微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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三章

82 顔合わせ2

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 さんざめく渦の中は
 ひとりでいる時よりも
 もっとひとり




 会議の後半はほとんど上の空だった。
 緊張しすぎで血の気が引いていた。隣に座っていた奴が「大丈夫?」と声をかけてきた。僕は無理に口角を上げて微笑んでみせた。軽く頷いて「平気、ありがとう」と答えただけだけど。だって、あまり親しげに喋っていると、鳥の巣頭が焼きもちを焼くに決まっているもの。僕は努めて平気な顔をして、時計の針がカチコチと時を刻む音を数えていた。

 ただの挨拶にすぎない顔合わせだ。重要な決定事項を告げられるわけじゃない。それなのに、「散会」の言葉とともにどっと緊張が解れ、疲れが噴きだしていた。鳥の巣頭は旧役員たちとまだ何か話している。僕の方を見ない。また動悸が激しくなってくる。息が苦しい――。

「きみ、座った方がいいよ。顔色が真っ青だ」
 知らない誰かに肩に手をかけられた。びくりと肩が跳ねあがる。変に思われただろうか? 掴まれた腕が引っ張られ、無理に椅子に座らされた。視界が白んでいく。僕はぎゅっと目を瞑って、意識して落ちつけようと浅い呼吸を繰り返す。

「きみ、これを飲むといいよ」
 薄く目を開けると、水の注がれたグラスを渡された。さっきとは違う奴だ。力の入らない指先でグラスを持つと、もう一方の手も添えてゆっくりとその水を飲み干した。ほっと息を継いだ僕の横で、水をくれた彼もほっとしたように吐息を漏らしている。それだけのことがなんだか嬉しくて、彼の方を向いてにっこりした。ちゃんとお礼を言わなくては。

「ありがとうございました。助かりました。僕、ちょっと緊張しすぎたみたいで」
 僕が微笑むと、その彼もはにかんだような笑みを返してくれた。

「モーガン」
 鳥の巣頭に呼ばれたので立ちあがった。僕の周りを取り囲んでいた数人がさぁっと道を開けてくれた。

 顔色が悪いって――。もしかして、今にも死にそうな顔でもしていたのだろうか?

 恥ずかしさで、僕はみるみる真っ赤になってしまった。
 銀狐に、注意されたばかりだというのに……。
 彼の氷のような視線が突き刺さるのではないかと思うと、怖くて顔をあげられない。
 
「モーガン、どうしたの?」
 鳥の巣頭の怒ったような声が聞こえる。

「何でもありません。平気です」
 僕の消え入りそうな声に被さるように、「気分が悪そうだったからね。会議が長過ぎたんだよ、総監!」「全くだ! 僕も倒れそうだったよ、あまりに眠たくてね!」と揶揄う声に笑い声が、どっ、と沸き起こる。

 誰かが僕の肩をとん、と叩いた。
「僕も去年はずいぶん緊張したものさ」
「お前も昔は初々しかったのになぁ……」
「まぁ、きみほどじゃないけどね」
 また別の手が僕の髪をくしゃりと撫でた。
「まったく、こんな可愛い子が同学年にいたなんてね!」

 目まぐるしく飛び交う大声と笑い声に、頭がクラクラする。

「はは、驚いてきょとんとしているじゃないか! まるで兎ちゃんだな」

 僕のこと? 

