微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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三章

69 カレッジ・スクール

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 幾本もの道が分かれる
 選べるのはたったひとつ
 どれが正解?
 どれも間違い?




 イースター休暇に入る前に何度かフェローズの森へ行ってみたけれど、あれ以来大鴉には遇えなかった。あんな冷たい水の中に入って風邪でも引いたんじゃないかと心配になったけれど、そういうわけでもなかったようだ。

 僕の方から聞かなくても、鳥の巣頭はぺらぺらといろんな噂話を教えてくれる。
 こいつの情報源のカレッジ寮の友人は、一連の騒動で生徒会を辞任してしまった子爵さまの後輩だ。でも、変わらずこいつとの仲は良いらしい。大鴉はしょっちゅう寮を抜けだして、また反省室に入れられたとか。夜遊びと賭け事は収まったにしても、彼が問題児なのは変わりない、と鳥の巣頭は唇を尖らせる。時々、あの店にカレーを食べに行っているくせに。そこは問題にしないんだ――。

 ともあれ、大鴉は健在だ。

 子爵さまの言っていた通り、目的を達した大鴉はすっぱりと生徒会の連中と遊びまわるのはやめてしまった。その辺りの事情は鳥の巣頭は知らないから、生徒会の編成が変わって新入生なんかに陥落される不抜けた連中がいなくなったからだ、と言っている。

 どうすれば彼に逢えるのか、判らない。

 僕と大鴉の間には、子爵さま以上に接点がない。天使くんですら、同じ馬術部とは言え、意識しなければ顔を合わすこともないのだから。

 プライドが高くて尊大な奨学生カラスの連中は、一般生徒ペンギンの僕らなんて鼻にも引っかけないし、自分達だけで固まって行動するのが当たり前。話しかけるきっかけすら見いだせない。

 べつに、話がしたいとか、仲良くなりたいとか思っているわけでもないしね。
 ただちょっと、つまらないだけだよ。樹々の間に大鴉を見つけることが、僕の暇つぶしだったから――。



 イースター休暇は鳥の巣頭の家には行かなかった。一昨年と同じオックスフォードだ。あんな事件があったのに、って思うだろ? GCSEの試験の方が大事だからね。鳥の巣頭もASレベルの試験対策スクールを受講するから、って僕の両親を説得してくれた。

 前回のハーフタームの苦い経験のせいで、鳥の巣頭は自宅に帰ることすら嫌で仕方がないらしい。

 とはいえ、これまでのように同じ宿舎の隣の部屋、というわけにはいかなかったから、鳥の巣頭は先輩たちから評判を聞いて、とびきり厳格な規則の宿舎を僕のために選んでくれた。
 こいつへの、僕の両親の信頼は絶大だからね。同じ部屋で寝ていたって疑うことすらしないのだから……。なんでもかんでもこいつの言いなり。任せっきりだ。


 鳥の巣頭には、本当にうんざりだ。
 僕はこいつのことがどんどん嫌いになってくる。

 梟がせっかく僕のためにつけてくれた道筋を、こいつが全部ぶち壊した。子爵さまにしても、ボート部の先輩連中にしても――。
 奨学生の大鴉の方がずっと賢くて上手だったといえ、もし、こいつの思惑通りに大鴉が放校にでもなっていたら、僕は絶対こいつを許さなかった!
 おっとりと能天気な顔をして、こいつは昔っから陰でこそこそと画策するような奴なんだ。

 さすがに僕も解ってきたよ。二学年生の時の、同室の奴らが教えてくれた。あの頃から鳥の巣頭は、僕から自分への次年度の学年代表交代をチラつかせていたって。そればかりか、父親が理事という立場を利用してまで、同期の奴らに僕に手を出すなと脅して廻っていたって。きっと、今だってそうだ。同じ寮の奴らは、いつも遠巻きに僕を見ている。あいつがいないときなら、僕と普通に話してくれることだってあるのに。こっそり僕に誘いをかけてきたりもするのに。

 僕に友人ができないのは、間違いなくあいつのせいだ。
 もう、いい加減こいつから離れたい。自由になりたい。

 大鴉のような、綺麗な漆黒の翼があればいいのに。

 僕はペンギンという、飛べない鳥の名前で呼ばれる僕たちの仇名に、苦笑せずにはいられない。


 けれど、何もかもが鳥の巣頭の思惑通りに進んでいる、ってわけでもない。
 僕には、ちゃんと僕のことを心配して気遣ってくれる人がいるからね。このオックスフォードに。
 だから、ここへ来たかったのだ。

 梟に、逢えるから!


 そういうわけで、スクールの最初の休日の朝、ここへ来る前に連絡しておいた約束の場所へ急いでいた。鳥の巣頭が訪ねてくる前に。せっかく梟に逢えるのに、以前みたいにあいつと一緒だなんて嫌だもの。梟に話すことが沢山あった。相談に乗ってもらわなくちゃ。六月末の生徒会選挙までもう日がないのだから。

 約束の時間よりもかなり早く着いた。前回会った時と同じカフェテリアの同じ席には、もうすでに梟の姿があった。でも、一人ではない。僕はウインドー越しに見えた梟の横顔に手を振るのをためらい、立ちどまった。

 梟の向かいに座っているのは、黒いスーツにサングラスの男で、派手な赤い柄物のネクタイをしていて、見るからに堅気の仕事に就いている人ではない。それなのに、一つ一つの仕草は上品で申し分のない紳士の様にも見える。
 声をかけてもいいものか迷っていた僕にその男の方が気がついて、梟に何か告げている。

 梟は視線を上げて僕を見つけると、手招きして呼んだ。


「ごめんなさい。お邪魔してしまって」
 まだ約束まで三十分以上あるのだ。僕はやはり別の場所で時間を潰してくるべきだったと、後悔で胃が痛んだ。
「かまわないよ。私はもう行くところだからね」
 応えたのは、その連れの男の方だった。サングラスの下の口許は、優しげな微笑を湛えている。
「きみもエリオット校生? なら私の後輩だな」
 差し出された右手をおずおずと握った。


 男は、ブライアン・マクドウェルと名乗った。





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