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三章
55 再会
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闇の中に光る金色
夜の声
支配するのは彼
会場の扉をくぐるなり、まずは予想外の大音響に度肝を抜かれ、次に、大広間を一瞥して舌打ちした。ざっと見ただけでも五十名は軽く超えている。普段は見かけないスタッフ風の連中の数を合わせるともっとだ。部屋の一方に並べられた長テーブルに食事が、壁際に椅子とカフェテーブルが並ぶ。中央がダンスホールと化している。「毎年イベント会社に頼んでいるんだ」鳥の巣頭が耳打ちする。
女性同伴だなんて聞いていない! まるでプロムじゃないか!
映画やドラマでしか見たことのない世界に早変わりした、フロアで踊る連中の色取り取りの華やかなドレスを見渡して、エスコートするタキシードの中に、確かにちらほらとスーツ姿が混ざっているのを確認する。ほっと安堵の吐息が漏れた。
そんな僕の腕を引っ張り人混みの中に分け入ると、鳥の巣頭は喜々として訪れた友人たちに僕を紹介し始めた。
男性陣の数人が、僕の顔を見て耳打ちしあっている。初対面の振りをして挨拶を交わしあう。なんとなく覚えている奴もいたし、全く記憶にない奴もいた。
とにかく、半数くらいが握手のとき、僕の掌をさらりとさりげなく指先でくすぐった。連れの彼女の前だというのに。
鳥の巣頭にバレるんじゃないかとひやひやしたよ。
まったく、なんてことだ。
ここにいる奴らは、僕とやったことがあるか、金を払えば僕とやれると思っている奴らばかり――、ってことらしい。
僕は、梟が連れてきた連中の素性なんて知らなかったから、まさか、ボート部の、鳥の巣頭の先輩が含まれているなんて思ってもみなかったんだ。
要は、梟はジョイントと僕を使って、部内を掌握していたってことだ……。
僕は冷ややかにこいつらに笑みを返し、梟と特に親しそうな素振りを見せていた奴はいないかと、眺めまわした。
鳥の巣頭の友人や先輩よりも、アヌビスのオックスフォードの友人に訊ねる方が確実だろうか――。
鳥の巣頭は、あのDクラブに絡んだ連中とは縁を切っているから心配いらないと言っていたけれど、タキシード姿のオックスフォード生の中には、見知った顔が何人もいた。元エリオットのラグビー部の連中だ。
下品で乱暴なあいつらは嫌いだ……。
あいつらよりは、まだ紳士的なボート部の先輩とやらに、まずは当たってみよう――。
人混みでくたびれたから外の空気を吸ってくると、鳥の巣頭に断りを入れた。
「大丈夫? 僕も行くよ」
「駄目だよ、きみはホストじゃないか」
上目遣いに微笑んで、こいつの腕を軽く叩いた。渋るこいつをなんとか宥めた。周囲にはこいつの友人たちが何人もいるのだ。鳥の巣頭も、そうそう僕だけの相手をしているわけにはいかない。
チラチラと秋波を送ってくる連中の一人に、意味ありげに視線を投げかけてテラスに出た。
案の定、そいつは察し良く僕を追ってきた。連れの彼女は食べるのに夢中らしい。まったく、どうしてあんなのを同伴してきているのだろうね? こうして僕みたいなのと遊ぶためなのかな?
でも残念なことに、そいつは梟の連絡先は知らなかった。そのくせ馴れ馴れしく僕の肩に腕をまわし、昏がりに誘いこもうとする。
「持ってる?」
唇に中指と人差し指を揃えて当て、長身のそいつを見あげた。ボート部の連中は総じて高身長だ。鳥の巣頭にしても。入学したての頃は、僕とそう変わらなかったのに。
そいつは、にっと笑って目を細めた。どことなく、仕草や表情が蛇に似ている。
庭の外れの東屋で久しぶりのジョイントを吸った。冷たい石造りのベンチに腰掛け火を点ける。残念。薄い、薄い奴だ。あの田舎鼠の言う通り、もうこの薄い奴しか扱ってないのかもしれない――。
「寒いから、着たままでいいでしょ?」
「すぐに温かくしてあげるよ」
そいつは僕の首筋に顔を埋め、耳許で囁いた。それでも気を使ってくれたのか、服のボタンは全部外さずに隙間から手を差し込んできた。されるがままに放っておいて、僕はジョイントを燻らせた。
ゆるゆると意識が広がっていく。脳が蕩けていく――。
屋敷から微かに漏れ響くクラブミュージックが、火花のように散っている。
あんな曲よりも、よほどバッハの方が酔えるのに――。
中途半端な薄い煙が、中途半端に僕を誘う。
突然、背後で聞こえたクスクスという笑い声に、僕に埋めていたこいつの頭が跳ねあがる。
「悪いな、邪魔して」
薄闇に浮かぶその顔と、聞き覚えのある声にそいつは飛びあがるように立ちあがると、直立不動の姿勢を取った。
「失礼しました!」
「こいつに話があるんだ。いいかな、譲ってもらっても?」
「もちろんです!」
後から思い返すとずいぶん滑稽なやり取りだったにもかかわらず、僕は、この淡い闇に立つ梟の姿に、喜びのあまり声を失っていた。
早足で逃げるように男が立ち去った後、梟は僕の隣に腰を下ろすと、おもむろに煙草を取りだし火を点けた。懐かしい銀のライターが鈍く光る。
「――おかえり」
梟は煙草を銜えたままにっと笑い、僕の頭をくしゃりと撫でた。僕は一気に昔に戻った気がして、にっこりした。
「元気だった? 心配していたんだよ。大変だったのでしょう?」
「その前に、そいつをしまえよ。風邪をひくぞ」
梟の視線に僕は赤面して慌てて立ちあがると、ボタンを掛け、トラウザーズをきちんと履き直す。
「お前も相変わらずだな」
そう言いながらも、梟は、僕の頭をまたくしゃりと撫でてくれる。
「で、何のようだ? 俺を探していたんだって?」
子どもをあやすような、煙水晶の瞳が優しく微笑む。
急に、「ジョイントが欲しい」という、その一言が言えなくなった。
梟は、僕のことを心配してくれている。入院する前、わざわざ家にだって来てくれた。僕はもう、ジョイントに振り回されてなんかいないって、言わなきゃ。それから、僕がジョイントを欲しい理由を――。梟が納得するような――。
「ソールスベリー先輩のこと、ご存知でしょう?」
引きつった口許から出てきたのは、自分でも思いがけない、あの白い彼の名前だった。
夜の声
支配するのは彼
会場の扉をくぐるなり、まずは予想外の大音響に度肝を抜かれ、次に、大広間を一瞥して舌打ちした。ざっと見ただけでも五十名は軽く超えている。普段は見かけないスタッフ風の連中の数を合わせるともっとだ。部屋の一方に並べられた長テーブルに食事が、壁際に椅子とカフェテーブルが並ぶ。中央がダンスホールと化している。「毎年イベント会社に頼んでいるんだ」鳥の巣頭が耳打ちする。
女性同伴だなんて聞いていない! まるでプロムじゃないか!
映画やドラマでしか見たことのない世界に早変わりした、フロアで踊る連中の色取り取りの華やかなドレスを見渡して、エスコートするタキシードの中に、確かにちらほらとスーツ姿が混ざっているのを確認する。ほっと安堵の吐息が漏れた。
そんな僕の腕を引っ張り人混みの中に分け入ると、鳥の巣頭は喜々として訪れた友人たちに僕を紹介し始めた。
男性陣の数人が、僕の顔を見て耳打ちしあっている。初対面の振りをして挨拶を交わしあう。なんとなく覚えている奴もいたし、全く記憶にない奴もいた。
とにかく、半数くらいが握手のとき、僕の掌をさらりとさりげなく指先でくすぐった。連れの彼女の前だというのに。
鳥の巣頭にバレるんじゃないかとひやひやしたよ。
まったく、なんてことだ。
ここにいる奴らは、僕とやったことがあるか、金を払えば僕とやれると思っている奴らばかり――、ってことらしい。
僕は、梟が連れてきた連中の素性なんて知らなかったから、まさか、ボート部の、鳥の巣頭の先輩が含まれているなんて思ってもみなかったんだ。
要は、梟はジョイントと僕を使って、部内を掌握していたってことだ……。
僕は冷ややかにこいつらに笑みを返し、梟と特に親しそうな素振りを見せていた奴はいないかと、眺めまわした。
鳥の巣頭の友人や先輩よりも、アヌビスのオックスフォードの友人に訊ねる方が確実だろうか――。
鳥の巣頭は、あのDクラブに絡んだ連中とは縁を切っているから心配いらないと言っていたけれど、タキシード姿のオックスフォード生の中には、見知った顔が何人もいた。元エリオットのラグビー部の連中だ。
下品で乱暴なあいつらは嫌いだ……。
あいつらよりは、まだ紳士的なボート部の先輩とやらに、まずは当たってみよう――。
人混みでくたびれたから外の空気を吸ってくると、鳥の巣頭に断りを入れた。
「大丈夫? 僕も行くよ」
「駄目だよ、きみはホストじゃないか」
上目遣いに微笑んで、こいつの腕を軽く叩いた。渋るこいつをなんとか宥めた。周囲にはこいつの友人たちが何人もいるのだ。鳥の巣頭も、そうそう僕だけの相手をしているわけにはいかない。
チラチラと秋波を送ってくる連中の一人に、意味ありげに視線を投げかけてテラスに出た。
案の定、そいつは察し良く僕を追ってきた。連れの彼女は食べるのに夢中らしい。まったく、どうしてあんなのを同伴してきているのだろうね? こうして僕みたいなのと遊ぶためなのかな?
でも残念なことに、そいつは梟の連絡先は知らなかった。そのくせ馴れ馴れしく僕の肩に腕をまわし、昏がりに誘いこもうとする。
「持ってる?」
唇に中指と人差し指を揃えて当て、長身のそいつを見あげた。ボート部の連中は総じて高身長だ。鳥の巣頭にしても。入学したての頃は、僕とそう変わらなかったのに。
そいつは、にっと笑って目を細めた。どことなく、仕草や表情が蛇に似ている。
庭の外れの東屋で久しぶりのジョイントを吸った。冷たい石造りのベンチに腰掛け火を点ける。残念。薄い、薄い奴だ。あの田舎鼠の言う通り、もうこの薄い奴しか扱ってないのかもしれない――。
「寒いから、着たままでいいでしょ?」
「すぐに温かくしてあげるよ」
そいつは僕の首筋に顔を埋め、耳許で囁いた。それでも気を使ってくれたのか、服のボタンは全部外さずに隙間から手を差し込んできた。されるがままに放っておいて、僕はジョイントを燻らせた。
ゆるゆると意識が広がっていく。脳が蕩けていく――。
屋敷から微かに漏れ響くクラブミュージックが、火花のように散っている。
あんな曲よりも、よほどバッハの方が酔えるのに――。
中途半端な薄い煙が、中途半端に僕を誘う。
突然、背後で聞こえたクスクスという笑い声に、僕に埋めていたこいつの頭が跳ねあがる。
「悪いな、邪魔して」
薄闇に浮かぶその顔と、聞き覚えのある声にそいつは飛びあがるように立ちあがると、直立不動の姿勢を取った。
「失礼しました!」
「こいつに話があるんだ。いいかな、譲ってもらっても?」
「もちろんです!」
後から思い返すとずいぶん滑稽なやり取りだったにもかかわらず、僕は、この淡い闇に立つ梟の姿に、喜びのあまり声を失っていた。
早足で逃げるように男が立ち去った後、梟は僕の隣に腰を下ろすと、おもむろに煙草を取りだし火を点けた。懐かしい銀のライターが鈍く光る。
「――おかえり」
梟は煙草を銜えたままにっと笑い、僕の頭をくしゃりと撫でた。僕は一気に昔に戻った気がして、にっこりした。
「元気だった? 心配していたんだよ。大変だったのでしょう?」
「その前に、そいつをしまえよ。風邪をひくぞ」
梟の視線に僕は赤面して慌てて立ちあがると、ボタンを掛け、トラウザーズをきちんと履き直す。
「お前も相変わらずだな」
そう言いながらも、梟は、僕の頭をまたくしゃりと撫でてくれる。
「で、何のようだ? 俺を探していたんだって?」
子どもをあやすような、煙水晶の瞳が優しく微笑む。
急に、「ジョイントが欲しい」という、その一言が言えなくなった。
梟は、僕のことを心配してくれている。入院する前、わざわざ家にだって来てくれた。僕はもう、ジョイントに振り回されてなんかいないって、言わなきゃ。それから、僕がジョイントを欲しい理由を――。梟が納得するような――。
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