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四章
110 一月 朧な現実
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僕の影が喋っている
笑っている
僕のフリをして
新学期が始まった。また、いつもと変わらない日常が繰り返される。そう思っていたら、大きく変わったことが一つあった。
あの天使くんが、休学届けを出したのだ。病気治療のため、アメリカに帰国したのだという。
年末にあれだけ騒がれ、腹違いの義妹の存在まで白日のもとに晒されてスキャンダルの渦中にある彼のことを、さすがに実家の方も憂慮しての処置ではないかと、もっぱらの噂だ。
生徒会室でその話を聴いた僕は、何ともいえないもやもやした気分に襲われていた。SNSにアップされていた、じかでは一度も見たことがないような警戒心を解いて安心しきった天使くんと、そんな彼を守るように寄り添っていた大鴉の姿に、嫉妬した。間違いなく。けれどそれと同時に、大鴉を諦めなかった天使くんに、羨望の思いも感じていたのだ。
大鴉はこれまで、助けてあげはしたけれど天使くんに何の興味も持っていなかった。一緒にいるところを何度か見かけたけれど、天使くんの解りやすい視線に何の反応も返さないばかりか、無視しているとさえ思えるほどに冷淡だった。
そんな二人の空気に安堵し、やはり天使くんは僕と同じなのだと、僕はずっと高をくくっていた。だけど今は――。
天使くんは僕とは違う。僕にはもうその違いが解っている。腐っている僕と、穢れのない彼。僕にとっての大鴉は天空にかかる月。天使くんには、そんな彼の元まで飛んでいける綺麗な翼がある。――地上に繋がれ、汚濁にまみれた僕とは違う。
だから、あの二人で写っている写真を見たとき、不思議とすんなり納得していたのだ。ショックではなかったといえば嘘になるけれど……。
彼の不在に安堵しているにもかかわらず、同じくらい彼に帰ってきてほしいと、大鴉を諦めないでほしいと、願っている。
役員たちの噂話を聞きながらそんなことを考えていた僕は、おかしな顔でもしていたのだろうか? 鳥の巣頭と銀狐が揃って僕を見つめていた。鳥の巣頭は、どこか不安げに。銀狐は相変わらず表情の読めない、月光のような瞳で。
僕が怪訝な視線を返すと、鳥の巣頭はひょいっと首をすくめて、傍らの銀狐にまったく関係ない話題を振った。
それきり天使くんの話は、まるでタブーででもあるかのように、誰の口にも上らなくなった。きっと、その話題に触れることが、イコール白い彼のスキャンダルに繋がるからだ。この学校での彼の影響は絶大で、まるで神のように崇められているのだから。
この学校を出て行ってからもう何年にもなるのに、いまだに彼はエリオット一の伝説で、この学校を支配する英雄だ。
もう、そんな彼に似ているといわれることもなくなって、ずいぶんほっとしている。今にして思えば、僕に、彼と似ていると言っていたのは、入学したての白い彼を知っている先輩方と、子爵さまや銀狐のような同じプレップ・スクール出身の彼の後輩だけだ。
たぶん、幼い頃の彼に僕の面差しは似ていたのだろう。今の僕と白い彼は、似ても似つかない。今さら、どうだっていいことだけれど――。
天使くんがいなくなってからも、大鴉は何も変わらなかった。生徒会に入ってから、僕はよく彼の姿を見かけるようになっていたから、彼のそんな普段通りの姿に安堵した。
生徒会執務室のある同じ棟に、監督生の執務室もある。大鴉はよくそこへ出入りしているようだった。監督生代表は、大鴉のいるカレッジ寮の寮長でもあるから、呼びだされて小言でも喰らっているのかな、と思う。
たまに廊下で、監督生の灰色のウエストコートを着た先輩方に生意気な口を叩いている大鴉に出くわす。鳥の巣頭は眉をしかめて渋い顔をするけれど、そんなときの大鴉は唇を嘴のように尖らせて、膨れっ面をしていて、とても可愛らしい。僕は思わず微笑んでしまいそうな唇を、わざとへの字に引きしめて、顔を伏せて通りすぎる。振り返って見つめていたいのを、我慢する。
