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四章
103 腐臭
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ポロポロと零れる
銀の雫は
腐った月の爛れた肌
「ぜんぜん足りないんだ」
一人目の男が帰った後、そいつが来る前にジョイントを吸いおえていた僕は、シーツを身体に巻きつけたままソファーにいる梟にしなだれかかり、媚びた視線を投げかけた。
「吸いすぎだ」
梟は、額に落ちる僕の髪をかき上げる。
「顔色が悪すぎる。お前、そうとう自分で吸っているんだろ?」
その通り。梟から預かった顧客開拓のためのジョイントを、僕は全部吸いきった。
「ちゃんとお金を払うよ。生徒会に入ったら売ってやるって、前に言ったじゃないか」
「そんな覚えはないがな」
苦々しげに呟く梟に、僕の頭はまた混濁する。
梟じゃない――。なら、誰だろう、そう言ったのは……。
「せめて一人に一本は吸わせて。すぐに醒めて気分が悪くなるんだ。やってる最中に僕が吐いたりしたら、興醒めだろ?」
ほら、煙水晶が揺らいだ。梟だって解っているんだ。これっぽっちのジョイントじゃ、僕はもう大した夢も見られないっていうこと。それどころか、バッドトリップしているってこと。
どうして梟が渋るのか、僕にはそっちの方が判らない。
「お前、どうして、あの時、」
何か言いかけたのに口をつぐみ、かき上げた髪を抑えたまま、梟は僕の瞳を覗きこむ。
「ガラス玉みたいな目だな」
「褒め言葉?」
ちっと眇められ逸らされた視線が、そうではないと言っている。
「ヘアワックスは? 髪をまとめている方がいい。あっちの方が似合っている」
「もうなくなった」
嘘だ。本当はもう、使いたくないだけ。僕の腐った臭いを誤魔化すのに、大鴉のヘアワックスを使うのが嫌なだけだ。
「買ってきてやる」
梟は本当に面倒見がいい。僕はソファーから立ちあがった梟に手を伸ばす。
「ちょうだい。もう次のひと、来ちゃうよ」
膝に投げてよこされたジョイントに、梟の銀のライターで火を点ける。腐った臭いが僕を包む。腐った僕に相応しい、どろどろの腐臭。爛れた腐海に漂う僕は一塊の汚物。こんな僕を欲しがるあいつらは、屍体を喰い散らすハイエナか――。
ジャッカルの頭のアヌビスを思いだし、ジョイントを加えたままくすくすと笑った。ポロポロと、白い灰が零れる。僕の笑い声に合わせて、ポロポロと――。
さっき梟が僕に言いかけたこと、何のことか解るよ。
今までと同じようにジョイントを吸って顧客の相手をしただけなのに、どうして僕は終わったとたん逃げだして泣いていたのか、ってことだろ?
そんなもの、なぜだかなんて僕にだって解りはしない。ただ嫌だったんだ。僕だけ違う臭いがすることが――。
僕だけが腐臭が漂っていることに、そのとき始めて気がついたんだ。
こんな腐った臭いだから、鳥の巣頭はジョイントを嫌って僕にやめさせようと煩く言うってこと。銀狐や、生徒会の他の奴らからは、こんな臭いはしないもの。
この白い煙にずっと包まれていた僕には判らなかった。
でも、ジョイントが僕を腐らせたのか、僕が腐っているから、僕のまとうこの香りもこんな腐った臭いに変わったのか、僕にはよく判らない。
ゆっくりとジョイントを吐きだしながら、ローテーブルに置いたままだったコロンを手に取った。約束通り梟が買ってきてくれた、ヘアワックスと同じ香りのコロンだ。
あのヘアワックス以上に、この香りは大鴉を思わせてくれる。目を瞑って鼻に近づけると、すうっと爽やかで、でも少しぴりっとした風が通り抜ける。そして甘い余韻が仄かに残る。彼が通り過ぎたみたいに。だからよけいに、僕はこれをまとうのは嫌だ。僕にはふさわしくない香りだもの。
僕には釣り合わないひと。それが、僕の大鴉。
誰にも届かない孤高の鳥。
銀狐だって、彼を捕まえることなんてできはしない。
きみのことを考えているときだけ、僕の腐った世界に清涼な風が吹く。
その力強い翼が、この腐臭をなぎ払ってくれる。
永遠のような刹那の中で、僕はきみの翼に守られる。
――そんな、夢を見る。
僕の至福のとき。
ジョイントの白い煙の中で、僕はどろどろに爛れ落ちる。肉は溶け、骨はパキパキと外れていく。赤く染まるシーツの上に転がれば、ハイエナどもが僕を喰らいにやってくる。
欠片ひとつ残さず喰らいつくしてくれればいいのに、この白い霧が晴れると同時に、僕は腐った身体を取り戻している。
そうして、本当の僕は屍体だってことが、他の人間にバレないように怯えながら日々をすごすのだ。
ああ、早く、誰かが、僕を喰いつくしてくればいいのに!
