微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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三章

58 賭博

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 神さまは賽子さいころ遊びをなさらないって? 
 信じているの?
 そんな嘘




 親しくなったボート部、生徒会役員の連中がなかなかつかまらない。
 試験は順次終わっているはずなのに、どうしてかと思っていたら、新しい遊びに夢中なのだそうだ。

 僕と遊ぶよりも楽しいって?

 僕は苛立ちを隠したまま、眉間に皺を寄せて同じ連中に対する不満を愚痴る、鳥の巣頭の話に耳を傾けていた。


「本当にあの子、とんでもないよ!」

 新学期が始まってしばらくしてから、一部生徒会役員が、あの大鴉と遊びまわっているのだそうだ。かなりの数の役員がハマっているって。

 あの大鴉相手の賭け事に――。

 ポーカーに、ブラックジャックのカードゲームに始まって、賭けダーツ。今は利き手が使えないのに、大鴉は左手でもめっぽう強いのだそうだ。毎晩のように裏通りのパブで遊んでいるって。

 もちろん、生徒会のすべてが、じゃない。
 鳥の巣頭は、子爵さまもいい顔をしていないと珍しく彼の名前を挙げた。二人ともこういう面は真面目極まりない。というよりも、子爵さまは個人的に大鴉のことが好きじゃないみたいだ。



「現金を賭けているわけじゃないから、取りしまれないんだよ――。それに、下手に取りしまったりしたら、かなりの生徒会役員を処分対象にしなきゃいけなくなるし――」

 鳥の巣頭は、腹立たしげに吐息を漏らす。

 現金じゃないといっても、賭けゲームでやり取りされるのは、その場のパブでの飲食代金だとか、賭けの代償にできるような危なっかしい打ち明け話だとか、ときには大切な品物だったりで、考えようによっては、お金には変えられないほど貴重なものだったりするらしい。そんな賭け事が、生徒の規範たる生徒会役員に許されていいはずがない。まして、新入生に乗せられて、だなんて!

 ちなみに大鴉は自分の負け分に対して、Aレベル試験の予想問題を提供したらしい。それが、冬期試験を受け終わった連中がびっくりするほど的確で、後輩に高値で売買されている、というから驚きだ。さらに大鴉から勝ちをもぎ取り、五月の本試験対策の予想問題を作らせようと、賭けゲームに拍車がかかっているのだという。


「でもあの子、奨学生だろ? あの厳格なカレッジ寮がよくそんなの許してるね」

 僕は大鴉の意外な一面にかなり興味を惹かれ、怒りで頭を沸騰させている鳥の巣頭を、逆に冷めた気分で眺めていた。

「そもそも、カレッジ寮の生徒会役員があの子を連れてきたんだ」

 鳥の巣頭は唇を尖らせて、大げさにため息をつく。

「新入生をパブの遊びに?」
「今、溜まり場になっているのは、あの子の行きつけのパブなんだよ。ガラの悪い地区の汚ないパブだって。まともなエリオット校生はそんな場所には行かないし、先生方も来ない。あの子、その店で働いているって噂」

 僕は目を丸くして鳥の巣頭を凝視した。

「冗談だろ? だいたいなんで? ソールスベリー先輩が後見人なのに、お金に困っているの?」

 脳裏に梟が浮かんだ。意外にこの学校は名家の子弟ばかり、というわけでもない。卒業するまでに高額な学費が支払えなくなって、中途退学する生徒も毎年若干名いる。

 鳥の巣頭はしかめっ面で頭を振った。

「寮の食事が不味いからって、パブの厨房で料理して、それを同じ寮の連中に売っているんだって」

 僕は吹き出してしまったよ。

 確かに寮の食事は、家畜の餌以下だ。その点には大いに賛同するよ、大鴉!


「それにパブでの未成年の飲酒は禁止されているのに、そこのパブは持ち込んだ分には目を瞑っている、って話なんだ。さすがに、提供はしていないらしいけど――」
「生徒会の連中もやるもんだね」

 鳥の巣頭には悪いけれど、これ、笑い話だろ? そのパブもグルになって、たかだか新入生にカモにされているってことじゃないの? 本当に酒を提供していないかどうかなんて、判ったものじゃない。

「それにしても、奨学生でもお酒を飲んで賭け事したりするんだ――」


 生徒会の連中は、まぁ、不思議じゃないよ。あいつらストレスの塊だもの。校内で偶然遇ったときと、仲間内だけになったとき、どれほど変わることか――。それに、あいつらのほとんどが競技スポーツの花形選手だ。勝負事になったら、カードだろうが、ダーツだろうが、すぐに頭に血が上って熱くなってしまうに違いない。
 酒と、ジョイントと、僕がいなけりゃ、とてもじゃないがやっていけない、そう、どいつもこいつも愚痴っていた。そこに賭け事が加わればハマって当然……。

 もっとも、どうやらその中に僕は必要なかったみたいだけどね――。


 僕の位置にあの大鴉がいるのかと想像すると、何とも言えない不快感がドス黒く湧きあがってくる。
 彼の冷めた鳶色の瞳、鴉の羽のような闇色の髪、そのくせ磁器のような滑らかな肌が、瞼裏を掠める。けれどすぐに、僕と同一線上に置いて考えるなんて、とても無理だと思った。彼が、僕みたいな目のつけられ方をするとは到底思えない。僕は苦笑し、小さく頭を振った。



「あの子は飲酒はしないよ。飲酒とか、煙草とか、そういうので指導を受けたことはないんだよ。さすがの奨学生さまさ。門限に遅れることもないし、持ち物検査で引っかかることもない。授業には出なくても課題はきっちりこなして、表面的には優等生そのものなんだ。誰一人、そうは思っていないけれどね」

 下級生だけのパブへの出入りは禁止。けれど、上級生が一緒ならかまわない。あくまで規律に則った行動で、罰則を与えることができないんだ、と鳥の巣頭は困り顔で言う。

「今はまだ一般生徒にまで広まっていないからいいものの、こんな生徒会の醜聞が噂にでもなったらと思うと……」



 ただでさえ陰気臭い顔なのに、こうしかめっ面をしていたら見れたものじゃない。
 深く皺の刻まれた鳥の巣頭の眉間を、指でくりくりと伸ばしてやった。

「確かに困った問題だね。僕も一緒に何かいい対策はないか考えるよ。だから、ね? いつまでもそんな顔しないで。笑って」

 にっこりと笑いかけてやると、こいつは、ほんのりと恥ずかしそうに赤らんだ。

「ごめんね、きみにまで心配をかけてしまって……」


 僕はふわりとこいつを抱きしめてやったよ。


 いいんだよ。きみの問題は僕の問題でもあるんだ。僕の大切なたちが、問題を起こしては困るものね――。




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