そして、生徒会役員になれて良かった、って思うんだ。去年よりもずっと、校内で彼を見かける機会が増えたもの。
とはいっても、今月はAレベルや、ASレベルの冬期試験があるので、生徒会の活動は控えめであまり執務室に出向くこともなかったけれど。だから試験が終わるまでは、僕の副業もお休みだ。ジョイントは記憶力を弱らせるからね。ずっと吸うのを止めている。梟にも、月初めに一度会ったきりだ。
もう、僕にはジョイントは必要ないんじゃないかと思う。喉が乾くようにジョイントを欲しい。お腹が空くようにジョイントが欲しい。呼吸をするように、ジョイントが――。
ずっとそう思っていたのに、もうジョイントの煙は僕を満たしてはくれない。守ってはくれない。
梟は、ジョイントを吸いすぎて耐性ができているからだと言う。
僕はここにいるはずなのに、僕は僕を見つけられない。微睡む僕は白い霧に溶け、僕の苦痛を全て引き受けてくれていた白い煙の中の白い彼も、かき消えている。ジョイントを吸いこみ、吐きだしても僕は一人。この世界にたった一人。もうあの美しい世界と繋がることもない。
夢のように朧な現実を、僕は微睡んだまま日々すごす。
眼前に流れる映画を見ながら、まるで頭のおかしい奴が自分もその一員ででもあるかのように振舞って、喋り、笑う。それが、僕。
ああ、違う、そうじゃない。僕だけが偽物。僕だけが実態のない影。ジョイントの作り出した幻影。腐った香りの白い煙。
最上級のジョイントを吸って梟に抱かれているわずか数分の間だけ、僕は正気に戻り、いなくなった僕を思って涙を流す。
もう、正気になんて戻らなくていい。
白い霧に溶けたままでいい。こんなぼやけた僕なら、大鴉、きみの瞳に映ることもない。
ねぇ、大鴉。僕はもう、本当にここにいるのかも判らないほど朧なのに、それでもきみの夢を見たいと願ってしまうんだ。
幻のような、きみの姿を見ていたいと――。
笑っている
僕のフリをして
新学期が始まった。また、いつもと変わらない日常が繰り返される。そう思っていたら、大きく変わったことが一つあった。
あの天使くんが、休学届けを出したのだ。病気治療のため、アメリカに帰国したのだという。
年末にあれだけ騒がれ、腹違いの義妹の存在まで白日のもとに晒されてスキャンダルの渦中にある彼のことを、さすがに実家の方も憂慮しての処置ではないかと、もっぱらの噂だ。
生徒会室でその話を聴いた僕は、何ともいえないもやもやした気分に襲われていた。SNSにアップされていた、じかでは一度も見たことがないような警戒心を解いて安心しきった天使くんと、そんな彼を守るように寄り添っていた大鴉の姿に、嫉妬した。間違いなく。けれどそれと同時に、大鴉を諦めなかった天使くんに、羨望の思いも感じていたのだ。
大鴉はこれまで、助けてあげはしたけれど天使くんに何の興味も持っていなかった。一緒にいるところを何度か見かけたけれど、天使くんの解りやすい視線に何の反応も返さないばかりか、無視しているとさえ思えるほどに冷淡だった。
そんな二人の空気に安堵し、やはり天使くんは僕と同じなのだと、僕はずっと高をくくっていた。だけど今は――。
天使くんは僕とは違う。僕にはもうその違いが解っている。腐っている僕と、穢れのない彼。僕にとっての大鴉は天空にかかる月。天使くんには、そんな彼の元まで飛んでいける綺麗な翼がある。――地上に繋がれ、汚濁にまみれた僕とは違う。
だから、あの二人で写っている写真を見たとき、不思議とすんなり納得していたのだ。ショックではなかったといえば嘘になるけれど……。
彼の不在に安堵しているにもかかわらず、同じくらい彼に帰ってきてほしいと、大鴉を諦めないでほしいと、願っている。
役員たちの噂話を聞きながらそんなことを考えていた僕は、おかしな顔でもしていたのだろうか? 鳥の巣頭と銀狐が揃って僕を見つめていた。鳥の巣頭は、どこか不安げに。銀狐は相変わらず表情の読めない、月光のような瞳で。
僕が怪訝な視線を返すと、鳥の巣頭はひょいっと首をすくめて、傍らの銀狐にまったく関係ない話題を振った。
それきり天使くんの話は、まるでタブーででもあるかのように、誰の口にも上らなくなった。きっと、その話題に触れることが、イコール白い彼のスキャンダルに繋がるからだ。この学校での彼の影響は絶大で、まるで神のように崇められているのだから。
この学校を出て行ってからもう何年にもなるのに、いまだに彼はエリオット一の伝説で、この学校を支配する英雄だ。
もう、そんな彼に似ているといわれることもなくなって、ずいぶんほっとしている。今にして思えば、僕に、彼と似ていると言っていたのは、入学したての白い彼を知っている先輩方と、子爵さまや銀狐のような同じプレップ・スクール出身の彼の後輩だけだ。
たぶん、幼い頃の彼に僕の面差しは似ていたのだろう。今の僕と白い彼は、似ても似つかない。今さら、どうだっていいことだけれど――。
天使くんがいなくなってからも、大鴉は何も変わらなかった。生徒会に入ってから、僕はよく彼の姿を見かけるようになっていたから、彼のそんな普段通りの姿に安堵した。
生徒会執務室のある同じ棟に、監督生の執務室もある。大鴉はよくそこへ出入りしているようだった。監督生代表は、大鴉のいるカレッジ寮の寮長でもあるから、呼びだされて小言でも喰らっているのかな、と思う。
たまに廊下で、監督生の灰色のウエストコートを着た先輩方に生意気な口を叩いている大鴉に出くわす。鳥の巣頭は眉をしかめて渋い顔をするけれど、そんなときの大鴉は唇を嘴のように尖らせて、膨れっ面をしていて、とても可愛らしい。僕は思わず微笑んでしまいそうな唇を、わざとへの字に引きしめて、顔を伏せて通りすぎる。振り返って見つめていたいのを、我慢する。
そして、生徒会役員になれて良かった、って思うんだ。去年よりもずっと、校内で彼を見かける機会が増えたもの。
とはいっても、今月はAレベルや、ASレベルの冬期試験があるので、生徒会の活動は控えめであまり執務室に出向くこともなかったけれど。だから試験が終わるまでは、僕の副業もお休みだ。ジョイントは記憶力を弱らせるからね。ずっと吸うのを止めている。梟にも、月初めに一度会ったきりだ。
もう、僕にはジョイントは必要ないんじゃないかと思う。喉が乾くようにジョイントを欲しい。お腹が空くようにジョイントが欲しい。呼吸をするように、ジョイントが――。
ずっとそう思っていたのに、もうジョイントの煙は僕を満たしてはくれない。守ってはくれない。
梟は、ジョイントを吸いすぎて耐性ができているからだと言う。
僕はここにいるはずなのに、僕は僕を見つけられない。微睡む僕は白い霧に溶け、僕の苦痛を全て引き受けてくれていた白い煙の中の白い彼も、かき消えている。ジョイントを吸いこみ、吐きだしても僕は一人。この世界にたった一人。もうあの美しい世界と繋がることもない。
夢のように朧な現実を、僕は微睡んだまま日々すごす。
眼前に流れる映画を見ながら、まるで頭のおかしい奴が自分もその一員ででもあるかのように振舞って、喋り、笑う。それが、僕。
ああ、違う、そうじゃない。僕だけが偽物。僕だけが実態のない影。ジョイントの作り出した幻影。腐った香りの白い煙。
最上級のジョイントを吸って梟に抱かれているわずか数分の間だけ、僕は正気に戻り、いなくなった僕を思って涙を流す。
もう、正気になんて戻らなくていい。
白い霧に溶けたままでいい。こんなぼやけた僕なら、大鴉、きみの瞳に映ることもない。
ねぇ、大鴉。僕はもう、本当にここにいるのかも判らないほど朧なのに、それでもきみの夢を見たいと願ってしまうんだ。
幻のような、きみの姿を見ていたいと――。
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