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四章
113 三月 ミダス王
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朧月夜に
きみが跳ね飛ぶ
春の宵
「銀ボタンのミダス王」それが最近の大鴉の通り名だ。手を触れただけで全てを金に変える男、そういう意味なのだそうだ。
僕はこの彼のあだ名が好きではない。やんちゃな妖精パックのような彼には到底似合わない。
きっかけは、プールサイドから始まった噂話だった。
「もう倍以上の値段になっているのに、まだまだ値上がりを続けているんだって」
僕はまるで自分のことを自慢するように、梟とその男の顔を交互に見ながら、大鴉の噂話をしてあげた。
もとは、この男から持ちかけられた話だった。
「エリオットの銀ボタンが投資サークルを運営しているらしいじゃないか。お前、詳しい話を知らないかな?」
部屋を出ようとした梟を呼び止め、その男は熱心に話し始めたのだ。彼はクリスマス・コンサートで知り合った内の一人で、エリオットのOBで梟の先輩でもあった。
友人がエリオットの投資サークルの開発中ソフトで株式投資をして大儲けをしている、自分もそのソフトが欲しいのだけれど、どうすれば手に入るのか、とそんな話だった。
「俺は何も――」
首を横に振った梟がちらりと僕を見た。僕は、そのソフトなら、と知っている限りを勢いこんで二人に話した。
「僕、そのサークルの会員になっているんです。金融には詳しくないんですけれど、友人に誘われて――」
自分のスマートフォンを取りだして、二人の前に差しだした。
「ほら、これがサークル会員に公開されているそのソフトを用いた売買記録で、こっちが週一回送られてくる、その週の展望を書いたレポートメールです。まだ、一回、あ、今日は土曜日だから夜に二回目のメールが届く予定で、」
「へぇー、ちょっといいかな」
そいつは僕のスマートフォンを手に取って、食入いるように眺める。梟も興味深そうに、じっと横目で画面を追っている。
「ふーん、確かに大手銀行のアナリスト並みの分析レポートだな」
横の男よりも先に梟は視線を上げて、感心したような吐息を漏らす。
「おい、このレポート俺の携帯に転送してくれないか?」
「それはいい! 僕もそうしてくれるかい?」
僕は続けて、このレポートには載っていない大鴉の噂話も教えてあげた。
大鴉のお兄さんの話と、大鴉の友人の中東の皇太子殿下の話だ。この皇太子殿下は大鴉の同期で、同じカレッジ寮の奨学生だ。大鴉とは入学当初から仲が良かったらしい。僕はこの二人が一緒にいるところを見たことがなかったので、ちっとも知らなかった。
大鴉のお兄さんの会社、すなわち白い彼の会社が、仮想通貨の採掘システムを作り仮想通貨市場に参入する。それを大鴉に聴いた殿下がその仮想通貨に一千万ドルの投資をした。大鴉のサークルが今みたいに学校中で騒がれるようになったのは、この噂が先駆けだ。
「ソールスベリーが仮想通貨に参入?」
「オイルマネーが?」
二人は顔を見合わせて、ほとんど同時に自分の携帯を取りだして、何やら検索し始めた。
「まだ充分に間に合いそうだね」
男は嬉々として梟に同意を求めている。梟は頷いて煙草を取りだすと、眉根を寄せて火を点けた。これは、梟が目まぐるしく頭を働かせているときの癖だ。
ひとしきり二人はその話題についての議論を交わし、一区切りついた後も、そのまま僕には解らない株式や為替の話を始めた。僕のことなんかそっちのけで――。
いつまでも終わりそうにないその様子に、狐につままれた気分だった。
この人、何しにここへ来たのだろう? まさか梟とお喋りするためじゃないだろ?
