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三章
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廻り続ける因果の環
天が地に
地が天に
くるりくるりと、めくるめく
マクドウェルと名乗った男は、言葉の通りにすぐに席を立っていってしまった。
ウインドー越しにその姿が通りの向こうへ完全に消えると、やっと張り詰めていた梟の緊張が解けて安堵の吐息がついてでていた。
僕の視線に、梟はくいっと片眉を上げる。
何も訊くなよ、暗にそう言われている気がして、「朝食を買ってきます」と立ち上がった。「コーヒーもな」と梟は僕に十ポンド札を握らせた。
トレイを持って席に戻ると、もういつもの梟だ。
にっと笑ってコーヒーを受けとると、学校のことをいろいろ訊いてきた。僕の方から言いださなくても、梟は生徒会の辞任劇のことはすでに知っていた。やっぱり、さすがは梟だ! でも、
「そんなにすごい奴なのか、そのソールスベリーの後見している奨学生ってのは?」
梟から大鴉のことを訊ねられ、僕は答えに詰まってしまった。
「どうだろう? よく判らないよ。子爵さまは、わざと携帯にウイルスが仕込んであったって言うけれど、それだって憶測にすぎないもの。学校中に迷惑がかかるのに、あそこまでするなんて――」
「ソールスベリーならそれくらい平気でやるさ。まったく、あいつがエリオットを見捨ててくれて、安心してたらこれだものな」
梟は腹立たしげに眉根をひそめる。
「――前に、監督生が事故で死んだだろう? お前、覚えているか?」
そう言った梟の煙水晶の瞳が、一瞬すっと暗く重い影を引いたので、僕は神妙な顔をして小さく頷いた。忘れようにも忘れられるはずがない。ジョイントのせいであの頃の記憶はかなり曖昧だけれど、あの悲惨な事故の記憶だけは、いまだに生々しく残っているもの。
「あいつは、ソールスベリーの一番の親友だったんだ。奴が転校したのはキングスリーが死んだからさ。親友を殺した学校に生徒会、そんなものはごめんこうむる、ってあんな派手な真似をしてエリオットに後足で砂をかけて出ていったんだ」
「派手な真似?」
「知らないのか? カレッジホールの正餐会さ。こう、自分の腕をナイフでかっさばいて、血の滴る腕を高々と挙げてな、」
梟は、自分の左腕を人差し指で切る真似をして掲げてみせた。
「青い血に価値なんかなく、貴族の証は、ノブレス・オブリージュをまっとうできるかどうかだ、って声高に宣言して学校を退学したんだよ」
知らなかった――。
僕は寝耳の水の話に、目を見開いて聞きいっていた。
「つまり、それって……?」
「高貴の血筋にあぐらをかいて、本来の義務を忘れ、正しい行動を取らない腐った連中とは同席できないってさ」
なんて、激しい人なんだろう……。
子爵さまは、もちろん知っていたはずだ。それなのに僕には教えてくれなかった。子爵さまの言っていた意味がやっと解った。彼について行かなかった臆病な自分――、って。白い彼の潔癖なまでの正しさに、ついていけなかった子爵さま……。
「でも、でも、あの人の死は事故だったのに……」
僕は混乱しながら、否定するように頭を振った。白い彼が親友の死にショックを受けていたのは解る。でも、だからといってそれが学校や、まして生徒会のせいだと考えるのは、どう考えてもいきすぎだ。
「言ったろう? キングスリーはドラッグ根絶のために、俺たちを追いかけていたんだって」
一段と声を落とし、囁くように告げた梟の抑揚のない声に、僕は、はっと息を呑んだ。
「だから、子爵さまは――」
梟は、皮肉げに唇の端を歪めた。
「今になって――」
これは、白い彼の意思?
僕たちの学校を退学し、今はケンブリッジ大学に通いながら自分の会社を立ちあげた白い彼。その彼の過去の亡霊が、いまだに僕たちの学校を支配している。
そんな気がして、ぞくりと寒気がした。
僕がいまだに捨てられないジョイントを、あっさりと捨てた子爵さま。白い彼だけをまっすぐに見つめる深緑の瞳が瞼裏に浮かぶ。ゆだんすると、また涙が零れおちそうだ。
僕はまだ手をつけていなかった、チキンサンドのベーグルにかぶりついた。
梟が、くしゃりと頭を撫でてくれた。たったそれだけのことで、僕は涙を堪えることができた。
僕が食べ終わるまで、梟は煙草をふかして待っていてくれた。
ちゃんと、言わなくては。
「ねぇ、僕はどうすればいいんだろう?」
「次年度か?」
頭の良い梟には、いちいち言わなくてもちゃんと解っている。
しばらくの間目を細め、考えこんでいるようだった。深く吸いこまれることのない紫煙が、ゆらゆらと漂っている。
「マシュー、お前、ジョイントを売らないか?」
梟の口にしたあまりにも想定外な言葉に、僕は呆気に取られ、すぐには返事をすることができなかった。
天が地に
地が天に
くるりくるりと、めくるめく
マクドウェルと名乗った男は、言葉の通りにすぐに席を立っていってしまった。
ウインドー越しにその姿が通りの向こうへ完全に消えると、やっと張り詰めていた梟の緊張が解けて安堵の吐息がついてでていた。
僕の視線に、梟はくいっと片眉を上げる。
何も訊くなよ、暗にそう言われている気がして、「朝食を買ってきます」と立ち上がった。「コーヒーもな」と梟は僕に十ポンド札を握らせた。
トレイを持って席に戻ると、もういつもの梟だ。
にっと笑ってコーヒーを受けとると、学校のことをいろいろ訊いてきた。僕の方から言いださなくても、梟は生徒会の辞任劇のことはすでに知っていた。やっぱり、さすがは梟だ! でも、
「そんなにすごい奴なのか、そのソールスベリーの後見している奨学生ってのは?」
梟から大鴉のことを訊ねられ、僕は答えに詰まってしまった。
「どうだろう? よく判らないよ。子爵さまは、わざと携帯にウイルスが仕込んであったって言うけれど、それだって憶測にすぎないもの。学校中に迷惑がかかるのに、あそこまでするなんて――」
「ソールスベリーならそれくらい平気でやるさ。まったく、あいつがエリオットを見捨ててくれて、安心してたらこれだものな」
梟は腹立たしげに眉根をひそめる。
「――前に、監督生が事故で死んだだろう? お前、覚えているか?」
そう言った梟の煙水晶の瞳が、一瞬すっと暗く重い影を引いたので、僕は神妙な顔をして小さく頷いた。忘れようにも忘れられるはずがない。ジョイントのせいであの頃の記憶はかなり曖昧だけれど、あの悲惨な事故の記憶だけは、いまだに生々しく残っているもの。
「あいつは、ソールスベリーの一番の親友だったんだ。奴が転校したのはキングスリーが死んだからさ。親友を殺した学校に生徒会、そんなものはごめんこうむる、ってあんな派手な真似をしてエリオットに後足で砂をかけて出ていったんだ」
「派手な真似?」
「知らないのか? カレッジホールの正餐会さ。こう、自分の腕をナイフでかっさばいて、血の滴る腕を高々と挙げてな、」
梟は、自分の左腕を人差し指で切る真似をして掲げてみせた。
「青い血に価値なんかなく、貴族の証は、ノブレス・オブリージュをまっとうできるかどうかだ、って声高に宣言して学校を退学したんだよ」
知らなかった――。
僕は寝耳の水の話に、目を見開いて聞きいっていた。
「つまり、それって……?」
「高貴の血筋にあぐらをかいて、本来の義務を忘れ、正しい行動を取らない腐った連中とは同席できないってさ」
なんて、激しい人なんだろう……。
子爵さまは、もちろん知っていたはずだ。それなのに僕には教えてくれなかった。子爵さまの言っていた意味がやっと解った。彼について行かなかった臆病な自分――、って。白い彼の潔癖なまでの正しさに、ついていけなかった子爵さま……。
「でも、でも、あの人の死は事故だったのに……」
僕は混乱しながら、否定するように頭を振った。白い彼が親友の死にショックを受けていたのは解る。でも、だからといってそれが学校や、まして生徒会のせいだと考えるのは、どう考えてもいきすぎだ。
「言ったろう? キングスリーはドラッグ根絶のために、俺たちを追いかけていたんだって」
一段と声を落とし、囁くように告げた梟の抑揚のない声に、僕は、はっと息を呑んだ。
「だから、子爵さまは――」
梟は、皮肉げに唇の端を歪めた。
「今になって――」
これは、白い彼の意思?
僕たちの学校を退学し、今はケンブリッジ大学に通いながら自分の会社を立ちあげた白い彼。その彼の過去の亡霊が、いまだに僕たちの学校を支配している。
そんな気がして、ぞくりと寒気がした。
僕がいまだに捨てられないジョイントを、あっさりと捨てた子爵さま。白い彼だけをまっすぐに見つめる深緑の瞳が瞼裏に浮かぶ。ゆだんすると、また涙が零れおちそうだ。
僕はまだ手をつけていなかった、チキンサンドのベーグルにかぶりついた。
梟が、くしゃりと頭を撫でてくれた。たったそれだけのことで、僕は涙を堪えることができた。
僕が食べ終わるまで、梟は煙草をふかして待っていてくれた。
ちゃんと、言わなくては。
「ねぇ、僕はどうすればいいんだろう?」
「次年度か?」
頭の良い梟には、いちいち言わなくてもちゃんと解っている。
しばらくの間目を細め、考えこんでいるようだった。深く吸いこまれることのない紫煙が、ゆらゆらと漂っている。
「マシュー、お前、ジョイントを売らないか?」
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