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四章
115 遺志
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水底から見あげる夜の空
銀の光が
跳ねて躍る
床を擦る足音に、目が覚めた。軽くベッドマットレスが沈む。
「何? 夜這いにでも来たの?」
目を開けて、僕を覗きこんでいた金の瞳に頬笑みかけた。
「申し訳ないね、恋人との逢瀬を邪魔するような真似をして」
銀狐が皮肉な笑みを唇の端にのせ、僕を見つめている。
頭を仰け反らせて、窓を眺めた。灯りのない室内に、月明かりが差しこんでいる。もうかなり遅い時間みたいだ。ここは梟のフラットなのに、どうして僕はこんな時間にここにいるんだろう? それに、それよりも、どうして銀狐がここにいるんだろう?
寝ぼけていて少し頭が混乱しているのかも知れない。
ぽかんとしばらく宙を眺め、そしてやっと、ベッドマットレスの端に腰かけ、片腕を僕の頭の横について覆い被さるような姿勢のまま、僕から目を逸らさないでいる銀狐に、視線を戻した。
「それで、何の用?」
「迎えにきたんだよ。きみがここから出てこないから」
「出てこない――」
僕は寝転がったまま、彼の言葉を繰り返した。
「どういうこと?」
銀狐はくいっと眉根を上げて首をすくめた。
顔の横にあった彼の腕をぐいっと引っ張った。崩れ落ちてきた銀狐を組み伏せてその上に馬乗りになり、両腕を頭の上で押さえつける。そして、彼の悪い方の左脚に体重をかけ、膝で押さえこんだ。
銀狐の顔が苦痛で歪む。乱れて散らばる銀の髪が月光に溶け鈍い輝きを放っている。
「痛い?」
さっきまで彼がしていたように、上から彼の顔を覗きこむ。銀狐は唇を引きしめたまま答えない。
彼の綺麗な金の瞳をまっすぐに見おろした。蕩けるような黄金の瞳。そのままそっと彼に口づける。
「唇を開けてくれないの?」
銀狐はむっとしたように眉根を寄せた。
「もう一度したら、次は噛みつくよ」
「おお、怖」
ぐっと銀狐の足に体重をかける。ぎりっと、彼の唇が苦痛で跳ねあがる。
「力できみを征服するのも悪くないよね」
くすくすと笑って、その生意気な唇を塞いだ。銀狐は、噛みついたりはしなかった。右手で彼の両手を押さえたまま、左手で彼の顎を掴み上向かせる。
「口を開けて」
指を差しこみ、無理やりこじ開けた彼の唇の間に舌を滑りこませ、彼を絡め取った。銀狐は抵抗しない。けれど、僕のキスに応えてもくれない。
僕は吐息を漏らし、力を抜いて身体を重ねると、拘束していた彼の腕を放して抱きしめた。
「無駄だよ。僕じゃきみの慰めにはならない」
「僕が嫌い?」
「そうじゃないよ」
銀狐は、僕を宥めるように腕を背に回し、抱きしめ返してくれた。
「勃たないんだ。事故の後遺症でね、勃起不全。神経が切れているんだ。生涯、性交はできない」
やっぱり――。
僕はなんとなく解っていたような気がする。解っていて彼を誘った。彼の口から言わせるために。彼の秘密を握るために。
涙が、出そうだった。こんな自分に吐き気がする。
「きみに訊きたいことがあるんだ」
「うん」
梟のことでも、ジョイントのことでも、何でも訊くといい。
