微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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四章

97 差し入れ

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 秋晴れの空が
 キシキシと音を立てるのが
 聴こえるかい?
 あれは、空が墜ちる前触れなんだ




「僕は一度だって、きみが他の誰かに似ているなんて思ったことはないよ」
 寮に戻り、僕の部屋に寄って一服していたときに、鳥の巣頭はしみじみと言った。
「初めて逢ったときから、きみは僕がこれまで出逢った中で一番綺麗で、一番可愛らしい子だった。他の誰とも比べられないほど」
「初めてって、この寮の部屋に案内されたときかな?」

 鳥の巣頭がえらく大真面目な顔をしてそんなことを言いだしたので、僕も入寮の日のことを懐かしく思い返していた。けれど、鳥の巣頭は首を横に振る。

「きみは覚えていないだろうけど、入学試験の日に遇ってるんだ、僕たちは」
 ちょっと照れたように、こいつは首をすくめる。
「僕はきみのことがずっと忘れられなくて、この寮で同室だって紹介されたときは本当に嬉しくて、舞いあがったよ。これは運命だって思ったんだ」

 なんだか気恥ずかしくて、声を立てて笑った。

「大袈裟だな」
「本当だよ」

 鳥の巣頭は憮然として唇を尖らせる。

「僕は運命なんて信じないよ」

 僕の放ったその言葉は、思いがけず、僕の上にも、こいつの上にも冷たく鳴り響いていた。

 ――この僕が運命なんてもの、信じるわけがない。

 僕にこの寮で再会したのは運命だって? 違うだろ? 僕がこの寮に来たのは奨学生試験に落ちたからだ。それじゃあ鳥の巣頭の幸運は、僕の不運の上に成り立っているってことか? 

 そんなことにも気がつかないおが屑頭――。

 僕の冷たい言葉に凍りつき、鳥の巣頭の茶色い瞳が泥のように暗く沈みこんでいる。身体を強張らせ、打ちひしがれている。


「僕は、運命なんかじゃなくて、きみはきみの意思で僕の前にいる、って言ってもらいたいんだよ」

 僕はこいつが可哀想になって、言い足した。
 伏せられていた睫毛が持ちあがる。口角があがる。こいつは、笑うと笑窪えくぼができるんだ。

「もちろんだよ、マシュー」

 にっこりと頬笑みを取り戻したこいつに、僕もほっとして笑みを返した。


 僕は運命なんて信じない――。

 そのとき僕は、はっきりとそう言い切った。
 僕を押し流す運命という大きな力を、否が応にも感じずにはいられなくなる。そんな日が来ることを、僕はまだ、知らなかったんだ。





「前年度に比べて、執務室に差し入れが増えているような気がするんだけど。どうしてかな?」
「おや、きみに解らないとはね」

 ハーフタームを前にした夕方の執務室で、鳥の巣頭が大きく伸びをしながら首を捻る。傍らの銀狐は、訳知り顔でくすくすと笑っている。僕は相変わらずカードの清書で忙しかったし、室内には他の役員も数人いたので会話には加わらなかった。

「マシュー! お茶は?」
 役員の一人が、お茶のセットを置いてあるコーナーから声をかけてくれている。
「あ、はい」
 僕は慌てて立ちあがる。お茶を淹れるのは僕たち四学年生の仕事だ。
「ああ、いい、いい。続きを先にやれよ。ついでで淹れるだけだからさ」
 威勢のいい声が返ってくる。僕はどうしていいのか判らなくて鳥の巣頭を盗み見る。

「おい、執務室内では、」
「名前呼び禁止! 失礼しました、総監」

 ちっとも反省している様子のない明るい声がすかさず返る。校内では、原則苗字で呼びあう。名前で呼んでいいのは、親しい者同士のプライベートのときだけだ。

 ドン、ドン、と、ノックの音がする。

「おーい、総監!」

 ドアから突きでた顔が執務机の鳥の巣頭を見つけると、手にしていた紙袋をガサガサと揺する。

「家から送ってきたんだ。良かったらみんなで食べてくれ」

 またか! という顔で、鳥の巣頭が銀狐と顔を見合わせている。だが、役員の皆が口々にお礼を言っているので、僕も一緒にお礼を言った。その人は嬉しそうに笑い返してくれた。
 そして、当たり前のようにお茶を淹れている役員の横に行くと、「俺の分もな」と準備の手伝いなんて始めている。見たことのある人だから、どこかの部活のキャプテンか、副だろう。
 こんなところで油を売っていていいのかな、と眺めていると、「ご苦労さん」と僕にもお茶と、差し入れのチョコレートをくれた。

 ハロッズの缶に入った一口チョコに、僕の瞳はキラキラと輝いた。だって、本当に久しぶりだったんだもの!
 でも、色んな味がある中から一番に選ばせてもらっていいものか判らなくて、僕は鳥の巣頭に目をやった。

「いいから好きなのを取れよ」
 頭上から大きな声が落ちる。
「はい! ありがとうございます」
 急いで一つ摘み、上目遣いにそっと彼を見あげてお礼を言った。べつに、彼はぐずぐずとしていた僕の様子を怒るわけでもなく、にこにこと笑っていたので、ほっとして微笑み返した。

 お茶がみんなに行き渡ったころ、チョコレートを摘みあげて口に運んだ。蕩ける甘さに頬が自然とほころぶ。だけどすぐに、しーんと静まり返っている室内に慌てた。皆の視線が僕に集中している。

「美味しいかい、モーガン」
 銀狐のいつもの揶揄うような声に、逆に緊張が解けて安堵し、頷いた。
「ええ、とっても!」

 どっと笑い声が巻きおこり、何事もなかったように雑談や、先ほどまでの役務の続きが再開される。

 狐に摘まれた気分で首を捻りながら、僕は温かいお茶をすすり、書きかけのカードに視線を落とした。





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