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三章
64 三月 反省室
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何もない灰色の空
それは
広がり続ける虚無に似ている
「ありがとう、マシュー!」
鳥の巣頭が瞳をきらきらさせて、僕を抱きしめた。こいつの感情の起伏の激しさは今に始まったことじゃないが、人前でこういう真似はやめて欲しい。ほら、下級生にまで笑われているじゃないか。
居た堪れない思いできゅっと唇を噛んで顔を伏せた。軽く、こいつの腕を掴んで押しのける。
「どうしたの? 何かいいことがあった?」
わずかに眉をひそめて、むりに微笑んで尋ねた。
「あの、例の奨学生の子、さすがに今回は言い逃れできなかったみたいなんだ! きみのお陰だよ、ありがとう!」
そう大っぴらに言える話ではないのか、声は落として囁くようにして教えてくれた。これくらい自分の動作にも気を使ってくれればいいのに……。身体は離してくれたけれど、今度は僕の手を両手で握りしめている。
「――みんなが見ている。恥ずかしいよ」
鳥の巣頭はやっと気がついたのか、辺りを見まわした。正規の授業を終え、これから課外授業に向かう生徒や、いったん寮に戻る生徒が大勢行き交う学舎の中庭で、赤いウエストコートに灰色のトラウザーズの生徒会役員が何をやっているのだと、興味津々な視線が今さらながら突き刺さる。
「あ、ごめん」
真っ赤になってぱっと手を放した。今度は、わざとらしくて見ていられない。
「それで、あのカラスがどうしたって?」
僕はもう諦めて歩きだしながら、肩越しに鳥の巣頭を振り返った。
「賭け事の証拠を掴んだんだよ。あいつ、反省室入りだ!」
大鴉が――?
信じられなくて、立ち止まっていた。
「どういうこと?」
もう一度、鳥の巣頭に訊ねなおした。
「きみが教えてくれたんじゃないか。あいつが、オンラインカジノをしているって。あいつの携帯を見たんだろ? ボート部の先輩方にも証人になっていただいたよ」
狐に摘まれた気分で、鳥の巣頭をまじまじと見つめた。
確かに、こいつに大鴉のスマートフォンの話はした。でも、あの場で大鴉は、昔の話で今はしていない、と言っていたことも話したはずだ。どれくらい昔なのかは知らないけれど――。
「まだまだ審議中なんだけれどね、取りあえず、あいつのスマートフォンにあったオンラインカジノのサイトの写真を撮って、校長先生に提出してある。スマートフォンを没収したんだけどね、あいつ、ガンとしてパスワードを喋らないんだ。それで先生方も頭にきて、独房入りさ」
ボート部の連中――、分が悪いと踏んで掌返したのか。薄情な奴らだよ……。
独房入り、てことは、大鴉は寮の反省室に閉じ込められて授業にも出られないってことだ。個室でチュータの監視の下、自習。食事も皆とは別。トイレと風呂以外、狭い部屋に閉じ込められることになる。
あの、大鴉が……。
片羽の上に、今度は鳥籠の中とは。つくづく運のない奴――。
僕はなんだかつまらなくなって、ため息を漏らしていた。
「でも、写真だけでは証拠として弱いんじゃないの? 彼、今はしていないって言っていたし……」
浮かれている鳥の巣頭をちらと見て呟くと、こいつは僕の耳許に顔を寄せ、声をひそめた。
「そうなんだよ。だから情報処理部の連中に頼んで、クラッキングをかけようかって話になっているんだ」
「クラッキングって?」
「ハッキングのこと。パスワードを破って、あいつのスマートフォンに侵入するんだよ」
そっちの方が違法行為なんじゃないの?
こいつ、なんだってこんなに熱くなっているのだろう? 大鴉に恨みがある訳でもなし……。それとも子爵さまみたいに、あの白い彼の後見する子がこんな不良じゃ気にいらないってこと?