「お茶を淹れてきます」と立ちあがると、「ビール」と梟に言われた。
珍しい――。まだ一人目なのに――。
冷えたビールを持ってソファーに戻っても、二人はまだ真剣に喋っている。僕は服を脱ぎ、ベッドマットレスに腰かけて待つことにした。シーツに包まり、折り曲げた膝に頭を載せる。
男の上ずった高めの声の合間に、相槌を打つ梟の低音が時折響く。
僕は目を瞑り大鴉を想い浮かべる。携帯の、電子の空を飛ぶ大鴉。きみはどこでも人気者だね――。
ビールを飲み終わると、梟はさらりと僕の頭を撫でて部屋を出ていった。
時間超過だ。
そんなに頑張らなくてもいいのかな、と寝転がって、天井に薄らと浮きでている染みを見ながら、ぼんやりと考えていた。
こいつはずいぶん浮かれ飛んでいて、大切なルールを忘れていたのか、僕の身体に痕を残した。
僕は僕の身体に残る痕を、ぼんやりと見つめていた。
投資サークルが始まって一ヶ月も経つ頃には、大鴉の周囲はこれまで以上に様変わりしていた。
取り巻きといっていいような集団にいつも囲まれ、校内を練り歩くようになった。それも上級生ばかり。大鴉は二学年生とはいえ、背も高いし細身なのに肩幅はけっこうあって、上級生の集団の中に一人交じっていても引けは取らない。けれど、青のネクタイの彼が、白のボウタイの上級生を引き連れて歩いているさまは、やはりどこか異様で、周囲を圧倒する迫力があった。
そんな中にいて、何ものにも染まらない、黒い翼の、孤高の、僕の大鴉――。
「マシュー」
執務室の窓から、中庭を突っ切って行く彼を眺めていた。
「マシュー」
後ろから抱きすくめられ、驚いて振り返る。
「どうしたの?」
鳥の巣頭が、泣きだしそうに見えた。
「放して。外から見られてしまうよ」
僕は、僕の胸元にあったこいつの手を取って外そうとした。視線は風になびく黒いローブを追いながら――。どうか振り返らないで、と祈りながら――。
鳥の巣頭はますます強く僕を抱きしめる。
コンコン、とノックの音に鳥の巣頭がびくりと震えた。瞬時に手を放し振り返る。僕も顔だけドアに向けた。
銀狐が、呆れた顔で僕たちを見ていた。
きみが跳ね飛ぶ
春の宵
「銀ボタンのミダス王」それが最近の大鴉の通り名だ。手を触れただけで全てを金に変える男、そういう意味なのだそうだ。
僕はこの彼のあだ名が好きではない。やんちゃな妖精パックのような彼には到底似合わない。
きっかけは、プールサイドから始まった噂話だった。
「もう倍以上の値段になっているのに、まだまだ値上がりを続けているんだって」
僕はまるで自分のことを自慢するように、梟とその男の顔を交互に見ながら、大鴉の噂話をしてあげた。
もとは、この男から持ちかけられた話だった。
「エリオットの銀ボタンが投資サークルを運営しているらしいじゃないか。お前、詳しい話を知らないかな?」
部屋を出ようとした梟を呼び止め、その男は熱心に話し始めたのだ。彼はクリスマス・コンサートで知り合った内の一人で、エリオットのOBで梟の先輩でもあった。
友人がエリオットの投資サークルの開発中ソフトで株式投資をして大儲けをしている、自分もそのソフトが欲しいのだけれど、どうすれば手に入るのか、とそんな話だった。
「俺は何も――」
首を横に振った梟がちらりと僕を見た。僕は、そのソフトなら、と知っている限りを勢いこんで二人に話した。
「僕、そのサークルの会員になっているんです。金融には詳しくないんですけれど、友人に誘われて――」
自分のスマートフォンを取りだして、二人の前に差しだした。
「ほら、これがサークル会員に公開されているそのソフトを用いた売買記録で、こっちが週一回送られてくる、その週の展望を書いたレポートメールです。まだ、一回、あ、今日は土曜日だから夜に二回目のメールが届く予定で、」
「へぇー、ちょっといいかな」
そいつは僕のスマートフォンを手に取って、食入いるように眺める。梟も興味深そうに、じっと横目で画面を追っている。
「ふーん、確かに大手銀行のアナリスト並みの分析レポートだな」
横の男よりも先に梟は視線を上げて、感心したような吐息を漏らす。
「おい、このレポート俺の携帯に転送してくれないか?」
「それはいい! 僕もそうしてくれるかい?」
僕は続けて、このレポートには載っていない大鴉の噂話も教えてあげた。
大鴉のお兄さんの話と、大鴉の友人の中東の皇太子殿下の話だ。この皇太子殿下は大鴉の同期で、同じカレッジ寮の奨学生だ。大鴉とは入学当初から仲が良かったらしい。僕はこの二人が一緒にいるところを見たことがなかったので、ちっとも知らなかった。
大鴉のお兄さんの会社、すなわち白い彼の会社が、仮想通貨の採掘システムを作り仮想通貨市場に参入する。それを大鴉に聴いた殿下がその仮想通貨に一千万ドルの投資をした。大鴉のサークルが今みたいに学校中で騒がれるようになったのは、この噂が先駆けだ。
「ソールスベリーが仮想通貨に参入?」
「オイルマネーが?」
二人は顔を見合わせて、ほとんど同時に自分の携帯を取りだして、何やら検索し始めた。
「まだ充分に間に合いそうだね」
男は嬉々として梟に同意を求めている。梟は頷いて煙草を取りだすと、眉根を寄せて火を点けた。これは、梟が目まぐるしく頭を働かせているときの癖だ。
ひとしきり二人はその話題についての議論を交わし、一区切りついた後も、そのまま僕には解らない株式や為替の話を始めた。僕のことなんかそっちのけで――。
いつまでも終わりそうにないその様子に、狐につままれた気分だった。
この人、何しにここへ来たのだろう? まさか梟とお喋りするためじゃないだろ?
「お茶を淹れてきます」と立ちあがると、「ビール」と梟に言われた。
珍しい――。まだ一人目なのに――。
冷えたビールを持ってソファーに戻っても、二人はまだ真剣に喋っている。僕は服を脱ぎ、ベッドマットレスに腰かけて待つことにした。シーツに包まり、折り曲げた膝に頭を載せる。
男の上ずった高めの声の合間に、相槌を打つ梟の低音が時折響く。
僕は目を瞑り大鴉を想い浮かべる。携帯の、電子の空を飛ぶ大鴉。きみはどこでも人気者だね――。
ビールを飲み終わると、梟はさらりと僕の頭を撫でて部屋を出ていった。
時間超過だ。
そんなに頑張らなくてもいいのかな、と寝転がって、天井に薄らと浮きでている染みを見ながら、ぼんやりと考えていた。
こいつはずいぶん浮かれ飛んでいて、大切なルールを忘れていたのか、僕の身体に痕を残した。
僕は僕の身体に残る痕を、ぼんやりと見つめていた。
投資サークルが始まって一ヶ月も経つ頃には、大鴉の周囲はこれまで以上に様変わりしていた。
取り巻きといっていいような集団にいつも囲まれ、校内を練り歩くようになった。それも上級生ばかり。大鴉は二学年生とはいえ、背も高いし細身なのに肩幅はけっこうあって、上級生の集団の中に一人交じっていても引けは取らない。けれど、青のネクタイの彼が、白のボウタイの上級生を引き連れて歩いているさまは、やはりどこか異様で、周囲を圧倒する迫力があった。
そんな中にいて、何ものにも染まらない、黒い翼の、孤高の、僕の大鴉――。
「マシュー」
執務室の窓から、中庭を突っ切って行く彼を眺めていた。
「マシュー」
後ろから抱きすくめられ、驚いて振り返る。
「どうしたの?」
鳥の巣頭が、泣きだしそうに見えた。
「放して。外から見られてしまうよ」
僕は、僕の胸元にあったこいつの手を取って外そうとした。視線は風になびく黒いローブを追いながら――。どうか振り返らないで、と祈りながら――。
鳥の巣頭はますます強く僕を抱きしめる。
コンコン、とノックの音に鳥の巣頭がびくりと震えた。瞬時に手を放し振り返る。僕も顔だけドアに向けた。
銀狐が、呆れた顔で僕たちを見ていた。
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