銀の雫は
腐った月の爛れた肌
「ぜんぜん足りないんだ」
一人目の男が帰った後、そいつが来る前にジョイントを吸いおえていた僕は、シーツを身体に巻きつけたままソファーにいる梟にしなだれかかり、媚びた視線を投げかけた。
「吸いすぎだ」
梟は、額に落ちる僕の髪をかき上げる。
「顔色が悪すぎる。お前、そうとう自分で吸っているんだろ?」
その通り。梟から預かった顧客開拓のためのジョイントを、僕は全部吸いきった。
「ちゃんとお金を払うよ。生徒会に入ったら売ってやるって、前に言ったじゃないか」
「そんな覚えはないがな」
苦々しげに呟く梟に、僕の頭はまた混濁する。
梟じゃない――。なら、誰だろう、そう言ったのは……。
「せめて一人に一本は吸わせて。すぐに醒めて気分が悪くなるんだ。やってる最中に僕が吐いたりしたら、興醒めだろ?」
ほら、煙水晶が揺らいだ。梟だって解っているんだ。これっぽっちのジョイントじゃ、僕はもう大した夢も見られないっていうこと。それどころか、バッドトリップしているってこと。
どうして梟が渋るのか、僕にはそっちの方が判らない。
「お前、どうして、あの時、」
何か言いかけたのに口をつぐみ、かき上げた髪を抑えたまま、梟は僕の瞳を覗きこむ。
「ガラス玉みたいな目だな」
「褒め言葉?」
ちっと眇められ逸らされた視線が、そうではないと言っている。
「ヘアワックスは? 髪をまとめている方がいい。あっちの方が似合っている」
「もうなくなった」
嘘だ。本当はもう、使いたくないだけ。僕の腐った臭いを誤魔化すのに、大鴉のヘアワックスを使うのが嫌なだけだ。
「買ってきてやる」
梟は本当に面倒見がいい。僕はソファーから立ちあがった梟に手を伸ばす。
「ちょうだい。もう次のひと、来ちゃうよ」
膝に投げてよこされたジョイントに、梟の銀のライターで火を点ける。腐った臭いが僕を包む。腐った僕に相応しい、どろどろの腐臭。爛れた腐海に漂う僕は一塊の汚物。こんな僕を欲しがるあいつらは、屍体を喰い散らすハイエナか――。
ジャッカルの頭のアヌビスを思いだし、ジョイントを加えたままくすくすと笑った。ポロポロと、白い灰が零れる。僕の笑い声に合わせて、ポロポロと――。
さっき梟が僕に言いかけたこと、何のことか解るよ。
今までと同じようにジョイントを吸って顧客の相手をしただけなのに、どうして僕は終わったとたん逃げだして泣いていたのか、ってことだろ?
そんなもの、なぜだかなんて僕にだって解りはしない。ただ嫌だったんだ。僕だけ違う臭いがすることが――。
僕だけが腐臭が漂っていることに、そのとき始めて気がついたんだ。
こんな腐った臭いだから、鳥の巣頭はジョイントを嫌って僕にやめさせようと煩く言うってこと。銀狐や、生徒会の他の奴らからは、こんな臭いはしないもの。
この白い煙にずっと包まれていた僕には判らなかった。
でも、ジョイントが僕を腐らせたのか、僕が腐っているから、僕のまとうこの香りもこんな腐った臭いに変わったのか、僕にはよく判らない。
ゆっくりとジョイントを吐きだしながら、ローテーブルに置いたままだったコロンを手に取った。約束通り梟が買ってきてくれた、ヘアワックスと同じ香りのコロンだ。
あのヘアワックス以上に、この香りは大鴉を思わせてくれる。目を瞑って鼻に近づけると、すうっと爽やかで、でも少しぴりっとした風が通り抜ける。そして甘い余韻が仄かに残る。彼が通り過ぎたみたいに。だからよけいに、僕はこれをまとうのは嫌だ。僕にはふさわしくない香りだもの。
僕には釣り合わないひと。それが、僕の大鴉。
誰にも届かない孤高の鳥。
銀狐だって、彼を捕まえることなんてできはしない。
きみのことを考えているときだけ、僕の腐った世界に清涼な風が吹く。
その力強い翼が、この腐臭をなぎ払ってくれる。
永遠のような刹那の中で、僕はきみの翼に守られる。
――そんな、夢を見る。
僕の至福のとき。
ジョイントの白い煙の中で、僕はどろどろに爛れ落ちる。肉は溶け、骨はパキパキと外れていく。赤く染まるシーツの上に転がれば、ハイエナどもが僕を喰らいにやってくる。
欠片ひとつ残さず喰らいつくしてくれればいいのに、この白い霧が晴れると同時に、僕は腐った身体を取り戻している。
そうして、本当の僕は屍体だってことが、他の人間にバレないように怯えながら日々をすごすのだ。
ああ、早く、誰かが、僕を喰いつくしてくればいいのに!
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