微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
49 / 200
三章

48 爽快な朝

しおりを挟む
 凪いだ空気に混ざる
 僅かなさざめき
 それは崩壊の羽音




 翌日は完全に寝過ごした。部屋の中はいつもの朝とは違い、明るい陽射しが差していた。

 制服を脱ぎ捨ててベッドに潜りこんでいた僕が、目を覚まして最初に目にしたのは不機嫌な顔をした鳥の巣頭だった。僕の監視に心血を注ぐこいつは、さっさと合鍵を作って勝手に僕の部屋に出入りする。プライバシーも何もあったものじゃない。
 子爵さまが地下室から帰ったのは明け方近かったし、何本もジョイントを吸ったしで、ぐったりと疲れているっていうのに。


「ジョイントを吸ったね」
「おはよう。きみ、授業は? 生徒会役員がサボリじゃ体裁が悪いだろ?」

 僕は肘を立てて頬を支え、くすくすと笑った。ちらとサイドボードの時計に眼をやる。案の定だ。こいつ、授業にも出ないでずっとここにいたのかな?

「授業にはちゃんと出たよ。今の時間は休講になったんだ」
 鳥の巣頭は、怒っているというよりも憮然として答えた。

 そんなこいつをあくまで無視して、窓の外を眺めながら訊ねた。僅かな間に、天気は崩れてきているようだ。



「ねぇ、きみ、カレッジ寮の鴉の子――、判らないかなぁ? 背が高くて……、いやそこまで高くない」

 あの子が小柄なんだ。そんなに飛び抜けて高いわけじゃない……。

「たぶん、きみよりも低いくらいで――、おそらく、黒髪。それから――」

 僕は影のような大鴉の記憶を掘りおこして、何か特徴はなかったか、必死で思い出そうとしていた。

「その子がどうかしたの?」

 鳥の巣頭の瞳が、猜疑心で暗く澱む。

「ちょっと気になってね。木登りする奨学生スカラーなんて初めてだったから、驚いちゃって」

 奨学生どころか、あんな高い樹に上る奴がこの学校にいるなんて思ってもみなかったよ。

「たぶん、上級生だと思う。綺麗なエリオット発音エリオティアン・アクセントだったもの」

 ふと思い出してつけ加えた。上流階級英語の中でも、この学校の出身者は僅かな言葉でもその発音で判るほど、特徴的なアクセントをつけた喋り方をする。新入生じゃ、ああはいかない。あの天使くんだって、アメリカ訛り丸出しで喋っていたもの。

「木登りする子なら、ちょっと問題になっている子がいるけれど、きっと違うね。その子は新入生だし、東洋人だからね」

 東洋人――。

 うちの学校は観光地に近いこともあって、他国からの観光客も多く見かける。でも、自分の想像できる東洋人のイメージと、あの時の彼はかけ離れているように思えた。


 起き抜けからぺらぺらと喋る僕に、鳥の巣頭は少し驚いたように顔をほころばせている。

「ジョイントを吸った翌朝は、きみ、すごく辛そうなのに、今朝はなんだか元気そうで機嫌もいいんだね」

 たしかに身体はずっしりと気怠くて、起きあがる気にもなれないのに、頭はそこまで惨くない。

「うん、まあね」と、僕は曖昧に微笑んだ。



 あの大鴉を捕まえたい。


 あの時、喰いちぎられそうだった兎くんを猟犬から助けた大鴉――。
 あの大鴉が黄昏と禍時の狭間から舞い降りたその刹那、僕は完全にその美しい黒い翼に囚われたのだ。


 あんなに欲しかった天使くんのことなど、いっそ、どうでもよくなってしまったほどに――。

 どうでもいい――けれど、だからこそ、あのままにはしておけなかった。
 あの天使くんは僕。僕たちは、同じ白い彼の影なのだから――。

 きみも僕と同じでなければ。きみは鏡に映る現し身の僕。
 きみ一人助かるなんて、そんなの虫が良すぎるだろう?

 ほら、思った通り。
 きみの流す涙は僕を洗い流し、きみの口から漏れる怨嗟の吐息は僕を狂おしく惑わせた。


 昨夜、月光に洗われた僕が体験したあの爽快感、神秘的とも言える官能を、誰にも話す気にはならなかった。鳥の巣頭はもちろん、子爵さまにも――。



 けれど、子爵さまは違ったみたいだ。

 殺してやりたい、と言っていたくせに。

 しょせん、天使くんも白い彼ではないのだ。
 愚かな子爵さま。後悔したって遅いよ。
 あなたは、自分の手で大切な白い彼を汚したんだ。あなたの中の先輩は、もうその面影も追えないほどに爛れて腐りきってしまったね。
 それに、あなたが羽をもぎ取ったあの天使くんもきっと……。



 無意識に浮かべた満面の笑みに、鳥の巣頭も嬉しそうに笑みを返した。だがすぐにわざと顔をしかめて言った。
「でもマシュー、ジョイントは駄目だよ。せっかく、いいリズムができて授業にもちゃんと出れていたのに……」

 心配そうに茶色の瞳が揺れる。二学年の後半、僕はジョイントのせいでぐったりとして、授業を欠席することが多かった。またあの時の二の舞になるのではないかと、こいつは危惧しているのだ。

 身体を起こし、こいつの首に腕を廻した。

「うん、解っている。午後の授業にはちゃんと出るよ。身体は辛いけれど、こうして心配してくれるきみのためにもね」

 優しくキスしてやったよ。今朝の僕は機嫌がいい。幸せのお裾分けだ。


 そのまま伸しかってきた鳥の巣頭を押し退けて、起きあがった。

「続きは後でね。お腹が空いた。学舎のカフェテリアに行こうよ」

 そうだよ、ちゃんと起きてあの大鴉を探さなければ。
 それに、あの天使くんの絶望に打ちひしがれた顔も見たい――。


 不満そうに唇を尖らせる鳥の巣頭を尻目に、僕は大きく伸びをした。



 先程まで陽が射していた灰色の空には、また、昨日のような霧雨が降り始めていた。






しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

そんなの真実じゃない

イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———? 彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。 ============== 人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

ヤンデレだらけの短編集

BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。 全8話。1日1話更新(20時)。 □ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡 □ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生 □アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫 □ラベンダー:希死念慮不良とおバカ □デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。 かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

ヤンデレBL作品集

みるきぃ
BL
主にヤンデレ攻めを中心としたBL作品集となっています。

処理中です...