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三章
48 爽快な朝
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凪いだ空気に混ざる
僅かなさざめき
それは崩壊の羽音
翌日は完全に寝過ごした。部屋の中はいつもの朝とは違い、明るい陽射しが差していた。
制服を脱ぎ捨ててベッドに潜りこんでいた僕が、目を覚まして最初に目にしたのは不機嫌な顔をした鳥の巣頭だった。僕の監視に心血を注ぐこいつは、さっさと合鍵を作って勝手に僕の部屋に出入りする。プライバシーも何もあったものじゃない。
子爵さまが地下室から帰ったのは明け方近かったし、何本もジョイントを吸ったしで、ぐったりと疲れているっていうのに。
「ジョイントを吸ったね」
「おはよう。きみ、授業は? 生徒会役員がサボリじゃ体裁が悪いだろ?」
僕は肘を立てて頬を支え、くすくすと笑った。ちらとサイドボードの時計に眼をやる。案の定だ。こいつ、授業にも出ないでずっとここにいたのかな?
「授業にはちゃんと出たよ。今の時間は休講になったんだ」
鳥の巣頭は、怒っているというよりも憮然として答えた。
そんなこいつをあくまで無視して、窓の外を眺めながら訊ねた。僅かな間に、天気は崩れてきているようだ。
「ねぇ、きみ、カレッジ寮の鴉の子――、判らないかなぁ? 背が高くて……、いやそこまで高くない」
あの子が小柄なんだ。そんなに飛び抜けて高いわけじゃない……。
「たぶん、きみよりも低いくらいで――、おそらく、黒髪。それから――」
僕は影のような大鴉の記憶を掘りおこして、何か特徴はなかったか、必死で思い出そうとしていた。
「その子がどうかしたの?」
鳥の巣頭の瞳が、猜疑心で暗く澱む。
「ちょっと気になってね。木登りする奨学生なんて初めてだったから、驚いちゃって」
奨学生どころか、あんな高い樹に上る奴がこの学校にいるなんて思ってもみなかったよ。
「たぶん、上級生だと思う。綺麗なエリオット発音だったもの」
ふと思い出してつけ加えた。上流階級英語の中でも、この学校の出身者は僅かな言葉でもその発音で判るほど、特徴的なアクセントをつけた喋り方をする。新入生じゃ、ああはいかない。あの天使くんだって、アメリカ訛り丸出しで喋っていたもの。
「木登りする子なら、ちょっと問題になっている子がいるけれど、きっと違うね。その子は新入生だし、東洋人だからね」
東洋人――。
うちの学校は観光地に近いこともあって、他国からの観光客も多く見かける。でも、自分の想像できる東洋人のイメージと、あの時の彼はかけ離れているように思えた。
起き抜けからぺらぺらと喋る僕に、鳥の巣頭は少し驚いたように顔をほころばせている。
「ジョイントを吸った翌朝は、きみ、すごく辛そうなのに、今朝はなんだか元気そうで機嫌もいいんだね」
たしかに身体はずっしりと気怠くて、起きあがる気にもなれないのに、頭はそこまで惨くない。
「うん、まあね」と、僕は曖昧に微笑んだ。
あの大鴉を捕まえたい。
あの時、喰いちぎられそうだった兎くんを猟犬から助けた大鴉――。
あの大鴉が黄昏と禍時の狭間から舞い降りたその刹那、僕は完全にその美しい黒い翼に囚われたのだ。
あんなに欲しかった天使くんのことなど、いっそ、どうでもよくなってしまったほどに――。
どうでもいい――けれど、だからこそ、あのままにはしておけなかった。
あの天使くんは僕。僕たちは、同じ白い彼の影なのだから――。
きみも僕と同じでなければ。きみは鏡に映る現し身の僕。
きみ一人助かるなんて、そんなの虫が良すぎるだろう?
