微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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四章

111 二月 後輩たち

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 へしゃげてしまった月の代わりに
 銀のお盆を水面に浮かべよう



 ASレベルの冬期試験が終わった。これで五月から始まる本試験まで、息をつける。僕はせっせと副業に励むことにした。新しい顧客ができたのだ。

 年末のクリスマス・コンサートで、僕たち生徒会役員は、来賓客の接待をしなければならなかった。鳥の巣頭は初め、僕はでなくていいと言った。以前、こいつの家のパーティーで、僕に紹介した先輩方と後々ひと悶着あったことが引っかかっていたからだ。僕が愛想を振りまいて回ることで誤解する人もいるかもしれないから、と。
 僕はそんなこいつの懸念を一笑に付した。
「そんな、コンサートの幕間に飲み物を配って回るだけなのに、何が起こるって言うんだい?」

 けれど、こいつの懸念は見事に的中した。その飲み物を配り軽い挨拶として握手するたびに、何度、掌をさりげなく指先でくすぐられたことか。僕がヘマをしないように、傍らには終始銀狐がいたので、彼に気づかれるんじゃないかとひやひやしたよ。

 そのときに貰った名刺を梟に渡した。梟はくすくす笑いながらその名刺を見ていた。知り合いがずいぶんいたらしい。その中から、僕の相手としていく人かをピックアップしてくれた。以前のようなトラブルに巻きこまれないように、校内での他生徒との接触を減らすための梟の配慮だ。その代わり、月に二回だったフラットでの取引は、ほぼ毎週末のこととなった。校内サービスがなくなったからね。仕方ない。


 試験明けの土曜日から、梟のいないときでも、彼らの相手をすることになった。梟は、トラブルになったり乱暴な目に合わされたりしないように、護衛役の子を二人つけてくれた。ボート部の子たちだ。僕よりも一学年下で、来年度の生徒会役員最有力候補なのだそうだ。

 賢い梟は、僕がジョイントを上手く売れなかった場合もちゃんと想定していて、ボート部の中にもジョイントを流通させるルートを敷いていたのだ。

 でも、「お前がさばく額の半分にもならない」と、梟は僕の頭をくしゃっと撫でてくれる。

 副業の報酬は、ジョイントをもらうことから、梟に抱いてもらうことに変わった。
 なぜだろうね。梟は他の人とは違う。梟といるときだけ安心できる。息をするのが、楽になるんだ。
 僕のことを嫌いだ、と言う梟は、それでも僕に優しかった。小さな子どもをあやすように僕を抱いてくれる。

 だけど梟は、これだけじゃ僕が納得しない、って思うのかな。
 時々、報酬はいらないのか、と訊く。僕がほとんどジョイントを吸わなくなったからだ。そんなときは、梟に何かねだることにしている。一緒に食事に行こうとか、今夜はここに泊めてくれ、とか。でも、そんな願いは当然のように却下だ。梟がここに泊まることはなかったし、僕は遅くならないように寮に返された。

 だけど一度だけ、「それじゃあ、本試験が終わって夏期休暇に入ったら旅行に連れていって。コートダジュールに行きたい」と言うと、梟は目を細めて、「それもいいな」と言ってくれた。僕はびっくりして梟に抱きついて「約束だよ」「約束だよ」と、何度も繰り返した。


 梟のフラットからの帰り道は、大抵そのボート部の子が送ってくれた。日の落ちた石畳を、連れだって帰った。二人ともよく喋る明るい子たちで、僕は頻繁に、はは、と声をたてて笑った。まるで水槽の中の魚が口をぱくぱくさせているように、相槌を打ちあぶくを吐きだした。
 寮が近づくにつれ、水槽の水は重く、深くなっていく。僕の視界は澱んでどんどん見えなくなっていく。僕はその澱みに溶け、藻のようにゆらゆらと不安定な笑みを顔に貼りつけたまま、彼らにお礼を言う。
 彼らは鳥の巣頭とも顔見知りだ。次年度の役員候補だということも解っているから、変に勘繰られることもない。図書館で一緒になったとか、一緒にお茶を飲んでいたとか、いくらでもすらすらと、アリバイ工作までしてくれる機転の利く子たちなんだ。


 鳥の巣頭の前で、僕はいつも笑顔。ジョイントはやめたし顔色もいいはずだ。それなのに、こいつは逆に笑わなくなった。不安そうな不安定な土気色の瞳で僕を恨めしそうに見つめる。僕は「どうしたの?」と訊くけれど、こいつは首を横に振るだけで何も答えない。訳が分からず小首をかしげていると、時々、こいつは僕を抱きしめて、「怖いんだ」と呟く。「きみが消えてしまいそうで怖いんだ」って。

「馬鹿だなぁ」

 僕は笑って、こいつにキスしてやる。「僕はここにいるじゃないか」って。

 本当にいるのかどうかなんて、僕にはさっぱり判らなかったけれど。きっと、きみを抱きしめるこの腕が、きみにキスするこの唇が、僕なんじゃないか、って思うよ。たぶんだけれど。
 それでいいじゃないか。僕の身体さえあれば。それできみは満足できるじゃないか。

 僕は笑顔で鳥の巣頭を見つめる。

 梟の言う、このガラスのような瞳にきみが映る。どうしてきみがそんな悲しそうな顔をしているのか、僕にはまるで判らない。




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