微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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三章

84 レセプション2

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 陽の輝きに
 影を落とす
 巡る螺旋の
 さやけき音




 しばらくしてレセプション会場に戻ると、鳥の巣頭が心配そうに駆けよってきた。
「マシュー、……平気?」
「大したことないよ、ほら、今日は陽気がいいからさ、少しのぼせちゃったみたいで」
 僕の作り笑いに、こいつはほっと安堵の吐息を漏らしている。
「辛かったら休んでいたらいいんだよ。もうそろそろお開きだし」
「そう、そう、お嬢ちゃんは休んでなよ。またぶっ倒れたら大変だ!」
 鳥の巣頭の背後から揶揄うような声があがる。

 なんだよ、お嬢ちゃん、って!

「もう平気です」
 僕はムキになって言い返した。そいつは大声で笑って僕の頭をくしゃりと撫でてから、鳥の巣頭の肩を組んで声を潜めて何事か話し始めた。こうなると鳥の巣頭は役員の顔だ。僕なんて眼中にない。僕はこの二人から目を逸らしてため息をついた。


 せっかく鳥の巣頭がヘアワックスを借りてきてくれたのに、ぐしゃぐしゃになってしまったじゃないか……。僕は誰に借りたのか知らないのに。


 額にかかる髪をかき上げていた僕に、誰かの手がすいっと伸びてきて櫛を貸してくれた。
 お礼を言おうと振り返ると、その手の主、銀狐の視線は僕を通り越して、カラーの下に赤い痕の覗く鳥の巣頭のうなじを見ていた。そして、ちらっと僕を見やると、意味ありげにニヤっと笑った。

「髪の毛、直しておいで」
 子どもに注意するようなその口ぶりにいたたまれなくて、足早に木陰に入り、膨れっ面のまま丁寧に時間をかけて髪を整えた。櫛を入れると、ふわりとバニラにムスクの入り混じったような、甘い香りが漂った。ヘアワックスをつけたときには、もっと爽やかな香りだったのに。そしてやっと、それが銀狐と同じ匂いなのだと気がついた。



 鳥の巣頭たち旧役員は、この後卒業セレモニーに出席する。けれど僕たち新役員の仕事はここの後片づけだ。とはいえグラス類やトレーはカレッジ寮の厨房が引き取りにくるし、ゴミの始末とテーブルだけなので大したことはない。
 手馴れた他の役員連中のおかげでてきぱきと終わり、ほどなくして解散。
 新役員の誰かが僕の寮に用事があるというので、一緒に帰った。こいつの名前、何だったっけ? 二十名もいるのに覚えられないよ。




 セレモニーの手伝いで夕食時間に間に合わなかった僕は、食堂で取り分けてくれていた食事を一人で済ませた。部屋に戻るとクタクタだった。

 きっと鳥の巣頭が来るだろうな、と思いながら、いつしか眠りに落ちていた。



 薄闇の中、人の気配で目が覚めた。カーテンを開け放ったままの、窓から差しこむ月明かりに照らされた鳥の巣頭が、ベッド脇に腰かけている。固めていた僕の髪を手で梳いている。

「泊まっていってもいい?」
 目を開けた僕に、鳥の巣頭は顔を寄せて囁いた。
「シャワーを浴びそこねた」
「かまわないよ」
 傍らに横たわり、鳥の巣頭は僕の頬をすりすりと摩った。
「今日のきみは立派だったね」
 黙ったまま、こいつを睨めつけた。
「僕はきみが泣き出すんじゃないかと気が気じゃなかったのに」
「……もう、終わったことだよ」
「うん」
 鳥の巣頭は僕をぎゅっと抱きしめた。でも僕は、抱きしめ返してやる気になんて、ならなかった。こいつに見られていたことじたい、腹立たしかった。

 僕と子爵さまのことは、お前が立ち入っていいことじゃないだろう?

 ただただ、腹立たしかった。だからついと顔を背けた。

「マシュー、夏期休暇に入ったら、ヘアワックスを買いにいこうか?」

 髪がかき上げられ、うなじに軽いキスが落ちる。
 ヘアワックスの甘い香りは、もうすっかり落ちていた。





 夏期休暇に入った。オックスフォードのASレベル試験対策カレッジ・スクールが始まるまでの一週間が、最も苦痛な時間だ。
 父も、母も、僕を信じていないから自宅で軟禁状態。外出なんてままならない。
 自宅までは鳥の巣頭が送ってくれた。僕の母に、学校での僕の様子を報告するためだ。僕はこいつのよく回る舌で語られる嘘っぱちの美辞麗句なんか聞かされるのは嫌だから、「疲れている」と言って早々に自室に引っこんだ。

 今回のオックスフォードのスクールは、鳥の巣頭は参加しない。最後の夏となるボート部の部活動を優先するためだ。僕を一人で放りだすのかと思ったら、「副総監が同じ宿舎だから安心して」と言われた。
 彼も僕たちと同様に、毎年あそこの講習を受けているらしい。ちっとも知らなかった。とはいえ広い大学街でたまたま同時期にいたからって、すれ違うことさえなかったに違いない。

 でも今回は僕のお目付け役を兼ねてだ。また、このお節介が頼みこんだから。

 僕は彼は苦手だと言ったのに! いつだって僕の気持ちはおかまいなしなんだ!

 

 久しぶりに梟に逢えるのは嬉しいけれど、銀狐と四六時中顔をつき合わさなければならないのは、正直、気が重い。





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