微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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三章

91 対面1

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 煌く蒼
 覗きこむ深淵に
 一縷いちるの光




 不機嫌さを持てあましたまま宿舎に戻った。鳥の巣頭はもう少し話があるからと銀狐の部屋へ寄ったので、僕は憮然として一人で部屋へ戻るしかなかった。

 泊まって行くのかと思ったのに……。

 鳥の巣頭はこのまま合宿先に帰るのだと言う。わずかに空いた時間を使ってここまで来たのなら、その時間を僕だけのために使ってくれればいいのに。

 僕はイライラとベッドに身を投げだし、隣の壁を睨めつけた。
 壁の向こうから、時々、ベッドが大きく軋む音がする。
 話がある、と言ったくせに、途切れ途切れにしか声は聞こえない。

 何をしてるんだ?

 急に心配になった。銀狐の鳥の巣頭に対する、僕へ向けるものよりもよほど砕けた口調や、朗らかな笑顔が脳裏を過る。鳥の巣頭も――、僕に見せるのとはまるで違う顔を彼に向けているのだ。

 いてもたってもいられなくて自室を出ると、隣の銀狐の部屋のドアを開けた。

 ベッドヘッドにもたれた銀狐のむき出しの蒼白く細い脚の間に、鳥の巣頭がうずくまっている。思わず目を逸らした僕に、振り向いた銀狐の声がかかる。

「すまないね。きみたちの時間を邪魔してしまって。もう終わるからね」
 そして、鳥の巣頭の方へ顔を向け、「もう充分だよ。ありがとう、楽になったよ」と柔らかな声で呼びかける。

「もう少しするよ。きみ、かなり無理をしていたんだろう? すごく筋肉が強ばっている。マシュー、もうちょっと待っていて」
 淡々とした鳥の巣頭の声が答える。

「入って。そこに座っていてくれる?」
 銀狐に指差されたた椅子に腰かけると、鳥の巣頭は時間が惜しいとばかりに、また身を屈めて彼の脚に手を当て揉みほぐし始めた。

 僕は自分の中に生まれていた疑心が恥ずかしくて、赤くなって顔を伏せた。

「彼、上手いんだ。部活でスポーツ・マッサージの正規の講習を受けているからね。きみはしてもらったことはないの?」

 おずおずと顔を上げた僕の目に、彼の脚に残る酷い傷痕が飛びこんできた。思わず唇を噛んで、目を逸らしてしまった。



「きみはすごく繊細なんだね。それに、――優しい」

 しばらく経ってからポツリと呟かれたその言葉に、何て答えていいのか判らなかった。じっと黙って俯いたまま、椅子に座り続けているしかない。

「マシュー」
 はっと面を上げると、鳥の巣頭が覗きこんでいる。
「行こうか」

「おやすみ。また明日。約束を忘れないで」
 そう言って、銀狐はいつもと変わりない笑顔を僕に向けた。



 僕の部屋へ入るなり、「きみと彼は上手くいっているんだね」と鳥の巣頭が複雑そうな表情をして僕を見つめる。

「なんだか妬けるよ」
 僕の首筋に腕を回し、抱きしめる。
「馬鹿だね」
 僕はくすりと笑って抱きしめ返す。

「プライドの高い彼がきみを部屋に入れて、あの傷を見せるなんて、本当に驚いたよ」
 僕の耳許に、くぐもった、囁くような言葉が吐息と一緒に呟かれた。
「僕たちのためだ。きみに誤解されたくなかったからだよ。――好きだよ、マシュー。きみだけだからね。僕が本当に触れたいと思うのも。抱きしめたいと思うのも。こんなふうに、」僕の髪に指を差し入れ柔らかく梳き流しながら、鳥の巣頭は唇にキスをくれた。「キスしたいと思うのも」

 こいつのキスを受けるのは初めてってわけじゃないのに、僕はたぶん初めて、それが嬉しくて、そして気恥ずかしく感じたんだ。


 それからすぐに、鳥の巣頭は帰っていった。カレッジ・スクールの最終日に迎えにくると言い残して。後、十日もある。僕は駅まで送ると言ったけれど、僕の帰り道が心配で堪らなくなるから駄目だよ、と笑って断られた。

 鳥の巣頭が帰ってしまうとなんだか気が抜けてしまった。そのまま、何も考えずに眠りに落ちた。


 翌朝、銀狐のノックの音に飛び起きて、梟との約束を思いだした。約束の時間にはまだ間があったので、僕は急いでシャワーを浴びて身繕いを整えた。





 いつものカフェテリアに梟はすでに来てくれていた。約束の時間に少し遅れてしまったことを、別段怒りはしなかった。銀狐と一緒に来たことにも、特に何も言わなかった。蛇は今日はいなかった。ほっとして、銀狐を彼に紹介した。

「あなたのこと、存じあげていますよ。当時の生徒会役員で、ボート部のキャプテンもされておられた」
 銀狐はにこやかに梟に微笑みかける。
「記憶力がいいんだな。俺もきみのことは知ってるよ。有名だったからな」
「親の七光りでね」

 意味が解らないままぽかんとしていた僕を一瞥すると、梟はにやりと唇の端を上げて笑った。

「ボビーあるいは、ヤードって呼ばれることもあったな。今でもかい?」
「そうですね、すっかり定着してしまいました」

 銀狐はすっきりと微笑んで、コーヒーのカップを口許に運ぶ。こくりと喉が鳴る。カップをソーサーに戻し、彼は真っ直ぐに梟を見つめた。いや睨めつけたと言うべきか――。

「ご存知なら話は早い。この子から手を引いていただけませんか?」

 僕は唐突に告げられたこの言葉の意味も、笑みを湛えたまま冷たくにらみ合うこの二人の関係も解らないまま、唖然として為す術もなく、その場に石のように固まっていた。




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