僕は呆れ返って鳥の巣頭から眼を逸らし、僕たちの背後に厳粛に佇む赤い煉瓦造りの学舎を振り返った。その学舎に守られるように、誇り高く、威厳を持ってそこにあるカレッジ寮を凝視した。
大鴉が閉じ込められているカレッジ寮を――。
寮の自室に戻って、窓枠に腰掛けテムズ川を眺めた。
いまだ冬枯れたままの樹々の間に、当然ながら大鴉はいない。主のいない大枝が寂しがってでもいるように、その腕を天に向かって伸ばしている。
樹々の足下を白く覆っていたスノードロップは既になく、クロッカスの黄や紫が交じり合う。
確実に春の息吹を風は運んで来ているのに、僕は、暗く、重く、塞がれて、冬の中に取り残されたまま。
あんなに好きだったこの窓からの景色がこんなにも味気なく、物足りないなんて。
心の中で、黒い翼を思い描く。この灰色の空を自由に飛ぶ、翼を持った大鴉を。
何故だか、涙が溢れていた。
この窓から眺め、四季を巡ってきたこの景色は何も変わりはしないというのに。今、ここにいない、飛び立つことの出来ない大鴉のことを思うと、胸が苦しかった。
だから、こんなこじつけとでっち上げで練りあげられたような事件が、まさかこんな結果をもたらすなんて、僕は思ってもみなかったんだ。
それは
広がり続ける虚無に似ている
「ありがとう、マシュー!」
鳥の巣頭が瞳をきらきらさせて、僕を抱きしめた。こいつの感情の起伏の激しさは今に始まったことじゃないが、人前でこういう真似はやめて欲しい。ほら、下級生にまで笑われているじゃないか。
居た堪れない思いできゅっと唇を噛んで顔を伏せた。軽く、こいつの腕を掴んで押しのける。
「どうしたの? 何かいいことがあった?」
わずかに眉をひそめて、むりに微笑んで尋ねた。
「あの、例の奨学生の子、さすがに今回は言い逃れできなかったみたいなんだ! きみのお陰だよ、ありがとう!」
そう大っぴらに言える話ではないのか、声は落として囁くようにして教えてくれた。これくらい自分の動作にも気を使ってくれればいいのに……。身体は離してくれたけれど、今度は僕の手を両手で握りしめている。
「――みんなが見ている。恥ずかしいよ」
鳥の巣頭はやっと気がついたのか、辺りを見まわした。正規の授業を終え、これから課外授業に向かう生徒や、いったん寮に戻る生徒が大勢行き交う学舎の中庭で、赤いウエストコートに灰色のトラウザーズの生徒会役員が何をやっているのだと、興味津々な視線が今さらながら突き刺さる。
「あ、ごめん」
真っ赤になってぱっと手を放した。今度は、わざとらしくて見ていられない。
「それで、あのカラスがどうしたって?」
僕はもう諦めて歩きだしながら、肩越しに鳥の巣頭を振り返った。
「賭け事の証拠を掴んだんだよ。あいつ、反省室入りだ!」
大鴉が――?
信じられなくて、立ち止まっていた。
「どういうこと?」
もう一度、鳥の巣頭に訊ねなおした。
「きみが教えてくれたんじゃないか。あいつが、オンラインカジノをしているって。あいつの携帯を見たんだろ? ボート部の先輩方にも証人になっていただいたよ」
狐に摘まれた気分で、鳥の巣頭をまじまじと見つめた。
確かに、こいつに大鴉のスマートフォンの話はした。でも、あの場で大鴉は、昔の話で今はしていない、と言っていたことも話したはずだ。どれくらい昔なのかは知らないけれど――。
「まだまだ審議中なんだけれどね、取りあえず、あいつのスマートフォンにあったオンラインカジノのサイトの写真を撮って、校長先生に提出してある。スマートフォンを没収したんだけどね、あいつ、ガンとしてパスワードを喋らないんだ。それで先生方も頭にきて、独房入りさ」
ボート部の連中――、分が悪いと踏んで掌返したのか。薄情な奴らだよ……。
独房入り、てことは、大鴉は寮の反省室に閉じ込められて授業にも出られないってことだ。個室でチュータの監視の下、自習。食事も皆とは別。トイレと風呂以外、狭い部屋に閉じ込められることになる。
あの、大鴉が……。
片羽の上に、今度は鳥籠の中とは。つくづく運のない奴――。
僕はなんだかつまらなくなって、ため息を漏らしていた。
「でも、写真だけでは証拠として弱いんじゃないの? 彼、今はしていないって言っていたし……」
浮かれている鳥の巣頭をちらと見て呟くと、こいつは僕の耳許に顔を寄せ、声をひそめた。
「そうなんだよ。だから情報処理部の連中に頼んで、クラッキングをかけようかって話になっているんだ」
「クラッキングって?」
「ハッキングのこと。パスワードを破って、あいつのスマートフォンに侵入するんだよ」
そっちの方が違法行為なんじゃないの?
こいつ、なんだってこんなに熱くなっているのだろう? 大鴉に恨みがある訳でもなし……。それとも子爵さまみたいに、あの白い彼の後見する子がこんな不良じゃ気にいらないってこと?
僕は呆れ返って鳥の巣頭から眼を逸らし、僕たちの背後に厳粛に佇む赤い煉瓦造りの学舎を振り返った。その学舎に守られるように、誇り高く、威厳を持ってそこにあるカレッジ寮を凝視した。
大鴉が閉じ込められているカレッジ寮を――。
寮の自室に戻って、窓枠に腰掛けテムズ川を眺めた。
いまだ冬枯れたままの樹々の間に、当然ながら大鴉はいない。主のいない大枝が寂しがってでもいるように、その腕を天に向かって伸ばしている。
樹々の足下を白く覆っていたスノードロップは既になく、クロッカスの黄や紫が交じり合う。
確実に春の息吹を風は運んで来ているのに、僕は、暗く、重く、塞がれて、冬の中に取り残されたまま。
あんなに好きだったこの窓からの景色がこんなにも味気なく、物足りないなんて。
心の中で、黒い翼を思い描く。この灰色の空を自由に飛ぶ、翼を持った大鴉を。
何故だか、涙が溢れていた。
この窓から眺め、四季を巡ってきたこの景色は何も変わりはしないというのに。今、ここにいない、飛び立つことの出来ない大鴉のことを思うと、胸が苦しかった。
だから、こんなこじつけとでっち上げで練りあげられたような事件が、まさかこんな結果をもたらすなんて、僕は思ってもみなかったんだ。
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