微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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三章

60 二月 ゲーム

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 花に蝶が集うのは自然の摂理
 楽しみを享受するのは当然の権利
 違うかい?




 その日は、大鴉には会えなかった。まったく、何をしに行ったのか解らない。鳥の巣頭は、あのカレーが気に入ってご満悦みたいだけれど。

 僕はあそこに天使くんがいた意味を考えていた。
 最後に彼を見たコンサート会場の控え室では、大鴉と天使くんはけして仲が良さそうではなかったのに。あのパブのご主人の口ぶりからしても、彼はあそこに一人で来ているみたいだった。あんな彼にはてんで相応しくない小汚い店に。あの天使くん、学内では潔癖症で有名なのに……。

 どう考えたってピアノを弾きにいっているはずがない。大鴉に逢いたくてあそこに通っているに違いなかった。同じ寮なのに大鴉は寮の食堂には行かないらしいし、同期の子たちよりも生徒会メンバーと行動している。あそこの方が、寮内よりも彼に接する機会があるのかもしれない。

 そこまで考えて、僕はもやもやとした苛立ちに吐息を漏らした。

 天使くんは、フェローズの森で自分を助けてくれたのが彼だと気づいたのかもしれない。それとも、大鴉の怪我の原因になったあの揉め事が、彼の意識を変えたのだろうか――?

 どちらにせよ、僕のお気に入りの大鴉に彼が興味を持つことが嫌だった。

 天使くんはかつての僕みたいに、蒼くなって震えて凍りついているのが似あっているんだ。子爵さまと擦れ違ったときみたいに。

 白い彼のお気に入りの大鴉に守ってもらって、その上仲良くなろうなんて図々しいにもほどがある。
 だって、どう考えても大鴉は白い彼に頼まれて天使くんを助けてやったとは思えなかったし、ああして、あんなところで彼が一人でピアノを弾いているのだって、大鴉があの子のことを相手にしているわけじゃない、ってことだろ? 同じ寮だから助けてやった、それだけのことにしか思えないもの。

 それに天使くん、白い彼にだって疎まれているじゃないか。

 大鴉と天使くんの関係を知りたくて、あそこに行ったわけではない。肝心の大鴉に関しては、鳥の巣頭がいろいろ聞きだそうと探りを入れてみたけれど、パブの主人は彼のことに触れると、とたんに口を濁して話題を変えていた。なかなかの食わせ者だ、あのご老体。やっぱり大鴉と示し合わせて、お金持ちで世間知らずなエリオット校生を食い物にしているんじゃないかな。下賤な人間の考えそうなことだよ。

 僕はますます大鴉に興味を惹かれたよ。不愉快極まりない話なのに、新入生に手玉に取られている生徒会連中のことが、可笑しくって堪らなかった。



 結局、大鴉と一部生徒会メンバーの賭け事の尻尾を掴んで穏便にやめさせる計画は、何の進展もないまま、ハーフタームを迎えた。





 ハーフターム中は、また、鳥の巣頭の家で過ごした。もう両親は、僕に帰ってこいとも言わなくなった。あいつの家に行くことを告げると、ほっとしたような声に変わり、失礼のないようにね、と言葉少なに電話を切った。
 自分の子どもを他人の家庭に任せっきり、ってうちの親もたいがい図々しいよね。それとも開き直って、これもノブレス・オブリージュの一環だ、と当然の権利とでも思っているのかな?


 今回の休暇もいつもと同じ、代わり映えしない毎日が繰り返されるだけだと思っていた。
 さすがにもうこの家も飽きたよ。何もない田舎だもの。僕は鳥の巣頭みたいに魚釣りや狩猟をするわけでもないし。一緒にできるのはせいぜい乗馬くらいだから。

 ジョイントさえあれば、この静かで短調な田舎暮らしも楽しめるものになるんだけれどね……。


 そんな僕の祈りが天に通じたのか、鳥の巣頭の先輩が遊びにきてくれた。例のボート部の生徒会連中だ。鳥の巣頭は、相手は先輩だというのに賭け事の件で煩く言い過ぎて、疎遠になりかけていたのでひどく喜んだ。

 相変わらず馬鹿だなぁ。皆、僕に逢いにきてくれたんだよ。



 これはね、楽しいゲームなんだ。

 一人が鳥の巣頭に議論を仕掛ける。お説教したくて堪らない鳥の巣頭はすぐに乗って熱くなる。その内、「話にならないよ」とか、「ついていけないな」とか、適当な理由をつけて一人ずつ抜けていく。

 そうやって残った一人が鳥の巣頭の注意を引いている間に、ジョイントを吸って、こいつらは僕で楽しむってわけ。
 いつもいつも議論っていうのもあざといから、チェスのゲームだったり、狩猟だったり。僕が普段参加しない遊びなら、疑われることもなかった。

 おかげで、素晴らしく有意義な日々を送ることができたよ。



 けれど僕は完全に鳥の巣頭を侮っていて、注意を欠いていたのかもしれない。まさかこいつが気づくなんて、欠片も思わなかったんだ。ジョイントの残り香も、肌に痕を残さないようにも、見た目は何ら変わりのないように細心の注意を払っていたのに……。



 その時、僕は薄いジョイントを立て続けに何本か吸って、すっかりいい気持ちに酔いしれていた。久しぶりに、ふわりと沈み込む大地が僕を受けとめ、柔らかくとろりと蕩かせてくれていた。

 その日は鳥の巣頭は連中と狩猟に出ていた。予定通り、僕は頭が痛いから部屋で休むと、あいつには告げていた。
 そして、この森小屋で待っていたんだ。ストーブを焚いて。

 その場に何人いたかなんて思いだせない。ただ、上に乗っていた奴が急にいなくなって、薄ら寒さを覚えたような気がする。
 森小屋のドアが開いていて、大嫌いなスノードロップの花が見えた。

 鳥の巣頭が先輩方と殴り合っていた。一人、二人、三人――。多勢に無勢だ。鳥の巣頭は殴るよりも殴られる回数の方がずっと多い。殴られる度、鮮血が、赤い花びらが、舞うように散る。純白のスノードロップに赤い染みができる。鳥の巣頭の顔にも赤い花が咲く。

 馬鹿な鳥の巣頭――。
 僕はまた、こいつの前で犯られるのか、アヌビスの時のように――。

 僕は森小屋の床板の上に、ぺたんと座り込んだまま。

 だが、ボート部の先輩方は勝負がついたと判ると、倒れている鳥の巣頭を小屋まで支えて連れてきて、「お前が入れあげているのがどんな奴か、目を開けてちゃんと見ろ」と、捨て台詞を残していってしまった。

 目を開けてなんていられないほど、こいつの瞼は腫れあがっていたけどね。



 鳥の巣頭はよろよろと僕のところまでにじり寄って、僕を抱き締めてぼろぼろと泣いた。僕はぼんやりと、こいつを抱きしめ返すわけでもなく、ただ、されるがままに任せていた。






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