ほら、思った通り。
きみの流す涙は僕を洗い流し、きみの口から漏れる怨嗟の吐息は僕を狂おしく惑わせた。
昨夜、月光に洗われた僕が体験したあの爽快感、神秘的とも言える官能を、誰にも話す気にはならなかった。鳥の巣頭はもちろん、子爵さまにも――。
けれど、子爵さまは違ったみたいだ。
殺してやりたい、と言っていたくせに。
しょせん、天使くんも白い彼ではないのだ。
愚かな子爵さま。後悔したって遅いよ。
あなたは、自分の手で大切な白い彼を汚したんだ。あなたの中の先輩は、もうその面影も追えないほどに爛れて腐りきってしまったね。
それに、あなたが羽をもぎ取ったあの天使くんもきっと……。
無意識に浮かべた満面の笑みに、鳥の巣頭も嬉しそうに笑みを返した。だがすぐにわざと顔をしかめて言った。
「でもマシュー、ジョイントは駄目だよ。せっかく、いいリズムができて授業にもちゃんと出れていたのに……」
心配そうに茶色の瞳が揺れる。二学年の後半、僕はジョイントのせいでぐったりとして、授業を欠席することが多かった。またあの時の二の舞になるのではないかと、こいつは危惧しているのだ。
身体を起こし、こいつの首に腕を廻した。
「うん、解っている。午後の授業にはちゃんと出るよ。身体は辛いけれど、こうして心配してくれるきみのためにもね」
優しくキスしてやったよ。今朝の僕は機嫌がいい。幸せのお裾分けだ。
そのまま伸しかってきた鳥の巣頭を押し退けて、起きあがった。
「続きは後でね。お腹が空いた。学舎のカフェテリアに行こうよ」
そうだよ、ちゃんと起きてあの大鴉を探さなければ。
それに、あの天使くんの絶望に打ちひしがれた顔も見たい――。
不満そうに唇を尖らせる鳥の巣頭を尻目に、僕は大きく伸びをした。
先程まで陽が射していた灰色の空には、また、昨日のような霧雨が降り始めていた。
僅かなさざめき
それは崩壊の羽音
翌日は完全に寝過ごした。部屋の中はいつもの朝とは違い、明るい陽射しが差していた。
制服を脱ぎ捨ててベッドに潜りこんでいた僕が、目を覚まして最初に目にしたのは不機嫌な顔をした鳥の巣頭だった。僕の監視に心血を注ぐこいつは、さっさと合鍵を作って勝手に僕の部屋に出入りする。プライバシーも何もあったものじゃない。
子爵さまが地下室から帰ったのは明け方近かったし、何本もジョイントを吸ったしで、ぐったりと疲れているっていうのに。
「ジョイントを吸ったね」
「おはよう。きみ、授業は? 生徒会役員がサボリじゃ体裁が悪いだろ?」
僕は肘を立てて頬を支え、くすくすと笑った。ちらとサイドボードの時計に眼をやる。案の定だ。こいつ、授業にも出ないでずっとここにいたのかな?
「授業にはちゃんと出たよ。今の時間は休講になったんだ」
鳥の巣頭は、怒っているというよりも憮然として答えた。
そんなこいつをあくまで無視して、窓の外を眺めながら訊ねた。僅かな間に、天気は崩れてきているようだ。
「ねぇ、きみ、カレッジ寮の鴉の子――、判らないかなぁ? 背が高くて……、いやそこまで高くない」
あの子が小柄なんだ。そんなに飛び抜けて高いわけじゃない……。
「たぶん、きみよりも低いくらいで――、おそらく、黒髪。それから――」
僕は影のような大鴉の記憶を掘りおこして、何か特徴はなかったか、必死で思い出そうとしていた。
「その子がどうかしたの?」
鳥の巣頭の瞳が、猜疑心で暗く澱む。
「ちょっと気になってね。木登りする奨学生なんて初めてだったから、驚いちゃって」
奨学生どころか、あんな高い樹に上る奴がこの学校にいるなんて思ってもみなかったよ。
「たぶん、上級生だと思う。綺麗なエリオット発音だったもの」
ふと思い出してつけ加えた。上流階級英語の中でも、この学校の出身者は僅かな言葉でもその発音で判るほど、特徴的なアクセントをつけた喋り方をする。新入生じゃ、ああはいかない。あの天使くんだって、アメリカ訛り丸出しで喋っていたもの。
「木登りする子なら、ちょっと問題になっている子がいるけれど、きっと違うね。その子は新入生だし、東洋人だからね」
東洋人――。
うちの学校は観光地に近いこともあって、他国からの観光客も多く見かける。でも、自分の想像できる東洋人のイメージと、あの時の彼はかけ離れているように思えた。
起き抜けからぺらぺらと喋る僕に、鳥の巣頭は少し驚いたように顔をほころばせている。
「ジョイントを吸った翌朝は、きみ、すごく辛そうなのに、今朝はなんだか元気そうで機嫌もいいんだね」
たしかに身体はずっしりと気怠くて、起きあがる気にもなれないのに、頭はそこまで惨くない。
「うん、まあね」と、僕は曖昧に微笑んだ。
あの大鴉を捕まえたい。
あの時、喰いちぎられそうだった兎くんを猟犬から助けた大鴉――。
あの大鴉が黄昏と禍時の狭間から舞い降りたその刹那、僕は完全にその美しい黒い翼に囚われたのだ。
あんなに欲しかった天使くんのことなど、いっそ、どうでもよくなってしまったほどに――。
どうでもいい――けれど、だからこそ、あのままにはしておけなかった。
あの天使くんは僕。僕たちは、同じ白い彼の影なのだから――。
きみも僕と同じでなければ。きみは鏡に映る現し身の僕。
きみ一人助かるなんて、そんなの虫が良すぎるだろう?
ほら、思った通り。
きみの流す涙は僕を洗い流し、きみの口から漏れる怨嗟の吐息は僕を狂おしく惑わせた。
昨夜、月光に洗われた僕が体験したあの爽快感、神秘的とも言える官能を、誰にも話す気にはならなかった。鳥の巣頭はもちろん、子爵さまにも――。
けれど、子爵さまは違ったみたいだ。
殺してやりたい、と言っていたくせに。
しょせん、天使くんも白い彼ではないのだ。
愚かな子爵さま。後悔したって遅いよ。
あなたは、自分の手で大切な白い彼を汚したんだ。あなたの中の先輩は、もうその面影も追えないほどに爛れて腐りきってしまったね。
それに、あなたが羽をもぎ取ったあの天使くんもきっと……。
無意識に浮かべた満面の笑みに、鳥の巣頭も嬉しそうに笑みを返した。だがすぐにわざと顔をしかめて言った。
「でもマシュー、ジョイントは駄目だよ。せっかく、いいリズムができて授業にもちゃんと出れていたのに……」
心配そうに茶色の瞳が揺れる。二学年の後半、僕はジョイントのせいでぐったりとして、授業を欠席することが多かった。またあの時の二の舞になるのではないかと、こいつは危惧しているのだ。
身体を起こし、こいつの首に腕を廻した。
「うん、解っている。午後の授業にはちゃんと出るよ。身体は辛いけれど、こうして心配してくれるきみのためにもね」
優しくキスしてやったよ。今朝の僕は機嫌がいい。幸せのお裾分けだ。
そのまま伸しかってきた鳥の巣頭を押し退けて、起きあがった。
「続きは後でね。お腹が空いた。学舎のカフェテリアに行こうよ」
そうだよ、ちゃんと起きてあの大鴉を探さなければ。
それに、あの天使くんの絶望に打ちひしがれた顔も見たい――。
不満そうに唇を尖らせる鳥の巣頭を尻目に、僕は大きく伸びをした。
先程まで陽が射していた灰色の空には、また、昨日のような霧雨が降り始めていた。
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