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三章
49 十二月 奨学生たち
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その羽ばたきは
僕の眠りを覚醒まさせる
一陣の風
あの大鴉はまだ見つからない。もう一度会えば一目で判るはずだと思っていたのに――。
天使くんには一度礼拝堂の前ですれ違った。彼は相変わらず一人で、松葉杖をついていた。
僕の顔を覚えていたらしく、目が合うと会釈してきた。惨めな様子なんて欠片もみせずに、彼はにっこりと微笑んだ。
石畳の中庭に行き交う大勢の黒ずくめの制服の中で、彼だけが、清浄な空気に包まれた、地上に堕ちた天使だった。彼の黄金の髪は天からの祝福を受けて輝き、そのセレストブルーは至上の空の色を映す。犯しがたい高潔さを湛えて、彼は真っ直ぐに前だけを見つめていた。あの、白い彼のように――。
だから僕はこのところずっと不機嫌だ。
きみは、僕と同じじゃなくちゃいけないのに……。
でも、彼もまた、自分と同じ黒いローブの集団を真剣な瞳で追っている。きっと、あの大鴉を探しているんだ。少し安心したよ。やはり僕たちは鏡映しのようだね。
きみの瞳が、どれほどあの時の彼を渇望しているか、僕には解るよ……。
最終年度のラグビーシーズンと試験のため、子爵さまは僕にかまってくれなくなった。なんていうのは建前で、本当はあの天使くんに夢中なのだ。
いつも俯いて人目を避けるようにおどおどとしているか、逆に高慢なまでに見下したような態度でしか他人と接することのできなかった不器用な天使くんが、あれ以来、頭を高く上げて、堂々と胸を張って歩いている。唇を引き結んで。黒いローブで、小鳥のように怯える心臓を隠しながら。
子爵さまも、取り巻きの方々も、もう一度あのローブを掴んで引き摺り倒し、彼のあの初雪のような白い肌を蹂躙したくてたまらないんだ。そんな、卑しい眼であの子を見ている。
けれどさすがにカレッジ寮の方も、出方を変えたらしい。天使くんが一人で行動することはほとんどなくなった。同期の新入生と、友達同士のように連れ立つ姿を見かけるようになってきた。
こうなると僕はちっとも面白くない。
十二月に入って、久しぶりに子爵さまに逢った。
この日の子爵さまは、いつもと違っていた。あれから校内で僕の顔を見かけると、すいっと顔を逸らして避ける素振りをしていたのに。
「ありがとう。きみの言った通りになったよ」
子爵さまはほっとしたような笑みを浮かべて、僕に礼を言った。
大鴉が子爵さまを強請りに来たのだ!
心臓が早鐘のように鳴り始めた。
やっと、やっと大鴉が誰だか判るのだ!
子爵さまの告げた名は、意外な人物だった。
「カレッジ寮の寮長――」
完璧なエリオット発音、黒髪、長身痩躯――。
でも、まさか、寮長自らあんなマネをするなんて……。
カレッジ寮長は、あの樹の上から撮った写真を盾に、天使くんから手を引くように言ってきたのだという。子爵さまは医療棟での写真を見せて、逆に脅しつけてやったのだそうだ。
「あいつは先輩の子飼いだからね……。ざまあみろだ!」
子爵さまは、らしくない汚い言葉を吐き捨てるように使った。
僕は子爵さまから貰ったジョイントを燻らせながら、納得できないまま、白い霧の中に意識を放つ。
幾ら新入生とはいえ、昏がりの中とはいえ、自分の寮の寮長が判らない、なんてあり得るのだろうか?
そんな僕の疑念なんておかまいなしに、子爵さまの手が伸びてきて僕を抱き寄せる。
僕はぼんやりと子爵さまを見つめた。唇が重なる。熱い舌が僕を絡め取る。
今、誰にキスしている? 先輩、それとも天使くん?
僕は、のっぺらぼうの白い影の背に腕を廻す。僕を凍えさせる、とても熱いその背中を、ふわりと優しく抱きしめた。
カレッジ寮は学舎の一角にある。僕の入りたくて仕方がなかった奨学生のための寮だ。
あの大鴉が寮長で、学校一の頭脳の証でもある銀ボタン。おまけに、監督生代表だなんて――。
遠目に赤煉瓦造りの学舎に囲まれたカレッジ寮に並ぶ窓を仰ぎ見る。あの中に大鴉の巣があるのだと思うと、胸が締めつけられるようだった。
こんなに足繁く通っているのに、何故か彼には一度も逢えない。もう一度逢えば、絶対に見間違えない自信があったのに、見落としているのだろうか……。
僕はフェローズの森の端を通って寮に戻るのが習慣になった。もしかして、彼に遇えるかもしれない、と淡い期待がどこかにあった。
その日も、乗馬が終わった後、僕を迎えにきていた鳥の巣頭とフェローズの森の手前を通って寮に戻るところだった。
陽が落ちる時間もずいぶんと早くなって、西の空が赤く染まりだしていた。
鳥の巣頭が僕の脇を小突いた。見あげると、小声で僕に耳打ちした。
「カレッジ寮長だよ」
豊かに茂っていた葉のほとんどを散らし、剥き出しの枝の絡み合う林から、二人連れがこちらに向かって歩いてくる。西日を浴びた影が、彼らの足元から大きく伸びている。灰色のウエストコートに、羽織ったローブの隙間から銀ボタンが煌めいている。長身で黒髪のカレッジ寮長は、傍らの少年にしきりに何か話かけている。それなのに、その子はポケットに手を突っ込んだまま、超然として無視を決め込んでいる。
僕は息を呑んで彼を見つめた。
黒いローブをはためかせ、眩しそうに眼を眇めたその少年は、間違いなく、あの時の彼だ。
「彼は、誰?」
僕は小さく呟いた。視線は、カレッジ寮長の隣を歩く、あの大鴉に釘づけにされたまま――。
僕の眠りを覚醒まさせる
一陣の風
あの大鴉はまだ見つからない。もう一度会えば一目で判るはずだと思っていたのに――。
天使くんには一度礼拝堂の前ですれ違った。彼は相変わらず一人で、松葉杖をついていた。
僕の顔を覚えていたらしく、目が合うと会釈してきた。惨めな様子なんて欠片もみせずに、彼はにっこりと微笑んだ。
石畳の中庭に行き交う大勢の黒ずくめの制服の中で、彼だけが、清浄な空気に包まれた、地上に堕ちた天使だった。彼の黄金の髪は天からの祝福を受けて輝き、そのセレストブルーは至上の空の色を映す。犯しがたい高潔さを湛えて、彼は真っ直ぐに前だけを見つめていた。あの、白い彼のように――。
だから僕はこのところずっと不機嫌だ。
きみは、僕と同じじゃなくちゃいけないのに……。
でも、彼もまた、自分と同じ黒いローブの集団を真剣な瞳で追っている。きっと、あの大鴉を探しているんだ。少し安心したよ。やはり僕たちは鏡映しのようだね。
きみの瞳が、どれほどあの時の彼を渇望しているか、僕には解るよ……。
最終年度のラグビーシーズンと試験のため、子爵さまは僕にかまってくれなくなった。なんていうのは建前で、本当はあの天使くんに夢中なのだ。
いつも俯いて人目を避けるようにおどおどとしているか、逆に高慢なまでに見下したような態度でしか他人と接することのできなかった不器用な天使くんが、あれ以来、頭を高く上げて、堂々と胸を張って歩いている。唇を引き結んで。黒いローブで、小鳥のように怯える心臓を隠しながら。
子爵さまも、取り巻きの方々も、もう一度あのローブを掴んで引き摺り倒し、彼のあの初雪のような白い肌を蹂躙したくてたまらないんだ。そんな、卑しい眼であの子を見ている。
けれどさすがにカレッジ寮の方も、出方を変えたらしい。天使くんが一人で行動することはほとんどなくなった。同期の新入生と、友達同士のように連れ立つ姿を見かけるようになってきた。
こうなると僕はちっとも面白くない。
十二月に入って、久しぶりに子爵さまに逢った。
この日の子爵さまは、いつもと違っていた。あれから校内で僕の顔を見かけると、すいっと顔を逸らして避ける素振りをしていたのに。
「ありがとう。きみの言った通りになったよ」
子爵さまはほっとしたような笑みを浮かべて、僕に礼を言った。
大鴉が子爵さまを強請りに来たのだ!
心臓が早鐘のように鳴り始めた。
やっと、やっと大鴉が誰だか判るのだ!
子爵さまの告げた名は、意外な人物だった。
「カレッジ寮の寮長――」
完璧なエリオット発音、黒髪、長身痩躯――。
でも、まさか、寮長自らあんなマネをするなんて……。
カレッジ寮長は、あの樹の上から撮った写真を盾に、天使くんから手を引くように言ってきたのだという。子爵さまは医療棟での写真を見せて、逆に脅しつけてやったのだそうだ。
「あいつは先輩の子飼いだからね……。ざまあみろだ!」
子爵さまは、らしくない汚い言葉を吐き捨てるように使った。
僕は子爵さまから貰ったジョイントを燻らせながら、納得できないまま、白い霧の中に意識を放つ。
幾ら新入生とはいえ、昏がりの中とはいえ、自分の寮の寮長が判らない、なんてあり得るのだろうか?
そんな僕の疑念なんておかまいなしに、子爵さまの手が伸びてきて僕を抱き寄せる。
僕はぼんやりと子爵さまを見つめた。唇が重なる。熱い舌が僕を絡め取る。
今、誰にキスしている? 先輩、それとも天使くん?
僕は、のっぺらぼうの白い影の背に腕を廻す。僕を凍えさせる、とても熱いその背中を、ふわりと優しく抱きしめた。
カレッジ寮は学舎の一角にある。僕の入りたくて仕方がなかった奨学生のための寮だ。
あの大鴉が寮長で、学校一の頭脳の証でもある銀ボタン。おまけに、監督生代表だなんて――。
遠目に赤煉瓦造りの学舎に囲まれたカレッジ寮に並ぶ窓を仰ぎ見る。あの中に大鴉の巣があるのだと思うと、胸が締めつけられるようだった。
こんなに足繁く通っているのに、何故か彼には一度も逢えない。もう一度逢えば、絶対に見間違えない自信があったのに、見落としているのだろうか……。
僕はフェローズの森の端を通って寮に戻るのが習慣になった。もしかして、彼に遇えるかもしれない、と淡い期待がどこかにあった。
その日も、乗馬が終わった後、僕を迎えにきていた鳥の巣頭とフェローズの森の手前を通って寮に戻るところだった。
陽が落ちる時間もずいぶんと早くなって、西の空が赤く染まりだしていた。
鳥の巣頭が僕の脇を小突いた。見あげると、小声で僕に耳打ちした。
「カレッジ寮長だよ」
豊かに茂っていた葉のほとんどを散らし、剥き出しの枝の絡み合う林から、二人連れがこちらに向かって歩いてくる。西日を浴びた影が、彼らの足元から大きく伸びている。灰色のウエストコートに、羽織ったローブの隙間から銀ボタンが煌めいている。長身で黒髪のカレッジ寮長は、傍らの少年にしきりに何か話かけている。それなのに、その子はポケットに手を突っ込んだまま、超然として無視を決め込んでいる。
僕は息を呑んで彼を見つめた。
黒いローブをはためかせ、眩しそうに眼を眇めたその少年は、間違いなく、あの時の彼だ。
「彼は、誰?」
僕は小さく呟いた。視線は、カレッジ寮長の隣を歩く、あの大鴉に釘づけにされたまま――。
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