64 / 200
三章
63 印
しおりを挟む
ゆらゆらと揺れる蝋燭は
身を削って
時を刻む
やはり、何か食べてくれば良かった――。
急いでシャワーは浴びたけれど、何も口にする暇がなかった。ジョイントを吸ってますますお腹が空いたせいか、僕は子爵さまに噛みついてしまった。
子爵さまは一瞬驚いた顔をしてポカンとしていたけれど、なぜか、すぐに嬉しそうに笑ってやりすごしてくれた。
ぼんやりと揺蕩いながら、子爵さまの肩にくっきりと残った歯型を眺めていた。
今日の子爵さまは機嫌がいい。
しばらく逢わなかったから知らなかったけれど、子爵さまもあの店に出入りしているのだそうだ。だから、もちろん天使くんがあそこに入り浸っていることも知っていた。大鴉が、あそこで賭け事をしていることも。
「何を賭けているのか判った?」
子爵さまに真剣な目で尋ねられたけれど、首を横に振ることしかできなかった。
「僕がいたときには何も。ただポーカーをして、勝ったとか、負けたとか、それだけでした。それに、」
あの場にいた奨学生のことを話した。上級クラスの奨学生がいるのに、さすがに賭け事はできないのではないかと。
同じ生徒会の役員とはいえ、やはり奨学生は別格だ。奨学生はカレッジ寮だし、同じ寮に監督生がごろごろいる。この学校のヒエラルキーの頂点は、生徒会役員じゃない。監督生だ。監督生だけが、生徒の中で、生徒会役員に罰則を与える権限を持っている。
四、五学年生合わせて二十八名の奨学生のうち、留学生を除く半数以上が監督生だ。学年よりも寮ごとの結束の高いこの学校のシステムを考えると、いくら生徒会と監督生が対立して権力を競合しているとはいえ、いつ裏切られるか判ったものではない。弱みを見せるわけがない。
「そうだね、確かにあいつの前では尻尾は出さないだろうね。あいつは糞真面目な奴だからね」
子爵さまは、目を細めてくすくすと笑った。
僕の思っていた意味とは違っているみたいで、あの場にいた奨学生はあの連中の仲間というよりも、大鴉のお目付役なのだそうだ。監督生側がつけたスパイのような、そんな中途半端な立ち位置にも関わらず、彼は人望があり、生徒会内でも皆に好かれる人気者なのだ、と子爵さまは嬉しそうに告げた。
「僕の後輩なんだ。家ぐるみで仲が良くてね、幼馴染なんだよ」
友人のことを語るときの子爵さまは、きらきらしくて子どもみたいだ。白い彼や、天使くんのことを話すときの、あの苦々しげで辛そうなところが微塵もなくて、なんだか嬉しくなった。昔の、白い彼がいた頃の、陽だまりのような子爵さまに戻ったみたいだ。
「でも、これじゃあ、賭け事をしている証拠を掴むのなんて、雲を掴むようなものですね。ネットでやるオンラインカジノなんて、まず匿名だろうし、ますます――」
「え?」
子爵さまは顔をもたげて僕をまじまじと見た。
「きみ、今、何て言った?」
「オンラインカジノです。あの子のスマートフォンに触れたとき、すぐに画面が出てきて――」
「ありがとう!」
子爵さまは僕を思い切り抱きしめた。
何がありがとうなのか、さっぱり解らない。生徒会の不祥事につながる夜遊びと賭け事を止めさせたいのは理解できるけれど、子爵さまはどうしてここまで大鴉に拘るのだろう?
あの子の後見が、白い彼だから?
それとも、フェローズの森でのことをあの子が知っている、ってことに気がついたのだろうか――。僕は一言も喋っていないのに。
子爵さまの白い彼への愛憎入り乱れた想いは、僕にはよく解らない。
僕は白い彼の偽物なのに、こうしていまだに逢いにくるのもよく解らない。天使くんが自分のものにならないからだろうか……。天使くんだって、白い彼の偽物にすぎない。じゃあ、僕は、天使くんの身代わりでもあって、偽物の偽物ってこと?
考えているとすっかり頭が醒めてしまった。
子爵さまにお願いして、ジョイントをもう一本貰った。
ゆっくり、ゆっくりと吸い込み、溜め、吐きだしたジョイントの白い煙が、僕の記憶を吹き飛ばす。いらない思考も掻き散らす。僕を占領していた奴らを追い払い、今、僕はこんなにも自由――。
「あのパブ、三階に部屋があるそうですよ。内緒で遊びたいなら、その場で貸してもらえるって言っていました」
天使くんは、いつもあそこにいるのだもの――。捕まえる手間すら省けるじゃないか。
僕は子爵さまに初めてつけた僕の印にキスを落とした。これが、最初で最後の印になるなんて思いもせずに……。
身を削って
時を刻む
やはり、何か食べてくれば良かった――。
急いでシャワーは浴びたけれど、何も口にする暇がなかった。ジョイントを吸ってますますお腹が空いたせいか、僕は子爵さまに噛みついてしまった。
子爵さまは一瞬驚いた顔をしてポカンとしていたけれど、なぜか、すぐに嬉しそうに笑ってやりすごしてくれた。
ぼんやりと揺蕩いながら、子爵さまの肩にくっきりと残った歯型を眺めていた。
今日の子爵さまは機嫌がいい。
しばらく逢わなかったから知らなかったけれど、子爵さまもあの店に出入りしているのだそうだ。だから、もちろん天使くんがあそこに入り浸っていることも知っていた。大鴉が、あそこで賭け事をしていることも。
「何を賭けているのか判った?」
子爵さまに真剣な目で尋ねられたけれど、首を横に振ることしかできなかった。
「僕がいたときには何も。ただポーカーをして、勝ったとか、負けたとか、それだけでした。それに、」
あの場にいた奨学生のことを話した。上級クラスの奨学生がいるのに、さすがに賭け事はできないのではないかと。
同じ生徒会の役員とはいえ、やはり奨学生は別格だ。奨学生はカレッジ寮だし、同じ寮に監督生がごろごろいる。この学校のヒエラルキーの頂点は、生徒会役員じゃない。監督生だ。監督生だけが、生徒の中で、生徒会役員に罰則を与える権限を持っている。
四、五学年生合わせて二十八名の奨学生のうち、留学生を除く半数以上が監督生だ。学年よりも寮ごとの結束の高いこの学校のシステムを考えると、いくら生徒会と監督生が対立して権力を競合しているとはいえ、いつ裏切られるか判ったものではない。弱みを見せるわけがない。
「そうだね、確かにあいつの前では尻尾は出さないだろうね。あいつは糞真面目な奴だからね」
子爵さまは、目を細めてくすくすと笑った。
僕の思っていた意味とは違っているみたいで、あの場にいた奨学生はあの連中の仲間というよりも、大鴉のお目付役なのだそうだ。監督生側がつけたスパイのような、そんな中途半端な立ち位置にも関わらず、彼は人望があり、生徒会内でも皆に好かれる人気者なのだ、と子爵さまは嬉しそうに告げた。
「僕の後輩なんだ。家ぐるみで仲が良くてね、幼馴染なんだよ」
友人のことを語るときの子爵さまは、きらきらしくて子どもみたいだ。白い彼や、天使くんのことを話すときの、あの苦々しげで辛そうなところが微塵もなくて、なんだか嬉しくなった。昔の、白い彼がいた頃の、陽だまりのような子爵さまに戻ったみたいだ。
「でも、これじゃあ、賭け事をしている証拠を掴むのなんて、雲を掴むようなものですね。ネットでやるオンラインカジノなんて、まず匿名だろうし、ますます――」
「え?」
子爵さまは顔をもたげて僕をまじまじと見た。
「きみ、今、何て言った?」
「オンラインカジノです。あの子のスマートフォンに触れたとき、すぐに画面が出てきて――」
「ありがとう!」
子爵さまは僕を思い切り抱きしめた。
何がありがとうなのか、さっぱり解らない。生徒会の不祥事につながる夜遊びと賭け事を止めさせたいのは理解できるけれど、子爵さまはどうしてここまで大鴉に拘るのだろう?
あの子の後見が、白い彼だから?
それとも、フェローズの森でのことをあの子が知っている、ってことに気がついたのだろうか――。僕は一言も喋っていないのに。
子爵さまの白い彼への愛憎入り乱れた想いは、僕にはよく解らない。
僕は白い彼の偽物なのに、こうしていまだに逢いにくるのもよく解らない。天使くんが自分のものにならないからだろうか……。天使くんだって、白い彼の偽物にすぎない。じゃあ、僕は、天使くんの身代わりでもあって、偽物の偽物ってこと?
考えているとすっかり頭が醒めてしまった。
子爵さまにお願いして、ジョイントをもう一本貰った。
ゆっくり、ゆっくりと吸い込み、溜め、吐きだしたジョイントの白い煙が、僕の記憶を吹き飛ばす。いらない思考も掻き散らす。僕を占領していた奴らを追い払い、今、僕はこんなにも自由――。
「あのパブ、三階に部屋があるそうですよ。内緒で遊びたいなら、その場で貸してもらえるって言っていました」
天使くんは、いつもあそこにいるのだもの――。捕まえる手間すら省けるじゃないか。
僕は子爵さまに初めてつけた僕の印にキスを落とした。これが、最初で最後の印になるなんて思いもせずに……。
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説

そんなの真実じゃない
イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———?
彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。
==============
人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
全8話。1日1話更新(20時)。
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!



どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる