微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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三章

42 十月 白の喜劇

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冷たい鏡面に手を当てる
きみは、誰?
僕はきみだよ
きみの知らない本当のきみさ




 新年度が始まって一ヶ月も経つと、さすがにいろんなことが解ってきた。

 まず、梟も、蛇もあの事件では処分されていない。本当に関わっていなかったのかは厳密には判らないけれど、処罰は受けていないということだ。梟は、Dクラブの会員ではなかった。本人がそう言っていたのを僕は後から思いだした。



 元同期のボート部の奴がけっこうなお喋りで、いろんなことを教えてくれた。

 二棟が鉤状に繋がっているこの寮の上級生の棟に行くのは慣れていたけれど、寮長室ではなく、その上の個別の部屋へ行くのはさすがに嫌だった。上級生になると白のボウタイになるから、僕の青のネクタイでは、下級生が何の用だ、という目で見られてしまう――。


 だから、こいつの部屋に入ってほっとしたよ。凄く散らかった、だらしない部屋だったけれど。おまけになんだか臭かったけれど。とにかく、僕はこいつのくしゃくしゃのベッドに腰を下ろした。こいつは足元の雑誌なんかを踏みつけて、僕の横に座って当たり前に僕の肩を抱いた。

「話が先だよ」
 顔を伏せ、上目遣いにこいつをちら見する。


 オックスフォードの事件で処分された生徒は、子爵さまも言っていたように元ラグビー部員だった。それにボート部の元キャプテンも。それがあの百足の男だ。あの百足男、エリオットでは奨学生で監督生までも務めていたから、学校内の衝撃は相当なものだったのだそうだ。後はウイスタンの卒業生が一名。

 百足男――。せっかく僕を使ってライバルを蹴落とし、会長になったっていうのに。残念だったね、ご愁傷さま。


 十名いるはずのDクラブで放校は三名だけ? と、訝しく思っていたら、「これだよ、これ」とそいつは人差し指と親指を擦りあわせた。

 警察を賄賂で動かした、という意味ではない。金でその三名に全ての責任を押しつけ、その口を塞いだのだ。だがゴシップ紙で散々悪事を暴きたてられ、Dクラブそのものも解散の憂き目だという。


「それにね、」
 そいつは他に誰がいるってわけでもないのに、僕の耳許に口を寄せ囁いた。そして、そのまま僕の首筋に唇を這わせた。

 僕は天井を眺めたまま、クッ、と吹き出してしまったよ! 
 鳥の巣頭がこの話題に触れたがらなかったわけだ。
 まさか、アヌビスも会員だったなんてね!


「誰にも言うなよ。スクープ紙にだって伏せられていた極秘情報なんだぞ」
 にやりと、誇らしげに鼻をヒクつかせてこいつは笑った。僕を仰向けに転がして、ネクタイを解きながら。

「あーあ、それにしても、僕もあのクラブに入りたかったのにな、残念だよ。――ほら、もういいだろ?」

 今度は僕が情報料を支払う番だ。

 鳥の巣頭、きみのせいだよ。きみが隠しだてするから、僕は要らぬことまでしなきゃならなくなるんだ。





 子爵さまが僕に逢いに来る回数が増えた。

 来る度に不愉快そうに、あの天使くんの悪口を言っている。先輩とは似ても似つかないって。
 確かに、それは僕も思うけどね。
 いくら兄弟だって仕方がないだろ。鳥の巣頭とアヌビスだって全然似ていない。そんなものなんじゃないの?

 子爵さまは、あの子に何を期待しているのだろう?

 そっちの方に興味がわいた。だって、外見は似ているんだ。僕なんかよりもずっと。それなのに子爵さまだけじゃない。誰もがあの子は似ていないって言う。見かけだけだって。

 じゃあ、僕は何だったの? その見かけが、ちょっと似ていただけなのに。訳が解らない――。

 白い彼にそっくりの顔をした弟は似ていないと言われ、どこが似ているかもはっきりとは判らない僕は、似ていると言われ続けてきた。

 皆が何を望んでいるのか、僕には皆目判らない。



 だから、僕は子爵さまとジョイントを燻らす。

 だって、判らないんだ。子爵さまにだって。
 子爵さまが本当に欲しい先輩は、ここにはいない。もう逢えない。

 だから、子爵さまにできるのは、ジョイントの煙で白い仮面を作って僕に被せることくらい。


 その狂おしい瞳が僕は好きだよ。

 ジョイントの白い仮面を被った僕は、白い彼。
 白い煙の揺蕩うこの刹那、僕はあなたに愛される彼になる。

 あなたが僕を抱く度に、あなたの中の白い彼がただれて腐り落ちていく。
 それを見る度に、僕は歓喜でうち震える。

 そしてあなたは夢から覚めて、腐った屍を抱くあなたを見つけて絶望するんだ。

 自らの聖域を自ら汚す愚かな子爵さま。
 その愚かさが僕は好きだよ。

 幾夜繰り返されるこの喜劇が、僕には楽しくて堪らない。



 本物の白い彼、あなたの先輩は、絶対にあなたのものにはならないもの。
 それだけは確かだって、僕にも解かるよ。

 だから、今、本当に子爵さまが欲しいのは僕じゃない。
 あの子、あの天使くん。本当は、あの子の中に大好きな先輩を見つけだしたいんだ。

 欲しいもの、何でも当たり前に手に入れてきた子爵さま。



 そんなに欲しいのなら、手に入れればいいのに――。





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