微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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三章

71 怒り

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 金の瞳が闇を映し
 満ちて
 欠けて
 僕を誘う




「ジョイントを売る?」
 僕は小首を傾げて梟を見つめた。

 いくら頼んでも僕にはジョイントを売ってくれなかった梟が、いったい何を言っているのだかかいもく見当がつかなかった。

 僕に売ってくれると言うのなら、喜んで買うのだけれど――。

「次年度の生徒会はあいつが仕切るんだろ、お前の連れがさ?」

 暗に鳥の巣頭のことを出され、眉間に無意識に皺が寄った。とたんに梟に笑われた。梟の長いしなやかな指先が、皺を伸ばすように眉間に触れる。

「おまけに寮長も兼任だろ?」

 僕はいやいや頷いた。

「生徒総監になることが決まっている、て、言っていたよ」



 梟は何を考えているのか判らない、あの不思議な煙水晶の瞳でじっと僕を見つめて言った。

「リストをやる。ジョイントの顧客リストだ。今期の寮長にお前が後継だと言っておいてやる。そうすれば、後はあいつが上手く引き継ぎを教えてくれる」
「寮長――。あの田舎鼠……」

 嫌悪感が素直に顔に出てしまった僕を見て、梟が吹きだした。

「田舎鼠。ぴったりの名前だな」
「嫌いなんだ、あいつ。下品で、しつこくて」
「まぁ、気持ちは判らないでもないよ」

 梟はクスクスと笑いながら頷いている。


 つまり、こういう事だ。堅物の鳥の巣頭を通じては、校内でのジョイントの販売は上手くいかない、と踏んだ梟は、代々寮長が受け継ぐジョイントの販売網を僕に託したい。蛇のいた頃から考えていたのだそうだ。本来なら鳥の巣頭ではなく、僕が今年度の副寮長になっているはずだったのだから。あるいは、副寮長を鳥の巣頭に譲ったところで僕が生徒会役員になっていれば、それはそれで問題なかったのだ。

 それなのに、あんなところにぶち込まれたりしたから――。

 まるで僕の考えている事が判るかのように、梟の目がすっと細められる。

「お前、ずいぶん顔色が良くなったな。ジョイントはやめたのか?」

 僕の苦笑いに、梟は呆れたように眉根を持ちあげる。

「まだ欲しいのか?」
「薄いので我慢するよ」

 本当は、あんなもの煙草と大して変わりはない。それでもないよりはマシだ。欲しい。今すぐにでも。

 僕の目の色の変化に、梟の瞳がほんの一瞬、揺らいだ気がした。




 梟と別れて宿舎に戻ると、鳥の巣頭が僕の部屋の前で待っていた。溜息が漏れた。

「どこに行っていたの?」
「朝食」
「待っていてくれれば、一緒に行ったのに」

 うるさい、鳥の巣頭!

 せっかくの休日を、僕はまた、こいつの小言を聞きながらすごさなくちゃならないのか? もう、うんざりだよ……。

 なんとか、こいつを追い払う方法はないかと思考を巡らせる。

 気分が悪い、とか。

 駄目だ、眠くもないのにベッドに追いやられた上に、こいつは、つきっきりになるに決まっている。

 約束がある。

 誰と? それこそ根掘り葉掘り聞かれて面倒くさい。だいたい、試験対策スクールで呑気に友達つき合いしようなんて奴は、この宿舎にはいない。

 勉強するから――。

 見てあげる、って言われるだけだ。


 出窓に腰かけて、鳥の巣頭に足を突きつけた。ムカつきながら。

「足が痛い。靴が合わないのかな。見てくれる?」

 鳥の巣頭は怪訝な顔をして僕を見たけれど、すぐに両膝をついて僕の靴の紐をほどいた。靴を、それから靴下を脱がせて、むき出しになった足の甲を掌にのせたまま、僕を見あげる。

「どうもなっていないよ、マシュー」
「痛いんだ」

 窓枠に寄りかかったまま、こいつのくしゃくしゃの錆色の髪を眺めていた。

「キスして」

 鳥の巣頭は顔をもたげて僕を見あげた。戸惑いに空気が揺らぐ。だけどこいつは、そのまますぐに面を伏せて、手の中の僕の足の甲に唇を落とした。


「ねぇ、きみ、どうして以前は僕にジョイントをくれていたの? 身体に悪いって解っていたのに」

 そう、こいつが急に変わったのも、ここオックスフォードだった。こいつの錆色の旋毛を見ていると、ふと、そのことを思いだした。今朝の梟との会話が、頭の中で何度も繰り返されていたからだろうか? あの頃は、こいつだってジョイントを頻繁にくれていたのに――、と。


「あのとき、寮長に何を言われたの?」

 鳥の巣頭はいつもの不安げな、きょどきょどした瞳で僕を見つめて答えた。

「――兄のことを。ジョイントを吸っている間だけ、きみは記憶の檻から逃れて、束の間の安息を得ることができるんだって。きみに正気を保てないほどの苦痛を与えたのは、僕の兄で……。今、ジョイントを取り上げてしまったら、きみは気が狂うか、自殺してしまうかもしれないって。――僕は兄の代わりにきみに償うって、約束したよね」


 その刹那、ダンッと、ワックスで艶光りしている焦げ茶色の床板に、鳥の巣頭を突き転がしていた。湧きあがる怒りで、わなわなと唇が震えていた。


「憐憫? 冗談じゃないよ!」

 起きあがったこいつの唇から、一筋の血が流れている。

「出ていけ」

 僕の言葉に、こいつの顔が歪む。

「マシュー、」
「出ていけよ!」

 鳥の巣頭は目を伏せたまま拳で唇を拭い、立ちあがり部屋を出た。

 僕はベッドに潜りこんでシーツを頭から被ると、苛立ちと、身体の奥底に渦巻いている腹立たしさにまるで熱病にでもかかったように身を震わせながら、歯を食いしばって、耐えていた。





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