微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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二章

38 サナトリウム2

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 毎夜、毎夜夢を見る
 繰り返し、繰り返し
 あの時の悪夢を



 薬物について勉強させられた。
 依存性と後遺症について説明された。
 カウンセリングを受けさせられた。

 ジョイントというのは、紙巻煙草の状態になっている大麻のこと。薄いのは、マリファナ。初めて僕が吸ったのは、たぶん、ハシッシ。アヌビスがくれていたのも、これだ。梟が言っていたクラックというのは、コカインをマリファナに混ぜたものらしい。

 ジョイントが何か解ったからって、どうだっていうのだろう? そんなこと知ったって、僕がジョイントを欲しい気持ちは変わらないし、ジョイントがないと眠れない事実も変わらない。

 眠れないのはジョイントのせいだと言われた。ジョイントを吸った後の離脱症状で睡眠障害がでているのだと。

 ジョイントのせいじゃない、って僕は知っている。
 ジョイントが僕を救ってくれたんだって。だって、僕が眠れなくなったのは蛇のせいじゃない。



 目を瞑ると、スノードロップの白い花が揺れる。僕は懸命に走り過ぎて息が苦しい。息ができない。笑い声が耳につく。引きずり倒され、手首と足首を押さえつけられ――。

 ジョイントの白い煙が立ちのぼる。深い霧になって何も見えない。そう、見えないんだ。これが正しい状態。僕は霧の中にいる。霧があいつらから僕を守ってくれるのに。なのに、なんで僕から白い煙を取りあげるんだ?

 ジョイントが欲しい。僕を助けて。

 子爵さま――。

 ふっと、いきなり子爵さまが助けにきてくれるときがある。
 霧の中に隠れている白い影を殴りつけてくれる。

 それなのに、僕がお礼を言おうとすると、子爵さまは白い彼とどこかへ行ってしまうんだ。目の前にいる僕をすり抜けて。楽しそうに笑いながら――。


 僕は眠ったまま泣いている。

 眠れているのだから、僕の治療は進んでいるのだという。
 悪夢を見るのも、離脱症状だという。


 僕は悪夢に捧げられる子羊。
 毎夜、毎夜。
 自ら祭壇にのぼり横たわる。
 白い手に犯され、恥部を暴かれ、晒される。


 あいつらは、そんな僕をじっと観察しているんだ。
 あの窓から。


 この部屋の上部には観察用の窓がある。
 僕からは見えない。
 でも、向こうからは見える。
 視線を感じる。
 着替えているとき。寝転がっているとき。泣いているとき。こうして僕が、あの窓を見ているとき。

 僕を丸裸にし、肉を切り裂き、骨を取り出す。神経の一本一本まで丁寧に並べて。血管は蜘蛛の巣のように吊るして留める。脳にはナイフを入れてスライスするんだ。


 僕は、僕からは見えない窓の向こうを観察する。狂った奴らを。
 いつか僕がここから出たら、真っ先にあいつらを殺してやる。


 何日もここに閉じ込められている内に、僕は眠った振りをすることを覚えた。否、本当に眠れるようになったのかもしれない。

 だって、気づいたんだ。
 白い影も、白い手も恐れる事はないって。僕はもう、何度も、何度も犯され続けているじゃないか。
 今、この瞬間だって。
 窓の向こうの連中に、視姦されているじゃないか。



 僕は繰り返されるウロボロスの罠に嵌っていただけ。
 痛みも恐怖も、とっくに霧に溶けて消えてなくなっていたのに。
 何度も、何度も殺され続けて、僕はもうどこにもいやしない。

 白い影に捧げられた僕は、僕じゃない。
 子爵さまの背中を追いかけている僕は、僕じゃない。
 泣いている僕は、僕じゃない。



 お前たちに何が解かるっていうんだ?
 ジョイントを吸ったこともないくせに。

 したり顔で僕を慰めるあざとい顔。
 僕を追い詰め切り刻もうと待ち構えている。

 お前たちなんかより、梟の方がずっと優しい。
 梟はちゃんと僕のことを考えてくれていた。
 蛇の仲間が僕にクラックを吸わせなければ、僕はこんなところに来ることなんてなかったんだ。


 あの頭蓋骨におが屑が詰まっている鳥の巣頭が悪いんだ!
 裏切り者!
 卑怯者!
 あいつだけは、絶対に許してやるものか!





 蛍光灯の白い光が、朝を告げる。

 ノックの音と「おはよう」の声。カラカラと床頭台が入ってくる。僕は毎朝渡される服を、わざとゆっくりと着替える。青い服の男の前で。
「肩が痛い。ねぇ、どうにかなっていない? 寝違えたのかな?」
 上目遣いに男を見あげ、身体を捻って剥き出しの背中を向ける。

 ほら、見てみろ、この男の目を。

 この目が、僕はまだ人間だって教えてくれるんだ。こいつのこの顔が、僕を実験動物から人間に格上げしてくれる。


 僕はもう、白い影なんか怖くない。
 僕は知っている。これが、僕の価値。
 こんど霧の中で泣いている僕に出会ったら、僕は僕を絞め殺してやる。


 僕はトイレの水を飲んだりしない。
 トイレットペーパーを食べたりしない。
 トイレットペーパーを身体に巻きつけて、ミイラごっこなんてもちろんしない。
 剃刀で喉を切り裂いたりしない。
 歯ブラシで喉を突こうとしたりしない。

 僕は死のうとしたりしない。
 自分が死ぬくらいなら、殺してやる。


 だから、ここから出して。
 僕の頭がおかしくなる前に――。




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