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三章
62 二階
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鏡に映る嘘は
真実の装い
本当の姿は
鏡の内の内
キシキシと敷板を軋ませて、今にも崩れそうな暗い階段を上がっていった。狭い踊り場で、鳥の巣頭の先輩が僕を待っていた。僕の肩を抱き耳許に口を寄せる。
「あいつ、ここに探りに来ていたのか? 知っているなら教えろよ」
疑るような目つきで僕の顔を覗き込む。
「取りしまりたいのは、奨学生の子だけですよ」
首筋にかけられた指先は熱を持っている。息が臭い。ピート香がつんと鼻につく。ここに来る前にどこかでもう飲んでいるってことか。
ボート部の男は、肩を震わせて笑った。
「そいつは難しいだろうな、来いよ」
ドアの向こう側は思ったよりも広い空間で、スヌーカー台が置いてあった。赤いウエストコートの生徒会の連中が、スヌーカーに興じている。階下からは喧しい音楽が響いてくる。夜になり、急に場末のパブらしい猥雑さに包まれたその独特の雰囲気に居たたまれなくて、僕は入り口で立ちすくんでしまっていた。
奨学生が二人……。
大鴉は部屋の一角の、窓辺にまとめて置かれている古ぼけたテーブルの上に腰掛け、窓の外に顔を向けたままだ。
僕は、窓と平行な壁際に沿って造りつけられているソファーの上のテールコートと、黒のローブを当惑して眺めていた。
二十名の生徒会役員の顔を全て知っているわけではない。ローブを羽織っていないと誰がそのもう一人のなのか、皆目解らない。
「なんだ、お前知らないのか?」
ボート部の男はソファーにどっかりと腰を下ろすと、また顎をしゃくって僕を呼んだ。横に座ると、視線で誰が奨学生なのか教えてくれた。
「あいつ、お前の飼い主の後輩だぞ」
飼い主、と言われてまず頭に浮かんだのは、鳥の巣頭だった。でもそんなはずがない。ここにいるのは生徒会の連中、あいつの同期か先輩だ。ということは、子爵さまのこと――。
カレッジ寮の奨学生なのに後輩ってことは、プレップ・スクールからの、って意味だ。白い彼も通った名門校。血筋も、家柄もお墨つきってことだ――。
ハーフターム明けからまだ子爵さまには会っていない。
子爵さまはどう思っているのだろう? 鳥の巣頭は、同意見みたいな言い方をしていたけれど……。
この男も同じことを考えているのか、顔を近づけて、子爵さまのことをいろいろと訊ねだした。首筋にまわされた指先が鬱陶しい。同じ生徒会とはいっても、派閥がある。ボート部にしてみればラグビー部の子爵さまはやはり煙たい存在だということだ。
それより、窓辺の大鴉のことが気にかかって仕方がなかった。
一緒に遊んでいるとばかり思っていたのに、彼は一人でぼんやりと外を眺めているだけなのだ。
時たま、誰かが声をかける。大鴉は冷笑を浮かべて「はい」とか「いいえ」とか言葉少なに応えるだけだ。黒のローブを無造作にテーブルに置き、片袖だけ腕を通したテールコートを羽織っている。その下から白いギプスを嵌めた腕が覗く。
大鴉がこちらを見ないのが嬉しかった。この鬱陶しい男が、僕に馴れ馴れしくべたべたしているのを、彼に見られるのは嫌だった。
そのうち、スヌーカーをしていた連中がキューを置いて、窓辺とは別の、ソファーの前に置かれているテーブルに移ってカードを始めた。今度は大鴉も立ち上がってゲームに加わった。
だが、ボート部の男は動かない。しきりに上の部屋へ行こうと誘ってくる。どうやらこの上にまだ部屋があるらしい。昔は宿屋でも兼ねていたのだろう。
こいつにつき合ってやっても、もうこれ以上の情報を引き出せそうにない。じきに鳥の巣頭が迎えにくるから、とやんわりと断って窓辺に移動した。
大鴉のいたテーブルに腰掛けた。同じように窓を眺めた。
恥ずかしさで卒倒しそうになったよ。
この位置、部屋全体が見渡せる――。
大鴉は外を見ていたんじゃない。窓ガラスに映る皆の様子を観察していたんだ。
動揺して、テーブルについた手を動かした拍子に、指先に触れたスマートフォンの画面がついた。すかさず、ボート部の男がそれを取りあげる。
「誰のだ?」
高々と手の中のそれを掲げてみせる。
「俺のです」
大鴉が振り返った。僕は片手で口元を覆ったまま窓に映る彼を見ていた。
「お前、オンラインカジノなんてやっているのか?」
ボート部の男はやっと僕から離れて、彼らのテーブルへ向かった。
「昔ね。今はしていないですよ」
窓の外で、鳥の巣頭が手を振っている。
視界の端で、ボート部の男がテーブルについている仲間に耳打ちをしている。チラチラと僕の方を見ている。カードをしながら、大鴉はオンラインカジノの説明をしているようだった。
もう少し聞いていたい気もするけれど、潮時だ。
「先輩、迎えが来たようなのでお先に失礼します」
僕の言葉にボート部の男は、ちっと唇の端を歪めたけれど、「また来いよ。次はゆっくりと遊んでやるから」と下卑た笑みを浮かべて言った。ゲラゲラと湧きあがる哄笑に、いたたまれない思いで足早にその場を去った。
鳥の巣頭の横には、田舎鼠寮長もいた。さすがにこいつも、ここに一人で来るのは躊躇したってことか。
僕が報告するよりも先に、鳥の巣頭が小声で囁いた。
「彼から電話があったよ」
そしてすぐに、すいっと視線を逸らした。
そんな僕たちを田舎鼠がニヤニヤといやらしい顔で見ている。
泣き出したい気分だ。
「すごく嫌だった。きみのために我慢したんだよ」
小声で囁き、鳥の巣頭の指に、指を絡ませる。
こいつは僕の顔をちらっと見て、ちょっとだけ唇の端で笑みを形作った。それから、僕の手をしっかりと握りしめた。
******
スヌーカー:ビリヤードの一形態
真実の装い
本当の姿は
鏡の内の内
キシキシと敷板を軋ませて、今にも崩れそうな暗い階段を上がっていった。狭い踊り場で、鳥の巣頭の先輩が僕を待っていた。僕の肩を抱き耳許に口を寄せる。
「あいつ、ここに探りに来ていたのか? 知っているなら教えろよ」
疑るような目つきで僕の顔を覗き込む。
「取りしまりたいのは、奨学生の子だけですよ」
首筋にかけられた指先は熱を持っている。息が臭い。ピート香がつんと鼻につく。ここに来る前にどこかでもう飲んでいるってことか。
ボート部の男は、肩を震わせて笑った。
「そいつは難しいだろうな、来いよ」
ドアの向こう側は思ったよりも広い空間で、スヌーカー台が置いてあった。赤いウエストコートの生徒会の連中が、スヌーカーに興じている。階下からは喧しい音楽が響いてくる。夜になり、急に場末のパブらしい猥雑さに包まれたその独特の雰囲気に居たたまれなくて、僕は入り口で立ちすくんでしまっていた。
奨学生が二人……。
大鴉は部屋の一角の、窓辺にまとめて置かれている古ぼけたテーブルの上に腰掛け、窓の外に顔を向けたままだ。
僕は、窓と平行な壁際に沿って造りつけられているソファーの上のテールコートと、黒のローブを当惑して眺めていた。
二十名の生徒会役員の顔を全て知っているわけではない。ローブを羽織っていないと誰がそのもう一人のなのか、皆目解らない。
「なんだ、お前知らないのか?」
ボート部の男はソファーにどっかりと腰を下ろすと、また顎をしゃくって僕を呼んだ。横に座ると、視線で誰が奨学生なのか教えてくれた。
「あいつ、お前の飼い主の後輩だぞ」
飼い主、と言われてまず頭に浮かんだのは、鳥の巣頭だった。でもそんなはずがない。ここにいるのは生徒会の連中、あいつの同期か先輩だ。ということは、子爵さまのこと――。
カレッジ寮の奨学生なのに後輩ってことは、プレップ・スクールからの、って意味だ。白い彼も通った名門校。血筋も、家柄もお墨つきってことだ――。
ハーフターム明けからまだ子爵さまには会っていない。
子爵さまはどう思っているのだろう? 鳥の巣頭は、同意見みたいな言い方をしていたけれど……。
この男も同じことを考えているのか、顔を近づけて、子爵さまのことをいろいろと訊ねだした。首筋にまわされた指先が鬱陶しい。同じ生徒会とはいっても、派閥がある。ボート部にしてみればラグビー部の子爵さまはやはり煙たい存在だということだ。
それより、窓辺の大鴉のことが気にかかって仕方がなかった。
一緒に遊んでいるとばかり思っていたのに、彼は一人でぼんやりと外を眺めているだけなのだ。
時たま、誰かが声をかける。大鴉は冷笑を浮かべて「はい」とか「いいえ」とか言葉少なに応えるだけだ。黒のローブを無造作にテーブルに置き、片袖だけ腕を通したテールコートを羽織っている。その下から白いギプスを嵌めた腕が覗く。
大鴉がこちらを見ないのが嬉しかった。この鬱陶しい男が、僕に馴れ馴れしくべたべたしているのを、彼に見られるのは嫌だった。
そのうち、スヌーカーをしていた連中がキューを置いて、窓辺とは別の、ソファーの前に置かれているテーブルに移ってカードを始めた。今度は大鴉も立ち上がってゲームに加わった。
だが、ボート部の男は動かない。しきりに上の部屋へ行こうと誘ってくる。どうやらこの上にまだ部屋があるらしい。昔は宿屋でも兼ねていたのだろう。
こいつにつき合ってやっても、もうこれ以上の情報を引き出せそうにない。じきに鳥の巣頭が迎えにくるから、とやんわりと断って窓辺に移動した。
大鴉のいたテーブルに腰掛けた。同じように窓を眺めた。
恥ずかしさで卒倒しそうになったよ。
この位置、部屋全体が見渡せる――。
大鴉は外を見ていたんじゃない。窓ガラスに映る皆の様子を観察していたんだ。
動揺して、テーブルについた手を動かした拍子に、指先に触れたスマートフォンの画面がついた。すかさず、ボート部の男がそれを取りあげる。
「誰のだ?」
高々と手の中のそれを掲げてみせる。
「俺のです」
大鴉が振り返った。僕は片手で口元を覆ったまま窓に映る彼を見ていた。
「お前、オンラインカジノなんてやっているのか?」
ボート部の男はやっと僕から離れて、彼らのテーブルへ向かった。
「昔ね。今はしていないですよ」
窓の外で、鳥の巣頭が手を振っている。
視界の端で、ボート部の男がテーブルについている仲間に耳打ちをしている。チラチラと僕の方を見ている。カードをしながら、大鴉はオンラインカジノの説明をしているようだった。
もう少し聞いていたい気もするけれど、潮時だ。
「先輩、迎えが来たようなのでお先に失礼します」
僕の言葉にボート部の男は、ちっと唇の端を歪めたけれど、「また来いよ。次はゆっくりと遊んでやるから」と下卑た笑みを浮かべて言った。ゲラゲラと湧きあがる哄笑に、いたたまれない思いで足早にその場を去った。
鳥の巣頭の横には、田舎鼠寮長もいた。さすがにこいつも、ここに一人で来るのは躊躇したってことか。
僕が報告するよりも先に、鳥の巣頭が小声で囁いた。
「彼から電話があったよ」
そしてすぐに、すいっと視線を逸らした。
そんな僕たちを田舎鼠がニヤニヤといやらしい顔で見ている。
泣き出したい気分だ。
「すごく嫌だった。きみのために我慢したんだよ」
小声で囁き、鳥の巣頭の指に、指を絡ませる。
こいつは僕の顔をちらっと見て、ちょっとだけ唇の端で笑みを形作った。それから、僕の手をしっかりと握りしめた。
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スヌーカー:ビリヤードの一形態
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