36 / 200
二章
35 晴天の霹靂
しおりを挟む
霧の中に門が浮かぶ
僕を守ってくれる
僕にだけ開かれた異境の門
夏期休暇は、オックスフォードのGCSE試験対策カレッジ・スクールで大半を過ごすことになった。イースターの時と同じ。やっぱり、鳥の巣頭がくっついている。
でも、僕にはジョイントが必要だ。たとえ薄い、薄い、空気のような奴でもね。あれがないと眠れない。スクールが始まるまでの一週間は自宅で過ごしたけれど、苦しくて堪らなかった。イライラして、眠れない。もうベッドにいるのが嫌だったから、毎日、一晩中テレビかDVDを見ていた。どうでもいい番組を。もう、気絶するように意識を失う方が、我慢して眠ろうとするよりもマシだって解ったんだ。
だから、オックスフォードで鳥の巣頭の顔を見た時は、がらにもなくほっとしてしまった。
「あれ、持ってる?」
すぐに訊いたよ。こいつは判らないほど小さく頷いた。
「眠れなかったの?」
解っているだろ。いちいち訊くなよ。
「待ってて。必ず楽にしてあげるから」
鳥の巣頭は、ふわりと僕を抱きしめた。
部屋でジョイントを吸っている間、鳥の巣頭はずっと傍にいた。やっと安心できて嬉しくて、こいつを誘ってやった。こいつは横に転がって僕を抱きしめた。何もせずに。そのうちに眠ってしまった。温かだったから、すぐに眠れた。
週末、カレッジの傍のカフェテリアで梟に逢った。
鳥の巣頭もいたから、こいつに気づかれないように気を使ったよ。飲みたくもない紅茶を「買ってきて」と頼んで、やっと席を外させた。
「あいかわらず、顎で使ってるんだな」と、梟はくすくすと笑っている。僕はちょっとふくれっ面をしてやったよ。
翌日に蛇のいる赤い部屋の家に行くことになった。前と同じだ。あそこはいい。幾らでも上等なジョイントをくれる。
梟が煙草に火を点ける。僕も人差し指と中指を揃えて差し伸ばす。「馬鹿だな」と笑われた。「気を抜いて人前で吸ったりするなよ」って。
鳥の巣頭が戻ってきた。僕の紅茶を持って。「もう、いらない」と僕はそっぽを向いて言った。
梟はすぐにこいつと、ボート部の夏期練習には顔を出すのか、とか僕のことはそっちのけで内輪の話で盛り上がりだした。仕方が無いのでその間、僕は鳥の巣頭が買ってきた紅茶を飲んでいた。
あの郊外の家に、今回は蛇はいなかった。百足もいなかった。でも多分、前にいた奴らと同じだと思う。僕のことを知っていたし。別に誰だっていいんだ。ジョイントをくれるのなら。
赤い部屋で、僕はジョイントを燻らせる。白い煙で天井が霞む。赤と白がまだら模様に交じり合う。僕とこの白い霧のように。
蕩けそうな快感に身を任せて、僕は霧に包まれ官能の海を泳ぐ。たった一人で。漆黒の波間に溺れ、息ができなくなるほどに喘いで。力尽きて水底に沈んでしまうまで。
ウロボロスの渦の中、僕は螺旋に堕ちていく。ぐるりぐるりと永遠に。
騒がしい……。
朦朧とした意識の遥か彼方を、声が飛び交っている。悲鳴のようにも、叫び声のようにも聴こえる罵声。足音。乱暴にドアを開け閉めする音――。
「マシュー、マシュー、しっかりして、マシュー!」
鳥の巣頭――、煩い。邪魔するなよ……。
白い天井が僕を見おろしている。白い壁が迫る狭い部屋。開け放たれた窓のカーテンが大きくなびいている。当然のように、鳥の巣頭がいる。赤と青の滑稽なチェックのシャツを着て。こいつのこのセンスのなさ、どうにかならないものか――。
「マシュー、」
こいつを視界に入れた僕に気づいて、鳥の巣頭の口許にほっとしたような笑みが浮かんだ。
「もうじき、きみのお父さまや、お母さまも来て下さるからね」
どういう事だ?
「きみは被害者だから。心配しないで、マシュー」
眉根を寄せた僕に、鳥の巣頭は視線を落とした。が、すぐに気持ちを固めて僕を見据えた。
「警察に相談したんだ。きみだけは見逃してもらう約束で」
青天の霹靂ってやつだ――。
さすがに、二の句が告げなかったよ。おが屑頭に火がついて、放火に走りまわったってことかい?
