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四章
121 植物園1
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割れた鏡をつなぎ合わせても
映るのは
歪んだ残像
カレッジ・スクールの間中、僕と鳥の巣頭は何事もなかったようにすごした。当たり前のようにこいつは僕の部屋に泊まったし、僕が「眠れない」と言うと、申し訳なさそうな顔をして僕を抱いた。いつものように僕を疲れさせ温めてくれた。違うのは、それがこいつにとって、とても辛そうだってことだけだ。
僕はどうすればいいのだろう?
全てを知っていると思っていた鳥の巣頭が、銀狐以上に何も知らなかったなんて、僕だって思いもつかなかった。そしてそのことが、こんなにも尾を引くなんて想定外もいいところだ。
スクールの日程も半分まで消化した頃、鳥の巣頭とはうまく講義が重ならない合間をぬって、銀狐をお茶に誘った。近場のカフェでも良かったのだけど、銀狐はいつもの散歩に出かけたいと言うので、僕たちはゆっくりと歩いてチャ―ウェル川沿いの植物園に入った。
緑に溢れる園内に流れる爽やかな風に、銀狐は嬉しそうに顔を突きだし頬を晒す。これは彼の癖なのだ。いつも、風に乗りたい、また大空を飛翔したい、と夢みる彼のそんな仕草を見るたびに、僕は胸がきゅっとなる。なんだか何も言えなくなって、俯いて彼の横をただ歩いていた。
しばらくして、銀狐は小川に向き合ったベンチを指差して立ち止まった。
「休憩しようか」
僕たちはベンチに腰を下ろした。
ゆったりとした静かな流れを、何げなく眺めていた。
空っぽのはずの僕から、何かが溶けだし流れだす。静寂の中で、ささやかなせせらぎに溶けて混ざりこむ僕を、ぼんやりと見つめた。
鳥の飛び立つ羽音に、びくりと顔を上げた。
隣にいる銀狐を見遣ると、彼は、僕と同じように黙って川を眺めていた。でも、物思いに耽っているというよりも、僕が話し始めるのを待ってくれているみたいだ。
思い切って、銀狐に訊ねた。
きみは、あいつにどんなふうにあの日のことを話したのか、と。
「きみ、ちゃんと彼と話をしたんじゃなかったの?」
銀狐は不思議そうに僕を見て首を傾げた。
「話したよ。でも、あいつは何も知らなかったって泣くんだもの。僕はきみが全て話したものと思っていたのに」
顔を伏せ、小さな声で呟くように答えた。何とも言えない労わるような瞳で僕を見つめている銀狐を、上目遣いに盗み見る。
「僕が彼に伝えたのは、きみがマイルズ先輩のフラットにいたことと、彼の懸念は外れていたこと。それからきみを兄と一緒に迎えにいって、連れ帰ったってことだけだよ。さすがに本当のことは、いくら僕でも伝えるのは憚られたからね。できることなら、きみの口から彼に告白して欲しかったし」
つまり、あの部屋の真実は、鳥の巣頭には何も伝えてはいなかったってことか――。
それなら、どうしてあいつはあんなに取り乱していたんだ?
僕は納得できないまま、質問を重ねた。
「懸念って? あいつは何を心配していたの?」
「ラグビー部」
は? わけが解らず、眉根を寄せた。
「きみ、チョコレートを食べなくなっただろ? あんなに好きだったのに。それに、誰からの差し入れも口にしなくなった。あれはね、ほとんどが人気スポーツの部活からの差し入れだったんだ」
淡々と、視線はまた流れる川に向けながら、銀狐は僕には思いもつかなかったことを教えてくれた。
「ジョナスは、きみがまた校内でラグビー部の奴らに乱暴されて、心配したマイルズ先輩が、わざわざここからエリオットまで通ってきていると思っていたんだ」
鳥の巣頭の思考回路は一体どうなっているのだろう?
「でも、きみの身体には特に暴行の痕はなかったし、きみも何も言わなかった。だからジョナスも、僕も確信がもてなかったんだ。もっとも、僕は彼のようにマイルズ先輩を盲信していたわけではないけれどね」
銀狐は苦笑して言葉を切り、両腕を頭の上で組んで大きく伸びする。
「ジョナスと一緒に何度かあのフラットを見張っていたんだ。きみと先輩が一緒のところを見かけても、きみはとても楽しそうに見えたし、先輩もきみを大切にしているように見えた。ボート部の子たちにきみを寮まで送らせて、とてもきみを気遣っているように見えていたんだ」
ずっと見張られていた――。僕と梟が一緒のところを、鳥の巣頭に見られていたなんて!
「だから僕にも判断がつかなかったよ。きみを月下美人に仕立てあげたのはあの腐れ主教で、ジョナスの言うようにマイルズ先輩は本当に関係がないのか……」
銀狐の瞳が暗く陰る。
彼は蛇のことは嫌っていたけれど、梟の境遇には同情していた。だから梟は無関係であって欲しいと、心の底で願っていたんだ。
「でも、最近になってきみの身体に、その、普通に愛しあったのではできないような酷い痕があるって、心配して僕に相談してきたんだよ」
そのことはあの日聴いた。
追いつかない頭を整理するのはひとまず置いておいて、もう一つの疑問を銀狐にぶつけた。
「子爵さま、子爵さまのこともあいつは知らなかったの?」
「セディのことは、きみだって何も解っていないんじゃないの?」
銀狐は小さく吐息を漏らす。
「セディは、マイルズ先輩に大金を払っていただけじゃない。きみにちょっかいをかけていたボート部の先輩、彼に取っては同期だけどね、彼らにもお金を渡してきみから手を引かせていたんだよ。そのことは、ジョナスも知っていたよ。同じボート部だしね」
半ば呆れたようなため息が、銀狐の口から突いてでる。どっちに呆れている? 僕、鳥の巣頭? それとも子爵さま?
「だからジョナスは、きみとセディはつきあっていると思っていたんだ。だけど、セディはうちの――、カレッジ寮のフェイラーに気持ちが移っていたしね、それならって、きみと別れてくれって、彼はセディに頼みこんだんだよ」
「でも、あいつは、僕が子爵さまに逢っているとき、見張りに立っていたりもしていたんだよ」
「うん。マイルズ先輩に頼まれてね。セディは、他人を恐れていたきみがやっと心を開くことができた人だから、応援してやれって」
僕は誰も恐れてなんかいない。あの頃は、別に、友人だっていた……。国語や、ラテン語や、同期の、同じ寮の……。家に遊びにだっていったじゃないか。鳥の巣頭が邪魔したんじゃないか。あいつらから僕を孤立させるように――。鳥の巣頭が――。
「マシュー、どうしたの? 顔色が真っ青だ」
銀狐の手が僕の肩を支える。僕は口を押さえて倒れるように身体を折り曲げていた。
「吐きたいの、マシュー?」
銀狐の手が背中を摩ってくれている。川の音が急に激流に変わったように頭に響いてくる。僕を押し流そうと襲いかかる。口をぐっと瞑ったまま、胃が引っ繰り返りそうな嘔吐感を堪え、肩で息をする。
どうせ、何も吐きはしない。いつものことだもの。
「マシュー、」
「平気」
僕は、まだ、大丈夫――。
映るのは
歪んだ残像
カレッジ・スクールの間中、僕と鳥の巣頭は何事もなかったようにすごした。当たり前のようにこいつは僕の部屋に泊まったし、僕が「眠れない」と言うと、申し訳なさそうな顔をして僕を抱いた。いつものように僕を疲れさせ温めてくれた。違うのは、それがこいつにとって、とても辛そうだってことだけだ。
僕はどうすればいいのだろう?
全てを知っていると思っていた鳥の巣頭が、銀狐以上に何も知らなかったなんて、僕だって思いもつかなかった。そしてそのことが、こんなにも尾を引くなんて想定外もいいところだ。
スクールの日程も半分まで消化した頃、鳥の巣頭とはうまく講義が重ならない合間をぬって、銀狐をお茶に誘った。近場のカフェでも良かったのだけど、銀狐はいつもの散歩に出かけたいと言うので、僕たちはゆっくりと歩いてチャ―ウェル川沿いの植物園に入った。
緑に溢れる園内に流れる爽やかな風に、銀狐は嬉しそうに顔を突きだし頬を晒す。これは彼の癖なのだ。いつも、風に乗りたい、また大空を飛翔したい、と夢みる彼のそんな仕草を見るたびに、僕は胸がきゅっとなる。なんだか何も言えなくなって、俯いて彼の横をただ歩いていた。
しばらくして、銀狐は小川に向き合ったベンチを指差して立ち止まった。
「休憩しようか」
僕たちはベンチに腰を下ろした。
ゆったりとした静かな流れを、何げなく眺めていた。
空っぽのはずの僕から、何かが溶けだし流れだす。静寂の中で、ささやかなせせらぎに溶けて混ざりこむ僕を、ぼんやりと見つめた。
鳥の飛び立つ羽音に、びくりと顔を上げた。
隣にいる銀狐を見遣ると、彼は、僕と同じように黙って川を眺めていた。でも、物思いに耽っているというよりも、僕が話し始めるのを待ってくれているみたいだ。
思い切って、銀狐に訊ねた。
きみは、あいつにどんなふうにあの日のことを話したのか、と。
「きみ、ちゃんと彼と話をしたんじゃなかったの?」
銀狐は不思議そうに僕を見て首を傾げた。
「話したよ。でも、あいつは何も知らなかったって泣くんだもの。僕はきみが全て話したものと思っていたのに」
顔を伏せ、小さな声で呟くように答えた。何とも言えない労わるような瞳で僕を見つめている銀狐を、上目遣いに盗み見る。
「僕が彼に伝えたのは、きみがマイルズ先輩のフラットにいたことと、彼の懸念は外れていたこと。それからきみを兄と一緒に迎えにいって、連れ帰ったってことだけだよ。さすがに本当のことは、いくら僕でも伝えるのは憚られたからね。できることなら、きみの口から彼に告白して欲しかったし」
つまり、あの部屋の真実は、鳥の巣頭には何も伝えてはいなかったってことか――。
それなら、どうしてあいつはあんなに取り乱していたんだ?
僕は納得できないまま、質問を重ねた。
「懸念って? あいつは何を心配していたの?」
「ラグビー部」
は? わけが解らず、眉根を寄せた。
「きみ、チョコレートを食べなくなっただろ? あんなに好きだったのに。それに、誰からの差し入れも口にしなくなった。あれはね、ほとんどが人気スポーツの部活からの差し入れだったんだ」
淡々と、視線はまた流れる川に向けながら、銀狐は僕には思いもつかなかったことを教えてくれた。
「ジョナスは、きみがまた校内でラグビー部の奴らに乱暴されて、心配したマイルズ先輩が、わざわざここからエリオットまで通ってきていると思っていたんだ」
鳥の巣頭の思考回路は一体どうなっているのだろう?
「でも、きみの身体には特に暴行の痕はなかったし、きみも何も言わなかった。だからジョナスも、僕も確信がもてなかったんだ。もっとも、僕は彼のようにマイルズ先輩を盲信していたわけではないけれどね」
銀狐は苦笑して言葉を切り、両腕を頭の上で組んで大きく伸びする。
「ジョナスと一緒に何度かあのフラットを見張っていたんだ。きみと先輩が一緒のところを見かけても、きみはとても楽しそうに見えたし、先輩もきみを大切にしているように見えた。ボート部の子たちにきみを寮まで送らせて、とてもきみを気遣っているように見えていたんだ」
ずっと見張られていた――。僕と梟が一緒のところを、鳥の巣頭に見られていたなんて!
「だから僕にも判断がつかなかったよ。きみを月下美人に仕立てあげたのはあの腐れ主教で、ジョナスの言うようにマイルズ先輩は本当に関係がないのか……」
銀狐の瞳が暗く陰る。
彼は蛇のことは嫌っていたけれど、梟の境遇には同情していた。だから梟は無関係であって欲しいと、心の底で願っていたんだ。
「でも、最近になってきみの身体に、その、普通に愛しあったのではできないような酷い痕があるって、心配して僕に相談してきたんだよ」
そのことはあの日聴いた。
追いつかない頭を整理するのはひとまず置いておいて、もう一つの疑問を銀狐にぶつけた。
「子爵さま、子爵さまのこともあいつは知らなかったの?」
「セディのことは、きみだって何も解っていないんじゃないの?」
銀狐は小さく吐息を漏らす。
「セディは、マイルズ先輩に大金を払っていただけじゃない。きみにちょっかいをかけていたボート部の先輩、彼に取っては同期だけどね、彼らにもお金を渡してきみから手を引かせていたんだよ。そのことは、ジョナスも知っていたよ。同じボート部だしね」
半ば呆れたようなため息が、銀狐の口から突いてでる。どっちに呆れている? 僕、鳥の巣頭? それとも子爵さま?
「だからジョナスは、きみとセディはつきあっていると思っていたんだ。だけど、セディはうちの――、カレッジ寮のフェイラーに気持ちが移っていたしね、それならって、きみと別れてくれって、彼はセディに頼みこんだんだよ」
「でも、あいつは、僕が子爵さまに逢っているとき、見張りに立っていたりもしていたんだよ」
「うん。マイルズ先輩に頼まれてね。セディは、他人を恐れていたきみがやっと心を開くことができた人だから、応援してやれって」
僕は誰も恐れてなんかいない。あの頃は、別に、友人だっていた……。国語や、ラテン語や、同期の、同じ寮の……。家に遊びにだっていったじゃないか。鳥の巣頭が邪魔したんじゃないか。あいつらから僕を孤立させるように――。鳥の巣頭が――。
「マシュー、どうしたの? 顔色が真っ青だ」
銀狐の手が僕の肩を支える。僕は口を押さえて倒れるように身体を折り曲げていた。
「吐きたいの、マシュー?」
銀狐の手が背中を摩ってくれている。川の音が急に激流に変わったように頭に響いてくる。僕を押し流そうと襲いかかる。口をぐっと瞑ったまま、胃が引っ繰り返りそうな嘔吐感を堪え、肩で息をする。
どうせ、何も吐きはしない。いつものことだもの。
「マシュー、」
「平気」
僕は、まだ、大丈夫――。
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