 わけが解らなくて小首を傾げると、また歓声が上がった。

「おい、きみたち、あまり彼のことを揶揄うなよ! 彼はこういう席には慣れてないんだから!」
 鳥の巣頭の尖った声が響く。
「なんだ、自分の寮の子だからって独り占めか!」
「トマス!」

 名前呼び……。会議中はともかく、今は、鳥の巣頭は皆のことを名前で呼んでいる。僕はモーガンだったのに。旧役員だけでなく、新役員のほとんどともうすでに知り合いみたいだ。ふざけあうような、気さくな会話を交わしている鳥の巣頭の横で、銀狐もクスクスと笑っている。そんな彼の視界に僕は入っていないという事実だけで、安堵の吐息が漏れる。
 だが、僕はまたもや自分だけが蚊帳の外に置かれた気分になって、気が塞いだ。





「マシュー、ごめんよ。びっくりしただろう? 生徒会の役員は部活のキャプテンや副をやっている連中ばかりだからね、皆顔見知りで気心知れているんだ。口は悪いけれどいい奴らばかりだよ、きみもすぐに仲良くなれるよ」

 生徒会執務室のある学舎から寮へ帰る道々、鳥の巣頭は僕の機嫌を取るような、今頃になって緊張しているような、そんな変な顔つきで僕の顔を覗きこむ。

「でも、僕と彼らは、ずいぶんと隔たりがあるように感じたよ。僕はそんなにスポーツが得意でもないし……」

 言葉を濁して答えると、鳥の巣頭はすぐに否定するように首を振った。

「関係ないよ! 生徒会内でスポーツを競うわけじゃないんだからさ。皆、きみに興味津々なんだよ。――その、きみは、可愛いから……」

 かき消えそうな声で呟いている。

「心配? ジョイントが絡まないのに、もうあんなことにはならないよ」

 僕は冷めた口調で答えた。
 以前にも同じことを言われた。ボート部の先輩や友人を紹介すると言われた時だ。あの時は、そいつらがすでに知っている奴らばかりだったから、ああなっただけで……。

 今回顔合わせした生徒会役員の中には、僕の見知った顔はいなかった。だいたいジョイントが手に入るのでもないのに、面倒な相手をする気なんてさらさらないね。

 鳥の巣頭の指が僕の手をそっと握る。僕も応えるように指を絡ませた。




 フェローズの森が見えてきた辺りの坂道で、下ってくる人影が目に入った。黒いローブが、ふわりと風になびいている。

 大鴉!

 鳥の巣頭の手を慌てて振り払って、拳を作り握りしめた。

 笑い声が響いている。
 大鴉と、――天使くん。それにもう一人。顔だけしか知らない馬術部の子だ。声高に喋っているのはこの子ばかりで、大鴉が横で声を立てて笑い、天使くんも控えめにクスクス笑っている。大鴉のローブに半分隠れるようにして、大きな紙製の蝶が歩く度にパタパタとはためいている。

「凧揚げか。呑気なものだね、最年少銀ボタンくんは」

 鳥の巣頭が小声で呟いた。
 訝しい思いでこいつの顔を見つめると、鳥の巣頭はくいっと眉根を上げて口をへの字に曲げた。

「あのカラスの子、次年度の銀ボタンに決定したんだ。さっきの会議で言っていただろう?」

 僕は驚いて、一瞬言葉を失っていた。

「二学年で? 監督生?」
「さすがにそれはないよ。単独の銀ボタンだよ。もうケンブリッジ大学の入学許可が下りているらしいよ」

 Aレベルを受験して二年で卒業――、そう言えば、以前そんな噂を聞いた覚えがある。大鴉がますます遠くなる。

 狭い歩道で彼らと行き違うとき、大鴉のローブに僕の指先が触れた。
 その指先が燃えるように熱く、痺れた。心臓に、ぎゅっと掴まれたみたいな痛みが走る。

 擦れ違う大鴉は僕からは遠く、さらに遠く。僕は振り返って彼の背を追うことすらできない。

 それなのに、僕に似た、僕に一番近いところにいたはずの天使くんが、彼の傍らを当然のように歩いている。蕩けそうな笑みを湛えて。僕の大鴉の横を!

 血が滲むほど、唇を噛み締めていた。一刻も早く、もっと、もっと、彼らから遠ざかるように歩調を速めていた。

「マシュー?」


 腕にかけられた鳥の巣頭の手を、無意識に打ち払っていた。






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