58 / 200
三章
57 一月 窓の外
しおりを挟む
片羽の大鴉が闇に舞い
笑い声に似た羽音が
白い霧を扇ぎ払う
新学期が始まった。梟とは再会の約束をしたし、友人も増えた。それなりに実りある有意義な休暇だったよ。
部屋に入り荷物を置いて、窓を覗いた。期待なんてしていなかったのに。
いつもそこにいるかのような、大枝に留まる大鴉の姿に息が止まった。
群青の空にぽっかりと浮かぶ白い月を背に、西の空の夕焼けを眺めているのだろうか。
紫紺の闇に変わる頃、彼はふわりと飛びたった。闇に溶けるように翼を広げて。
骨折したと聞いていたのに、怪我は大したことはなかったのだろうか?
「何を見ているの、マシュー?」
振り返り、戸口で怪訝そうに僕を見ている鳥の巣頭を睨めつけた。
せっかくの楽しい気分が台なしじゃないか――。
「鳥。鴉がいたんだ」
「鴉なんて、珍しくもないじゃないか。君が嬉しそうに微笑んでいたから、何か素敵な物でも見つけたのかと思ったよ」
鳥の巣頭は、残念そうに微笑んで僕の横に立ち、もうすでに闇に沈み、川向こうの隣町の灯火がきらきらと輝き始めた窓外に目をやった。薄く曇るガラスを掌で擦り、顔をしかめる。
「冷た! 窓の傍じゃ冷えてしまうよ、マシュー」
立ち上がった僕を、鳥の巣頭が抱きしめる。
「ジョイントは駄目だよ。すぐに模試があるからね」
「解ってるよ」
僕は答えながら、頭では別のことを考えていた。
あの大鴉は、片羽でも飛ぶのかと――。
学校が始まって、一週間も経った頃だろうか。
夕食の後で鳥の巣頭の部屋へ寄り、一緒に自習をしてから自室へ戻ろうとしていた時、談話室から突如賑やかな歓声が上がった。
何事かと鳥の巣頭を振り返る。
「きっとソールスベリー先輩だよ。ラスベガスの家電テクノロジー国際見本市で、先輩の会社の新製品の発表をするって、皆、噂していたから。ちょうど中継をしている頃だもの」
鳥の巣頭の顔に浮かんだ羨ましそうな色を、僕は見逃さなかった。
「きみも見たかったんじゃないの? 僕の勉強につき合ってなんかいないでさ」
僕の嫌味に、鳥の巣頭は苦笑して頭を振った。
「僕だってASレベルの試験が近いんだ。そんな暇ないよ。だってね、中継は何時間もあるんだよ。先輩の発表が何時頃になるかも解らなかったし、つき合っていられないよ。後からネットで検索した方がずっと効率的だろ」
したり顔でそう言い、僕を急かすように腕を引く。
「――今日は水曜日だろ? その、彼は?」
顔を寄せ、小声で囁くように訊いてきた。
「今月は試験勉強だって。――たぶんね」
僕は冷たく言い捨てた。
子爵さまはあの天使くんに夢中だ。新学期になって一度だけ逢ったけれど、もうどんな手段を使ってでもあの子が欲しくて仕方がない、そんな風だった。
クリスマスコンサートに白い彼が来たことも関係あるみたいだ。せっかく大好きな先輩が、久しぶりにこの街を訪れたというのに、逢えなかったのだもの!
子爵さまは生徒会役員だからね。会場を訪れるお歴々の接待で大忙しだったってわけ。勝手知ったる白い彼は、そんな面倒な社交は避けて、弟くんに花だけ渡して帰った、ということになっている。
子爵さまは、それがまた気に食わないんだ。嫌っているはずの米国の親族を、白い彼が気にかけたりするから。自分のことは省みてくれないのに……。
あの豪華な花束だって、本当はどっちに渡すつもりだったのか解らないのに――。
大鴉が、忘れられたように置かれていたそれを、あの天使くんに渡したにすぎないのに。
「消灯後、きみの部屋に行ってもいい?」
鳥の巣頭の声に、僕はふっと物思いから覚め、ふわりと微笑んでこいつの耳元に口を寄せた。
「いいよ。試験前になると、来られなくなるものね」
子爵さまのことなんて、もうどうだっていい。
僕は休暇中、こいつの友人たちに交じって充分に遊んだ。生徒会の役員も何名かいた。今の生徒会の主権はラグビー部よりもボート部だ。梟の代で、かなりカレッジ寮の監督生の息のかかった他部活の役員が入って、影響力は削がれてしまったけれど。それでもまだ、二十名の内、六名もいる。皆、鳥の巣頭の友人だ。
本当に、こいつの友人方とは、充分に親しくさせていただいたよ。――こいつの目を盗んで。後は、あの連中の気が変わらないように、せいぜいご機嫌取りに励むだけだ。
ジョイントも、くれるしね。
世の中、本当、上手く出来ているよ――。
と、いつも通りの短調で退屈な日々を送っていたのに。
まさか、鳶に油揚げをさらわれるどころか、大鴉に僕の大切な友人たちをかっさらわれるなんて、思ってもみなかったよ……。
笑い声に似た羽音が
白い霧を扇ぎ払う
新学期が始まった。梟とは再会の約束をしたし、友人も増えた。それなりに実りある有意義な休暇だったよ。
部屋に入り荷物を置いて、窓を覗いた。期待なんてしていなかったのに。
いつもそこにいるかのような、大枝に留まる大鴉の姿に息が止まった。
群青の空にぽっかりと浮かぶ白い月を背に、西の空の夕焼けを眺めているのだろうか。
紫紺の闇に変わる頃、彼はふわりと飛びたった。闇に溶けるように翼を広げて。
骨折したと聞いていたのに、怪我は大したことはなかったのだろうか?
「何を見ているの、マシュー?」
振り返り、戸口で怪訝そうに僕を見ている鳥の巣頭を睨めつけた。
せっかくの楽しい気分が台なしじゃないか――。
「鳥。鴉がいたんだ」
「鴉なんて、珍しくもないじゃないか。君が嬉しそうに微笑んでいたから、何か素敵な物でも見つけたのかと思ったよ」
鳥の巣頭は、残念そうに微笑んで僕の横に立ち、もうすでに闇に沈み、川向こうの隣町の灯火がきらきらと輝き始めた窓外に目をやった。薄く曇るガラスを掌で擦り、顔をしかめる。
「冷た! 窓の傍じゃ冷えてしまうよ、マシュー」
立ち上がった僕を、鳥の巣頭が抱きしめる。
「ジョイントは駄目だよ。すぐに模試があるからね」
「解ってるよ」
僕は答えながら、頭では別のことを考えていた。
あの大鴉は、片羽でも飛ぶのかと――。
学校が始まって、一週間も経った頃だろうか。
夕食の後で鳥の巣頭の部屋へ寄り、一緒に自習をしてから自室へ戻ろうとしていた時、談話室から突如賑やかな歓声が上がった。
何事かと鳥の巣頭を振り返る。
「きっとソールスベリー先輩だよ。ラスベガスの家電テクノロジー国際見本市で、先輩の会社の新製品の発表をするって、皆、噂していたから。ちょうど中継をしている頃だもの」
鳥の巣頭の顔に浮かんだ羨ましそうな色を、僕は見逃さなかった。
「きみも見たかったんじゃないの? 僕の勉強につき合ってなんかいないでさ」
僕の嫌味に、鳥の巣頭は苦笑して頭を振った。
「僕だってASレベルの試験が近いんだ。そんな暇ないよ。だってね、中継は何時間もあるんだよ。先輩の発表が何時頃になるかも解らなかったし、つき合っていられないよ。後からネットで検索した方がずっと効率的だろ」
したり顔でそう言い、僕を急かすように腕を引く。
「――今日は水曜日だろ? その、彼は?」
顔を寄せ、小声で囁くように訊いてきた。
「今月は試験勉強だって。――たぶんね」
僕は冷たく言い捨てた。
子爵さまはあの天使くんに夢中だ。新学期になって一度だけ逢ったけれど、もうどんな手段を使ってでもあの子が欲しくて仕方がない、そんな風だった。
クリスマスコンサートに白い彼が来たことも関係あるみたいだ。せっかく大好きな先輩が、久しぶりにこの街を訪れたというのに、逢えなかったのだもの!
子爵さまは生徒会役員だからね。会場を訪れるお歴々の接待で大忙しだったってわけ。勝手知ったる白い彼は、そんな面倒な社交は避けて、弟くんに花だけ渡して帰った、ということになっている。
子爵さまは、それがまた気に食わないんだ。嫌っているはずの米国の親族を、白い彼が気にかけたりするから。自分のことは省みてくれないのに……。
あの豪華な花束だって、本当はどっちに渡すつもりだったのか解らないのに――。
大鴉が、忘れられたように置かれていたそれを、あの天使くんに渡したにすぎないのに。
「消灯後、きみの部屋に行ってもいい?」
鳥の巣頭の声に、僕はふっと物思いから覚め、ふわりと微笑んでこいつの耳元に口を寄せた。
「いいよ。試験前になると、来られなくなるものね」
子爵さまのことなんて、もうどうだっていい。
僕は休暇中、こいつの友人たちに交じって充分に遊んだ。生徒会の役員も何名かいた。今の生徒会の主権はラグビー部よりもボート部だ。梟の代で、かなりカレッジ寮の監督生の息のかかった他部活の役員が入って、影響力は削がれてしまったけれど。それでもまだ、二十名の内、六名もいる。皆、鳥の巣頭の友人だ。
本当に、こいつの友人方とは、充分に親しくさせていただいたよ。――こいつの目を盗んで。後は、あの連中の気が変わらないように、せいぜいご機嫌取りに励むだけだ。
ジョイントも、くれるしね。
世の中、本当、上手く出来ているよ――。
と、いつも通りの短調で退屈な日々を送っていたのに。
まさか、鳶に油揚げをさらわれるどころか、大鴉に僕の大切な友人たちをかっさらわれるなんて、思ってもみなかったよ……。
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説

夜は深く、白く
雷仙キリト
BL
同じ芸能事務所に所属するアイドル、刻と聖。彼らはアイドルであり、友人でありそして、恋人未満の存在だった。聖の歪な愛情が、刻の人生を大きく変えた。
原題:DARK NIGHT


ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
全8話。1日1話更新(20時)。
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる