っていた空から陽が射して、木漏れ日がきらきらと踊っている。
「快楽に溺れていただけだよ」
僕の返答に、銀狐は深くため息を吐いた。
「きみは子爵さまとはどういう関係なの? 同じプレップ出身なのは聴いたけど。それだけ? ずいぶん仲がいいんだね、学年も違うのに」
「僕とセディとベンは、家ぐるみのつきあいでね。幼馴染だよ。あ、ベンっていうのは、ベンジャミン・ハロルド、今季の監督生代表兼カレッジ寮長だよ」
「子爵さまと一緒に生徒会を辞任した人だね」
大鴉のお目付役だった人だ。大鴉とあの赤毛の子を争っていた――。今もしょっちゅう大鴉と一緒にいるところを見かける。投資サークルにも参加している人だ。
「カレッジ寮が懐かしい?」
「そうだね。でも、いいんだ。グリフレット寮に移ったのは僕の希望だからね」
寝返りを打って、まじまじと銀狐を見あげた。
「自分で奨学生を降りたってこと?」
「留年は決まっていたけれど、それで寮を追いだされたわけではないよ」
エリオットでの最高の権威である黒のローブを自ら脱ぐなんて!
僕が信じられない思いで彼を凝視していたせいか、銀狐はちょっと恥ずかしそうにふふっと笑った。
「カレッジ寮にはね、何年か前にきみと同じような子がいたんだよ」
銀狐は僕から目を逸らして、独り言のように呟いた。
「上級生の先輩方にいいようにされて、酷い暴行を受けて病院に運びこまれてそのまま退学してしまった」
聴いたことがある……。
「マイルズ先輩と同じプレップの、田舎の寄宿学校出身の子だった。その子は、キングスリー先輩の大切な友人だったんだよ」
やっぱり、梟の言っていた子だ――。梟が好きだった子……。
「その事件の主犯はマーレイ。知っているだろ? ソールスベリー先輩に向かって発砲して捕まった彼だよ。記者会見中の、一部始終中継されていて大騒ぎになった例の事件の」
僕は黙って頷いた。テレビ画面の中ではなく、個人的に百足男のことは知っていたから。
「ビショップが、彼の派閥だった」
それも知っている。
銀狐は僕に話しているのか、自分自身に向かって話しているのかよく判らなかった。
「マイルズ先輩まであんな悪しき慣習を踏襲しているなんて、信じられなかった。惨いめにあって学校を辞めていった子は、マイルズ先輩を慕っていたんだ。寮は違っていたけれど、ちょうど今のきみとジョナスのような関係だったと思っていたから」
鳥の巣頭……?
あいつと梟との共通点なんて見いだせない。だいたい銀狐は、僕と鳥の巣頭をどんな関係だと思っているのだろう?
「きみは、キングスリー先輩があの日、まともに歩けないほどに殴られていて、あの場所で事故に遭ったんだってこと、知ってる?」
僕の身体が、びくりと強ばったことに、銀狐は気づいただろうか?
「僕は、先輩をそんな目にあわせた奴らを見つけだすために、カレッジ寮を出たんだよ。先輩はグリフレット寮を探っていたんだ。歴代のラグビー部のキャプテンを輩出してきたあの寮をね。あの寮が、エリオットに無法を蔓延らせた元凶なんだ」
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