微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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三章

86 八月 月の光

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 繰り返される甘美な夢
 咲き誇る一夜
 はらりと落ちる



 銀狐のことがすっかり好きになった。
 だって彼、僕にあのヘアワックスをくれたんだ。「使いかけでもかまわないなら」って。いつもなら他人の使ったものなんてごめん被るのだけれど、これが大鴉がくれたものとなると、そんなのちっとも気にならなかった。


「でも、あなたは困らないのですか、副総監?」
 おずおずと上目遣いに彼を見ると、銀狐はやはりくすくすと笑って、「ちょうど飽きてきたところだから」とポケットから携帯用のそれを取りだして僕の手にのせてくれた。
「部屋に戻ったら大きいサイズもあるからそれもあげるよ。それより敬語はやめてくれる? 名前で呼んでくれてかまわないよ。本来なら同期だろ? それに僕も今年度からきみの同期になるのだし」

 三日月のように細められた目も、ちょっと首をすくめてにっと笑うあの笑い方も、僕を馬鹿にしているのではないのだと解り、嬉しかった。
 ぱっと見、冷たそうに見えるのは、あの涼しげなシルバー・ブロンドと明るすぎる瞳のせいで決して彼の本質じゃない。今までのつまらない警戒心が解れたせいか、僕たちは急速に親しくなっていった。



 銀狐はさすがに奨学生だけあって、群を抜いて賢かった。こんな夏期講習なんかに参加しなくても十分オックスブリッジの合格圏内だ。そう言うと、「家にいても退屈だからね」と彼はふふっと笑った。

 彼はジャンプスキー大会での事故で大怪我を負ったのだという。試験を受けられなかった彼の留年は決定していたけれど、いろいろ問題の持ち上がっていた生徒会を統括するために、二ヶ月の入院とその倍のリハビリ期間を経て学校に復帰したのだそうだ。
 彼は走ることはできない。歩くときもゆっくりだ。長時間立っていることもおぼつかないらしい。
「本当は、儀式参加の多い生徒会役員は辞退するべきなんだけれどね」
 自嘲的に嗤い、いつものように首をひょいとすくめる彼を見ていると、なんだかやるせない。



 講習が始まって最初の週末、銀狐は「映画にでも行こうか?」と誘ってくれた。すごく嬉しかったけれど、断るしかない。

「エリオットの先輩がここの学生で、約束があるんだ」
「へぇ、どこのカレッジ? 学部は? 僕にも紹介してもらえないかな? カレッジ選択のアドバイスをして欲しいな」

 銀狐は金の瞳を光らせて射抜くように僕を見つめる。少し首を傾けてにっこりと笑いながら。彼の頼みを聞いてあげたかったけれど、こればかりは僕の一存では決められない。

「先輩に訊いてみるね。次の週末でよければ……」
 やんわりと断りを入れた僕の言い方が気にいらなかったのか、銀狐の瞳に険が走る。でもすぐに機嫌を直してくれて、「うん、解った。それじゃあ、楽しんできて。来週、その先輩にお逢いできるのを楽しみにしているよ」と、にっこりと僕を見送ってくれた。




 久しぶりに逢った梟の隣には、蛇がいた。

「きみ、ずいぶんと健康そうになったね。嬉しいよ、きみの美貌が損なわれていなくて」

 どうして僕は、銀狐と、この目の前にいる蛇が少しでも似ているなどと思ったのだろう――。

 梟は何も言わず、視線を落としたまま煙草を吸っていた。




 どうやって宿舎に戻ったのか覚えていない。
 梟が送ってくれたのだろうか?

 気がつくと自分のベッドに寝ていた。甘い香りがまといついている。もうジョイントの効き目は切れているはずなのに、僕はいまだに白い霧の中を揺蕩っている。

 霧の中に鈍く光る月光に、手を伸ばして――。
 首筋に絡めて引き寄せた。

「昼と夜とじゃ、きみはずいぶん変わるみたいだね。そうやってセディを落としたんだ?」

 冷めた瞳が僕を見おろしている。
 この瞳を知っている。

「甘い濃厚な香りがする。まるできみ、月下美人だ」

 さらさらとした銀の髪が、月の光みたいだ。
 彼の頭を引き寄せ、その薄い唇を喰み、強く吸った。

「やめてくれよ」

 くっと唇を歪めて銀狐は嗤い、僕を振り払うように首を振った。

「僕は友人のものに手を出す趣味はないんだ」

 友人? 

 誰のことを言っているのか解らない。

「僕はきみのことが好きだよ」
「ヘアワックスをくれたから?」

 銀狐はベッドに腰かけてくすくす笑った。キシリ、と狭いベッドがたわむ。

「きみの精神構造は幼児並みだね。自分よりも下だと思ったら徹底して見下した態度を取るのに、敵わないとなるともうそこで思考停止だ」

 意味が解らない。彼はいったい僕に何が言いたいのだろう?

「いったいセディは、きみのどこに彼を重ねたのだろうね? ちっとも似てやしないのに」

 彼? 白い彼……?



 僕はジョイントの白い霧の中で迷子になったまま。
 冷ややかに降り注ぐ月光を、虚ろな瞳で、ただ、眺めていた。





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