微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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三章

41 透明の仮面

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 あなたの瞳に映る僕は
 僕の知らない
 誰かだった




 地下シェルターから戻ると、案の定、僕の部屋のドアにもたれて鳥の巣頭が立っていた。
 僕は顔を伏せたまま、吐息を吐いた。

 こいつは無言のまま、そうすることが当たり前のように、僕の部屋に入ってきた。
 僕の首筋に鼻を近づけ、犬みたいに匂いを嗅ぐと、顔をしかめて両手で僕の顔を挟んだ。
「ジョイントを吸ったね。誰と会っていたの?」

 解っているくせに、訊くなよ。

「だって、きみ、何も教えてくれないんだもの。不安だったんだよ」


 僕があの白い箱に閉じ込められていた一年間にあったこと。

 あの百足の男や、蛇の所属するDクラブの関与するドラッグパーティーや傷害事件が、ゴシップ紙にすっぱ抜かれた。半年前、前年度の春先のことだ。
 オックスフォードの事件って、僕は子爵さまに自分のことを話したつもりが、どこか話が噛みあわなくて、よくよく訊いたら、Dクラブは、オックスフォード大学から放校処分者が出るほどの大事件に発展していたのだ。処分された中にはエリオットの卒業生も含まれていたから、うちの学校でもかなり厳しい検査や取り締まりが行われたのだそうだ。


「そんな話、きみは一言も言ってくれなかったじゃないか」
 僕は涙を浮かべて鳥の巣頭を睨んだ。

 梟や、蛇がどうなったか、子爵さまは知らなかった。子爵さまの口にした処分された学生の名は、僕の知らない人だった。たぶん、うちの学校の元ラグビー部の一人だと思う。

「きみが、不安になると思って……」
 言い淀む鳥の巣頭を、僕はきっと睨みつけた。

 充分に不安になったよ、きみのおかげでね。

「前の、寮長や先輩方も処分されたの?」

 きみは、本当はどこまで知っているの? 
 きみが僕にくれていたジョイントは、梟から渡されていたんじゃなかったの? 
 それなのにどうしてきみは、こんな大事なことを隠そうとするの?

「ジョイントはもうやめて。病院に逆戻りはきみだって嫌だろう?」
 鳥の巣頭は質問には答えずに、僕をきつく抱きしめて絞りだすような声で囁いた。
「彼相手に、断れると思う?」
 僕の冷めた声に、鳥の巣頭の腕に力がこもる。
「痛い。放して」
「できるよ、きみが強い意思さえ持てば――」
「痛い!」

 うなだれて、だらりと両手を垂れた鳥の巣頭に、僕は優しくキスしてやった。

「妬いているの? 偶然に遇ったから思い出話をしていただけだよ。――彼、ラグビー部のキャプテンになったんだって? もう最終学年だよ。生徒会役員だし、Aレベルの試験もある。忙しそうだったよ。ジョイントはただの軽いつきあいさ」
「でも、吸ったら欲しくなるんだろ? それに、きみ――、」
「僕を疑うの? そんな気持ちはもうないよ。あれはジョイントのせいだった、て今なら解かるよ」
「本当に?」
「嘘なわけないだろ?」

 面倒くさい――。

「ほら、じきに消灯だよ。点呼に戻らないと」

 僕はシャワーを浴びたい。ジョイントの匂いを落とさなくちゃ。


 ――子爵さまは、いったい、誰からジョイントを買っているんだろう? 
 オックスフォードに進学した先輩方からじゃなかったのか? 
 アヌビスは? 
 あんなにボート部と仲が悪かったのに、あいつのジョイントは、蛇がくれたものと同じだった……。


「後で来てもいい?」
「今日は駄目」

 不満そうに僕を睨めつけるこいつを上目遣いに見あげて、首筋に指を這わせる。

「久しぶりの乗馬でくたくたなんだよ。解って」





 毎水曜の馬術部の時間、子爵さまとすれ違う。子爵さまはラグビー部の練習だ。馬場に行くまでにフィールドがあるから、初めは単純に偶然だと思ったんだ。場所が近いからだと。

 でも、そのうちに気づいた。

 子爵さまの瞳が、誰を探しているのか――。

 だから、子爵さまは毎水曜に僕に逢いにいらっしゃる。

 もうこの学校にはいない先輩のことを想って僕を抱くのか、それとも、今、心を占めているあの天使くんのことを想っているのか、それは判らない。どっちにしたって、僕じゃないことだけは確かだけどね。

 そんなこと、どうだっていい。
 初めから解っていたことだもの。



 子爵さまの前で、僕は透明人間だ。
 のっぺらぼうの僕の顔に別の誰かの仮面をはめて、燃え盛る視線で僕を蕩かす。苦しげに歪み捩れる燃え立つ焔を宿した、深い、深い、緑の瞳。

 子爵さまが誰を想っていようと、かまわない。僕だって、この瞳が燃えあがるのが見たいだけ。
 ジョイントの濃密な白い煙に包まれれば、もう少し溶け合うこともできるのに。

 可哀想な子爵さま。
 報われない想いでその身を焦がし、喘ぎ苦しんで、ただの情欲にすり替える。
 惨めな子爵さまは、僕と同じ。
 誰もが僕を見なかったように、先輩も、あの子も、あなたを見ない。

 だから、好きだよ。あなたのことが。

 あなただけが、僕を解ってくれる。僕が、仮面をつけた透明人間なように、あなたも、彼らの瞳には映らない透明人間。僕たちは似たもの同士だ。


 好きだよ、子爵さま。
 だから、教えて。誰からジョイントを買っているの?






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