彼を強く抱きしめたまま頷いた。
僕にはこの彼の秘密を盾に、彼を脅すことなんてできない。だって彼は、これほどの事実ですら口に出すことを躊躇しない。
きっと秘密ですらないのだろう、きみにとっては……。
もう、どうでもいい。
きみにここを知られてしまった。この事実は、今さら取り繕えるものでもないのだから。
「キングスリー先輩は、最後に何て言ったの?」
「え――、誰?」
予想外の問いかけに、僕はわけが解らずぽかんとしてしまった。
「三年前の聖パトリックの日、きみの目の前で車に跳ねられた、監督生だったひと」
すっと血の気が引いた。僕の身体が強張ったことに気づいたのか、銀狐は僕の髪を、その長い指で優しく宥めるように梳いた。
「やっときみまでたどり着けたんだ。教えてくれ。キングスリー先輩は事故に遭う直前、エリオットの制服を着た子に呼びかけて道を渡ろうとした。そのとき何て言ったの? 誰を呼んだの?」
淡々と静かに問いかける銀狐の声に、なぜだか解らないまま、後から後からとめどなく涙が溢れてきた。
「その人は、きみの――」
「尊敬していたんだ。この世の誰よりも」
「愛していたんだね」
銀狐は答えなかった。
「『ハリー、そこにいて。今、行くから』……そう言ったんだよ。彼は僕を見て、ソールスベリー先輩と間違えたんだ」
銀狐の耳許で、囁くように告げた。
「そう――」
銀狐は呟いて、声を殺して静かに泣いた。
「やはり、事故だったんだね……。ありがとう、教えてくれて。これで、やっとすっきりできたよ。――先輩は、ずっと自殺だっていわれていて……。僕はどうしても、信じられなかったんだ」
やがて銀狐は僕の下から身体を抜いて、身を起こした。拳で、ごしごしと涙を拭って。
「ずっと、事故の目撃者の証言にあったエリオットの制服を着た二人連れを探していた。どうしても見つからなくて……。どうして事故証言に出てきてくれないのか、ずっと考えていて……」
銀狐は辛い想いを吐きだすように深く息をつき、言葉を継いだ。
「それがきみだって、思い当たったのは、きみに出逢ってからだよ。――先輩は亡くなる直前まで『あいつらがまた、下級生を喰いものにしている』って、そう、おっしゃって、生徒会の中で蔓延っていた悪しき慣習を一掃しようと闘っていらした。――月下美人、先輩はその被害者の子のことを、そう呼んでいた。……きみのことだね?」
身を起こし、向かい合って座る僕の頬にそっと指先で触れる。
「僕はずっときみを探していたんだ」
「先輩のダイイング・メッセージを訊くために?」
今は静けさを湛えている金の瞳を、じっと見つめた。
「きみを救いだすために。――それが、先輩の遺志を継ぐことだから……」
銀の光が
跳ねて躍る
床を擦る足音に、目が覚めた。軽くベッドマットレスが沈む。
「何? 夜這いにでも来たの?」
目を開けて、僕を覗きこんでいた金の瞳に頬笑みかけた。
「申し訳ないね、恋人との逢瀬を邪魔するような真似をして」
銀狐が皮肉な笑みを唇の端にのせ、僕を見つめている。
頭を仰け反らせて、窓を眺めた。灯りのない室内に、月明かりが差しこんでいる。もうかなり遅い時間みたいだ。ここは梟のフラットなのに、どうして僕はこんな時間にここにいるんだろう? それに、それよりも、どうして銀狐がここにいるんだろう?
寝ぼけていて少し頭が混乱しているのかも知れない。
ぽかんとしばらく宙を眺め、そしてやっと、ベッドマットレスの端に腰かけ、片腕を僕の頭の横について覆い被さるような姿勢のまま、僕から目を逸らさないでいる銀狐に、視線を戻した。
「それで、何の用?」
「迎えにきたんだよ。きみがここから出てこないから」
「出てこない――」
僕は寝転がったまま、彼の言葉を繰り返した。
「どういうこと?」
銀狐はくいっと眉根を上げて首をすくめた。
顔の横にあった彼の腕をぐいっと引っ張った。崩れ落ちてきた銀狐を組み伏せてその上に馬乗りになり、両腕を頭の上で押さえつける。そして、彼の悪い方の左脚に体重をかけ、膝で押さえこんだ。
銀狐の顔が苦痛で歪む。乱れて散らばる銀の髪が月光に溶け鈍い輝きを放っている。
「痛い?」
さっきまで彼がしていたように、上から彼の顔を覗きこむ。銀狐は唇を引きしめたまま答えない。
彼の綺麗な金の瞳をまっすぐに見おろした。蕩けるような黄金の瞳。そのままそっと彼に口づける。
「唇を開けてくれないの?」
銀狐はむっとしたように眉根を寄せた。
「もう一度したら、次は噛みつくよ」
「おお、怖」
ぐっと銀狐の足に体重をかける。ぎりっと、彼の唇が苦痛で跳ねあがる。
「力できみを征服するのも悪くないよね」
くすくすと笑って、その生意気な唇を塞いだ。銀狐は、噛みついたりはしなかった。右手で彼の両手を押さえたまま、左手で彼の顎を掴み上向かせる。
「口を開けて」
指を差しこみ、無理やりこじ開けた彼の唇の間に舌を滑りこませ、彼を絡め取った。銀狐は抵抗しない。けれど、僕のキスに応えてもくれない。
僕は吐息を漏らし、力を抜いて身体を重ねると、拘束していた彼の腕を放して抱きしめた。
「無駄だよ。僕じゃきみの慰めにはならない」
「僕が嫌い?」
「そうじゃないよ」
銀狐は、僕を宥めるように腕を背に回し、抱きしめ返してくれた。
「勃たないんだ。事故の後遺症でね、勃起不全。神経が切れているんだ。生涯、性交はできない」
やっぱり――。
僕はなんとなく解っていたような気がする。解っていて彼を誘った。彼の口から言わせるために。彼の秘密を握るために。
涙が、出そうだった。こんな自分に吐き気がする。
「きみに訊きたいことがあるんだ」
「うん」
梟のことでも、ジョイントのことでも、何でも訊くといい。
彼を強く抱きしめたまま頷いた。
僕にはこの彼の秘密を盾に、彼を脅すことなんてできない。だって彼は、これほどの事実ですら口に出すことを躊躇しない。
きっと秘密ですらないのだろう、きみにとっては……。
もう、どうでもいい。
きみにここを知られてしまった。この事実は、今さら取り繕えるものでもないのだから。
「キングスリー先輩は、最後に何て言ったの?」
「え――、誰?」
予想外の問いかけに、僕はわけが解らずぽかんとしてしまった。
「三年前の聖パトリックの日、きみの目の前で車に跳ねられた、監督生だったひと」
すっと血の気が引いた。僕の身体が強張ったことに気づいたのか、銀狐は僕の髪を、その長い指で優しく宥めるように梳いた。
「やっときみまでたどり着けたんだ。教えてくれ。キングスリー先輩は事故に遭う直前、エリオットの制服を着た子に呼びかけて道を渡ろうとした。そのとき何て言ったの? 誰を呼んだの?」
淡々と静かに問いかける銀狐の声に、なぜだか解らないまま、後から後からとめどなく涙が溢れてきた。
「その人は、きみの――」
「尊敬していたんだ。この世の誰よりも」
「愛していたんだね」
銀狐は答えなかった。
「『ハリー、そこにいて。今、行くから』……そう言ったんだよ。彼は僕を見て、ソールスベリー先輩と間違えたんだ」
銀狐の耳許で、囁くように告げた。
「そう――」
銀狐は呟いて、声を殺して静かに泣いた。
「やはり、事故だったんだね……。ありがとう、教えてくれて。これで、やっとすっきりできたよ。――先輩は、ずっと自殺だっていわれていて……。僕はどうしても、信じられなかったんだ」
やがて銀狐は僕の下から身体を抜いて、身を起こした。拳で、ごしごしと涙を拭って。
「ずっと、事故の目撃者の証言にあったエリオットの制服を着た二人連れを探していた。どうしても見つからなくて……。どうして事故証言に出てきてくれないのか、ずっと考えていて……」
銀狐は辛い想いを吐きだすように深く息をつき、言葉を継いだ。
「それがきみだって、思い当たったのは、きみに出逢ってからだよ。――先輩は亡くなる直前まで『あいつらがまた、下級生を喰いものにしている』って、そう、おっしゃって、生徒会の中で蔓延っていた悪しき慣習を一掃しようと闘っていらした。――月下美人、先輩はその被害者の子のことを、そう呼んでいた。……きみのことだね?」
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「僕はずっときみを探していたんだ」
「先輩のダイイング・メッセージを訊くために?」
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