「寮長を警察に売ったの?」
いまだ立ちこめる濃い霧の彼方に、かろうじて梟が垣間見えた。
「寮長? なんで? 寮長は関係ないよ。きみに酷いことをしていたのは、元ラグビー部の奴らじゃないか。寮長も、もちろんきみのことを心配していらっしゃるよ」
「警察って、きみは、大丈夫なの?」
僕は、ちっともこいつの話についていけなかった。
僕にジョイントをくれていたくせに。まさかあれが何なのか知らなかった、なんて言いだすんじゃないだろうな。このおが屑野郎は。
鳥の巣頭は、僕の質問には答えなかった。
「……僕はね、色々調べてみたんだ。きみが深く傷ついていて、ジョイントなしでは生きていくのも辛いってこと、解っているつもりだよ。でも、今のままじゃ駄目だ。ちゃんと治療を受けないと、きみはいつまでも苦しいままだ。ね、マシュー」
鳥の巣頭は両手で僕の掌を持ち上げ包みこんだ。僕の瞳をまっすぐに見つめ、薄らと涙を浮かべて、一言、一言、噛んで含めるようにゆっくりと言葉を継いだ。
「僕の父がちゃんとしてくれるから、きみは何の心配もしなくていいんだ。まずは病気を治して、それから学校に戻ってくればいいんだよ。大丈夫。ちゃんと戻ってこられるように頼んであるからね。薬物依存症の治療だなんて、学校には知らせない。ただの病気療養だ。僕の父は、うちの学校の理事だからね。病院も秘密厳守のちゃんとしたところを探してもらった。何の心配もいらないんだよ、マシュー」
僕の手を握りしめ、手の甲にキスを落とすこいつをぶん殴ってやりたかった。けれど、そんな気力も、体力も、今の僕にあるわけがない。
深い霧の中の、どこからか聞こえる木霊に過ぎないこの声に、怒りに似た何かが湧きあがったことに驚いたくらいだ。
「きみのためなんだ。僕はもう、見ていられなかったんだよ。マシュー、きみが傷つけられるのを……。解って、マシュー。愛しているんだ。きみが誰のことを想っているかは知っている。でも、きみを想う気持ちでは、決して彼に負けないつもりだよ」
寝言は寝て言え。
僕はこいつの愛とやらのせいで、一年近く、窓のない、白い箱のような病院の一室に監禁されることになった。
僕をこんなところに押し込んだこいつのことを、一生涯、許すものか――。
僕を守ってくれる
僕にだけ開かれた異境の門
夏期休暇は、オックスフォードのGCSE試験対策カレッジ・スクールで大半を過ごすことになった。イースターの時と同じ。やっぱり、鳥の巣頭がくっついている。
でも、僕にはジョイントが必要だ。たとえ薄い、薄い、空気のような奴でもね。あれがないと眠れない。スクールが始まるまでの一週間は自宅で過ごしたけれど、苦しくて堪らなかった。イライラして、眠れない。もうベッドにいるのが嫌だったから、毎日、一晩中テレビかDVDを見ていた。どうでもいい番組を。もう、気絶するように意識を失う方が、我慢して眠ろうとするよりもマシだって解ったんだ。
だから、オックスフォードで鳥の巣頭の顔を見た時は、がらにもなくほっとしてしまった。
「あれ、持ってる?」
すぐに訊いたよ。こいつは判らないほど小さく頷いた。
「眠れなかったの?」
解っているだろ。いちいち訊くなよ。
「待ってて。必ず楽にしてあげるから」
鳥の巣頭は、ふわりと僕を抱きしめた。
部屋でジョイントを吸っている間、鳥の巣頭はずっと傍にいた。やっと安心できて嬉しくて、こいつを誘ってやった。こいつは横に転がって僕を抱きしめた。何もせずに。そのうちに眠ってしまった。温かだったから、すぐに眠れた。
週末、カレッジの傍のカフェテリアで梟に逢った。
鳥の巣頭もいたから、こいつに気づかれないように気を使ったよ。飲みたくもない紅茶を「買ってきて」と頼んで、やっと席を外させた。
「あいかわらず、顎で使ってるんだな」と、梟はくすくすと笑っている。僕はちょっとふくれっ面をしてやったよ。
翌日に蛇のいる赤い部屋の家に行くことになった。前と同じだ。あそこはいい。幾らでも上等なジョイントをくれる。
梟が煙草に火を点ける。僕も人差し指と中指を揃えて差し伸ばす。「馬鹿だな」と笑われた。「気を抜いて人前で吸ったりするなよ」って。
鳥の巣頭が戻ってきた。僕の紅茶を持って。「もう、いらない」と僕はそっぽを向いて言った。
梟はすぐにこいつと、ボート部の夏期練習には顔を出すのか、とか僕のことはそっちのけで内輪の話で盛り上がりだした。仕方が無いのでその間、僕は鳥の巣頭が買ってきた紅茶を飲んでいた。
あの郊外の家に、今回は蛇はいなかった。百足もいなかった。でも多分、前にいた奴らと同じだと思う。僕のことを知っていたし。別に誰だっていいんだ。ジョイントをくれるのなら。
赤い部屋で、僕はジョイントを燻らせる。白い煙で天井が霞む。赤と白がまだら模様に交じり合う。僕とこの白い霧のように。
蕩けそうな快感に身を任せて、僕は霧に包まれ官能の海を泳ぐ。たった一人で。漆黒の波間に溺れ、息ができなくなるほどに喘いで。力尽きて水底に沈んでしまうまで。
ウロボロスの渦の中、僕は螺旋に堕ちていく。ぐるりぐるりと永遠に。
騒がしい……。
朦朧とした意識の遥か彼方を、声が飛び交っている。悲鳴のようにも、叫び声のようにも聴こえる罵声。足音。乱暴にドアを開け閉めする音――。
「マシュー、マシュー、しっかりして、マシュー!」
鳥の巣頭――、煩い。邪魔するなよ……。
白い天井が僕を見おろしている。白い壁が迫る狭い部屋。開け放たれた窓のカーテンが大きくなびいている。当然のように、鳥の巣頭がいる。赤と青の滑稽なチェックのシャツを着て。こいつのこのセンスのなさ、どうにかならないものか――。
「マシュー、」
こいつを視界に入れた僕に気づいて、鳥の巣頭の口許にほっとしたような笑みが浮かんだ。
「もうじき、きみのお父さまや、お母さまも来て下さるからね」
どういう事だ?
「きみは被害者だから。心配しないで、マシュー」
眉根を寄せた僕に、鳥の巣頭は視線を落とした。が、すぐに気持ちを固めて僕を見据えた。
「警察に相談したんだ。きみだけは見逃してもらう約束で」
青天の霹靂ってやつだ――。
さすがに、二の句が告げなかったよ。おが屑頭に火がついて、放火に走りまわったってことかい?
「寮長を警察に売ったの?」
いまだ立ちこめる濃い霧の彼方に、かろうじて梟が垣間見えた。
「寮長? なんで? 寮長は関係ないよ。きみに酷いことをしていたのは、元ラグビー部の奴らじゃないか。寮長も、もちろんきみのことを心配していらっしゃるよ」
「警察って、きみは、大丈夫なの?」
僕は、ちっともこいつの話についていけなかった。
僕にジョイントをくれていたくせに。まさかあれが何なのか知らなかった、なんて言いだすんじゃないだろうな。このおが屑野郎は。
鳥の巣頭は、僕の質問には答えなかった。
「……僕はね、色々調べてみたんだ。きみが深く傷ついていて、ジョイントなしでは生きていくのも辛いってこと、解っているつもりだよ。でも、今のままじゃ駄目だ。ちゃんと治療を受けないと、きみはいつまでも苦しいままだ。ね、マシュー」
鳥の巣頭は両手で僕の掌を持ち上げ包みこんだ。僕の瞳をまっすぐに見つめ、薄らと涙を浮かべて、一言、一言、噛んで含めるようにゆっくりと言葉を継いだ。
「僕の父がちゃんとしてくれるから、きみは何の心配もしなくていいんだ。まずは病気を治して、それから学校に戻ってくればいいんだよ。大丈夫。ちゃんと戻ってこられるように頼んであるからね。薬物依存症の治療だなんて、学校には知らせない。ただの病気療養だ。僕の父は、うちの学校の理事だからね。病院も秘密厳守のちゃんとしたところを探してもらった。何の心配もいらないんだよ、マシュー」
僕の手を握りしめ、手の甲にキスを落とすこいつをぶん殴ってやりたかった。けれど、そんな気力も、体力も、今の僕にあるわけがない。
深い霧の中の、どこからか聞こえる木霊に過ぎないこの声に、怒りに似た何かが湧きあがったことに驚いたくらいだ。
「きみのためなんだ。僕はもう、見ていられなかったんだよ。マシュー、きみが傷つけられるのを……。解って、マシュー。愛しているんだ。きみが誰のことを想っているかは知っている。でも、きみを想う気持ちでは、決して彼に負けないつもりだよ」
寝言は寝て言え。
僕はこいつの愛とやらのせいで、一年近く、窓のない、白い箱のような病院の一室に監禁されることになった。
僕をこんなところに押し込んだこいつのことを、一生涯、許すものか――。
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説



ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
全8話。1日1話更新(20時)。
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

兄のやり方には思うところがある!
野犬 猫兄
BL
完結しました。お読みくださりありがとうございます!
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです!
第10回BL小説大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、そしてお読みくださった皆様、どうもありがとうございました!m(__)m
■■■
特訓と称して理不尽な行いをする兄に翻弄されながらも兄と向き合い仲良くなっていく話。
無関心ロボからの執着溺愛兄×無自覚人たらしな弟
コメディーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる